『暴夜物語』の底本
――日訳最初のアラビアン・ナイト
『大阪経大論集』第52巻第6号((通巻266号)2002.3.31)に掲載。
永峯秀樹訳『(開巻驚奇)暴夜物語』(奎章閣1875*1)がある。書名を見れば、暴風雨の夜を題材とした翻訳小説かと勘違いするかもしれない。『あらぶる夜』、すなわち『アラビアン・ナイト』または『千一夜物語』とよばれる作品の日本で最初の翻訳なのだ。
『暴夜物語』の底本については、定説がある。
●1 底本の定説――タウンゼンド版
日本語訳本に、タウンゼンド版と書いてある(ように見える)。また、柳田泉が訳者である永峯秀樹を、直接、訪問して確認している。ゆるぎようがない。
のちの研究者も、タウンゼンド版を探しだし、永峯訳本がそれによっていることを確かめた。動かしようがないから、これを定説という。
今まで、日本の研究者がこの定説に対して異論を提出したとは、聞かない。管見ながらそのような文章を見たことがない(ご教示ください)。
しかし、永峯秀樹訳『(開巻驚奇)暴夜物語』の底本は、タウンゼンド版だけではない。もう1種類の英文原書を併用しているのだ。その説明をする前に、定説が形成される様子を見ておこう。
○訳者・永峯の証言
『暴夜物語』の「小引」のひとつに次のような説明がある。あとで詳しく見ていくが、とりあえず、関係部分を示す。
『アラビアン・ナイト』を説明して、「……盡ク英学士「タヲンスヱンド」君ノ自叙ニ據ルモノナリ」(363頁)という箇所に、誰でもが注目するのは当然だろう。
「タヲンスヱンド」こそは、永峯訳本の底本だとみなされた。
○石川巌「開巻驚奇暴夜物語解題」『明治文化全集』第13巻日本評論社1928.4.15
明治六年の渡部温訳『通俗伊蘇物語』が稍文藝作品に近いものであるが、純文藝物としては本書(暴夜物語)が邦訳物の元祖の栄冠を担ふべきで、その意味において明治初期翻訳文学中特筆注意すべき邦訳の一つであらうと思ふ。本訳書の原本は英国タヲンスヱンド版に拠つたものださうで、最近訳者の直話に青色の小本であると。且つ柳田氏の言によれば、多分現在ウアード・ライブラリ中に収められてゐる抄訳『アラビヤ夜話』がそれであらうとのことである。24頁
「邦訳物の元祖」とはならない。年表などによれば、齋藤了庵『魯濱孫全伝』(ロビンソン・クルーソー。香藝堂1872)があるからだ。
ここに言及されている「原本は英国タヲンスヱンド版に拠つたものださうで、最近訳者の直話に青色の小本である」というのは、次に紹介する柳田泉が永峯本人を訪問して証言を得て書いたことを指す。
柳田泉の文章を、少々、長くなるが引用する。2ヵ所に言及がある。
○柳田泉『明治初期翻訳文学の研究』明治文学研究第5巻 春秋社1961.9.15/1966.3.10二刷
この『暴夜物語』は、英語のタウンセンド版『アラビヤン・ナイツ』(編者タウンセンドはドクトルといって僧職であるという)によったものと断わってあるが、無論全部ではなく、有名な漁夫の物語から黒島国王救出のところまでで終っており、中間、抄記省筆によっているところが明らかに見える。漢文直訳体を基に和文体を交えて一種の文体をつくっている。訳文は、この頃としては巧みの方であろう。第一冊は片仮名交りでやや硬く、第二冊は平仮名をつかって和文に近いこなれた文章である。文中挿んである画図も、原書か何かに拠るものがあったのではあろうが、なかなか面白いものがある。10頁
「編者タウンセンドはドクトルといって僧職であるという」と柳田は書く。「僧職」であるのは確かだ。ただ、柳田のいう「ドクトル」がどこから来たのかわからない。
手元のタウンゼンド版(出版社は、ロンドンとニューヨークのウォーン Frederick Warne & Co.,[1866]。刊年不記)を見れば、A NEW EDITION, REVISED, WITH NOTES, BY THE REV. GEO. FYLER TOWNSEND, M.A.と扉に表示がある。ドクタではなく、マスタとなっている。
その表現からすれば、Rev.とは、Revelation とか Reverend を指して僧、牧師のことだ。
柳田の書く「文中挿んである画図」については、あとで問題にする。
まず秀樹氏が翻訳物に着手したときの抱負は、まずひろく世界の様々な事を知らしめて日本人の島国的独尊心をくじくにあったという。/『暴夜物語』(二冊)の如きも、もちろんこの目的から出ているので、異国異代の風俗習慣の一端を知らしめて当時の日本人を啓発するつもりから訳したのである。あれに用いた原書は、タウンセンド版という青色の小本(多分現在ウォールド・ライブラリー中に収めている抄訳『アラビヤ夜話』がそれであろう。タウンセンド某の序があったと記憶している。このライブラリー中のものでなくても、このタウンセンド版というのが当時では代表的なアラビヤン・ナイツと思われていた)であった、秀樹氏は元来『アラビヤ夜話』は好きであった由で、別に大形のレーン訳をもち出して見せて下さった。秀樹氏の訳は、もちろんあの二冊より出なかったという。297頁
原書は「青色の小本」だと説明してある。おなじタウンゼンド版といってもいくつかの種類があるのだろう。手元にあるものは、A5判に近く、小本ではないし、表紙は挿絵入りの緑色の精裝本だ。
柳田の証言で興味を引くのは、永峯が「別に大形のレーン訳をもち出して見せて下さった」という箇所である。
レイン版*2も永峯は所蔵していた。これは、見過ごすことができない。ただし、柳田は、それ以上、レイン版に言及しない。
柳田の文章は、永峯訳本の底本について、決定的な証言となった。
以後、日本語訳本の底本はタウンゼンド版である、しかも「中間、抄記省筆によっているところが明らかに見える」というのが定説となり、今日にいたっている。
永峯訪問のおり、もうひとつ見せてもらったレイン版ではあるが、それだけだったようで、これと底本との関係については書かれていない。だから、誰も、永峯訳本とレイン版の関係の有無について話題にしない。
これ以後、タウンゼンド版のみが、注目されることになった。
○大場正史「千夜一夜書誌目録」『千夜一夜の世界』挑源社1963.8.15
開巻驚奇暴夜物語(タウンセンド・英) 永峯秀樹 奎章閣 (明)8年 一−二冊(262頁)*3
目録の冒頭に掲げられている。大場正史は、タウンゼンド版の原物を探し求めた。その様子を、次のように書いた。
○大場正史「初期の邦訳『アラビアン・ナイト』」『世界文学大系月報』75 世界文学大系第73巻附録 筑摩書房1964.1
いっぽう、わが国で初めて翻訳されたのは、それ[注:1704年のガラン仏訳]よりずっとおくれて、明治八年(一八七五年)のことで、永峯秀樹訳『開巻驚奇暴夜物語』(あらびやものがたり、と読み、第二編まで)と題し、奎章閣から発兌された。そして、訳者は第一編の「小引」(序言)で「以上掲グル所余カ憶見ニ出ル者ニアラス尽ク英学士タヲンスヱンド君ノ自叙ニ拠ルモノナリ」と断わっている。つまり、タヲンスヱンドの訳を台本とした、という意味である。
日本語の読みを問題にするのもいかがかと思うが、「尽ク英学士タヲンスヱンド君ノ自叙ニ拠ルモノナリ」という記述は、大場のいうように「(永峯秀樹訳『開巻驚奇暴夜物語』は)タヲンスヱンドの訳を台本とした」という意味ではない。永峯は、底本について述べていない。彼がここで書いたのは、ほかならぬ「小引」の内容が、「尽ク英学士タヲンスヱンド君ノ自叙ニ拠ルモノナリ」ということにすぎない(後述)。
だが、「小引」での書き方が、いかにも、永峯訳本はタウンゼンド版を元本にしたという印象を与えることになった。
筆者はこの底本を英訳本と見なして、ずいぶん探しまわったが、結局徒労に終わったし、どんな参考書にも、タヲンスヱンドの名が見えないので、手がかりさえつかめなかった。そこで、昭和三十年一月二十四日付けの「毎日新聞」に『暴夜物語』の扉が写真版で紹介されたとき、筆者はその解説で「いかんながら、底本とした原書がつまびらかでない。おそらく欧州で初めて『千夜一夜』を紹介したガラン教授の重訳にもとづくものであろう」*4としるした。
