中国近現代通俗文学史国際研討会へのメッセージ
樽本照雄
1970年、私が、日本において清末小説を研究しようと決心したのは、当時、清末小説には誰も注目していなかったからです。
そのころの文学史の記述からは、文学革命、五四文学が、突然に出現することが理解できるだけでした。
清末小説の多くが、評価することのできない否定的な側面を多くもつものと批判されていては、五四文学を担った文学者たちが慣れ親しんだであろう文学環境については、ほとんどなにも理解することができなかったのも無理はありません。つづく「鴛鴦蝴蝶派」に対する攻撃の激しさから、逆に、「鴛鴦蝴蝶派」小説が、一般の人々から大いに支持されていたのではないか、と推測したくらいです。
ひとつの立場に偏した、公平さを欠く評論態度だということが、外国人の目から見ても明らかでした。ことほどさように、当時の日本で目にすることのできるほとんどの文学史が、文学革命の立場で一貫して記述されていたような印象をもちました。
清末小説が、否定されるべきものとしてだけで存在してるのなら、それを好きこのんで研究する人はいません。はじめから結果の判明している研究、それも負の評価しかありえない研究に、すすんで従事したいと希望する研究者がいるとも思えません。中国で清末小説研究が行なわれなければ、日本で独自に実行する人がいないのも当たりまえです。日本における中国近現代文学研究は、中国での研究動向に深く影響されているからです。
そういう状況のなかで、なぜ、私は、人がやりたがらない清末小説研究を選択したのか。
それは、混沌のなかで躍動する小説が、東西文化がぶつかりあう清末民初という変革期にこそ出現しているのではないか、そこには、現代文学誕生の萌芽も存在していたはずだという認識があったからです。日本とも密接な関係が背景に存在していた事実を知ってからは、確信に変わりました。複雑な文学現象があればあるほど、研究する価値があろうというものです。
清朝末期から民国初期を通じて、文学の流れは絶えることなく存在していたのは、事実として、当然のことです。それらのどの側面に光を当てて文学史を記述するのか、という認識、方法の違いが浮上してきます。
ある特定の立場だけからばかりでなく、別の側面に光を当てながら、全体像が浮かび上がるような研究方法はないものかと模索してきました。いくらかでも、研究界に貢献できる仕事をしたい、というのも私の望みでもあります。『清末民初小説目録』(1988)、『新編清末民初小説目録』(1997)、『清末民初小説年表』(1999)の編集出版は、模索のなかのひとつの基礎作業でした。
建国50年目にして発行された范伯群主編『中国近現代通俗小説史』(2000)を見れば、これこそが私の期待していた文学史のひとつの形であったと理解するのです。このような形で、私の願望以上のものが実現したことに心からの拍手を送ります。
該書によって姿を現わした范伯群教授たちの近現代通俗文学研究は、その充実さのゆえに日本の研究界へおよぼす影響がきわめて大きいはずです。その意味でも『中国近現代通俗小説史』の出版を、私は、高く評価したいと思います。
1996年、私が香港中文大学で開催された国際学会に参加したおり、范伯群教授と再会する機会を得ることができました。学会終了後、そのまま1ヵ月にわたって香港に滞在し書籍雑誌の調査に従事する、と范伯群教授から聞かされたことを思い出します。『中国近現代通俗小説史』執筆の基礎には、長年におよぶ資料収集とその整理という地道な作業が存在していることを知ることができます。だからこそ、このような独創的で大部な文学史を完成させることができたのだ、と納得するのです。
清末から1949年までの複雑で多様かつ豊饒な文学の実態を、細部にいたるまで余すところなく記述することに成功した范伯群教授をはじめとする蘇州大学の研究者に、賞賛のことばをあらためて力をこめて捧げます。
国際研討会が成功のうちに開催されるであろうことを、私は、信じて疑うところがありません。