『大阪経大論集』第52巻第1号(通巻第261号)2001.5.15に掲載


贋作ホームズ失敗物語
――陳景韓、包天笑から劉半農、陳小蝶へ


樽本照雄


 中国において、ホームズ物語が漢訳されると、大きな反響を巻き起こした。作品が次々と翻訳されていることでわかる。そればかりか、刺激を受けた中国人作家が、並行して贋作を制作公表するのである。
 清末の中国で発表された最初の贋作ホームズ物語は、陳景韓によって書かれた。掲載したのは、新聞『時報』だ。作品はごく短いもので、文字通り短篇小説である。ただの短篇小説でないのは、ホームズが上海に来るばかりか、しかも、失敗する内容だからだ。
 陳景韓の1篇だけでは終わらなかった。上海に来たホームズという設定を共有し、同僚の包天笑がつづけて作品を掲載する。交互に発表しあって合計4篇あるから、連作になっている。
 中華民国成立後、これを引き継ぐ形で、劉半農も上海のホームズを主人公にした作品を発表する。珍しい現象だと私が考えるのは、清末から民初にかけて、複数の作者による贋作の連続作品だからだ。
 贋作が早々に作られたところから、ホームズ物語が中国の読者にいかに歓迎されたかを理解することができる。また、その内容が、ホームズの中国における失敗談となっている点に注目すれば、当時の中国人が、ホームズ物語について、何を思っていたのかを探る材料となる。興味深いといわなければならない。
 贋作ホームズ物語は、ほかにもたくさん書かれた。中国における贋作ホームズ物語制作の盛り上がり様は、外国小説が受け入れられる過程を見るうえで、注目に値する出来事のひとつだと思う。
 本稿では、中国最初の贋作ホームズ物語とそれを継承する劉半農の贋作作品をひとつの系列として、まとめて考えてみたい。鍵語は、「贋作ホームズ」しかも「失敗」である。

●1 陳景韓と包天笑の贋作ホームズ物語

 中国最初の贋作ホームズ物語は、『時報』に勤務していた陳景韓が創作したものだ。それに呼応して包天笑が作品を発表する。交互に発表した短篇贋作ホームズ物語であるが、ひとまとまりになるように意図して執筆された。
 陳景韓(1877-1965)、江蘇松江(今、上海に属する)の人。号は、冷血。『大陸報』の記者を経て、1904年『時報』の主筆となる。のち、『小説時報』、『婦女時報』、『申報』などの主編をつとめた*1。
 贋作公表の詳細を示せば、次のようになる。作者名は筆名だから、カッコ内に本名を補う。

1.冷血(陳景韓)戯作 「(短篇小説)歇洛克来遊上海第一案」『時報』1904.12.18
2.(包)天笑   「(短篇)歇洛克初到上海第二案」『時報』1905.2.13
3.冷(陳景韓)  「(短篇)〓口馬}〓口非}案(歇洛克来華第三案)」『時報』1906.12.30
4.(包天)笑   「(短篇)蔵鎗案(歇洛克来華第四案)」『時報』1907.1.25

 1年に1作品、12月に陳景韓の作品が発表されると、それに刺激されて包天笑が翌1月か2月にひとつを作る、という具合だ。
 『時報』には、贋作ホームズ物語を掲載するより以前に、本物の漢訳が発表されたことがある。「(短篇)黄面(滑震筆記之一)」がそれだ。6回にわたって連載された(光緒三十年六月二十三−二十八日(1904.8.4-9))。英文原作は、いうまでもなく 075“The Adventure of the Yellow Face 黄色い顔”である。
 ちなみに、「黄色い顔」には別の漢訳が、すでに存在していた。『繍像小説』に連載された「華生包探案」シリーズのひとつだ。その題名は、事件の内容を暴露していて、「寡婦の娘隠匿事件(孀婦匿女案)」となっている。これと比較すれば、『時報』の「黄面」は、英文原作にほぼ忠実な口語漢訳である。読者からの反応もよかった、と連載終了後の「後書き」に書かれてもいるくらいだ。
 これら漢訳ホームズ物語を足掛かりにしての、陳景韓と包天笑の贋作制作であった。
 贋作それぞれの表題が違っているにもかかわらず、ひとつのシリーズだと考えるのは、番号の表示があり、順番になっているからだ。
 翻訳すると、次のようになる。「シャーロック上海訪問、第一の事件」「シャーロックはじめての上海、第二の事件」「モルヒネ事件(シャーロック訪中、第三の事件)」「ガン隠匿事件(シャーロック訪中、第四の事件)」
 題名を見ればわかる。ホームズとワトスンが上海にやってきて活動する、という設定である。なぜ、ホームズたちが上海にいるのかについての説明はない。とにかく、上海にホームズたちが、来ているのである。
 1904年当時の中国では、ホームズとワトスンは実在の人物だと考えられていた。だから、上海に来ても別におかしくはない。
 ホームズ物語の贋作には、平山雄一によるとパロディとパスティッシュの2種類がある*2。私なりの言葉をおぎなえば、お笑いのパロディと文体模写のパスティッシュだ。この場合の文体模写とは、いかにもありそうなホームズ物語を創作することだと考えていいだろう。陳景韓と包天笑の贋作は、お笑いに属する。

 事件1:「シャーロック上海訪問、第一の事件」
 陳景韓作。シャーロック・ホームズ(歇洛克呼爾俄斯)が上海に到着した翌日、三十歳をすぎたくらいの中国人がやってくる。昨夜から今までの自分の行動を当ててみろ、と要求する。ホームズは、客の様子を観察して、起床してここに来るまで1時間もたっていない、アヘンを吸っていた、マージャンが好きなどなど、すべてが的中する。するとその中国人は、名探偵になるのは簡単だ、その証拠に、ホームズの事を当ててやろうといい出す。人間だ、そうだ。中国人ではないだろう、そうだ。頭、胴体、四肢があるだろう、そうだ。ホームズが、そんな人間の普通の事を、なんで君に調査してもらう必要があろうか、と言うと、その中国人は「あんたの言っていることも、おれたち上海人の普通のことなのに、なんであんたに調査してもらう必要があろうか」と毒づく。
 ホームズの人物観察についての描写は、その多くが物語の導入部に配置されている。読者を引き込むためのひとつの工夫である。この人物観察に的をしぼってパロディに仕立てようとした。欧米でも、この手のパロディは、見られるらしい。中国の場合は、無理矢理ホームズを上海につれてきて、その推理眼を中国人を対象に適用させたらどうなるか、というのが発想の原点である。このやり方は、中国人作家にとっては、とても魅力的であるようだ。
 第1回目から、ホームズは中国人に罵られる。上海にやってきたホームズの失敗にされた。一読すれば、笑えそうだが、それにしても中国人がホームズに対して投げかける質問が、なんとも大ざっぱにすぎて、敵意むき出しのところが寒々しい。だいいち、客の用件が、自分の行動を当てろ、と言うだけなのだ。この奇妙な依頼について、本来のホームズならば、そこにはなにか裏があると推理しなければならない類のものだろう。陳景韓は、そこまで考えていない。
 これでは、ホームズに気の毒だ。文化の違いを無視しては、人物観察は成立しない。しかし、陳景韓は、それには目をつぶった。名高いホームズが、中国上海では失敗してしまうところに、中国人読者の自尊心をくすぐるものがあると判断したのである。
 「戯作」と記しているように、原作の一部分である仕掛けを、形だけ借用して中国に適応したにすぎない。それ以上のものを、陳景韓が狙ったわけではなさそうだ。
 しかし、この作品から理解できることもある。すなわち、最初の贋作に取り上げられるほど、ホームズの観察による推理という方法が、中国人の読者にも興味を抱かせる種類のものであったことだ。

