漢訳コナン・ドイル研究小史

 『大阪経大論集』第51巻第5号(通巻第259号)2001.1.15に掲載。言及しそこなった文献を一部追加した。また、渡辺浩司氏より誤植の指摘をいただいた。感謝。


樽本照雄

 中国におけるコナン・ドイル作品、特にホームズ物語を研究対象とした最初の本格的な論文が書かれたのは、中国ではなかった。中国では、探偵小説研究そのものの存在を許さない政治情況が長く続いたからだ。
 では、本格的研究論文は、どこで発表されたのか。それは、1970年代の日本である。
 中国におけるコナン・ドイル研究を見るためには、中国の研究だけに注目していては、全体がわからない。
 日本における研究を視野に入れて、中国で行なわれたコナン・ドイルの翻訳研究の情況を、1920年代から現在まで見ていくことにする。(なお、本稿に関連する文章に、拙稿「中国におけるコナン・ドイル」があるので参照されたい)

0 日本と中国
 本来ならば、コナン・ドイルの作品、とりわけシャーロック・ホームズを含む翻訳探偵小説の本格研究は、中国でこそ最初に着手されるべきものであったろう。資料の蓄積からいっても、研究者層の厚みからいってもだ。なによりも自国の文学研究なのだから。しかし、中国で本格的なコナン・ドイル研究が始まったのは、日本よりもかなり後になる。中国の研究に、1978年の中村忠行論文に遅れること約20年間の空白が生じたのには、それなりの理由があった。

1 1940年代以前
 ドイルのホームズ物語が、中国で最初に翻訳されたのは、1896年のことだった。清朝末期にあたる。
 漢訳された事実はあるにしても、研究の面からいえば、それほど充実したものが発表されたわけではない。
 もともと清末小説研究という分野は、冷遇されていた。古典文学のシッポだったり、新文学のわずかなアタマだったり、その扱いは一定しておらず、いきおい無視される傾向に陥っていたのだ。ゆえに、外国作品の翻訳など、まず研究者の視野には入ってこない。はるか後の1980年代になってからも、翻訳文学は中国の文学ではない、と断言する研究者に私が出会ったりするのも無理もないことだ。
 冷遇されていた清末小説研究のなかでも、特に手薄な分野が翻訳小説であり、もっと無視されていたのは、ほかならぬ探偵小説だった。

范烟橋の場合(1)
 翻訳探偵小説について、中国小説史でまったく触れられなかったというわけでもない。まれに言及するものもあった。
 たとえば、范烟橋『中国小説史』(蘇州・秋葉社1927.12)がある。
 中国小説の誕生から、清末をへて1920年代までを記述する本書において、大衆小説にまで目配りができていて貴重な小説史となっている。
 「外国小説の中国への流入は、愛情ものが最も多く、その次は探偵であった」と書きはじめ、ホームズ、ニック・カーター、ディック・ドノバン、ウイリアム・ル・キューなどの名前をあげる。作中人物と著者名を混在させているのだが、それに違和感はないらしい。さらに、程小青が霍桑物語を作ったのは、コナン・ドイルのホームズ物語にならったものだとか、雑誌『偵探世界』を主編して中国で翻訳されたホームズ物語をあつめて編集したなどとも紹介している(301-304頁)。詳しくはないが、同時代者としての記録として見る価値のあるものだ。
 范烟橋の小説史には、1960年代に書かれたものがある(後述)。
阿英の場合
 あの著名な阿英の『晩清小説史』(<上海・商務印書館1937.5>/[北京・作家出版社1955.8])には、翻訳探偵小説について、つぎのように説明されている。

 後期にいたり探偵小説は、なぜ中国において台頭し流行することになったのであろうか。その主な原因は、[資本主義が中国において台頭し]探偵小説が、中国の裁判および武侠小説と多くの脈絡の通じる箇所があり、<同時に、末世にある人民の悪を振り捨てる心理に迎合したからである>。まず一二種の試訳が出て読者を得ると、嵐のような勢いでお互いに呼応しはじめ、後期の翻訳探偵の世界をつくりだしたのだった。呉〓人と協力していた周桂笙(新庵)は、この種の翻訳の腕利きであるが、当時の翻訳家で探偵小説と関係のないものは、後にはまったくいなかったといってもよかった。もしも、当時の翻訳小説が千種あるとすれば、翻訳探偵は、五百部以上を占めたはずだ。発展の結果、譴責小説と合流して後の「黒幕小説」の勃興となる。「黒幕小説」の来源は、「譴責小説」の単純な影響では決してないのである。(初版282-283頁、改定版186頁)阿英は、改訂するにあたり[]部分を追加し、<>部分を削除した。

 阿英『晩清小説史』は、以前はほとんど唯一の清末小説史だったから、後の研究者に多大な影響を与えた。清朝末期における探偵小説流行を説明するとき、阿英の上記部分を引用する研究書も多い。いかに多くの探偵小説が翻訳されたか、翻訳が千種あればその半分以上は探偵小説だ、と阿英の言葉を繰り返すのである。
 だが、阿英の記述が奇妙なものであることに、読者の誰もが、すぐに気づく。翻訳のうちの半数以上が探偵小説だといっているにもかかわらず、具体的な書名も著者名もなに一つ、誰一人としてここには掲げられていないからだ。コナン・ドイルもシャーロック・ホームズもいない。これほど具体例を欠いた文学史があるであろうか。
 実際は、多くの読者に歓迎され、多数の翻訳、創作がなされていた探偵小説ではあったが、文学史には言及されることが少ない、あるいは具体性を欠いた記述しかない、という乖離情況が生まれている象徴として、この阿英『晩清小説史』(ことに翻訳探偵小説部分)を見ることもできよう。文学史の筆者の方に問題があったということが可能だ。
 評論、文学史において、翻訳探偵小説については、積極的に無視する、言及しない、というのであれば、まだしも作品そのものが生き延びる余地はあったはずだ。
 だが、政治情勢が、それを許さなかった。無視するどころか、積極的に批判を始めるにいたるのである。中華人民共和国が成立してのち、1960年になってからあらわになる。

2 1960年――ふたつの文学史

無視から弾圧へ、または研究受難のはじまり
 1960年、北京と上海のふたつの都市においてほぼ同時に文学史が出版された。
 上海の復旦大学中文系の編著になる『中国近代文学史稿』(1960)は、表題に「近代」をもちいた当時としては珍しい文学史だ。「近代」に的をしぼっただけに比較的詳しく探偵小説についての記述がある。