多くの参考書にタウンゼンドの名前を見つけられなかったという。研究書では、触れられることのないタウンゼンド版であるらしい。当時、大量に出版された書き換え版のひとつであったということなのか。
ところが、最近、ある大学図書館で、偶然この珍(?)書に遭遇して、筆者の想像が誤っていたことを発見したのである。つまり、英訳者(というより編者)は Geo.Flyer Townsend(ジョージ・フライヤー・タウンセンド)というM・Aで、発行所はボストンの出版社、発行年月は不明だが、購入年月は明治三十八年七月二十八日であること、さらに、その序文により、台本はガラン訳ではなく、同じイギリスのジョナサン・スコット博士の原典訳であることが判明したのである。このスコット訳は、レイン訳、バートン訳などが世に出るまで、英語の世界ではかなり幅をきかせていたもので、タウンセンドは、ただその英文を校訂(おそらく省略)し、いくらかの脚注を付したにすぎなかった。いわば、単なる編者だったのである。5-6頁
大場が見つけた版本は、ボストンの出版社という。これもまた私のものとは別の版本であるらしい。
“REVISED”と書かれているから、タウンゼンドが改訂、修正した版本である。たしかに、そうであれば編者かもしれない。
以上のような証言と研究があれば、底本がタウンゼンド版であるという定説は、その名のとおりになる。訳者の永峯は、あたかもタウンゼンド版のみを底本にしたと考えられている。そうならば、タウンゼンド版以外には参照した書籍はない、という意味にもなる。
○矢島文夫「『千一夜物語』」『集英社世界文学大事典』2 集英社1997.1.25
1875年(明治8)年に永峯秀樹の『開巻驚奇暴夜物語』として出た抄訳は、リライト版の一つタウンゼンド英訳によっている。742頁
ここでいう「抄訳」が、全訳ではない、という意味ならその通り。どのみち、タウンゼンド版の名前しか取り上げられない。また、それで十分であるかのようでもある。
しかし、タウンゼンド版と日本語訳本の字句を比較対照してみると、一致しない箇所がでてくるのも事実だ。
明治期の翻訳には、原文とは異なる姿に変身するものもあるから、やはり、いちいち対照して確認する必要が生じる。
●2 タウンゼンド版との文章比較
『暴夜物語』の構成は、以下のようになっている。
まず「小引」が最初に置かれる。
つづいて、巻一が、物語の発端から、驢牛雇夫ノ寓言、魔君商人ノ物語、先翁並〓鹿匕}ノ伝、後翁並二犬ノ伝まで、本文はカタカナで表記される。
巻二は、ひらがな表記に変更され、漁夫の伝、希臘王並医生銅盤の伝、富商並鸚鵡の伝、受戮宰相の伝、漁夫の伝続、黒島王の伝とつづく。
タウンゼンド版に収録された物語は、発端を入れて全部で60話だ。永峯訳は、最初の発端から全11話にすぎない。全体の約6分の1を日本語に翻訳している。
◎2-1 「小引」
「小引」からはじめる(変体仮名は書き改めた)。
「小引」は、いうまでもなく訳者による解説だ。普通、内容のすべてが訳者の筆になるものと思うではないか。だが、事実は、異なる。
【永峯】一、原書ハ「アラビアン・ナイトス」ト云ヒ、専ラ欧州ニ行ハレ、毎戸ニ蔵シ、毎人読マザルナク、読ム者、為ニ浸食ヲ忘ルヽニ至ルト云フ。363頁
翻訳の原書名を明らかにしているだけだ。ここは、訳者の考えであるとしてよい。
次の物語誕生についての説明から、タウンゼンド版の「序文 preface」が関係する。
【タウンゼンド】The exact origin of these Tales is unknown. Advocates of equal ability have claimed for them a Persian, Indian, or a purely Arabian source. Two things are now generally allowed, that they are to be traced in substance to an older work of a very early origin, and that they are founded upon Mussulmans' customs, and describe Moslem manners, sentiments, religion, and superstitions.(これらの物語の正確な起源は、知られていない。ペルシア、インド、あるいは純粋なアラビアの出処という同等の可能性が主張されている。ただし、ふたつのことが認められる。ひとつは、とても昔からの起源をもつ古い作品の痕跡を残していること。もうひとつは、イスラム教の風習にもとづき、イスラム教徒の作法感情宗教と迷信を描写していることだ)iv頁
【永峯】一、欧州諸家、此書ノ出処ヲ論ズル一ナラズ。或ハ比耳西亜ト云ヒ、或ハ印度ト云ヒ、或ハ亜刺比亜ト云フ。然レトモ其材料トスル事物ニ至リテハ、盡ク古書中ノ最モ古キ者ノ中ニ証ヲ取ルベク、其風俗思想宗教盡ク回教ヲ宗トセルハ諸家ノ一致スル所ナリ。363頁
物語の起源を問題にする。ペルシア、インド、アラビア、イスラム教と、表記は異なっていても、英文の要素をひとつもはずさない。
逐語訳ではない。だが、英文の内容を、ほぼ、日本語にうつしていることが理解できるだろう。解説部分だから、それでもかまわない。
【タウンゼンド】These ancient Stories may be divided into two classes.“The first contains wonderful and impossible adventures, and extravagant absurdities, in which the invention leaps from fancy to fancy, and has no other aim than to entertain the imagination by the most grotesque, impossible, and strange occurrences.”(中略)The second consists of genuine Arabian tales and anecdotes, in which adventures of the times of the Caliphs, and particularly of Haroun Alraschid, are related.“These lay claim,”……“to be general histories; and the anecdotes are, for the most part, really historical, at least, as far as the outlines.……”(これらの昔の物語は、ふたつにわけられる。「前者は、不思議で不可能な冒険ととっぴな不条理を含んでおり、発明が、空想から空想に跳びはね、もっとも怪奇で不可能でそして不思議な出来事によって想像力を楽しむ以外に目的は存在していない」。(中略)後者は、純粋のアラビアの物語と逸話によって構成されている。国王の時代、特にハロウン・アルラシッドの時代の冒険が物語られている。「普遍的な歴史であり、逸話はその多くが本当の歴史で、少なくとも、概略を示している、とそれらは主張する。……」)iv頁
【永峯】一、此書ヲ読ム者前後二部ト做シテ看ンコトヲ要ス。前ニ記スル所ハ奇幻極マリナク、都テ想像中ニ想像ヲ生ジ、世人ヲ驚嚇スルガ為ニ作レル者ニ似タリ。後ニ記スル所ハ、事実ノ最モ奇ナル者ヲ集メタル者ナリ。故ニ之ヲ看テ正史ト做スベク、亦読ム者ニ益アル尠少ナラズ。363頁
以上に見るように、ここも、原文の内容を簡潔に日本語に要約翻訳している。