 事件2:「シャーロックはじめての上海、第二の事件」
 包天笑作。これもごく短い。日本から帰国して2ヵ月になる若者が、ホームズとワトスンの部屋を訪問する(いつのまにかワトスンも同席している)。彼もまた、ホームズの神業を試そうとするのだ。
 若者を観察して、ホームズが推理をする。日ごろ忙しい、昨夜は寝るのがおそかった、原稿を書いている、友人との約束に行かねばならない、などなど。すべてが、そうだとの返答がある。しかし、真相をいえば、芸者遊びで忙しい、マージャンをしていて寝るのが遅かった、原稿を書く墨が手についたのではなく、一品香で芸者を呼ぼうと書付に記入したときについたもの、恋人との密約に遅れるのではないかと時計をみている。人物観察なら、ホームズよりも芸者置屋の侍女の方がよほど厳格だ、との結論を下す。
 ホームズは、ワトスンから「上海は支那文明の中心地」「現在、支那では懸命に改革をはかっており、青年志士が日本に留学するもの年に千名にのぼる」(支那は原文のママ)と事前に聞かされている。ゆえに、訪ねてきた中国人が日本から帰国したのだから、なにかの運動で忙しく走り回っており、寝る時間もない、と推測した。それが、なんと芸者遊びが原因だとは。
 これだけの短さのなかに、時代背景に改革が存在していることをワトスンに説明させておくなどの工夫がなされている。そして、予想した反対の結果に落とすところは、鮮やかなものだ。包天笑の見る時代の風潮を、ホームズ物語にからませてパロディとしたところにおもしろみがある。
 ホームズは、人物を観察するだけで、その人の置かれた境遇を含めて全体像を推測する。たしかに、この部分だけでも独立させれば、おもしろいものが書けるかもしれない。作家特有の嗅覚の鋭さを包天笑はそなえていた。陳景韓の思いつきに、包天笑なりの工夫を加えた。社会性の附加である。上海における改革の風潮と、留学から帰国した人々が政治運動に参加する傾向を作品のなかに取り入れた。しかし、実は、その連中の多くは芸者遊びにうつつを抜かしている。包天笑自身の見解を作品のオチに使用するのである。
 陳景韓の思いつきに、包天笑の工夫が加わって、ひとつの傾向――当時の社会を反映する、が生まれた。
 ただし、紙幅の関係からか、あまりに短いものだから、それ以上に発展させるのがむつかしい。中国人の登場人物を引き継いででもいれば、また違ったものになったかもしれないが、全体の見通しもなく、ひとつの傾向を保持する作品を次に発表した。
 指摘しておけば、ホームズは、最初から中国語ができるようになっている。包天笑は、細かいことにはおかまいなしである。陳景韓にしても、ホームズは、通訳なしに中国人と会話をする設定にしており、だからこそパロディにもなる。

 事件3:「モルヒネ事件(シャーロック訪中、第三の事件)」
 陳景韓作。原文は、「〓口馬}〓口非}」である。モルヒネを意味する。
 アヘン、コカイン、モルヒネについて辞書から簡単な説明を引いておく。
 アヘンは、熟していないケシの実の液を乾燥させてつくった茶色の粉。モルヒネを主成分とする麻薬。モルヒネは、アヘンにふくまれるアルカロイド。白色の結晶性粉末で、鎮痛・麻酔に使われる。コカインは、コカという植物の葉からとる薬。無色・無臭の結晶で、麻酔薬として用いる。
 当時のイギリスでは、アヘンを液体で薄めたものを健康薬として販売していた事実がある。健康に育つようそれを赤ん坊に飲ませ、結果として死亡事故が多発したらしい。ホームズの住むロンドンには、アヘン窟が存在していた。「唇のねじれた男」には、アヘン窟に潜む変装したホームズが出てくるのは周知のことだ。いうまでもなく、ホームズは、モルヒネもコカインもやっていたことがある。「時々、コカインを手にすることを除けば、ほかにはなんの悪い習慣もない Save for the occasional use of cocaine he had no vices」(黄色い顔)
 『時報』掲載の「黄面(黄色い顔)」では、このコカインに「瑪琲」の漢字を当てている。中国人にはモルヒネの方が理解しやすいと判断されたかと思う。
 その一方で異論がある。ホームズは、麻薬を服用していたことを装っていただけで、ワトスンは騙されていた、という見解だ*3。ただし、陳景韓は、その昔、是非を判断する資料を持っていない。
 騙されていたワトスンの記述を真にうければ、やはりホームズは、コカインを服用していることになる。陳景韓は、そう考えた。
 上海到着後、たて続けに失敗したホームズは、精神的に疲れてしまい、モルヒネを必要とした。購入するために薬局に行くと、置いてない、と断わられる。左の通りの薬局で売っていると聞かされ、行けば、ここにも売っていない。先の通りの薬局には、ある、と言われる。行けば、ないとの返事だ。これをくりかし、ようやくたどりついた店にモルヒネのビンが置いてある。買いたいと言えば、店主は、モルヒネなどありません、と答える。それじゃ、目の前のモルヒネのビンは、なんなんだ。店主は、丸薬一包と銀貨数百元をホームズに無理矢理に手渡して、出て行くように泣きながら懇願する。おかしなことがあるものだ、と不思議に思うホームズだった。部屋に帰って先ほどの丸薬を調べてみれば、たしかにモルヒネである。なぜ店主は、モルヒネはない、と言うのか。おまけに代価を取らずに、金までつけてよこす。中国人のボーイがその丸薬を見て、ホームズにアヘンをやるのかとたずねる。病気でもないのになぜアヘンを使うのか、と反論すると、ボーイは、アヘンを吸わないのに、なぜその禁アヘン薬(戒煙薬)を使うのかと問いかえすのだ。ホームズは、アヘンは薬なのに、なぜそれをやめるのか理解できない。アヘンは、西洋では薬だが、中国では吸いすぎて毒になった、とボーイは説明する。モルヒネも毒だろう、なぜそれを禁アヘン薬に使用するのか。いえ、禁止といいながら、モルヒネをアヘンに替えているだけです。ホームズは、頭を抱えてしまう。アヘンは薬なのに、中国人はアヘン中毒になる、モルヒネは毒なのに、中国人は丸めて薬にしてしまう。薬と毒を転倒させるのだ。
 中国において、禁アヘン薬(戒煙薬)は、沢山の種類が販売されていた。当時の新聞は、「戒煙薬」の広告を日常的に掲載していた。新聞広告を見ただけでは、その薬の成分まではわからない。上の短篇小説を読んで、アヘンを断つために、別の麻薬を使用することだと理解できる。
 モルヒネを購入しようとするホームズを短篇小説の主題にしたのは、すぐれた着眼である。ホームズが薬物に手を出していたとワトスンの信じた「事実」を陳景韓は知っていたことがわかる。ホームズを登場させることによって、イギリスと中国のアヘンに対する考えの違いを示すことができた。さらには、禁アヘン薬の欺瞞性をあっさりと暴く結果に至るのである。