 この時期(注:1905-1911)の翻訳文学には、多くの有害な作品も出現した。探偵小説と恋愛(言情)小説の数量は、当時の翻訳小説の約半分を占めており、さらにいわゆる「冒険」「侠客(侠情)」「幻想(神怪)」小説をくわえて一世を風靡するなど反動の逆流を形成したのである。それらの込み入って突飛なプロットは、読者を迷わせた。当時、最も広範に流行した翻訳探偵小説には、英国コナン・ドイルの「ホームズ探偵事件(福爾摩斯探案)」があり、フランスはモーリス・ルブランの「アルセーヌ・リュパン」などがある。コナン・ドイルの探偵小説は、世界各国にひろく伝わり、中国では、彼の作品の重訳本、抄訳本、選訳本が書店にあふれた。「福爾摩斯偵探案」「福爾摩斯偵探第一案」「福爾摩斯最後之奇案」ママ「福爾摩斯再生案」「新訳包探案」「歇洛克奇案開場」などのほかに、「恐怖窟」「紅髪案」などなど数十種にのぼった。……/探偵小説は、資本主義制度の産物であって、その内容はすべてが、窃盗殺人事件が当局あるいは私立探偵の複雑な調査を経て、ついには事件の内容が明らかにされて犯人が罪を認めるというものである。「これはまさに資産階級の文学である。その主要な英雄はペテン師、窃盗犯であって、つぎは探偵、最後はまた窃盗犯で、上流の窃盗犯にすぎないのである」(『ゴーリキイ文学を論ずる』)。結局のところ、それは「私有財産は神聖にして侵犯してはならない」という資本主義のために奉仕するものなのだ。/中国資本主義の発展は、これらの小説の訳本が社会に入り込むことができる基礎を形成した。ゆえに、当時、探偵小説の訳本が書店に充満し、全国に害毒を流したのである。(281-282頁)*1

 探偵小説は「有害な作品」で「反動の逆流を形成し」「資産階級の文学」だ、と決めつけるのだ。それだけではまだ不十分であると考えたのか、「資本主義のために奉仕する」ときては、当時の評価としては、最大級の批判をしたと理解せざるをえない。かさねて「害毒を流した」と書かれて致命的な一撃となる。
 政治第一を前面に押し出し、否定的結論が先行したこういう文章が、公式見解として表明されている。
 あげられた書名を見てみよう。「福爾摩斯偵探第一案」と「歇洛克奇案開場」は、あたかも別作品のように書かれているが、実は同一作品「緋色の習作」であって翻訳書名が異なっているだけにすぎない。「恐怖の谷」と「赤髪連盟」は単独作品だが、それ以外は作品集の名前を掲げて記述が一貫していない。さらに「福爾摩斯最後之奇案」は、いかにもドイルの作品に見えるかもしれないが、実はそうではない。贋作ホームズ物語なのだ。
 以上のように細かく見ていけば、必ずしも正確な知識をもってドイルの翻訳小説を批判しているわけではないことがわかる。批判されるべき小説を研究することは、「資本主義のために奉仕する」のと同意味だと短絡する社会においては、正確な知識を得る努力をする必要はないのだから、当然の結果であるといえよう。
 研究と実生活が分離不可能であった当時の情況を考慮すれば、以上の評価は、探偵小説の研究を禁止したことを意味する。否定されるべき探偵小説を研究する専門家は、その政治性が問われることになる。探偵小説を研究する、あるいは論じる文章を発表でもすれば、その研究者の政治立場が反動であることの証拠とされるのだ。
 私がそう考えているわけではない。この文学史が出版され流通した1960年代、中国の研究界では周知の事実であった。
 北京大学中文系『中国小説史稿』(1960)の翻訳探偵小説に関する評価も、復旦大学とほぼ同じである。文章自体の言葉数は少ない。概略だからこそ、編者の主張があからさまに出てくる。

 “鴛鴦蝴蝶”派のなかの何人かは西洋小説の翻訳に従事しており、当時の文壇に少なくない影響をおよぼした。当時の刊行物において、短篇の翻訳小説は重要な地位を占めていたが、内容にはないものはなく、選択もしていなかった。周痩鵑のように比較的有意義な作品を翻訳しているものもいる(彼の『欧美小説訳叢』ママは魯迅の賛美を受けたことがある)。しかし、趣味を追求して、当時最も多かった翻訳は、やはり愛情物語あるいは冒険探偵事件の小説であった。/……“鴛鴦蝴蝶派”の当時における影響は、悪いものであった。特に、知識青年は、その悪風に染り害毒を受けた。五四以後、文学研究会などを代表とする革命文学は、致命的な打撃を加え、30年代になってようやくそれらは消滅したのであった。(580-581頁)*2

 革命文学派から見れば、探偵小説を含んだ「鴛鴦蝴蝶派」は、打倒の対象としてしか存在していない。このわずかな部分から、明確に理解できるだろう。
 探偵小説などは、革命文学派の敵である。革命文学派が正義であり、正統だと認識される情況において、その敵と断定された探偵小説を研究する研究者がいるであろうか。もしいるとすれば、中国ではその研究者は、文字通りの意味において身の破滅を味わうことになる。
 以上が、中国の研究界で、長期間にわたって探偵小説が研究されなかった理由である。

3 1960年代

范烟橋の場合(2)
 北と南から探偵小説批判の大嵐が吹き荒れ始めたころ、研究者用(だと私は想像するのだが)として魏紹昌編『鴛鴦蝴蝶派研究資料』(史料部分1962)*3が出版される。日本で影印本が出版されるくらいだから、原物は日本に輸入されなかったのかもしれない。それだけ印刷部数が少なかったのか(版権ページには2,500冊とある)、あるいは別の理由があったのか。
 1920年代に発表された范烟橋『中国小説史』の民国部分を大幅に改稿したのが、該資料集に収録された范烟橋「民国旧派小説史略」だ。編者の説明によると、范烟橋が該資料集のために旧作を書きあらためたものという。
 五四運動以後、新文学あるいは革命文学が最大の攻撃目標としたのが、鴛鴦蝴蝶派、民国旧派などとよばれる大衆文学であった。范烟橋の文章は、攻撃される側から見た小説史略であるところにその特徴がある。
 その内容は、言情、社会、歴史、伝奇、武侠、翻訳、偵探、短篇、団体などについて述べるものだ。
 「翻訳小説」のなかでホームズ、リュパンに言及し、「偵探小説」で中国人作家の創造した探偵小説を紹介する。

 翻訳小説の中で、外国の探偵小説の翻訳は、相当重要な位置を占めていた。ひとつには、それが込み入って引き締まった筋と主要人物の機知と冒険行為によるものであり、中国の武侠小説と同工異曲ということができ、さらには構成の巧妙さがあって、読者は深く夢中になったのだ。翻訳の種類からすれば、はじめはそれほど多くはなかったが、発行数は驚くべきものがあった。ふたつには、外国小説の翻訳の仕事は、新文藝が勃興して以後は、徐々に旧派から新派の訳者の手に移っていったが、しかし探偵小説は、文言で翻訳された「ホームズ探偵物語(福爾摩斯探案)」からはじまって、それ以後の多くの長短篇探偵小説の翻訳と掲載は、すべて旧派小説の著訳者および彼らの主宰する刊行物が掌握していたのである。(328頁)

 いってみれば、五四時期以降は、清末からつづいている大衆小説派と新興の新文学派のふたつに別れていたということだ。新文学派は、自らの存在価値を広く知らしめるためにも旧来の存在である大衆小説を目の敵にした。一方、大衆小説派は、反論らしいこともせず、せっせと翻訳と創作の探偵小説を生産し続ける。
 范烟橋は、ホームズ物語を紹介してつぎのように書く。

 探偵小説は、清末にはすでに翻訳があり、最初の「ホームズ物語」は、『新小説』創刊号に掲載された。コナン・ドイルは、この物語集で探偵ホームズと書記のワトスンの形象を作りあげ、人物情景の描写は細かく、構造も巧みで一定の文学価値をそなえている。(329頁)