【タウンゼンド】Whatever might have been the intention of their author, these Tales are made instrumental to the production of many characters, diversified with boundless invention, and preserved with profound skill in nature, extensive knowledge of opinions, and accurate observation of life. Here are exhibited princes, courtiers, and sailors, all speaking in their real characters. There is the agency of airy spirits and of earthly goblin, the operation of magic, the tumults of a storm, the adventures of a desert island, the native effusion of untaught affection, the punishment of guilt, and the final happiness of those for whom our passions and reason are equally interested.(それらの著者の意向にかかわらず、それらの物語は、多くの人物の制作に役立っており、無限の発想によって変化し、事実、奥深い熟練、見解の広い理解と人生についての正確な観察によって維持されている。君主たち、宮廷人そして船員たちは、みんなそれぞれ本物の人格をもって話していることが、ここに示されている。軽快な精神の動き、この世の悪鬼、魔法の働き、嵐の騒ぎ、砂漠の冒険、生まれつき会得した愛情の自然な発散、罪への懲らしめ、そして最後の幸福があり、それらにたいして私たちの情熱と理性はともに興味をもつのである)v頁
【永峯】一、記者ノ用意奈何ンニ関セズ、書中性質意志計謀生計ノ模様ヲ記スル千態万状、帝王朝官舟子ノ講ズル所、各其状ヲ盡セル、天神地鬼幻術妖法ノ異シムベキ、人心ノ倫常自カラ備ハリタル、善悪必ズ其応報アルガ如キ、亦以テ勧懲ノ具トナシ、兼テ世態人情ヲ知悉スルノ料トナスニ足レリ。363頁
複雑な英語表現を、深くしぼりこむかたちで要点をおさえた日本語に置き換えている。その力は、普通ではない。
以上に見るように、「小引」の説明は、訳者が独自に考案したものではないから、つぎの表現になる。
【永峯】一、以上掲グル所、余ガ憶見ニ出ル者ニアラズ、盡ク英学士「タヲンスヱンド」君ノ自叙ニ拠ルモノナリ。363頁
「以上掲グル所」とは、永峯が示した「小引」部分を指す。「小引」が、タウンゼンド版の「序文」にもとづいていると認めているのだ。
「小引」がタウンゼンド版ならば、本文の底本もタウンゼンド版に違いない。誰でも、そう考える。事実、底本のひとつは、タウンゼンド版だと思ってもよい。
だが、本文を詳細に見ていけば、タウンゼンド版だけでは説明できない部分が存在している。
◎2-2 発端 Introduction
「アラビアン・ナイト」の全体構造を示すのが、序文、すなわち永峯のいう「発端」の部分である。
シャーラザッドが1001夜にわたって物語ることになった経緯が、ここにおいて説明される。すなわち、シャーリヤルとシャー・ザマンの兄弟王がいて、それぞれの妃の行状が、物語発生の原因になるのだ。
【タウンゼンド】It is written in the chronicles of the Sassanian monarchs, that there once lived an illustrious prince, beloved by his own subjects for his wisdom and prudence, and feared by his enemies for his courage, and for the hardy and well-disciplined army of which he was the leader. This prince had two sons, the elder called Schah-riar, and the younger Schah-zenan, both equally good and deserving of praise.(ササン朝の君主の年代記において、かつて輝かしい君主が存在し、その聡明さと思慮分別により自国民から愛され、その勇気そしてその大胆さとよく訓練された軍隊の指導者であるがゆえに敵から恐れられていた、と記録されている。この王にはふたりの息子がいた。兄をシャー・リヤルといい、弟をシャー・ザマンといった。ふたりとも優良で賞賛に値した)1頁
【永峯】昔シ佐々爾安ノ朝ニ一人ノ英主アリ、此帝生レナガラ智仁勇ヲ兼備シ、又幕下ニ勇将健卒多ク、臣民ハ之ヲ愛敬シ、敵国ハ之ヲ恐怖シタリ。帝ニ二人ノ皇子アリ、兄ノ皇子ヲ須加里阿(スカリア)ト名ケ、弟ノ皇子ヲ須加是南(スカゼナン)ト名ク、共ニ賢明孝慈ノ誉レ高ク、万民煕々トシテ君ヲ仰グ、冬日ノ陽、夏日ノ陰ノ如ク、鼓腹シテ太平ヲ楽シメリ。364頁
固有名詞、Schah-riar シャー・リヤルが須加里阿(スカリア)に、Schah-zenan シャー・ザマンが須加是南(スカゼナン)になるのは、しかたがない。読みくせの範囲内だ。
基本的には、英文原作に忠実な日本語訳であるということはできる。
ただし、訳者による加筆も見られる。すなわち、「万民煕々トシテ君ヲ仰グ、冬日ノ陽、夏日ノ陰ノ如ク、鼓腹シテ太平ヲ楽シメリ」という箇所だ。原文だけでは、物足りないと思うのか、永峯は、つづけて王が死亡する場面でも加筆する。
【タウンゼンド】The old king died at the end of a long and glorious reign,……(老王は、長く輝ける統治のすえに死去した。……)1頁
【永峯】然ルニ帝不図重病ニ臥シ玉ヒシカバ、在庭ノ大臣ハ云フニ及バズ、山間ノ細民ニ至ルマデ己ガ父母ヲ思フガ如ク、我ガ君疾ク御本復アレカシト、祈ラヌモノモナカリシカド、天数茲ニ限リアリ、医薬モ終ニ効験ナク、黄泉ノ客トナリヌレバ、……364頁
王の死亡について、英文の描写だけでは、あまりにもそっけなく見えた。そうでなければ、長々と筆を加えることはなかっただろう。こうして、原文の簡潔さは、無視された。
兄弟王は、10年間(20年とする別版がある)、別れてそれぞれの領土を統治していた。兄王の懇望により、弟王は、兄王に会いにいくために王宮を出発する。しかし、愛する妃にもう一度会いたくなり(忘れ物をしたことに気づくとする別版がある)、こっそり王宮にひきかえした。そこで、彼が見たものは。
【タウンゼンド】when, to his extreme grief, he found that she loved another man, and he a slave, better than himself. (これはなんと、妃が別の男を愛しており、その奴隷は、彼自身よりもよりねんごろでいるのを発見した)2頁
【永峯】コハイカニ、后ハ外ニ思ヲ通ゼシ男アリテ、一人の黒臣ヲ寝床ニ誘ヒ入レ、サモ心地善ゲニ枕ヲ並ベ、前後モシラズ熟睡セリ。365頁
タウンゼンド版の英文には、「黒臣」も「寝床」も「熟睡」もありはしない。ここも永峯の加筆だというのだろうか。
2例のみながら、これまで見て来た永峯による加筆は、鼓腹撃壌の楽しい世の中とか、王の病を心配する国民とかのいわば決まり文句といった類のものだ。しかし、この寝室場面は、抽象的なことではなく、具体性をともなっている。英文の奴隷を、どうすれば「黒臣」に置き換えることができるのか。おまけに妃とふたりで熟睡しているというナマナマしさである。永峯の想像でここまで書き込むことが可能なのだろうか。疑問がわくのも当然だろう。
さきに紹介した柳田泉の文章に、注目すべき箇所があることを指摘しておいた。レイン版の存在である。
永峯自身が取りだして、柳田に見せたレイン版では、その箇所が次のようになっている。
【レイン】he there beheld his wife sleeping in his bed, and attended by a male negro slave, who had fallen asleep by her side.(そこで彼が見たものは、妻が彼の寝台で寝ており、彼女のそばに男の黒人奴隷がよりそって熟睡しているのだった)4頁