 事件4:「ガン隠匿事件(シャーロック訪中、第四の事件)」
 包天笑作。ホームズは、悪党が銃で殺人を犯したと聞いた。犯人を捕まえて、それまで自分のやった失敗の汚名をそそごうと考えた。ホテルの隣室から大声が聞こえてくる。上海にはガン(銃)の所有者が少なくなく、ある家では数十、またあるところでも数十のガンを所蔵している。ホームズは、これを聞いて喜んだ。仲間に違いない。隣の客は、訪問するからと住所を聞くので、ホームズはそれを記録する。翌日、ホームズは、ガン所蔵家の住宅に行けば、主人はガンを包んで宴会に出かけてしまった。警察に急いでかけつけ、逮捕状を出してもらう。追いかけて妓女の家に着いてみると、その主人はアヘンを吸っている。ホームズは、銃を数十も所蔵しているな、と問い詰めると、あっさり認める。クルップか、モーゼルか。ホームズがピストルを見せて問えば、中国人は、わしの言うガンとはこれじゃよ、とアヘンのキセルを掲げて見せる。なぜに多くのキセルを所蔵するのかと聞くと、妻、妾、子などひとりに1本人だから人数分が必要なのだと返答がある。
 ガンはガンでも、銃ではなくてアヘンを吸うためのガン首であった。お笑いである。銃による殺人事件が多発する社会不安とアヘン吸引の実態が、少ない字数のなかに折り込まれている。
 結局のところ、ホームズは、イギリス文化とはまるで異なる中国上海において、言動のことごとくが失敗に終わってしまう。中国語は理解しても、中国社会を知らないホームズに設定してあるのだから、そうなるのは無理もないのだ。だが、この4作品を、単なるお笑いにすぎないと考えるならば、それは十分ではない。
 たしかに、一般読者には、パロディと読めるように表面的には創作してある。だが、イギリス人が上海で探偵をするという趣向は、その設定自体に興味を引きつけるものがあるのだ。
 作品の構成上、ホームズの目を通して当時の上海の風俗をながめることになる。必然的に社会と文化の違いが話題の中心とならざるをえない。ホームズが見た上海、すなわち当時の中国社会の模様、情況があぶりだされてくる。一般の中国人読者にとっては、どっぷりとつかっていて不思議にも思わない当たり前の日常生活が、ホームズとワトスンを持ち込むことによって、突然、異なった様相を見せるといってもいい。いわば比較文化論の領域に足を踏み入れた作品になる。
 視点の変換を導入したことにより、まことに秀逸な贋作ホームズ上海失敗物語になった。
 ただし、ホームズ愛好家にとっては、あってはならない、侮辱を感じるような、まことに納得しがたいホームズ像ではある。中国の文化に無知なホームズだから、なおさらだ。
 犯人を追って、ロンドンから上海にやって来た、と設定すれば、まだ、なんとかなったかもしれない。現代では、イギリスから香港に出張するイギリス人スパイが小説になるくらいだ。ホームズの場合もその可能性は、皆無ではなかっただろう。
 だが、陳景韓と包天笑の贋作ホームズは、新聞に掲載された短篇小説にすぎない。そこまで期待するほうが無理だ。贋作ホームズの形を借りた、当時の中国社会についての、陳景韓と包天笑による比較文化論風時事評論だと考えれば、腹も立たないのではなかろうか。

●2 劉半農の贋作ホームズ物語

 包天笑の贋作ホームズ発表から8年の時間が経過する。
 清朝から中華民国に変わったが、ドイルのホームズ物語は、読者に歓迎され続けた。中国で最初のホームズ全集が出版されたのが、民国5年、すなわち1916年のことだ。この出版に関係しているのが、これから紹介する劉半農である。
 劉半農(1891-1934)、江蘇省江陰県に生まれる。原名は寿彭,改めて復。1905年、常州府中学堂に進学し、そのころから作文と翻訳に興味を持っていた。1911年、辛亥革命に参加し、1912年上海で演劇活動を行なう。『時事新報』の徐半梅と知り合い、小説の翻訳をはじめた。『中華新報』で編集に従事し、1912年、中華書局の編訳員となる。以後、小説、翻訳を発表しはじめる。掲載誌は、いずれも後に「鴛鴦蝴蝶派」と呼ばれるものだった。その後、創作方向を転換し、『新青年』に投稿するようになる。1917年には陳独秀の招きで北京大学予科教員になった。『新青年』の編集に参加してもいる*4。
 以上が、1920年にイギリス、フランスへ留学に赴く以前の劉半農の略歴である。上海における仕事のひとつとして、『福爾摩斯偵探案全集』(中華書局1916)の企画に参加したことは言っておかなくてはならないだろう。彼は、全作品の校閲を行ない、ドイル小伝と跋を書いた。
 全集といっても、ホームズ物語の全60作品を収録しているわけではない。当然のことながら、ドイルは、まだホームズ物語を執筆している最中だ。中華書局の全集12冊は、その時までに発表されている作品44篇の全部を収録しているという意味である。1916年という時点ですでに全集が漢訳発行されたというのは、時期からいってもとても早い。日本で改造社から『ドイル全集』全8巻が出るのが、1931-33年のことだから、それと比較しても、いかに先を走っていたかが理解できよう。
 ホームズ全集に前後して、劉半農自身がドイルの作品を翻訳しているものがある。題名と原作だけを示しておきたい。