 ここでいう『新小説』は、『時務報』の誤りだ。両誌ともに梁啓超が関係しているから、范烟橋は勘違いをしたのだろう。范烟橋はつづけて『福爾摩斯偵探案全集』12冊(中華書局1916)で全60件ある事件のうちの44件(文言)を収録すること、それが日本との抗戦以前には20版を数えていたこと、『福爾摩斯新探案全集』4冊(大東書局1925)、『福爾摩斯探案全集』(世界書局1927。白話)などが出版されたと解説する。
 范烟橋は、ホームズ物語が事実として読者に歓迎されていたことを述べる。ここには、批判する意図は、当然ながらない。
 だが、事実を事実として冷静に書くことも許されない時代の到来を、北京と上海のふたつの文学史が予告していた。こうして研究の空白10年間――「文化大革命」が発動される。

4 1970年代

日本――中村忠行の場合
 中国において発動された「文革」に、日本で強く影響を受けた分野のひとつは、近現代中国文学研究だった。
 中国で行なわれない研究は、日本でもタブー視に近い扱いを受けた。清末小説研究が、それに当たる。
 そんな風潮にさからって創刊されたのが研究専門誌『清末小説研究』(1977創刊。のち改題して『清末小説』)である。中村忠行の「清末探偵小説史稿」は、該誌第2号から連載がはじまる(『清末小説研究』第2-4号1978.10.31-1980.12.1)。
 それまで日本にも、中国の漢訳ホームズ物語に言及する文章がなかったわけではない。一応、清末から民国初期にかけてホームズ物語が中国読者を魅了したことは文学史上の常識にはなっている。
 だが、ホームズ物語の流行が強調されるあまり、それ以外の外国探偵小説が翻訳された事実は、軽視される傾向にあった。すると、当時の中国ではホームズ物語のみが流行した、と短絡して解釈する人も日本にでてくる。
 そういう中で、中村論文は、従来よく見られた中国の研究をそのまま受け売りにした論文群とは一線を画した、まさに屹立した存在として出現した。
 漢訳作品を収集しながら、それぞれの原作を特定するという気の遠くなる作業をつづけ、中国における翻訳探偵小説の流れを詳細にあとづけた。
 論文全体の構成を紹介しておく。

1.コナン・ドイルの紹介(第2号)
2.その他の英・米作家と作品――アーサー・モリスン、林訳に見る探偵小説、ボドキンとオルツィ、オップンハイム、アレン・アップワード、ブースビィ、ニック・カーター物、ヒューム、ドノバン、デラノイ、リンチ、ル・キュー、ハウズなど、ポウ(第3号)
3.大陸の作家と作品――ガボリオー、デュ・ボアゴベイ、ルブラン、ルルー
4.日本訳から重訳された作品――徳冨蘆花、黒岩涙香ほか(以上第4号)

 一見して、中国の翻訳探偵小説の多様さが理解できる。そればかりではない。書影を示しながらそれぞれの作品の原作を明らかにし、どのように中国で紹介されたのかが丁寧に書かれている。まことに目をみはるばかりの内容になっている。
 論文の冒頭を飾ったのがコナン・ドイルのホームズ物語研究である。
 中村論文の特徴1は、前述のごとく原作を明らかにしながら漢訳を紹介していることだ。それまで一部分は明らかにはされていたが、これほどまで全面的に示されたことはなかった。
 特徴2は、日本におけるドイルの紹介と対比させている。ややもすれば、中国のみの漢訳紹介に陥るのが、しかたがないといえばそうなのだが、ひとつの傾向であった。考えてみれば、それも当たり前で、中国の研究者が日本の翻訳ホームズ物語を研究するとも思えない。日本文学の素養があればこそ、中国と日本の翻訳情況を対比することができる。
 対比の例をあげれば、中村は、『時務報』6-9冊(1896)掲載のホームズ物語が中国最初のドイルの翻訳小説であることを述べ、日本の水田南陽が「不思議の探偵」と題して『シャーロック・ホームズの冒険』のほとんどを『中央新聞』(1899)に訳載したことをいう。
 単純に引き算すれば、中国の方が日本に先んずること3年も前に翻訳していることになる。のちの中国の研究者の多くは、この部分に注目し、そのままに記述することが多い。(ただし、これは後の調査で正しくないことが判明する)
 特徴3は、英語原文と漢訳を引用比較しながら、漢訳の達成程度を判定する。
 特徴4は、基本的に年代を追って漢訳された作品にそって記述する。論文の題目となっている「史稿」の理由である。
 それまで中国のみならず世界で、これほど詳細に清末の翻訳探偵小説について論じた論文はなかった。
 では、なぜ中村忠行にできて、ほかの研究者には書くことのできなかった種類の論文なのであろうか。
 ひとつの理由は、中村忠行が、日本文学を専攻していたからだ。
 その研究の出発点が、「中国文芸に及ぼせる日本文芸の影響」1−5(『台大文学』7巻4号−8巻5号 1942.12.31-1944.11.5)であったことを見れば、容易に想像ができるだろう。日本文学において、明治時期の翻訳小説研究は、原文と日本語訳を対象にして精密に行なわれて来た。中村は、その方法を、清末民初の漢訳小説に応用し、すでにいくつもの成果を世に出している。
 もうひとつの理由は、日本における中国文学研究の偏りにあったろう。
 私の体験からいえば、私の学生時代がちょうど中国の「文化大革命」時期に当たっていたから特にそうだったのだろうが、中国の探偵小説に注目する中国文学専門の研究者は、ほとんどいなかった。そればかりか清末小説そのものにも関心は払われなかったのだ。理由は簡単で、中国で批判されたことのある分野を、あえて研究対象にする研究者はいなかっただけのこと。それほどに中国の研究動向に注目していたのが、日本の学界というものであった。
 中村論文は、中国学界の注目を集めた。
 徐允平「日本近年中国古典研究述略」(『文学評論』1981年第5期1981.9.15)、林崗「日本研究中国近代(清末)文学述略」(『中国近代文学研究』第1輯1983.11)、魏仲佑「清末小説的研究在日本」(台湾『漢学論文集』第3輯晩清小説討論会専号1984.12)らの論文名をかかげるだけで十分だろう。
 そればかりか、論文の無断漢訳まで出現するのである。
 台湾で刊行された大型叢書「晩清小説大系」の『黒蛇奇談』(台湾・広雅出版有限公司1984.3)の巻にその事実がある。ところが、奇妙なことに、この漢訳には、論文名、著訳者名、掲載誌ともに書かれていない。どう見ても、該叢書関係者が、書き下ろした探偵小説史稿にしか見えないようになっている。
 私は、複写を中村氏へおくった。別の文章*4を読むと、中村自身、「清末探偵小説史稿」が中国で翻訳されることを確信していたという(台湾までは予想がつかなかったのだろう)。漢訳の申し出があれば、原稿に補訂したものを提供しただろうともある。無断翻訳であったのにご立腹の様子であった。
 中村論文の研究成果は、清末小説研究会(樽本照雄)編『清末民初小説目録』(中国文芸研究会1988.3.1)、樽本照雄編『新編清末民初小説目録』(清末小説研究会1997.10.10)に全面的に採りいれてある。
中国――研究の復活、または新たなはじまり
 反右派闘争(1957)から10年間の「文化大革命」(1966-1976)をへて、改革開放政策(1978)が実行されても、研究者の意識は、すぐには解放されなかった。空白の時間が、あまりにも長すぎた。研究者のこうむった被害もそれだけ大きかったと想像される。それでも周囲の情況をながめながら、徐々にではあるが研究が復活していく。
 それまでタブーであった探偵小説研究に新しい動きが見られたのは、私の知るかぎり、翻訳では『福爾摩斯探案集』全5冊の発行と、創作関係では范伯群による資料収集とその整理出版である。