永峯は、レイン版のこの部分を、そのまま日本語翻訳に取り入れた。つまり、タウンゼンド版を底本にしながら、レイン版から部分的に表現を借用し自分の訳文に注入したのである。
【タウンゼンド】The unfortunate monarch, yielding to the first outburst of his indignation, drew his scimitar, and with one rapid stroke changed their sleep into death. After that he threw their dead bodies into the foss or great ditch that surrounded the palace.(不運な君主は、彼の憤怒の最初の爆発を生じさせ、三日月刀を引き抜くと、一撃のもとに彼らの眠りを死へと変えた。そののち、彼は、彼らの死体を宮殿のまわりにある堀あるいは大きな溝に投げ捨てたのだった。)2頁
【永峯】王ハ此体ヲ見ルヤイナ、憤怒忽チ胸ニ満チ、腰間三尺ノ利剣ヲ抜キ、電光一タビ閃メク所、忽チ姦婦奸夫ヲ四断トナシ、二人ノ夢ヲ夢裏ニ変ジ、永ク醒メザル夢トナラシメ、其死体ヲバ壕裏ニ投ゲ棄テ、……365頁
【レイン】On beholding this scene, the world became black before his eyes; and he said within himself, If this is the case when I have not departed from the city, what will be the conduct of this vile woman while I am sojourning with my brother? He then drew his sword, and slew them both in the bed: ……(この情景を見ながら、彼の目の前の世界は真っ暗になった。そして、独り言をいった。私が町を離れきっていないのにこんなことであれば、兄のところに滞在中に、この下劣な女はなにをしでかすやら。そこで彼は刀をひきぬいて、寝台のなかのふたりともを殺害した。……)4頁
比較のために示したレイン版では、妃たちふたりを寝台で殺害する。他の英文では、妃らの死体を溝に捨てず、絨毯の上に残したままにするものもある。つまり、この場面では、永峯は、レイン版からは取り込まず、タウンゼンド版のままにしたことがわかる。
兄王は、弟王に会えて大いによろこんだ。だが、弟王は妻の事件で気分が晴れない。兄王が弟王の気晴らしにもよおしてくれた狩猟にも参加する気にはならなかった。王宮に残った弟シャー・ザマンが目撃したのは、驚くべきものだった。
【タウンゼンド】The King of Tartary was no sooner alone than he shut himself up in his apartment, and gave way to a sorrowful recollection on the calamity which had befallen him. As, however, he sat thus grieving at the open window looking out upon the beautiful garden of the palace, he suddenly saw the sultana, the beloved wife of his brother, meet in the garden and hold secret conversation with another man beside her husband.(ダッタンの王は、ひとり部屋に閉じこもるやいなや、彼にふりかかった不幸な思いにうちのめされた。悲嘆にくれながら座って、開かれた窓から宮殿の美しい庭園をながめたとき、ふと目にしたものがあった。兄王に愛されている王妃が、庭で彼女の夫ではない別の男と秘密の会話をしているのである)3頁
【永峯】韃靼王ハ兄帝ヲ見送リ、独リ一室ニ閉籠リ、只管身ノ不幸ヲ思ヒ出テ、悲嘆ヤルカタナキ折カラ、心ナク窓ノ開ケタル処ヨリ、園庭ノ草木ヲ展眸バ、忽チ数対ノ男女青天白日ヲ憚カラズ、青苔ニ坐シ、一対一対ニ相褻レル者アリ、王怪シミ是レ何人ナランカト瞳ヲ定メテ熟視レバ、豈図ランヤ、中ニ就テ最モ美貌華服ナル婦人ハ別人ニアラズ、即兄帝ノ愛后ナリキ。365頁
英文は、見ての通り、兄王の妃が、別の男と会話をしている、とする。ここでの登場人物は、妃と男だから2名である。ところが、永峯訳は、複数の男女が「一対一対ニ相褻レル」なかにまじって妃がいる。その内容には、天地の差がある。落差がありすぎて、事情をしらない人が見れば、永峯は原文を無視した豪傑訳を実行していると考えるのではなかろうか。
こういう場合は、レイン版を見る。
【レイン】Now there were some windows in the King's palace commanding a view of his garden; and while his brother was looking out from one of these, a door of the palace was opened, and there came forth from it twenty females and twenty male black slaves; and the King's wife, who was distinguished by extraordinary beauty and elegance, accompanied them to a fountain, where they all disrobed themselves, and sat down together. The king's wife then called out, O Mes'ood! and immediately a black slave came to her, and embraced her; she doing the like.(王の宮殿には、庭の景色が見晴らせるいくつかの窓があった。弟王がそれらのひとつからながめていると、宮殿の戸があいて、そこから20人の女性と20人の黒人奴隷が出てきた。兄王の妃は、特別な美しさと優雅さで目立っており、彼らを噴水に同伴すると、そこで彼らは全員が服を脱ぎ、腰をおろした。王の妃が、メスードよ、と叫ぶと、ただちに黒人奴隷がやってきて妃を抱きしめたのだ。妃も、そうした)5頁
弟王の妃が淫行をしており、兄王の妃が「秘密の会話をしている」では平衡がとれない。(兄王が宮殿を後にして旅にでる動機にはなりえない。ただし、タウンゼンド版では、この部分を省略する)永峯は、上記の箇所は、タウンゼンド版のような「秘密の会話」では、偽善的であると判断した。弟王と同じ程度の事件が兄王に起こらなければ、それ以後の物語に整合性が保てない。
かといって、レイン版では、あまりにも衝撃的であるとも考えたのだろう。だから、レイン版の、妃と黒人奴隷(他の版では、サイード、マサウド)との淫行場面を省略して、多数の人間のなかに妃を交ぜ入れたに止めたと推測できる。
以上の場面に関連して、少し横道にそれる。
大場正史は、永峯の訳文を、高く評価している。「翻訳といっても、なかなかの美文調で、原文をまったく自家篭中のものとして、少しも翻訳臭をのこしていない。二葉亭四迷の『浮雲』にくらべても、けっしてひけをとらない名文といってもよかろう」*5
ところが、大場は、上の部分――兄妃の場面を引用したうえで、おかしなことを書いている。
だが、この情景は残念なことに、すこぶる簡略化されていて、原典の真の意図をはなはだしくゆがめているわけである。なぜなら、シャーリヤル王がこの光景を盗み見てから鬼畜と化して、一夜妻を迎えては、これを殺すという、物語のもっとも重大なモチーフが軽視されているからである。*6