「(外交小説)燭影当窗」(英)文豪柯南達里著 半儂(劉半農)訳 『中華小説界』2年5期 1915.5.1
 100“A Foreign Office Romance”
「(偵探小説)一身六表之疑案」(英)柯南達理著 半儂(劉半農)訳 『小説大観』4集 1915.12.30
 123“The Story of the Man with the Watches”
「(社会小説)柳原学校」(英)柯南達里著 半儂(劉半農)訳 『小説大観』7集 1916.10
 136“The Usher of Lea House School /The Story of the Latin Tutor”

 劉半農には、贋作ホームズ物語を書くための知識が十分にそなわっていたといえる。
 全部で5件の贋作事件が、『中華小説界』の3期に分けて連載された。便宜的に、陳景韓と包天笑の作品につづけて番号を振っておく。

5-7.半儂(劉半農)「(滑稽小説)福爾摩斯大失敗」第一−三案『中華小説界』2年2期 1915.2.1*5
8.半儂(劉半農)「(滑稽小説)福爾摩斯大失敗」第四案『中華小説界』3巻4期 1916.4.1
9.半儂(劉半農)「(滑稽小説)福爾摩斯大失敗」第五案『中華小説界』3巻5期 1916.5.1

 劉半農の贋作ホームズ物語が、なぜ陳景韓、包天笑の作品を引き継いでいるかといえば、前書きにそう書かれているからだ。
 「数年前、世界的大探偵のホームズは、イギリスのロンドンから上海にやってきた。世情に疎く、ややもすれば失敗し『時報』にその事が掲載されてしまった。ホームズは大いに憤慨し、さっさとロンドンにもどった」
 『時報』の名前まで出している。劉半農は、明らかに陳景韓、包天笑を継承する考えであることがわかるだろう。陳、包ふたりの贋作ホームズ物語は、その題名に上海訪問、訪中の事件としかうたっていない。読めば、それらが失敗談であることが判明する。だが、劉半農の場合は、題名からして「大失敗」なのである。「大」がつくくらい強調してある。ホームズ愛好家は、心の準備が必要であろう。
 上海からもどったホームズは、ロンドンでの探偵の仕事のかたわら中国社会の種々の情況を研究することにつとめた。おりからの欧州開戦で探偵商売はあがったりの情況になる。経費にも事欠くしまつだ。友人のワトスンは、動員令が下って入隊してしまい、いっそのこと東方にでも行ったほうがまし、というので上海に再びやってきた。上海には、事件の記録者ワトスンがいない。三人称で物語が進行する理由である。
 ホームズは、上海のアスター・ハウス・ホテル(礼査飯店。当時は、パレス・ホテルとならぶ豪華ホテルだった。今の浦江飯店。ドミトリはバックパッカーに有名)14号室に宿泊した。翌日の英字新聞と漢語新聞には、探偵します、と広告が出る。

 事件5:「第一の事件 やめろよ」
 ホームズの部屋に男が一人、入ってくる。自分の身分職業性質境遇、最近の行動を言い当てたら500元を進呈すると言う。ホームズは、承諾する。人物をしばらく観察して結論が出される。金持ち、高い教育、新聞社の翻訳員と学校の外国語教員を兼任する、サッカーを好み、結婚している、名前は「王雪蘭」などなど。さらに、昨日はサッカーをして、夜、新聞社で欧州戦のニュースを翻訳するので忙しかった、とも推測する。それらの根拠は、500元を進呈しようとしているし金時計の鎖が見える、礼儀正しい、右手の人差し指に赤インクがついているのは教員のしるしだし、左手に(英字新聞の)『字林報』を持っているのは新聞社の翻訳員だからだ。衣服に裂け目ができて靴先に泥がついているからサッカー好きだろう。左手薬指の指輪が結婚をしている証拠だし、ハンカチに Wang Sih Lan と名前が刺繍されている。
 その男は大笑いして言うのだ。「ホームズさん、やめろよ」全部間違っている。俺は、馬丁だよ。
 500元など持っていないし金メッキの鎖だけ。上海人は、田舎者でなければ、誰でも礼儀正しい。赤インクは、馬車に置いてあった側室の口紅だ。英字新聞は2週間前に買ったもの。馬丁だから身体壮健で、スポーツは必要ない。泥は、電車に驚いた馬を制したときついたもの。西洋では結婚指輪かもしれないが、中国では普通の装飾品だ。ハンカチは側室のもので「王雪蘭」は、男の名前では、決してない。昨夜は主人と側室が大舞台で観劇して、3時に帰宅、4時に寝たから目が腫れている。
 「上海は、ロンドンじゃないんだ。あんたは、事の道理がわかっちゃいない。よく知られたホームズという名前も、なんぼのもんじゃい」
 陳景韓の「シャーロック上海訪問、第一の事件」に舞い戻ったかのように、同一傾向を示す作品である。顔色を失うホームズにしてしまう。ホームズの人物観察眼を試験するためにだけ、中国人がわざわざ訪問してくる。この題材そのものが、ひねくれている。黙って座ればピタリと当たる、のは占い師だ。しかし、ホームズは占い師ではない。劉半農は、ホームズを侮辱するために、この作品を書いた。
 ホームズ特有の人物観察が、読者の評判になっていた。中国人作家としては、それをひっくりかえしたい。ホームズが高い評価を得ていただけ、引きずり降ろすのに力が入った。
 次の浴場における事件で、ホームズはもっとひどい目にあうことになる。