『福爾摩斯探案集』全5冊
 A・柯南道爾著、丁鍾華、袁棣華等『福爾摩斯探案集』全5冊(北京・群衆出版社1979.2/1981.3北京第4次印刷-1981.5)には、ホームズ物語60篇がすべて収録されている。
 時期的に見れば「文革」直後といってもいい出版である。
 実は、1957年から1958年年にかけて、『巴斯克維爾的猟犬(The Hound of the Baskervilles)』『四簽名(The Sign of Four)』『血字的研究(A Study in Scarlet)』などが群衆出版社から出版されていた。それまで発行できなかった原稿が、ようやく日の目を見たということだろう。
 序文として書かれた王逢振「柯南道爾与福爾摩斯」*5では、コナン・ドイルとホームズ物語の一般的な紹介しかなされない。該翻訳がどのように成立したのか、「文革」前に出版されたのかどうか、具体的な説明はない。さらには、中国におけるホームズ物語受容の歴史について一言の解説もないのだ。解説よりも、読者にはホームズ物語の実物に触れてもらいたいという意図であるのだろう。

5 1980年代
 前述、徐允平、林崗、魏仲佑らによって、日本における清末小説研究の進捗情況、中村忠行の探偵小説研究のすぐれていることが指摘されはした。しかし、その情報は、ごく限られた研究者だけにしか届かなかったらしく、中国での探偵小説研究が始動するまでには、さらに時間が必要だった。
 たとえば、馬祖毅『中国翻訳簡史――“五四”運動以前部分』(北京・中国対外翻訳出版公司1984.7)では、コナン・ドイルには4行、その他の探偵小説に5行分の字数を割いているにすぎない。(補足していえば、これから15年後には、同氏の『中国翻訳史』上巻(漢口・湖北教育出版社1999.9)が出版され、以前の全体で9行の記述が、4ページ近くまでふくらんでいる。著者と作品名を具体的に掲げた分、記述が増えたわけだ。贋ホームズ物語の『深浅印』を混入させたり、『福爾摩斯偵探第一案』を『福爾摩斯第一偵探案』と誤記したりする箇所はあるにしても、充実したといえば、そうだ)

范伯群の場合
 范伯群の資料収集と整理出版は、中国人の手になる創作探偵小説で有名な程小青と孫了紅の作品を含んで鴛鴦蝴蝶派の作品群を選集のかたちにして実現された*6。
 資料収集は地味で、その整理出版には忍耐を要求される。范伯群が長期間にわたってその仕事に従事したのには、大きな目的があったからだ。それまで全面的に否定されていた鴛鴦蝴蝶派に代表される大衆文学を、本来あるべき正統の場所に位置付けをしなおすという大仕事のためである。これは、のちの『中国近現代通俗文学史』(2000.4)に結実することになる。

陳平原の場合
 中国人作家の手になる創作探偵小説の復権は、作品集の出版によってその第一歩が実現された。
 一方で、「文革」後の新しい世代による新しい清末民初小説史が出現する。
 陳平原『中国小説叙事模式的転変』(上海人民出版社1988.3)*7は、古代小説から近代小説への過渡期に生じた叙事モデルの転変に注目する。変化する小説全体の流れを把握しようとする、その巨視的研究姿勢は、それ以前の中国に見られなかった種類のものだ。従来とは異なる発想から執筆されており、おおいに注目された。
 その主旨は、20世紀初頭、輸入された西洋小説の影響を受けて、中国小説は、叙事の時間、角度、構造に変化を生じたとする。
 陳平原の該書について、指摘しなければならないのは、確かな資料に基づいて書かれているということだ。当たり前だと思われるかもしれないが、1960年に出版されたあの2種類の文学史、小説史が、あらかじめ評価の結論を定めたのちにそれぞれの部分を執筆したような印象を与えるのとは、根本的に異なっているといいたい。
それを可能にしたのが、資料の収集整理だ。それは、陳平原、夏暁虹編『二十世紀中国小説理論資料』(1897年-1916年)(北京大学出版社1989.3)を手にとれば理解できるだろう。
 探偵小説に関連する部分に注目したい。
 当時の資料を丹念にさぐっていった陳平原は、「“新小説”家および読者にとって最も魅力を感じたものは、実は政治小説ではなく、探偵小説であった」(296頁)事実を明らかにする。また、翻訳探偵小説に関心をよせた作家として、周桂笙、徐念慈、林〓、包天笑、周痩鵑および呉〓人、劉鉄雲らの名前をあげてもいる。
 清末の文壇で最も人気があった外国小説の人物は、ひとりはホームズであり、もうひとりは椿姫(マルゴット)であった(301頁)。
 それほど人々に知られていたホームズ物語だが、陳平原は、ホームズ物語そのものに関してはそれ以上に深い探求はしていない。それは当然である。執筆の主旨が違うところにあるからだ。
 陳平原は、本書において翻訳探偵小説が当時の作家におよぼした影響の大きさを指摘した。それまでの探偵小説軽視ないし無視の情況を一変させた点でも、重要なのだ。
 同じく、陳平原『二十世紀中国小説史』第一巻(1897年-1916年)(北京大学出版社1989.12)*8がある。
 清末民初の20年間に発表された小説の実態とその変化について、資料に基づいて把握するという執筆者の動的な視点が、ここにもある。
 該書は、探偵小説に言及して、次のようにいう。「晩清の理論界は、外国の政治小説、科学小説、探偵小説を主要な翻訳紹介対象とするように主張したが、実際には探偵小説の数量が、その他の二種類を遥かに超えた。理論上は、前二者についてさらに声高に主張すれば、社会を改良する意図を実現することができると考えたらしいが、しかし、探偵小説の込み入っておもしろい筋は、広範な中国の読者をとりこにしてしまい、よびかけるまでもなく絶え間なく翻訳紹介されたのだ」「外国小説が、本当に局面を打開し、最終的に中国において根付き花を咲かせたのは、いくらかは探偵小説の魅力にその手柄があることを認めなければならない」「「物語」を読むという角度からは、晩清の翻訳家はコナン・ドイルを選択し、ヴォルテール、ディズレイリを棄てたのだ」(63頁)
 ここでも前作同様に探偵小説の価値を率直に認める。陳平原の小説史は、その後の翻訳探偵小説研究の方向を示したということができよう。
 その後の研究の方向は定まったとはいえ、共通の認識にまでなるのには時間がかかる。翻訳探偵小説を否定する態度を抜け切れない文章も発表される混乱情況が出現するのもやむをえない。ましてや、個々の翻訳探偵小説にまで立ち入って筆をのばそうとすれば、それなりの手間と暇がかかる。