大場の文章は、永峯の翻訳を問題にしている。井上勤訳が比較的原典に忠実で、という文脈のなかにあるから、そのことは明らかだ。どう読んでも、永峯の日本語訳は、「すこぶる簡略化されていて、原典の真の意図をはなはだしくゆがめている」ことになる。永峯が、自分勝手に原文を簡略化した、と大場は批判するのだ。
だが、すでに指摘したように、タウンゼンド版は、もともとがあまりにもあっさりしすぎている。だからこそ、永峯はレイン版から表現を借入した。
大場は、タウンゼンド版も、バートン版などの他の版本と同じ記述がなされていると考えているらしい。だから、永峯が勝手に簡略化したと非難する。大場は、タウンゼンド版を見たといいながら、それによって永峯の翻訳文を検討しなかったと推測できる。
大場の非難は、まったくの的外れだ。永峯の日本語訳の実態を知らない、といわざるをえない。
さて、不幸が自分だけの独占物ではないと知った弟王は、元気をとりもどした。元気な弟王を見て兄王は、その理由を聞く。弟王は、自分の妻の淫行と、あくまでも隠しておくつもりだった兄王の妃の行状を話してしまった。
【タウンゼンド】The reluctance of Schah-zenan to relate what he had seen yielded at last to the urgent commands and entreaties of his brother, and he revealed to him the secret of his disgrace in the faithlessness of his own queen. On hearing these dreadful and unexpected hidings, the rage and grief of Schah-riar knew no bounds. He far exceeded his brother in his invectives and indignation. He immediately sentenced to death his unhappy sultana and the unworthy accomplice of her guilt;(自分が見たことを話すのは気がすすまなかった弟王シャー・ザマンだったが、兄王のしつこい命令と懇願よって、ついに兄王の妃の誠意のない不名誉な秘密を明らかにしてしまったのだ。恐ろしくも意外な隠し事を聞きながら、兄王シャー・リヤルの激怒と悲嘆は、限度がなくなる。彼は、攻撃と憤慨において弟王をはるかに超越していた。ただちに、不運な王妃と共犯者である下劣なやつに死を宣告した)4頁
【永峯】頻リニ迫リ玉ヘドモ、弟王兎角ニ推辞セントスルヲ見テ、帝愈迫リ問フテ已ザレバ、弟王詮方ナク帝后失操ノ状ヲ見タル儘ニ告ゲヽルニ、須加里阿帝大ヒニ驚キ玉ヘドモ、尚ホ疑ヒヲ懐キ、帝自カラ之ヲ看ンコトヲ欲シ玉ヘバ、弟王策ヲ献ジテ、陛下再ビ出猟シ、独リ潜ニ還リ、劣弟ノ宮裏ニ入リ玉ヘ、左ラバ必ズ劣弟ノ言ヲ信ジ玉フベシトノ玉ヘバ、帝之ニ従ガヒ、直チニ再タビ出猟ヲ令シ、微行シテ、弟王ノ宮ニ還リ、圍面ヲ窺フニ、弟王ノ物語リ実ナリケレバ、憤怒限リナク、直チニ帝后ト共ニ数十人醜行ノ男女ヲ法場ニ誅戮シタリ。366頁
タウンゼンド版では、兄王は、弟王の言葉を検証することなく受け入れたことになっている。疑わない。まことに率直なのである。しかも、兄王の憤激のすさまじさを描写しながら、死の宣告を受けたのが、わずかに妃とその男だけだ。言葉の激烈さに比較して、その結果の規模は小さい。
ところが、永峯訳を見れば、タウンゼンド版とは、あきらかに異なっている。妃の淫行を証言する弟王の言葉を信じることができず、兄王は、狩りに出かけた風をよそおう。宮殿に引き返して、自分の目で、弟王の言葉が事実であったことを確かめる。その結果は、「直チニ帝后ト共ニ数十人醜行ノ男女ヲ法場ニ誅戮シタリ」である。
出血の多さが、兄王の憤怒の程度を表わすのだから、これくらいの描写にならなければおさまらない。そこで、ここでもレイン版を見る。
【レイン】--so he repeated to him all that he had seen. I would see this, said Shahiya/}r, with my own eye. --Then, said Sha/}h-Zema/}n, give out that thou art going again to the chase, and conceal thyself here with me, and thou shalt witness this conduct, and obtain ocular proof ot it.
Shahiya/}r, upon this, immediately announced that it was his intention to make another excursion. The troops went out of the city with the tents, and the King followed them; and after he had reposed awhile in the camp, he said to his servants, Let no one come in to me:--and he disguised himself, and returened to his brother in the palace, and sat in one of the windows overlooking the garden; and when he had been there a short time, the women and their mistress entered the garden with the black slaves, and did as his brother had described, continuing so until the hour of the afternoon-prayer.
(中略)
As soon as they had entered the palace, Shahiya/}r caused his wife to be beheaded, and in like manner the women and black slaves; (――弟王は、彼が見たことを繰り返して話した。兄王シャーリヤルは、自分の目でそれを見てみたい、という。――そこで、弟王シャー・ザマンは、策をさずけて、ふたたび狩猟にでかけ、秘密に自分とここにいれば、その行為を目撃するだろうし、目による証拠を手に入れるだろうと話した。
兄王シャーリヤルは、その策に従い、別の行楽を行なうという意向を、ただちに告知した。一団は、テントとともに町を離れ、王はそれに続いた。休憩所で休んだあとで、兄王は、召使いたちに、誰も入れてはならぬ、と命令すると、変装して宮殿の弟王のところにもどった。ひとつの窓のところに座って庭園を監視していると、しばらくして、婦人たちと王妃が、黒人奴隷といっしょに庭に入ってくると、弟王が述べたと同じことを行ない、それは午後の祈りの時間まで続いたのだ。
(中略)
彼らは宮殿に入るやいなや、兄王シャーリヤルは、彼の妻の首を切りおとさせ、婦人と黒人奴隷たちをおなじようにした)6-7頁
「中略」とした部分には、もともと興味深い挿話が存在している。
兄弟王は、ふたりよりも不幸な人を探しに旅にでる。途中で目撃するのが、魔神だ。魔神は、婚礼の夜にさらった美少女を櫃に閉じ込めている。ところが、その美少女は、魔神が眠っているすきに兄弟王を脅して誘って淫行をするのだ。交わった記念の印形を98個(別版では、570個)も所有している。つまり、その数だけ魔神を騙しているという意味だ。魔神さえも美少女に騙されている。兄弟王の不幸など、これに較べればどれほどのことはない、とふたりは悟った。宮殿にもどって、妃を死罪にする、というので上の部分につながる。
この魔神の挿話は、タウンゼンド版には採用されていない。省略される。だから、永峯は、自分の日本語訳には魔神を出さない。かといって、レイン版には存在しているその箇所から、魔神の部分を補充しようともしなかった。