 事件6:「第二の事件 丸裸の大探偵」
 去年、上海では26件の暗殺事件が発生した。そのうち犯人が逮捕されたのは、夏粹芳事件のみである。
 説明すれば、この夏粹芳は、商務印書館の経営者・夏瑞芳のことだ。日本金港堂との合弁を解消した直後の1914年1月10日(土)夕方6時半、退社しようとした夏瑞芳が、暴漢に襲われ拳銃で撃たれた。この事件を指している。実際に起きた事件をおり込んで、いかにも本当らしい雰囲気を醸しだす。
 探偵の市況が不振だし、おまけに自分は失敗続きで、とホームズが考えているところに電話があった。四馬路の沐春園浴堂からである。迎えのバイクに乗って行けば、四十歳ばかりの宝石商が待っている。入浴時に、合計10万元にのぼるダイヤなどの宝石を盗まれたと訴える。まわりの人に勧められ、ホームズは、考えるために入浴して30分後に出てみると、衣服と靴がなくなっているではないか。ホームズは、盗難にあったのだ。店の者は、衣類は客自らが気をつけるもので、店とはなんの関係もないとつっぱねる。部屋にいる数十人の目が、裸のホームズに注がれる。外国人で大探偵のホームなんとかと称する人が、ちょうど上海にいると聞いているから、その人に来てもらえば、と店員が助け船を出す(助けになっていない<笑>)。ホームズは、思いついてホテルに電話して部屋に置いてある衣類と靴を浴場まで持って来てほしいと依頼した。ところが、鍵は盗まれた服に入れている。ホテルには、余分の鍵はないからできないと断わられる。万事休して、ふと自分の帽子があるのに気づく。そのなかに書付がある。読めば、まず帽子をかぶって書付を見ろ、とある。それには、「猿に冠(外観だけ立派で中身がない)のホームズ氏へ。お遊びですよ。泣いたらだめよ。泣くんだったらお父ちゃん、お母ちゃんが助けてあげまちゅ。抜け出る方法が知りたければ、小机の裏を見てごらん」と書いてあるではないか。裸のホームズは、文字通り冠をつけた猿を実演しているのだった。机の裏に紙切れが2枚貼ってある。1枚は、衣類と靴は向の質屋に入れてある、自分の指にはめている指輪を質にいれてそれで受けだせ、との指示だ。もう1枚は質札で、12元とある。店員に頼んで指輪を質に入れて14元になったから、衣類などを受けだすと、ホテルの鍵はあったものの、時計と現金が5元不足している。店員へチップをやって残りの現金でホテルに戻る。小包が届いているので見れば、時計と不足していた現金だ。さらに13元と手紙1通、悪臭のする草の茎2本が入っている。時計と金をかえす。13元は進呈するから指輪を受けだせ。冗談だよ。金が残ったら菓子でも買え。あんたのような子供は許すほかないからな。1本の草は、あんたの臭みを表彰するもの、1本は俺を忘れないようにするためのもの。「本日の侮辱を忘れるなよ」と結んである。
 「シャーロック上海訪問、第一の事件」では、単に人物の観察が間違っただけだった。ところが、今回のホームズは、大勢の中国人が見る中で丸裸にされてしまう。中国人によっていいようにからかわれただけ。ホームズにしてみれば、これほどの屈辱はない。からかう、茶化すというよりも、著者の底意地の悪さだけを感じる。ホームズに容赦のない侮辱を加えるところを見ると、彼に対する尊敬の念、あるいは愛情は、劉半農には爪の先ほどもないように見える。
 「滑稽小説」と角書にうたっている。中国人にしてみれば滑稽かもしれないが、ホームズ愛好家にとっては、耐えがたい屈辱だ。漢訳ホームズ全集を校閲し、序とドイル小伝を書いた劉半農であるにもかかわらず、ホームズに愛着はわかなかったのだろうか、と不思議に思われるかもしれない。どこかで逆転があるのではないか、といい方に期待をしてみたりする人がいないともかぎらない。そう思いはじめるところに、すでに劉半農の手管に惑わされているのかもしれないではないか。だが、それらしい結末にはならないのだ。

 事件7:「第三の事件 やっぱり帰ったほうが……」
 陰暦七月十五日、ホームズのもとにイギリス人から手紙が届いた。同じグレート・ブリテン人として、ホームズの窮状を見かねて情報を提供しようというのである。長く上海に住んでいるので、反乱者の一党をよく知っている。彼らは、南市小東門洋行街の廟の近くに爆弾を蓄えて本夕8時に決起することになっている。逮捕すれば一生食いっぱぐれることはない。ホームズは、迷った末、現場に行くことにした。廟の近くには、「求めれば必ず応える」などと書かれた小さな木の札がたくさんある。ホームズは、何のことか分らずに、これはきっと中国革命の偉人の記念碑であろうと断定する。同様に、薬の広告があるのを、革命党人が用いている隠語、暗号であると判断するばかりか、お参りにきている妓女をも中国革命の女傑だと考える。あげく、そこらあたりをうろついて目に入るものいちいちにむりやり憶測をしてしまうのだった。それらしき二人をみつけると、ホームズはあとをつけた。イギリスの名探偵ホームズが上海に来ているのを知っているか、もし政府がこやつを用いれば、我が党は負けるぞ、などとウワサをしている。二人は横町をでて寂しい通りに入ると廃園に進む。建物があって、窓の下で手を3回鳴らせば応える口笛がある。縄が降りてきて二人とも上にあがっていった。ホームズもまねをして縄につかまって三四尺ものぼったところで、三人の男によって縛り上げられ蜘蛛状態にされてしまう。ワナであった。さきほどの二人が、出てきてニヤリとして言う。最初は馬丁に敗れ、二度目は浴室で負けた。今度は、身の程知らずだったな。「この者、大探偵のホームズである。行くものは三度のおじぎをして敬意を表わせ。もし縄を解くものがあれば、ろくでもないやつだ」と書いた白い布をホームズの胸に飾るのであった。ホームズは、ここは居る場所ではない、帰ったほうがよさそうだ、明日、一番でロンドンに帰ることにする、と訴える。例の二人は大笑いして、半儂がお前の失敗事件を記録してからなら縄を解いてやろう、と言うのだった。
 第一の事件で馬丁に罵られる。第二で騙され丸裸にされる。つづく第三の事件で、同胞を装った人間の手紙におびき寄せられ、まんまとワナにはまってしまう。その3件ともに、ホームズをだますための計画が存在したことが明らかになるのだ。
 第三の事件で届けられた手紙にしても、ホームズは文面を読んで迷うだけだ。その差出人が誰なのか、上海に長く居住しているならば、それを確認するための方法があるはずだのに、なにも行動をとろうとはしない。ホームズは、中国文化を学んだことになっているが、廟にまつわる情況については無知である。
 ホームズを知っているはずの劉半農にして、その失敗を強調したいがために、無理な筋立てを考えたと思われるかもしれない。確かに、中国人読者の溜飲を下げるためにだけ考えた物語だとしたら、余りにお粗末なホームズだといわざるを得ない。緻密なホームズという設定を生かしたまま、智慧の出しあいのはてに、結局のところホームズが敗れてしまった、となるのだったら話は別だ。だが、この3件についていえば、余りに安易で粗雑なホームズ像である。
 劉半農は、引き続いて別の贋作ホームズ物語を提出する。上海での失敗物語3件は、次の展開に必要な話の枕でしかないのだ。