6 1980年代末――混乱状態
 たとえば、陳平原の著書が発行された同じ時期の文学史である任訪秋主編『中国近代文学史』(開封・河南大学出版社1988.11)を見れば、研究の基本方針が変更される前の微妙な情況を知ることができる。
 すなわち、近代翻訳文学を概観するなかで、「小説翻訳の領域では、ふたつのブームが出現した。ひとつは虚無党ブームであり、もうひとつは探偵小説ブームである。一時、洛陽の紙価を高め、大部分の定期刊行物雑誌にあふれかえった。代表的翻訳家は、陳冷血と周桂笙である。その原因を考えると、まずは虚無党は帝制を覆すことを主張して暗殺を実行したから、中国資産階級革命派が暴力革命を主張するのと多くの部分が合致したからだった。また探偵小説の台頭は、主に市民階層の需要に適合したためだ。中国の公案、武侠小説とあい通ずるところがあるが、新しい見解がたくさんあって、だからこそ多くの読者から歓迎された。この2種類の小説については、毀誉は一致していないが、それらは創作技法上は確かに中国の作家に有意義な手本を提供したのである」(468頁)と中国語原文ではわずかに8行ですましている。
 具体的な書名は、なにひとつとして掲げられていないのが不可解である。それを書き留めることに躊躇を覚えたからこその記述であろう。これは私の深読みであって、あるいは、単に原本などの資料が手元になかった可能性もある。だが、私にいわせれば、政治的な評価が定まらないうちに、独自の見解を打ち出すことのできない情況があったのではないかと思わせるに十分な書き方だ。
 たとえば、王祖献、裔耀華「“訳籍東来、学術西化”――論外国小説対清末民初小説的思想影響」(復旦大学中文系近代文学研究室編『中国近代文学研究』第1期 1991.10)がある。論文集に収録された論文で、初出を知らない。該論文集は1991年の発行だが、収録論文の中にはずいぶん前に公表されたものもあり、王祖献等論文もたぶん1980年代に書かれたものだろう。
 翻訳探偵小説を、「誤った創作傾向に導くもの」のなかに分類する。また、あのゴーリキーの言葉を引用して探偵小説の価値を低く置いているところを見れば、まるで1960年に舞い戻ったかのような印象を受ける。

裴效維その他の場合
 翻訳探偵小説に光を当てた研究者では、裴效維も早い部類にはいる。
 「探偵小説は、中国人が目を見開いた後、目にし、かつ学んだ外国の新しい小説であった」とその積極面を強調し、受容と創作の歴史を紹介する。シャーロック・ホームズ物語の成立を簡潔に述べた後、中国に翻訳紹介されたホームズ物語の最初が時務報館翻訳の『新訳包探案』(上海・素隠書屋1899)であったこと、中国の読者の大歓迎を受けたことをいう。さらに辛亥革命後は創作探偵小説が増加しブームとなり、中国における小説繁栄に少なくない貢献をしたとも書くのだ。

 非常に奇妙なのは、新中国が打ちたてられたあと、我が国の探偵小説はなんと「歴史のゴミ」だとみなされ、実際上の禁書になったのである。広範な読者とは完全に絶縁し、また文学研究領域の立入禁止地区となったのだ。さらに奇妙なのは、我が国の探偵小説がほしいままに悪運にあうと同時に、外国の探偵小説はかえって流通することができたことだ。その結果、異常な現象が生まれた。すなわち、「ホームズ探偵事件」は、我が国では誰でも知っているにもかかわらず、一般の読者は自分たちの探偵小説についてはかえって何も知らない。もっとも滑稽なのは、このような異常な現象は、おどろくことに民族虚無主義を批判し、愛国主義を高らかにうたったあの年代に発生したのである。人々は問わずにはいられない:外国の探偵小説がいわゆる「香り高い花」であって、我が国の探偵小説はすべてが「毒草」なのだろうか、と。答えは、否だ。外国の探偵小説は、中国の探偵小説が手本としたものであって、両者は本質上の違いはまったくないからである。ここに極左思潮の影響があるばかりでなく、底に潜んだ民族虚無主義が災いしたことを見ることができる。(281頁)*9

 ここに述べられている研究の基本方針は、当時の政治趨勢が変化したことを反映していると考えられる。立入禁止は解除されたということだ。
 1980年代末に、探偵小説をめぐる評価に方向転換があった。方向転換に気づかず従来通りに負の評価を引きずるもの、新しく正の評価を打ち出すものが混在したのがこの時期だ。
 一種の混乱状態だから、禁止解除を前面に謳う論文も発表されるし、一方で旧来の否定的立場を堅持する論文がでたりする。だから、ただちに研究成果の公表になったかといえば、それほど簡単ではない。繰り返すが、翻訳探偵小説研究には、時間がかかる。
 翻訳探偵小説研究には、原作を明らかにしながら論じていくというひと手間もふた手間もかかる部分があることを知れば、十分だろう。それだけに、正面から研究に着手する人はなかなか出てこない。
 袁健、鄭栄編著『晩清小説研究概説』(天津教育出版社1989.7)は、阿英の例の「翻訳小説は、総数の3分の2を占めていた」という言葉を引用する。これが根拠の薄いものであることに気づいていないのは、しかたがない。考えようにもそれを検討する手段と資料を持っていないからだ。
 翻訳小説が多数出版されているにもかかわらず「建国前のこのように繁栄した翻訳小説とその訳者についての研究は、十分には重視されなかったし、論文も比較的少ない」と過去を回顧するよりほかにない。だが、過去と同じ情況が、新中国になっても続いていたことは以上に見てきたとおりだ。いくら評論文において、資料が不足している、力を入れるべき研究分野だ、と旗を振ったとしても、ただの旗振りで他人に努力を押しつけたままで研究が進むわけもない。気がついているのなら、気がついている研究者自身が着手しなければならないことに気づくべきなのだ。
 鴛鴦蝴蝶派を論ずる著作には、当然ながら探偵小説に触れるものがある。探偵小説に言及しないほうがおかしいのだから、触れるだけの文章ならば、さがせばいくらでもあるだろう。ここでは、ふたつだけ紹介しておく。
 魏紹昌『我看鴛鴦蝴蝶派』(香港・中華書局1990.8/台湾・商務印書館1992.8)の「偵探小説」では翻訳ホームズ物語を列挙するくらい。
 袁進『鴛鴦蝴蝶派』(上海書店1994.8)も翻訳ホームズ物語と中国人作家の創作探偵小説に触れる。
 もうひとつ『中国近代文学大系』第11集第26巻翻訳文学集1(上海書店1990.10)には、主編・施蟄存の「導論」があり、探偵小説にもちらりと言及している。それだけ。

7 1990年代
 漢訳ホームズ物語は、文字通り翻訳である。その専門知識がない研究者が、へたに言及すると間違いをおかしやすい。
 黄岩柏『中国公案小説史』(瀋陽・遼寧人民出版社1991.5)は、末尾においてかろうじて『福爾摩斯探案』を提出する。ただし、その最初の漢訳は、梁啓超が1902年に創刊した東京の『新小説』第1期に掲載されたと書いてしまう(280頁)。すでに紹介した范烟橋の誤りを踏襲したことが明らかだ。雑誌で確認すればすぐに分ることなのだが、手間をかけることを惜しんだ。

