贋作漢訳ホームズ



『中国文芸研究会会報』第五〇期記念号(一九八五・二・一五)に掲載。沢本郁馬名を使った。『深浅印』は、天津図書館に所蔵される。いつものように複写を依頼すると、今日から許可しない、といわれ困惑したのを覚えている。しかたないので閲覧室で読んだ後、天津でこれを書いた。家人にシャーロック・ホームズの文庫本を送らせるなど、手間がかかった。


 一九〇六年、上海の小説林社から翻訳書『深浅印』一冊が発行された。シャーロック・ホームズとワトスン医師の登場するコナン・ドイルのホームズ物の一種というふれ込みながら、これが真っ赤な贋作である。
 この『深浅印』、華生筆記、鴛水不因人訳述、上海小説林総発行所、丙午(一九〇六)年五月と記す。華生がワトスンであることは言うまでもない。訳述者については不明。原著者名、あるいはコナン・ドイルの名は見えない。
 ロンドンの南郊来福特村で泰母生・巴特という医者が自宅で首に刃物を突き立てられ殺されているのが発見された。五〇ポンドが紛失しており、犯人は窓から出たらしく泥地に足跡が残されている。ところが、殺害されたはずの当の巴特が、左足の不自由な友人の海姆脱・霍根とともにホームズとワトスンを訪れ、事件解決を依頼するのだった。説明を聞くと、巴特には双生児の兄がおり、その兄が殺されたことがわかる。警視庁の楷而森(グレグスン?)は、五〇ポンドの窃盗犯と殺人犯は同一人物であると推定し、それらしき人物阿克斯を追う。一方、巴特が美貌の婚約者乃蘭のところから帰宅の途中、襲われ刺されるという事件が、またしても発生する。日頃、巴特とは仲の悪い老医師維爾に嫌疑がかかるが、維爾にはアリバイがあった。そんな時、急に霍根がアメリカからの電報で急用ができたのでイギリスを留守にすると連絡してきた。おりもおり、巴特に往診の依頼があり、ホームズは危機は去ったからと彼に行くことをすすめるのだった。馬車で出かけた巴特を、ホームズとワトスンは自転車で追跡する。途中で御者がピストルを持ち巴特に沼に入れと強要するが、間一髪のところで警視庁の花溌根(ホプキンズ?)の援助で救われる。(私は、ここで新刊案内をしているのではないから、犯人を明かしてしまう)御者の変装をはぐと、それは霍根であった。もともと乃蘭、巴特、霍根の三人は友人だった。しかし、乃蘭と巴特が婚約したのを嫉妬した霍根は、表面は巴特と親密であるよう装い、裏で殺人計画を練りそれを実行する。あにはからんや、見まちがえて巴特の兄を殺してしまった。再度、襲うがかえって顔にケガをおわされ、それを隠すためにアメリカに行くと取り繕い、最後にニセの往診依頼でおびきだし、御者に変装して殺そうとした次第。ホームズが犯人推理のきめ手としたのは、窓の外に残された左足の跡――前が深く後ろが浅い――であった。書名の『深浅印』は、これに由来する。
 コナン・ドイルはホームズ物を、長編で四冊、短編集で五冊を書き残している。事件の総数は六〇件である。一読してわかるように、漢訳された『深浅印』に該当する事件はコナン・ドイルのホームズ物には存在しない。ゆえに、『深浅印』は贋作であることがわかる。
 しかし、非常にうまくできた贋作だ。双生児による誤認殺人、および同時に発生した窃盗事件との組み合わせがおもしろい。犯人推理の直接の決め手が足跡だけというのは、ややお手軽と言えなくもないが、この点については周到な伏線がめぐらせてある。なによりもホームズ物に見られる定石のいくつかをうまく使用している点を言わなくてはならない。
 ベーカー街の部屋にもどってきたワトスンの気分爽快な様子と帽子についた水滴を見たホームズが、ワトスンが早朝の散歩に出かけたのを言い当てるという、物語の枕としてのワトスン相手の推理。新聞記事で事件のあらましを説明してしまうやり方。警察による見当違いの捜査。美しく魅力ある女性の登場。綿密な現場検証によって推理される犯人像。ホームズの変装。活劇による幕切れ。ホームズ物の道具立てで特徴的なものはほとんど取り入れられている。贋作の作者は、よほど腕の立つ人物と見える。これでは小説林の編者がだまされるのも無理はない。
 私は、こちらの方面に暗いので、といって明るい方面があるというわけではないが、この漢訳がよった贋作が何という作品であるかを知らない。ただ、作中に花溌根という人物が登場しており、もしも、これがスタンリ・ホプキンズ警部だとすば、原作の発表は、一九〇四年三月以降となろう。なぜならば、ホプキンズ警部がホームズ物に姿を現わすのは、「黒ピータ」(『ストランド・マガジン』一九〇四年三月)であるからだ。それ以後、「金縁の鼻眼鏡」(同誌同年七月)、「スリー・コータの失踪」(同誌同年八月)、「アベ農園」(同誌同年九月)に登場する。これらの作品は、いずれも『シャーロック・ホームズの帰還』(一九〇五年)に収められる。下限は、漢訳『深浅印』の発行された一九〇六年である。
 この贋作は、本物のホームズ物とほぼ同時期に書かれたことになる。その出来のよさのために、ホームズ物の漢訳をいくつも出していた小説林のライン・アップのひとつに加えられたのも当時の事情を考えるならば、わからぬでもない。ただし、後に阿英が、『晩清戯曲小説目』(一九五四年八月)の「翻訳之部」に、該作品を収録するにあたって、明記されてない原著者名を「英柯南道爾著」としたのは、やや軽率のそしりをまぬかれぬところだ。
 中村忠行氏は、ホームズ物の贋作がいくつあるだろうと書かれたが(「清末探偵小説史稿(一)」『清末小説研究』第二号一九七八年一〇月三一日)、ここに紹介した漢訳『深浅印』もその一例であるといえるだろう。