 事件8:「第四の事件」――ホームズ、中国人女性と結婚する
 事件の内容を示す表題は、ついていない。前回と違い、ワトスンの記述になっている。
 ワトスンが言うには、私とホームズはベイカー街に同居してからのち、友情は密であった。また、私が結婚したので別に住むことにはなったが、難事件に遭遇すると必ず私を呼んで助けとしたから、昔通りに密な関係だった。私の記述するホームズ探偵事件は世に流行し、ホームズひとりの幸福であったばかりか、ロンドンにワトスンありと人に知られて、私の幸福にもなったのだ。
 書き出しからして、いかにもホームズ物語らしい。ワトスンが、昔、従軍したおり左足に傷を受けたことまでのべて、著者のホームズとワトスンについての知識が豊富であることが読みとれる。
 さらに、ワトスンは医者について、長々と話をくりひろげる。また、次のようにもいう。ホームズとの付き合いが20年になるが、事件簿が40ちょっとなのは、ホームズの失敗が多く、成功した例が少ないからだ。中国で失敗したことを半儂に書かれてしまい、ホームズの名が地に落ちてしまった。半儂とは誰だか知らないが、その記述するところはすべてが嘘ではないけれども、人の名誉を打ち壊し悪質である。私が上海にいくことがあれば、かならず告訴して外国の裁判がどのようなものであるかを味わわせてやる、などなど。
 劉半農は、ここでカッコ内に注をつけて「コナン・ドイルの書くホームズ探偵物語は、幕開きはゆったりと述べることが多い。本作品もワトスンの語りを用いるが、戯れにその方法にならうのである」と書く。ホームズ物語の読者であれば、このような注釈は必要としない。だが、劉半農は、わざわざそう書かずにはいられないらしい。「滑稽小説」と角書するのだから、その必要があると考えているのだろう。
 ワトスンのところにホームズから手紙が届いた。上海でホームズが侮辱された模様は、『中華小説界』で読んだことだろう、その続きであると書いている。手紙には、驚くべき事柄が述べられている。ホームズが上海で中国人女性と結婚したというのだ。
 以下は、ホームズの手紙だから、彼自身の語りとなる。かいつまんで紹介する。
 (第三の事件の場面からつづく)軒下に縛り上げられたままだった。寒さ、飢えには耐えられるが、パイプとモルヒネがないのが恐ろしい。向いには紡績工場がある。工場の朝晩に女工たちが出入りをする時、ホームズの前を通り過ぎていく。そのなかの一人が、ホームズに一目惚れしてしまった。言葉を交わすようになり、ついには縄を解いた(不思議なことに、それまでホームズは、縛りつけられたままだったらしい。悪党どもの仕返しを恐れ、誰も縄を解こうとはしなかったといいたいのだろう)。その女工とホームズは、結婚した。あまりの美しさに、それまでの独身主義を貫くことができなかったからだ。(ワトスンに送られてきた写真<実は絵>のうちの1枚を見るかぎり中国人女性は、お世辞にも美しいとはいえない。しいて言えば山上たつひこ画伯描くところのタマゴ侍を陰険にした表情をしている)
 結婚したから、上海に来た当初宿泊していたアスター・ハウス・ホテルを出た。烏有路に洋館を借り、私立探偵の看板を掲げた。書記としてミスタ趙、タイピストのミス李のふたりを雇った。ホームズを知る読者なら、彼が書記を置くなど考えられないだろう。ミスタ趙を書記として雇うことになった経緯が、最も笑うべき失敗なのである。
 妻が、ミス李に嫉妬することから始まった。ホームズとミス李の二人が同じ部屋にいるのを隣の部屋から監視する。最初、ミス李のことは何とも感じていなかったが、一つ家の中にいると気になりだす。東方社会の習いに染まりもし、いくら妻が容貌美しく資質が聡明である(?)とはいえ、「多妻」という考えが生まれてくる。妻は神経敏感で、事物観察の才能は自分よりも百倍は勝っており、考え方の緻密さは兄のマイクロフトなど足下にもおよばない。仕事で外出している間に、主人であるホームズに断わりなくミス李を首にしてしまった。しばらくして暗号の手紙が届く。それには、「18|26,14|13,12,4|(後略)」と数字だけが書かれている。数字は26以内だからアルファベットだ。1文字で意味のあるのは、A と I だけだから、逆に数えてみれば26が A となる。当てはめると I am now Waiting you in the Public Garden. Your loving one.となった。嬉しく思い、直ちに待っているはずの公園に出かけた。だが、いない。それも道理で、考えてみれば、上海の公園のなかで21ヵ所は西洋人のもの。中国服を着たものは入園できない。ミス李は中国服だから、中国公園のはずだ。ようやく会える。彼女は、待ちあぐねておりました「光が不足しているのじゃないかしら」と言う。何のことだ。大探偵ですからおわかりですよね。情愛が高まり、とうとうミス李に接吻してしまうと、あにはからんや、ミス李は怒って公園を出て行くではないか。呆然とするホームズだった。態度の急変は、つぎの朝方まで考えても理由がわからない。年は十八九のミスタ趙と名のる中国人が客として訪問してきた。写真が問題だと言う。写真の事件ならボヘミア王などの件を扱ったことがあるとホームズがいうのに、見せられた写真が、ホームズとミス李の接吻写真である。あの時、「光が不足しているのじゃないかしら」とミス李が言ったのは、写真を撮るためだったのだ。これが新聞に公表されるとホームズの信用は地に落ちるだろう、公表されるのがいやなら月に百金で10年間、自分を書記に雇え、と脅迫するのである。つまり、ミス李とミスタ趙は、グルになってホームズを騙したのだ。
 書き始めがホームズとワトスンの生活史風になっていたりする。過去の事件を例にあげる――「見福爾摩斯偵探全集第三十二案」(161“The Adventure of Charles Augustus Milverton”)などと漢訳全集から引きあいに出す。いかにもそれらしい工夫をしている。暗号を考えだしたのも劉半農だ。待ち合わせ場所を知らせるのには大げさだし、だいいち具体的な場所を指定しないから用をなさない、と責めてもしかたがない。暗号のための暗号になっているところが「滑稽小説」である理由だ、と考えるべきだ。
 劉半農の筆になるホームズは、その根本的な造形が、一般に流布している本来の姿ではない。本来のホームズを基準にすれば、縛り上げられるなどの失敗をするホームズは、なかなか想像しにくい。だから、縄を解いてくれた女工の親切にほだされ結婚するホームズは、もっと存在感がない。さらには、雇人の女性に接吻し、それを写真に撮られてユスリのタネにされるホームズにいたっては、開いた口がふさがらないほどの間抜けぶりだ。
 次の事件では、ホームズの間抜けぶりは、もっとひどくなる。