ただ、レイン版からは、兄王が宮殿にもどってきて、自分の目で妃の淫行を確認し、多数の人間を死罪に処する場面を取り込んだ。その分、タウンゼンド版よりも、永峯訳のほうが、物語の内容が濃厚な味付けとなったといえる。
上の例を見ただけでも理解できる。永峯訳本は、タウンゼンド版を底本にし、レイン版を、適宜、参照補充したというのが、基本構造なのである。
永峯は、もともと『暴夜物語』を児童文学として翻訳しているわけではない。前出のように「当時の日本人を啓発するつもりから訳した」といっている。一般人が対象なのだから、いくら血腥くても、別に配慮する必要を感じなかった。
兄王シャー・リヤルは、命令を下し、毎夜、妻を娶り、翌朝には締め殺すことにした。町に恐怖が蔓延する。
ある大臣にはシャーラ・ザッドとドゥニャ・ザッドのふたりの娘がいた。
名前の訳し方も、原本に影響される。タウンゼンド版は、姉を Schehera-zade と表記し、妹を Dinar-zade とする。ゆえに、永峯は、それぞれを助辺良是土(スケベラゼード)、大奈是土(ダイナーゼード)とした。
ちなみに、レイン版では、Shaharaza/}d と Dunya/}za/}d になっている。
シャーラ・ザッドは、計画があるから、すすんで兄王に嫁ぐという。大臣である父は、それを止めようとして、ある物語を娘に語る。物語のなかに物語が存在するという構造がここで示されるわけだ。
◎2-3 驢牛雇夫ノ寓言 The Fable of the Ass, the Ox, and the Labourer
大臣の物語は、ふたつにわかれる。
ひとつは、ロバと牡牛だ。かの地では、それぞれの役割は、別に決まっていた。牡牛は、粗末な食料をあてがわれ、突き棒が振りかかってくる下で主として農耕作業に従事させられる。一方のロバは、騎乗用に大事にされていた。牡牛が待遇の不満を訴えると、ロバは知恵を貸して、農作業するのはいやだという態度を示し、反抗をするように勧める。牡牛がその通りにすると、主人である商人は、牡牛のかわりにロバを厳しい農作業に駆り立てたのだった。忠告をした方が、かえってバカを見る、という寓意である。大臣は、娘のシャーラ・ザッドに、兄王を諌めるなどというのは、このロバと同じことをすることだ、と言いたいのだ。だが、シャーラ・ザッドは、納得しない。
大臣の物語はつづく。ロバと牡牛の話を聞いていた主人である商人がいる。彼は、動物の言葉を理解するのだ。先のロバの牡牛への忠告を聞いていて、事情をすでに把握していた。だから、ロバを牡牛のかわりに農耕に従事させたのだ。畑仕事で疲労困憊したロバは、これはかなわん、とネをあげた。働かない牛は処分すると主人がいっていると吹き込み、牡牛に反抗することをやめさせようとしている。このやりとりを聞き取った商人は、思わず笑った。なぜ笑うのか、と妻に問われる。動物の言葉を理解することを他人に知らせないと誓いをたてている商人は、それに答えることができない。話せば身の破滅につながるからだ。それでも妻は、話せとさわぎたてる。このさわぎを見たオスの鶏が、主人は一人の妻さえも制御できないのか、太めの棒を使って痛めつければ、主人の言うことをきくぞ、という。これを耳にした主人は、その通りの方法を採用したところ、妻は、後悔して謝った。
つまり、シャーラ・ザッドの頑固さは、商人の妻と同じことで、最後には痛い目にあう、という意味だ。
暴力で女性を思うがままに従わせる、という当時の女性観が表われた挿話である。
永峯訳本は、英文を忠実に翻訳している。ただし、物語のなかの主人公、つまり大金持ちの商人 a vbery rich merchant を、どういうわけか「富農」と訳しているのが目につく。
父の言葉にもかかわらず、シャーラ・ザッドは、兄王のもとに嫁いでいった。
こうして「アラビアン・ナイト」が、はじまる。
◎2-4 魔君商人ノ物語 The Story of the Merchant and the Genie
永峯訳は、シャーラ・ザッドが物語りはじめる箇所で、「姫ハ、此時嬌鴬ノ初メテ囀ルガ如キ清音ヲモテ徐カニ説出ス様」(370頁)と原文にない語句を付け加えないではいられない。
物語とは、こうだ。
商人が、旅の途中で持参した棗を食べてそのタネをとばしたところ、そのタネによって息子が殺されたと魔神 genie が表われた。
永峯は、この魔神に注をつけて「魔君ハ原語ニ「ジーニー」ト云ヒ、回教ニテ神人ノ中間ニアル半神ヲ称スル語ナリ。回教徒魔君ハ火神ニシテ、其形ヲ変化シ、又隠形ノ術ヲ得タル者ト信ス」(370-371頁)と説明する。原文にも、魔神の種類を解説する注はついている。だが、内容が違う。上記の割注は、永峯が独自に記述したものだ。
魔神の三日月刀が、商人の首を落しそうになる。そこで、夜が明けたので、シャーラ・ザッドは、物語るのを中止した。続きが聞きたければ、また夜がくるのを待たなくてはならない。朝を迎えたが、殺されるのを免れたというわけだ。
話がおもしろい箇所にさしかかったところで夜が明ける。続きは、またの夜。この手順が、繰り返されて1001夜になる。「アラビアン・ナイト」の基本構造だ。
命乞いをして商人は、家族に分かれをつげるため1年間の猶予を願った。商人は、家に帰ると家人とともにその身の不幸を嘆いた。身辺整理を行ない、約束を守って1年後、同じ場所で魔神が出現するのを待っているところに、牝鹿をともなった老人と、2匹の黒犬をつれた老人がやってくる。ひとりの老人は、牝鹿の物語を魔神に聞いてもらうのだ。
シャーラ・ザッドが物語っているのは、商人と魔神の話だ。その話のなかで、ちがう登場人物が、また独自に物語りはじめる。つまり、物語のなかに別の物語が存在している。これも「アラビアン・ナイト」の特徴のひとつである。
魔神と商人の部分は、永峯訳は、タウンゼンド版を忠実にたどっている。
◎2-5 先翁並〓鹿匕}ノ伝 The History of the First Old Man and the Hind
老人がつれている牝鹿は、彼の妻だった。
【タウンゼンド】The hind, whome you, Lord Genie, see here, is my wife. I married her when she was twelve years old, and we lived together thirty years, without having any childre.(魔神様がここにご覧になっている牝鹿は、私の妻でございます。彼女が12歳の時、結婚しまして30年間一緒に住んでおりましたが、子供ができません)14頁
【永峯】爰ニ携ヘ来リタル〓鹿匕}ハ乃ハチ野老ガ荊妻ニテ、原来従弟女ナルヲ、彼未ダ一人ノ子ヲモ儲ケザルヲ以テ、彼モ甚ク之ヲ嘆キ、……372頁
タウンゼンド版は、牝鹿に変身している妻の血縁関係までは書いていない。ところが、永峯訳は、「従弟女ナルヲ」と詳しくなっている。ここは、やはり、レイン版の「このガゼルは、父方のおじの娘で this gazelle is the daughter of my paternal uncle」(42頁)から借用している。
ただの娘ではなくて、いとこであるというのだ。永峯による細かな手直しであるということができる。
手直しは、まだ、ある。赤ん坊を説明してタウンゼンド版よりも描写をより詳しくする。レイン版も併置しよう。
【タウンゼンド】At the end of that time I adopted into my family a son, whom a slave had born. This act of mine excited against the mother and her child the hatred and jealousy of my wife.(ついには息子を家族に加えたのですが、それを生んだのは奴隷でした。私の行為は、その母と子供に対する妻の嫌悪と嫉妬をかきたてたのでした)14頁