鄒振環の場合
 鄒振環『影響中国近代社会的一百種訳作』(北京・中国対外翻訳出版公司1996.1)は、近代中国で翻訳された書籍について100項目にわたってメモ風に書かれた文章だ。その中のひとつにホームズ物語に言及する項目がある(「風靡一時的《福爾摩斯偵探案全集》」248-253頁)。
 ホームズ物語が中国に紹介された最初は、『時務報』第6冊であった、からに始まり、陸続と翻訳された書名を列挙する。清末では、孫宝〓、周桂笙、林〓など、民国では、鄭振鐸、魯迅、劉半農、程小青などの同時代人の感想を引用して、探偵小説についての受け取り方を紹介し、短文ながら行き届いている。中村忠行論文に触れているところにも時代の変化を感じる。参考資料のひとつに日本人の論文をあげるなど、以前には見られなかった。(もっとも、以前には参考にする日本人の論文がなかったという事情もあろうが)
 短文だからドイルの原作を明記する余裕はなかったのも理解できる。ただ、贋作ホームズ物語である『深浅印』を混入させるのは間違いだ。同じく『黄金冑』も贋作だろうと思う(原作未見)。鄒振環は、調査のために中国各地の図書館を訪問したと書いている。『深浅印』は、それでも見ることのできない作品のなかのひとつだったのだろうか。
 また、前出阿英の『晩清小説史』から引用して「当時の翻訳小説が千種あって、翻訳探偵は、五百部以上を占めた」と書く。原文の「もしも(如果説)」を省略するから、実際に翻訳探偵小説が500部以上あったように読める。引用が不正確だといわなくてはならない。
 小さな誤記はあるにしても、学界の探偵小説に対する評価が低いことに触れているのは注目すべきだろう。
 「ホームズ物語は、近代中国においてずっと最も売れ行きのよかった外国小説のひとつだったにもかかわらず、文壇学界は、これについてそれほど重視するということはなかったようだし、ひどいのになると遠回しの批判であったりする」(251頁)。林琴南が、ホームズ物語のような二三流に属している無価値な本を翻訳している、との鄭逸梅の言葉、また、探偵物語などは、酒と満腹のあとでふくれた身体の痒いところをちょっと掻くだけのことしかできなかった、という魯迅の語句を取り出してその証拠とする。
 鄒振環が、探偵小説が学界で冷遇されていることを冷静に判断することができたのは、理由があるだろう。ひとつには研究情況の変化であり、もうひとつは、中国各地の図書館を実際に訪問しての書籍調査に従事した経験を持っているからだ。図書カードをめくって原物を手に取っているからこそ、探偵小説の翻訳がいかに多く出版されていたかを理解することができた。それまでの文学史の記述には、書かれていないことなのだ。探偵小説が無視されていた事実に気づいたといえる。

孔慧怡の場合
 ホームズ物語を主として論じたのが香港の孔慧怡(Eva Hung)である。専論としては、中村論文以来、はじめてのことだろう。
 その「以通俗小説為教化工具:福爾摩斯在中国(1896-1916)」(『清末小説』第19号 1996.12.1)は、中国ではホームズ物語が教化のために使われたことをいう。翻訳者が、清末社会の教育の需要に応えなければならないと考えたため、あるいは、西洋文化と中国文化の違いを考慮したため、原作に勝手な削除などを加えたことを立証する。
 孔論文は、それまでの単に書名を列挙する研究水準を、簡単に超えている。中国においてホームズ物語がどのように受容されたか、を実証的に論じている点で、すぐれたものとなっている。
 1996年、香港中文大学で「翻訳と創作」を主題とする国際学会が開催され、私も参加した。その時の研究発表を1冊にまとめたのが、“TRANSLATION AND CREATION : readings of literature in early modern china, 1840-1918”(David Pollard(ed.), John Benjamins Publishing Company, Amesterdam/Philadelphia, 1998)だ。
 孔慧怡の“Giving Texts a Context: Chinese Translations of Classical English Detective Stories 1896-1916”は、のちに中国語でも刊行された。「還以背景、還以公道――論清末民初英語偵探小説中訳」(王宏志編『翻訳与創作――中国近代翻訳小説論』北京大学出版社2000.3/『通俗文学評論』1996年第4期未見)がそうだ。
 英文、中国とも同内容だから、今、中国語にもとづいて紹介する。
 孔論文は、大きく分けて「背景」と「訳文」およびシャーロック・ホームズ物語漢訳一覧によって構成されている。前の論文がホームズに焦点をしぼっていたのから、漢訳探偵小説にワクを広げたところに発展がある。
 「背景」では、清末当時において、創作および翻訳小説の原動力は、非文学的なもので、知識の伝播と文化の輸入のためだけだったことが述べられる。探偵小説が好まれた理由を、内容と形式が新奇なものであり、新しい科学技術が盛り込まれており、現代生活と密着していた、物語性に長けていた、などなどに求める。前の論文と同様に一貫して強調するのは、漢訳探偵小説に、大衆を教育する目的があったことだ。
 また「訳文」において、作品の叙述方法に関連して『時務報』に訳載されたホームズ物語の書き換えに注目して問題にする。なぜ書き換えたか。西洋の文化のなかで生まれた作品を中国の文化に移植する際に生じる衝突を避けるためだった。また、原題名を漢訳するに際して犯人がわかるように変更し、読者も意に介さないのは、中国伝統の裁判小説の規範におけば、理解ができるともいう。
 同一原作の時期的に異なる漢訳を比較して、翻訳に描かれた女性像の違いを指摘し、基づく中国文化に対する訳者の態度の問題とするところなど、その視点がおもしろい。
 最後に、清末民初の訳者たちは、原著に忠実ではない、また、西洋文学と文化に対して知識が欠乏しているとよく非難されるが、それは新文学運動がうちたてたいくつかの見方にもとづいており、論者は往々にして翻訳時期の社会背景と文化要求をまったく抹殺してしまっている(106頁)、と述べるところは作者ならではの意見であろう。新文学運動が自らの価値を強調するためには、今目の前に存在する清末の翻訳を敵とするのがてっとりばやい。同感である。
 総じて、孔論文は、中村論文を使用しつつ、陳平原論文の影響を受け、さらに孔独自の観点を提示して書かれた印象を受ける。論じるところは詳細にして、新しい見方を提出している。議論が深まる可能性を秘めているといえる。論文が、広く浅く言及するだけの翻訳探偵小説史ではなく、専論である強みだろう。
 巻末にあるシャーロック・ホームズ物語漢訳一覧は、便利だ。少しの間違いがある。113頁の“The Adventure of the Speckled Band”の漢訳で常覚、陳小蝶による訳名を「毒帯」とするのは、「彩色帯」の誤りだろう。同原作の欄(114頁)に収録する袁若庸訳「毒帯」(『小説月報』)の原作は、“The Poison Belt”であってホームズ物語ではない*10。また、白侶鴻『福爾摩斯最後之奇案』(115頁)を“The Adventure of the Final Problem”とするのは誤り。中村論文ですでに指摘があるように、これは贋作ホームズ物語のひとつ*11。全集以外の作品で原作不明の中に楊心一訳『秘密党』(117頁)を含めるのも誤解。原作はCoulson Kernahan“Scoudrels & Co.”だ*12。
 誤りは訂正すればすむ。大きな問題ではない。