 事件9:「第五の事件」――ホームズ、子供に騙される
 ホームズは、昔、ワトスンとベーカー街に住んでいたときのように、各種新聞を閲読して探偵事件に関係ありそうな記事の切り抜きを作っていた。しかし、欧州戦争のニュースばかりであったり、地方ニュースにもろくなものがない。ミスタ趙に言ったのだ。「政界学界軍事界実業界のどこといわず、世界を驚かすに足る抜群の人がいないというのは驚くべきことだね」その日の午後、ホームズに手紙が届いた。悪人の手にかかって生命財産のふたつともに危険にさらされている、助けてほしいとある。楊樹浦のある廟に捕まっているから、夜6時前に、馬に乗って羊を1頭つれて来てほしい。馬車はダメだ。なぜダメなのか理由はわからないが、その通りにすることにした。3時半、羊の首に鈴をつけ馬で出かけだ。街を抜けると田舎の曲がりくねった道に出る。馬車では行けないはずだ。そこで気づく。羊が盗まれている。首につけていた鈴が、馬の尾に付け替えられているのだ。村の悪童が囃したてる。この外人を見ろ。馬の首につける鈴を尾につけているぞ。肛門から飯を食うんだぜ。羊を見なかったか。誰かが羊を引いて南に向って行ってた。よし、金をやるから馬を見ていてくれ、と羊をさがしに出かけるホームズだった。探したが見つからない。もとの場所に引き返すと、馬もいない。子供にまで騙されたのである。しばらく歩くと、井戸のところで商店の店員らしき少年が泣いているのに行きあわす。あまりに哀れで聞けば、集金した五百余金を入れたカバンを井戸に落としたらしい。拾わなければ死ぬしかない。ホームズは、服を脱いで井戸のなかに入ると、少年は、その服を持ったまま大笑いしながら逃げてしまった。またもや騙されたのである。ワトスン君、私は今まで探偵事件で失敗したことはあったが、1時間のあいだに連続して3回も失敗したことはなかったよ。寒空にシャツ一枚だが、時間は迫っている、家に帰るには遠すぎる。そのまま進むことにした。廟には、無頼の若者五六人がいる。様子をうかがって踏み込んだ。ピストルでおどして、依頼人の救出に向う。依頼人の李という男が説明するのには、自分は宝石商だ、3日前にイギリスの婦人が店にやってきて最高の珠玉ダイヤを購入したいと言う。店には二級品しか置いておらず、家にある最高級品を次の日にホテルまで持って行くことになった。途中のこの廟で一休みしていると無頼人が自分をつかまえようと相談している。宝石の箱をかくしたところを捕まった。馬を頼んだのは宝石箱が重いから、羊は例のガチョウ、ナポレオン像のように宝石をかくすためだ。馬も羊もいないなら、三十万もする白い巨大な珠玉をホームズが口に含んで運んで欲しい。その珠玉の悪臭は吐き気をもよおさせるが、この事件の報酬は五十万だから我慢をした。依頼主とは別れて、宝石箱を携えてようやく安全な場所にたどりつけば、身なりの怪しいものと見られて警察に留置されてしまった。調べると宝石箱の中身は瓦礫であり、口に入れた珠玉は、下剤をロウで封じ込めた丸薬であった。小さな穴から黒色の下剤が出ていたから臭くて、とたんに腹を下す。帰宅して翌朝、ミスタ趙が言うには、すべては仲間の四五人とやったことだ。昨日、「抜群の人がいない(無出人頭地之人)」といったのがミスタ趙の自尊心を傷つけた。「わが国の人々の恥をそそぐためだった」それがすべての理由なのだ。ホームズは、思わず失笑するのだった。
 子供にバカにされるホームズは、哀れな存在でしかない。結局のところ劉半農の描くホームズは、ホームズらしくない。ホームズの名前をつけられた素人、ただのイギリス人である。
 無頼人に捕まっているはずなのに、なぜホームズに手紙を書いて届けることができたのか。馬でしか運べないような重い宝石箱なのか。運ぶのであれば、羊に宝石を飲み込ませることもなかろう。とこまごまとあげつらってもムダである。なぜならば、中国人によって簡単に、しかも徹底的にだまされる、ふがいないホームズこそを劉半農は創造したかったからだ。ゆえに、作品の誤りをいちいち挙げるのは野暮なことになる。「滑稽小説」と銘打っている作品であることに注目しなければならない。劉半農は、すべてを理解したうえで、間抜けなホームズを創造したのである。
 ホームズを騙すことにしたその動機は、作中の始めと最後で明らかにしている。くりかえせば、ホームズの「世界を驚かすに足る抜群の人がいない」「抜群の人がいない」という発言に対するミスタ趙の反発であった。ホームズが中国人を侮蔑したことへの復讐なのだ。作中のミスタ趙が感じた反発は、そのまま著者劉半農の気持ちでもある。
 時代の風潮に対する劉半農の反発である、と言い換えてもいい。劉半農には、ホームズに向けて発する強烈な対抗意識があるのを感じるのだ。ホームズに象徴される西洋に対する対抗意識の裏側には、また同時に、劣等感が存在することは容易に理解できる。
 西洋から翻訳のかたちで小説が大量に流入してくる。ホームズ物語に対して、中国人読者の歓迎ぶりには目をみはるものがあった。だからこそホームズ全集が出版されるし、その企画に劉半農自身が参加している。しかし、その熱狂ぶりに表わされる西洋の事物についての中国人の対応に、劉半農が共感と同時に違和感をもっていたとしたらどうか。
 何事も西洋の方が上だ、それにひきかえわが中国は一段と劣る、と感じる劣等感は、根拠のない優越感に容易に転化する。ホームズを、中国人の策略に翻弄される間抜けな人物に仕立て上げた理由である。しかし、一時の根拠のない優越感は、消滅してしまうのも、また、早い。本来の劣等感をふたたび認識すれば、それから立ち上がるために新文学へ方向を転じることは、劉半農にとってみれば、まことに道理にかなった行動であった。その方向転換の具体的行動が、いわゆる「鴛鴦蝴蝶派」の雑誌群から決別して新文学を標榜する『新青年』に投稿することであったとしても不思議ではない。
 清末に発表された陳景韓と包天笑の贋作ホームズ物語は、いわば比較文化論小説にほとんどなりかけていた。イギリス人のホームズを、上海という異文化のなかで活動させるならば、そうなるのは必然であったといってもいいだろう。異文化との遭遇を主題に、詳細に描写を重ねていけば、もうひとつの道が広がったかも知れない。上海におけるホームズ、異文化との遭遇、比較文化論風パスティーシュになる可能性である。
 ところが、民国後の劉半農の場合は、場所を上海にしていながら、文化の違いをそれほど考慮しなかったように読める。陳、包に比較して紙幅は大いに取ってあるにもかかわらずだ。劉半農の意図が、別のところにあったからだろう。すなわち、ホームズを、直接、侮辱するのに急であったのである。ゆえに比較文化論小説の可能性がなくなったという意味では、少々残念な気がする。