【永峯】野老ヲ勧メテ側室ヲ置カシメタリ。然ルニ程ナク其腹ヨリ一人リノ男子ヲ出生シタルニ、此子生レ得テ満月ノ方サニ昇ルガ如キ美貌アリ、眉ハ秀テ眼ハ清シク、野老ガ寵愛厚カリシヨリ、荊妻隠ニ嫉妬心ヲ懐キタレドモ、……372頁
【レイン】so I took to me a concubine slave, and by her I was blessed with a male child, like the rising full moon, with beautiful yes, and delicately-shaped eyebrows, and perfectly-formed limbs; ……(そこで側室の奴隷を入れて、彼女によって私には男の子供に恵まれたのです。昇っている満月のように、美しい眼で、優美なかたちの眉毛、完全な姿の手足を持っていたのです)42頁
男の子の顔姿については、タウンゼンド版は、何も説明していない。そこは、レイン版から半分を借用していることがわかるだろう。
また、ここでも永峯独自の加筆をしている。すなわち、上述部分につづけて、「深ク之ヲ包蔵シ、陽ニハ慈愛ク、賎息母子ヲ待遇ヒシカバ、野老ハ其偽善ヲ真トシ、其害心ヲ挟ミタルヲ知ラズ、自カラ家内ノ親睦ヲ悦ビ居タリ」(372頁)とつけくわえる。
タウンゼンド版では、妻が子供とその生母に対して嫌悪と嫉妬の感情を抱いた、とは書いている。しかし、永峯は、それだけでなく、妻が、その嫉妬の感情を深く押し隠していたというのだ。念入りな描写である。深い感情の押し殺しがあったからこそ、話が奇怪な変身譚に発展していく。
妻は、商人の留守中に妖術を使い、子供を子牛に生母を牝牛に変身させた。旅行からもどった商人は、生母は死亡、息子は行方不明と聞かされて意気消沈する。息子を探したがみつからない。祭の季節になり、いつも通り、牝牛を生け贄にするため、引き出してきた牛は命乞いをするかのように眼に涙を溜める。躊躇したが、妻の強い勧めで屠った。肉がついていないから、かわりにまた子牛も屠ることにしたが、これまた憐れみを催させる動作を示す。気がすすまずに、とうとう中止にした。翌朝、妖術を使う少女が、商人の留守中に起こったことの真相を商人につげて、息子の嫁になりたい、妻には罰を与えるとの条件で、息子をもとの姿にもどした。こうして、牝鹿になった商人の妻がいる。
もう一人の老人が、つづけて自分の話を物語りはじめた。
◎2-6 後翁並二犬ノ伝 The History of the Second Old Man and the Two Black Dogs
3人兄弟がいた。父親の死後、同じ元手で商売をしたが、長男ひとりだけが成功し、ふたりの弟ともにしくじる。それでは、ともうけを分けてもういちどやりなおす。長男は、旅先で見るからにみすぼらしい女から妻にしろとしつこく迫られ、しかたなく娶ることにした。商売も順調、おまけに妻もできた兄は、嫉妬にかられた弟ふたりのために、航海中の舟から妻ともども海に投げ込まれた。ところが、長男は助かっている。なんと妻は仙女(fairy、レイン版:Jinneeyeh)だったからだ。家に帰ると、見たことのない黒犬が2頭いる。聞けば、これこそがふたりの弟の変わり果てた姿だった。妻は、10年後に犬はもとの弟にもどり、自分も夫に再会することを約束して姿をかくした。10年後、約束の地に赴く途中で、魔神の出現を待つ商人に出会ったという次第。
ふたりの不思議な話を聞いて満足したのか、魔神は商人の罪を許して姿を消した。というのがシャーラ・ザッドの物語なのだ。
こまかい部分だが、永峯独自の修飾をしている箇所がある。
【タウンゼンド】I accidentally met on the sea-shore a female, of great beauty, but very poorly dressed.(私は、海岸でとても美しいけれども、身なりの貧しい女性に偶然出会ったのです)17頁
【永峯】海濱ニ到リシ処ニ、後辺ニ声アリ、野老ヲ呼ブ者ニ似タレバ、首ヲ回シテ之ヲ見ルニ、最陋ゲナル賎ノ女ナリ。其打扮タルヤ頭ハ乱レ、服ハ弊レ、見ル影モナキ有様ナレドモ、近付マヽニ熟視レバ、天成ノ麗質ハ繿褸モ之ヲ掩ヒ包ムベカラズ、眉目画クガ如ク天人カト怪マルヽバカリナルガ、374頁
タウンゼンド版と異なる部分がある場合、レイン版を借用する例があることを見てきた。この場合もそうかと思いレイン版を示す。
【レイン】we found, on the shore of the sea, a maiden clad in tattered garments,(ボロ着物をまとった少女を、海岸で見つけたのです)48頁
女については、レイン版は、タウンゼンド版よりももっと簡単な描写がされているにすぎない。だから、日本語翻訳は、永峯独自の修飾であるというのだ。「眉目画クガ如ク天人カト怪マルヽバカリナル」という加筆は、女が仙女であることの伏線だと理解できるだろう。もうひとつ、ついでに永峯の加筆装飾を指摘しておく。上の部分につづく箇所だ。
【永峯】サレドモ風水相逢ヒ、其平生ヲ知ラズ、且ツ其貧乏ナルヲ以テ、必ズ教育ナク心意卑シカランシト思ヒケレバ、遽カニ之ヲ承諾セズ、百万ニシテ避ケントセシニ、374頁
タウンゼンド版、レイン版ともに、その女性については、ほとんど説明らしきものをしていない。永峯の加筆が冴える場所である。身元もわからぬ女性をいともあっさりと妻にする原作には、納得のいかない気持ちがあったのだろうと想像する。
仙女が、弟たちを殺してしまう、というのをさえぎって、男は、いう。「聖経ニモ怨ニ報ユルニ徳ヲ以テセヨト見ヘタルニ、少シク憤恨ヲ和ラゲ玉へ」(375頁)。老子からの語句を引っ張ってきたのは、永峯である。
以上で、巻之一が終了する。
次の巻之二からは、永峯の日本語翻訳は、ひらがな表記となる。
◎2-7 漁夫の伝 The History of the Fisherman
漁夫と魔神の物語だ。
網にかかった壷に閉じ込められた魔神を救いだしてやったのに、魔神は、恩人の漁夫を殺すという。殺される前に、あなたのような大男がこんな小さな壷に入っていたなんて、とてもじゃないが信じられません、証明してくれませんか、といってまた壷に閉じ込めてしまう、という例の有名な物語だ。
冒頭を示す。
【タウンゼンド】There was formerly an aged fisherman, so poor that he could barely obtain food for himself, his wife, and his three children. He went out early every morning to his employment ; and he had imposed a rule upon himself never to cast his nets above four times a day.(昔、年おいた漁夫がひとりいました。彼自身と妻、3人の子供をかろうじて養うことができるくらいに貧しかったのです。毎日、早朝より生業とする漁に出ましたが、自ら規則をつくり、1日に4回をこえる網は投げないときめていました)19頁
【永峯】昔し一人りの老夫あり、漁猟を生計となし、其性固より正直にして、又勤業者なりければ、一日たりとも怠ることなかりしも、得る利は細く、家族は多く、一人の妻に三人の子を養ひ兼ね、家いと貧しく、危き露命を其日々々と漸くに繋ぎ留めたる計りなりき。斯く其身は貧しく暮せ共、神に願事ありしかや、網を投つこと一日に四回よりは多くせじと自ら盟ひを立てたりけり。376頁
日本語訳に見える「其性固より正直にして、又勤業者なりければ、一日たりとも怠ることなかりしも、得る利は細く」「神に願事ありしかや」は、訳者・永峯がつけくわえた。
4度目に網を引き上げると壷が出てきた。「黄銅を以て製したる最重き古瓶(タウンゼンド版:a heavy vase of yellow copper/レイン版:a bottle of brass)」376頁。レイン版がいうのは「真鍮」だから、永峯は、タウンゼンド版をそのまま使用したことがわかる。
壷の封印を解くと、なかから魔神が姿をあらわす。永峯は、タウンゼンド版には存在しない語句を、魔神にしゃべらせる。ご賢察の通り、部分的にレイン版を借用するのだ。