郭延礼の場合
 中国におけるホームズ物語に関する比較的早い研究成果のひとつが、郭延礼の『中国近代翻訳文学概論』(漢口・湖北教育出版社1998.3)だ。この意見には多くの人の賛同を得ることができるだろう。それでも陳平原の小説史からは、10年近くの年月を必要とした。
 もっとも、郭延礼が翻訳探偵小説に言及したのは、これがはじめてというわけではない。全3冊という大部な『中国近代文学発展史』の第2巻(済南・山東教育出版社1991.2)「第30章 林〓及近代翻訳文学」のなかで、翻訳探偵小説を簡単に紹介している(1514-1515頁)。
  その後、日本、香港での研究成果をふまえたうえで、郭延礼が、翻訳文学に集中して執筆したのが、上にあげた『中国近代翻訳文学概論』なのだ*13。
 郭延礼の研究が、それ以前の中国における翻訳文学研究の水準を大きく超越することができた要因のひとつは、主として外国における研究を視野に入れたからだ。すでに述べたように、翻訳探偵小説に関しては、日本の中村忠行論文を無視しては、研究は進まないといってもいい。郭延礼が、中村論文に注目し依拠するのは当然なのだ。
 郭延礼は、該書の上篇「六、中国近代翻訳偵探小説」において、コナン・ドイルの作品、欧米の作家と作品、および探偵小説が当時の読者に歓迎された理由などについて記述する。
 掲げられた作品は、かなり多い。専門の論文としても、中国では今までに類を見ないほどに詳しい。中村忠行論文を読んでいる研究者ならば、別に驚くほどのことではない。しかし、中村論文を知らない中国の研究者は、目を見開くだろう。翻訳作品の英文原作を羅列するだけの箇所があったりするのだが、それすらもそれまでの中国では言及されたことがないだけに、はじめて目にした研究者は、驚くに十分であるはずだ。
 郭延礼が最初に書くのは、探偵小説が低俗な読物ではないことである。ソビエトの学者の文章に基づいて、探偵小説を好む科学者は75%を超え、その中で高等教育を受けたことのある専門家が65%を超えていることをいう。「この事実は、探偵小説がけっして低俗な読物ではないこと、同様にそれは人類の知恵の表現であり、人々の精神文化生活の一部分であることを説明している」(139頁)
 ソビエト時代の科学者が好むものが、そのまま肯定されるべき種類のものであるかどうかは、また別の問題だと思う。だが、それまでタブーであった探偵小説研究を取り上げるに際して、郭延礼は、根拠をあげる必要を感じたのかもしれない。過去には、ゴーリキーが引用されて探偵小説の否定に力を添えた事実がある。探偵小説の復活には、ロシア人を引きあいに出すのが有効だと考えたのか。
 郭延礼は、そこで決定的な文句を記す。「現在、いくらかの著作は、これ(注:翻訳探偵小説)について二こと三ことついでに触れるのでなければ、全面的に否定している。これは取るべき態度ではない、と言わなければならない」(140頁)
 1960年、北京と上海で出版されたふたつの文学史は、探偵小説が「有害な作品」で「反動の逆流を形成し」「資産階級の文学」だと断定した。それから数えれば、38年ぶりの翻訳探偵小説復活宣言である。山東大学文学院教授、博士生導師、中国近代文学学会会長、山東省近代文学学会会長などの要職にある郭延礼の言葉であるからには、それ相応の重みを持つと誰でもが自然に理解する。
 郭延礼によるコナン・ドイルとホームズ物語の紹介は、以下の順序で行なわれる。
 中国で最初のホームズ物語の翻訳が『時務報』に掲載されたこと、コナン・ドイルについて、中国におけるホームズ物語の翻訳情況、英文原作と漢訳名新旧対照表など。
 英文原作との漢訳名新旧対照表は、これだけを見ても郭延礼の学識の深さを感じる中国の研究者がいるのではなかろうか。実を言えば、ホームズ物語の原作を明らかにした部分にかぎっていえば、中村忠行論文をこえるものではない。しかし、郭延礼の文章は、それまでの中国における研究の空白を埋めたという点を評価すべきだろう。さらには、日本、香港などの研究成果を十分に取り入れるだけの研究環境の変化と郭延礼自身の努力があったからこその結果だということを再び強調しておきたい。つまり、清末小説研究は、中国国内にだけ目を向けていては進まない事実がある。全世界的な規模で研究が進行中だという認識が必要だという意味だ。
 「毒帯“The Poison Belt”」の原作を“The Adventure of the Speckled Band”と間違ったり(150頁)、劉延陵、巣幹卿翻訳の書名を書き忘れていたり(154頁。おぎなえば『囲炉瑣談(原名ROUND THE FIRE STORIES)』上海商務印書館1917.12のこと)はする。いくつかの誤りはあるにしても、いずれもが瑕疵である。中国における本格的なドイル研究の最初と考えれば、繰り返して言うが、空前の成果だと高く評価するのにいささかのためらいも私にはない。
 本書のあとに出版された郭延礼の『中西文化〓撞与近代文学』(済南・山東教育出版社1999.4)では、「福爾摩斯的東来与偵探小説熱」(194-207頁)において、また、『近代西学与中国文学』(南昌・百花洲文藝出版社2000.4)でも、「五 福爾摩斯的東来」(205-211頁)で、「毒帯」についての誤りを含んで上記部分を抄録する。

湯哲声の場合
 范伯群が長年収集していた資料を基礎に、分担執筆者各自が独自に材料を追加して(と私は想像するのだが)執筆したのが范伯群主編『中国近現代通俗文学史』上下巻(南京・江蘇教育出版社2000.4)である。
 「第三編 偵探推理編」の執筆者は、湯哲声だ。彼は、その前に自らの『中国現代通俗小説流変史』(重慶出版社1999.1)を世に問うている。両者の出版年を見れば、自著の「第四章 中国現代偵探小説之流変」部分を増補したものが『中国近現代通俗文学史』らしい。量からいっても後の「第三編 偵探推理編」の方が断然多いので、主としてこちらについて見ていく。
 全体の構成は、以下のようになっている。
「引論」では、探偵小説が、最初、文学とは認められなかったころから、その評論とは関係なく発展しつづけていたこと、その読者がいたことを指摘して探偵小説の存在価値を積極的に評価する。同時に、これまでの研究が「空白」であることを直視する。以下、「第1章 中国探偵小説の源流」、「第2章 清末民初探偵小説の翻訳とその中国小説への影響」、「第3章 中国近現代探偵小説創作の概況」に続いて第4章から第7章で中国人作家の程小青、孫了紅、兪天憤、陸澹安、張碧梧、趙〓狂などを紹介する。
 コナン・ドイルに関係する部分に注目しよう。
 第1章でポーとドイルおよびその作品を紹介し、第2章において中国語翻訳のホームズ物語を解説する。
 中国で最初にホームズ物語4篇を訳載したのは、『時務報』であったこと*14、作品集である『福爾摩斯偵探案全集』12冊(中華書局1916.5)、『福爾摩斯新探案全集』4冊(大東書局1925)などの発行に触れる。
 個々の作品について英文原作名を掲げるなどの具体的な紹介をしているわけではない。「文学史」とうたっているところからもわかるように、湯哲声が説明したいのは、別のことである。すなわち、外国からもたらされた探偵小説という形式が、当時の中国小説に与えた影響について語るところにより力がそそがれている。
 その影響のひとつは、語り手の問題だ。事件の真相を知らないワトスンが「私」という形式を利用して読者に直接話しかける。「中国小説の全知型叙事モデルが、半知型の叙事モデルに発展した」(776頁)という重大変革を引き起こしたことだ。
 もうひとつは、時間の流れについてだ。「小説で叙述する時間は、必ずしも飛び超えてはならないというものでもない。決まって先に発展していく長い河というわけでもない。それは、止める、分散する、入り交じらせる、ひっくり返す、または折り畳むこともできる」(779頁)
 叙事モデルを問題にするという発想それ自体が、陳平原の立論に近づいている。結論も似たりよったりになるのもしかたがない。