●3 陳小蝶の贋作ホームズ物語

 題名にホームズの「失敗」をうたう作品を最後にひとつ紹介する。

(陳)小蝶「(滑稽小説)福爾摩斯之失敗」『礼拝六』第45期 1915.4.10

 前述、劉半農の『中華小説界』掲載の作品と、ほとんど同時期だといっていいだろう。
 陳小蝶(1897-?)、名は〓クサ遽}、酔霊生と号す。小説家。父は作家の陳蝶仙。父と西洋小説の翻訳をして有名でもある*6。

 事件:「ホームズの失敗」
 ワトスンの手記だ。ワトスンがいなければホームズは失敗する、ホームズの事件は、実はワトスンの事件である。このことを天下の読者に知らせるために、ワトスンはこの文章を書いたことになっている。
 ある朝、ワトスンが朝食をとっているところにホームズが訪ねて来た。家賃を請求されたが支払うことができない、変装に使う付け髭を売れば払えるか、などと言う。そこへ、ローズ街116号のリロンダスの家で盗難が発生したとの電話がかかってくる(ワトスンの家であるのに往診の依頼ではなくて盗難事件の電話だ)。ホームズひとりで出かける。リロンダス夫妻が舞踏会から帰ってみれば、部屋の中が空っぽになっていた。ダイヤ、宝石などが盗まれている。裏にドアはあるかと問えば、ありません、窓には鉄格子がはまっていますから逃げることはできません、との答え。それならば、犯人はまだ家の中にいる。部屋に男二人が隠れていた。ようやく一人を捕まえたホームズが、盗難品は警察で記録しなければならない、と宝石を持って犯人を連れて出て行く。リロンダスはもう一人の犯人と浴室にいる、と聞かされた夫人が行ってみれば、ホームズが縛り上げられて、水につかっている。先に出て行ったホームズは、犯人が変装していたのだった。その夕方、ホームズはびしょ濡れで帰ってくると、以上を報告して、必ず報復してやる、盗賊を逃がしはしないぞ、とワトスンにいうのだ。ワトスンは、おもわず失笑するのだった。
 陳小蝶の書いた贋作ホームズ失敗物語は、中国上海が舞台ではない。ロンドンでの話だ。ホームズが得意とする変装を逆手にとって、犯人のほうがホームズになりすますのだから、読者の笑いをさそう。ホームズは、ワトスンの援助なしには探偵稼業の成功はおぼつかない。こう言いたいがための短篇小説である。ホームズ万能の神話を打ち壊すべく作られた滑稽小説、というだけでいいだろう。
 以上、ホームズの失敗物語を紹介してきた。一口に失敗物語といっても、中国人が創作したものだから、それなりの特徴はある。上海だから失敗したもの、ロンドンでも失敗した例などなど。いずれの場合も、贋作ホームズ失敗物語が書かれるほどに、中国でもホームズが読者の歓迎を受けた証拠になることは、間違いない。

【注】
1)裴效維執筆。梁淑安主編『中国文学家大字典(近代巻)』北京・中華書局1997.2。254-255頁。また、以下の文献もある。
寧 遠「回憶陳冷血先生」『小説新話』香港・上海書局1961.3/1972.12再版
包天笑『釧影楼回憶録』香港・大華出版社1971.6
鄭逸梅「報壇耆宿陳冷血」『鄭逸梅選集』第2巻所収「藝壇百影」哈爾濱・黒竜江人民出版社1991.6。786-787頁
湯哲声「時評催人醒 冷血心腸熱――陳冷血評伝」『演述江湖幇会秘史的説書人――姚民哀』南京出版社1994.10 中国近現代通俗作家評伝叢書之6
武禧(劉徳隆)「陳冷血著《侠客談》――清末小説過眼録26」『清末小説から』第38号 1995.7.1
武禧(劉徳隆)「陳冷血的《土裏罪人》――清末小説過眼録27」『清末小説から』第39号 1995.10.1
2)平山雄一「ホームズパスティッシュ史における中国作品」『清末小説から』第61号2001.4.1。ホームズ物語の贋作については、いろいろ書かれているのだと推測する。筆者がたまたま目にした「パロディ、パスティーシュ、その他の模倣」ディック・ライリー&パム・マカリスター編、日暮雅通監訳『ミステリ・ハンドブック シャーロック・ホームズ』(株式会社原書房2000.2.29)を参考までに挙げておく。
3)ホームズとコカインについても多くの文章があると思う。そのすべてを私が知っているわけではない。自分の備忘録として、以下の文章を掲げておく。長沼弘毅『シャーロック・ホームズの世界』文藝春秋新社1962.2.25。31-51頁。長沼弘毅『シャーロック・ホームズの大学』実業之日本社1976.2.1/5.15第二刷。143-236頁。ジョージ・F・マクリアリ「シャーロック・ホームズは麻薬常習者か」エドガー・W・スミス編、鈴木幸夫訳『シャーロック・ホームズ読本』研究社1973.4.10/1973.10.25三版。また、前出『ミステリ・ハンドブック シャーロック・ホームズ』に「ときどきコカインを注射する以外に悪習はない」と称する章がある。136-142頁
4)婁献閣「劉半農」宗志文、朱信泉主編『民国人物伝』第3巻 北京・中華書局1981.8。333-339頁
厳薇青著、沢本香子訳「劉半農と魯迅」『中国文芸研究会会報』第161号 中国文芸研究会 1995.3.31
程致中「劉半農」孫文光主編『中国近代文学大辞典』合肥・黄山書社1995.12。324-325頁
劉小宦w父親劉半農』上海人民出版社2000.9
5)この部分のみ単行本にも収録されている。胡寄塵編『小説名画大観』上海・文明書局、上海・中華書局1916.10初出未見/北京・書目文献出版社1996.7影印 北京図書館蔵珍本小説叢刊
6)鄭逸梅「陳小蝶」厳芙孫等「民国旧派小説名家小史」魏紹昌編『鴛鴦蝴蝶派研究資料』(史料部分)上海文藝出版社1962.10初版未見/日本大安影印1966.10/香港・生活・読書・新知三聯書店香港分店影印1980.1/上巻史料部分 上海文藝出版社1984.7

【附記】
資料について劉徳隆氏のお世話になりました。感謝します。