曹正文の場合
 世界の探偵小説を主題とした文学史は、めずらしい。曹正文『世界偵探小説史略』(上海訳文出版社1998.11)が、それだ。探偵小説の発生から、その主たる作家と作品を1冊で解説しようというのだから力業だ。前半でその歴史を、後半で各国の代表作品を紹介する。その分、各作家に割くページが少ないのは、しかたがない。第3章でコナン・ドイルを紹介し、第15章で中国における探偵小説を概括した。
 中国の探偵小説家は、「鴛鴦蝴蝶派」の陣営に入れられてしまい、批判と打撃を加えられた、とここにはっきりと書かれている。「50年代の中国では、ソ連の文芸思想を受け入れ、探偵小説は資産階級思想の産物であると考えられた。社会主義国家に犯罪問題が存在するとは認めず、単純化するやり方で30年代の探偵小説を出版することを禁止したのだ」(159頁)
 私が上に述べてきた中国におけるドイル研究の歴史と、基本の部分で共通している。驚いたのは、「不完全な統計によれば、中国で十余の出版社が前後して出版した『福爾摩斯探案集』は、総発行数が500万冊以上にのぼる」(160頁)という点だ。ホームズ物語が、いかに中国人に好まれたかの証拠となろう。

 以上、中国におけるホームズ物語を中心とした翻訳探偵小説研究を概観すれば、ようやく研究が始まりつつある、という感を深くする。別の言い方をすれば、ついこの前まで、研究らしきものが存在しなかったことを思うと、今後の研究の深化が期待できるということだ。
 本稿に掲げた題名「漢訳コナン・ドイル研究小史」とは違い、上に述べた事柄が、ホームズ物語に限定した内容の文章になっていることに、読者は、気づかれたことだろう。ホームズ物語だけをとりあげて、それ以外のドイル作品について言及していない。
 理由は、簡単である。誰も、コナン・ドイルにはホームズ物語の他にいかなる作品があるか、ほとんど触れていないからだ。中村論文に、わずかにホームズ物語以外の作品が題名を掲げられているだけだが、それも論文の主旨からそれる、という説明があって意図的に言及されなかった。言及のないものを、とりあげるわけにはいかない。
 過去の研究業績を検討すれば、今後の研究方針を定めることが可能になる。
 中国における探偵小説、あるいはホームズ物語の研究は、今のところ大局的、巨視的に論ずることが主流のように見える。過去の空白を埋めるためには、概説的な説明が要求されていると理解できる。だが、研究を次の段階に進めるために、なによりも実現しなければならないのは、資料の整理だ。強調したいのだが、これは研究に不可欠だ。具体的にのべれば、過去に発表された翻訳探偵小説について、書誌的探求がもっと行なわれる必要があると思う。ホームズ物語にかぎらず、視野をひろげてコナン・ドイルの作品全体を探っていけば、研究の新しい展開があると確信するからだ。

【注】
1)復旦大学中文系1956級中国近代文学史編写小組編著『中国近代文学史稿』北京・中華書局1960.5/采華書林影印1962.2.15
2)北京大学中文系1955級《中国小説史稿》編輯委員会編著『中国小説史稿』北京・人民文学出版社1960.4/采華書林影印1972
3)上海文藝出版社1962.10初版未見/日本大安影印1966.10/のちの版本に、香港・生活・読書・新知三聯書店香港分店影印1980.1と上海文藝出版社1984.7がある。今、上海文藝出版社1984年本による。
4)「中村忠行先生著作目録」『甲南国文』第33号中村忠行教授古稀記念論文集1986.3.15
5)A・柯南道爾著、丁鍾華、袁棣華等『福爾摩斯探案集』1 北京・群衆出版社1979.2/1981.3北京第4次印刷
6)范伯群の論文をかかげておく。
范伯群「論程小青的《霍桑探案》」『程小青文集──霍桑探案選』(一)北京・中国文聯出版公司1986.7
范伯群「程小青的《霍桑探案》」『礼拝六的蝴蝶夢』北京・人民文学出版社1989.6
范伯群『鴛鴦蝴蝶――《礼拝六》派作品選』上下 北京・人民文学出版社1991.9
范伯群、金名「(中国近代文学大系俗文学集)導言」『中国近代文学大系』第7集第20巻俗文学集一 上海書店1992.12
范伯群「偵探小説「中国化」之宗匠――程小青」『偵探泰斗――程小青』台湾・業強出版社1993.4 民初都市通俗小説叢書3
范伯群「独領風騒的侠盗文怪――孫了紅」『侠盗文怪――孫了紅』台湾・業強出版社1993.9 民初都市通俗小説叢書7
范伯群「中国偵探小説之宗匠――程小青評伝」『中国偵探小説宗匠――程小青』南京出版社1994.10 中国近現代通俗作家評伝叢書之3
范伯群「偵探小説“中国化”之宗匠――程小青」范伯群、范紫江主編『偵探泰斗程小青代表作』南京・江蘇文藝出版社1996.12 鴛鴦蝴蝶−礼拝六派経典小説文庫
范伯群「独領風騒的侠盗文怪――孫了紅」范伯群、范紫江主編『侠盗文怪孫了紅代表作』南京・江蘇文藝出版社1996.12 鴛鴦蝴蝶−礼拝六派経典小説文庫
7)今、『陳平原小説史論集』上巻(石家荘・河北人民出版社1997.8)所収のものによる。
8)参考:樽本照雄「『二十世紀中国小説史』第一巻索引」『大阪経大論集』第200号 大阪経大学会1991.3.31
9)裴效維「偵探小説――一個外来的小説流派」『中国近代文学百題』中国国際広播出版社1989.4
10)藤元直樹氏よりご教示いただき、私が漢訳原物で確認した。
11)漢訳原本の複写を、平山雄一氏よりいただいた。
12)漢訳原本の複写を、平山雄一氏よりいただいた。英国図書館所蔵の英文原本で確認している。
13)「附録三」の「徴引書目挙要」に香港の孔慧怡論文が抜けている理由は不明。1996年の香港中文大学における国際学会に、郭延礼も参加しており孔慧怡の発表を聞いている事実がある。配付された論文は、公表されていないという理由で、「徴引書目挙要」にはあげられていないのかもしれない。本書の書評がある。沢本香子「本格的翻訳文学研究の出現――郭延礼『中国近代翻訳文学概論』について」『清末小説』第21号 1998.12.1。高旭東「通向世界文学的橋梁――《中国近代翻訳文学概論》」『文学評論』2000年第1期 2000.1.15
14)誤りがある。『時務報』に掲載されたホームズ物語4篇は、1906年に商務印書館が発行した「説部叢書」初集第4編に収録して『華生包探案』と題したとする(759頁)。これは勘違いだ。「説部叢書」初集第4編の『華生包探案』は、『繍像小説』に掲載した6篇を収録したもので、『時務報』掲載の作品とは1篇も重複しない。