【タウンゼンド】Humble thyself before me, or I will kill thee.(目の前にかしこまっておれ、殺してくれよう)20頁
【永峯】所羅門乎至大至聖なる預言者所羅門よ、吾が罪を赦せ、余再び君が意に逆はじ、今より後万事君が命令に黙従せんと叫び了り頭を垂れ、漁夫を見て、汝疾く吾が前に来り拝伏して吾が汝を殺すを待てと、377頁
【レイン】There is not deity but god; Suleyma/}n is the Prophet of God. O Prophet of God, slay me not; for I will never again oppose thee in word, or rebel against thee in deed !(中略)Of thy being instantly put to a most cruel death.(アラーのほかに神なし。スライマンは神の預言者である。神の預言者である。わしを殺してはならない。言葉のうえでも、行ないのうえでも、2度とあなたに逆らわない。(中略)ただちにお前に無残な死を与えてやる)72頁
レイン版の「(中略)」部分には、魔神のとなえるスライマンは、1800年まえに死んだなどという説明がある。永峯訳では、そこまでは、取り込まなかった。タウンゼンド版(こちらでの表記は、Solomon。永峯訳の所羅門)には、つづく箇所に、それにかわる解説が出てくるから、必要はないと判断したのかもしれない。
【タウンゼンド】I am one of those spirits who rebelled against the sovereignty of God. Solomon, the son of David, the prophet of God, commanded me to acknowledge his authority, and submit to his laws. I haughtily refused.(おれは、神に反抗した悪魔のひとりで、ダビデの息子ソロモンが神の預言者として彼の権威を認め、彼の法に従うよう命令された。しかし、おれは傲慢にも拒絶した)20頁
【永峯】抑も余は天帝に背きたる一位の魔君なり、大闢(割注:大闢は耶蘇の祖なりと云ふ)の子所羅門、天帝の預言者として衆魔君を其下に致せしに、佐加爾(サカル)と吾とは他神に服従するが如き卑物にあらずと、自から驕りて彼が命に従がはざりしかば、……377頁
【レイン】I am one of the heretical Jinn: I rebelled against Suleyma/}n the son of Da/}ood: I and Sakhr the Jinnee;…… (おれは異端の魔神で、ダウッドの息子スライマンに反抗した。おれと魔神サフルとは、……)72頁
タウンゼンド版には、魔神の仲間である「サフル Sakhr 佐加爾」は出てこない。永峯訳は、その名前を、レイン版から補充していることがわかる。
単語ひとつの違いだ。このことは、永峯が、タウンゼンド版とレイン版を細かい部分まで対照しながら、日本語訳作成の作業を進めている証拠となろう。
ここにも永峯の加筆が、出現する。
【永峯】我身死しなば三人の子児等は如何にせん、餓ゑてや死なん、乞児とやならんと、愁緒万丈九腸を圍繞して、悲傷やるかたなく、いかで今一度哀を請はんと 378頁
この部分に関するタウンゼンド版は、以下のようになっている。
【タウンゼンド】The fisherman was in great distress at finding him thus resolved on his death, not so much on his own account as for his three children, whose means of subsistence would be greatly reduced by his death.(彼の死が決定していることを知って漁夫は、大きな悲しみに見舞われました。自分のためではなく、彼の3人の子供のためです。彼の死によって、子供たちの暮しの手立てがなくなってしまいます)21頁
原文が、残された子供たちが生活できなくなるだろうと言っているにすぎない。そこに加筆するのだから、当然、原文よりも詳しい説明になる。
魔神に殺される覚悟を決めた漁夫は、一計を思いつく。すなわち、魔神をもう1度、壷に閉じ込める口実をつけて、それに成功するのだ。
さて、続くのは、漁夫がかたる物語だ。これが、3篇ある。シャーラ・ザッドが話す物語のなかに、また物語が存在するという二重構造である。ときに、それは三重構造になる場合も生じる。
◎2-8 希臘王並医生銅盤の伝 The History of the Greek King and Douban the Physician
魔神を助けたのに、かえって殺されそうになる、いわば恩を仇でかえす行為を別の挿話で際立たせようとする。
昔、ギリシアにひとりの王がいた。癩病にかかっており、宮殿の医官を含めて国中の医者も治すことができない。そこにドウバン Douban(レイン版:Dooba/}n)という名の医者が、治療を申し出る。ドウバンを説明してレイン版からの語句の借用がある。
【タウンゼンド】when a very ingenious physician, called Douban, arrived at the court: he was well acquainted with the goog and bad properties of all kinds of plants and drugs.(その時、ドウバンという名の才能ある医者が、宮廷に到着しました。すべての種類の植物と薬物の属性をその善し悪しについて熟知していたのです)22頁
【永峯】此医生銅盤は学識古今に匹なく、希臘・比耳西・土耳古・亜剌非亜・羅典・西里亜・欺非流・諸国の学に精しく、又理学に長じ、尤も本業に明かに、草木の質に通暁したり。379頁
ドウバンだから銅盤である。人名には見えない。諸学に詳しいという部分に固有名詞が羅列されている。これが、レイン版からの借用になる。
【レイン】At length there arrived at the city of this king a great sage, stricken in years, who was called the sage Dooba/}n: he was acquainted with ancient Greek, Persian, modern Greek, Arabic, and Syriac books, and with medicine and astrology, both with respect to their scientific principles and the rules of their practical applications for good and evil;(何年も苦しんでいた王の町に、やっとのことで偉大な賢人がやってきました。その名前をドーバンといいます。古代ギリシア、ペルシア、現代ギリシア、アラビア、シリアの著作を熟知しており、医術と占星術の両方に、科学的原理およびよしあしの実用的応用の法則について関心をいだいていました)75頁
永峯なりの借用をしたわけで、文中に見える 占星術 astrology は、排除した。
医師は、内服薬塗り薬を使わずに王の病気を治すと宣言し、用意したのが、ひとつの運動用具なのだ。
【タウンゼンド】Douban returned to his house, and made a sort of racket or bat, with a hollow in the handle, to admit the drug he meant to use;(ドウバンは、自分の家にもどると、ラケットあるいはバットのようなものをつくりました。彼が使用しようとしている薬物をいれるように取っ手が中空になっており)22頁
【永峯】銅盤は私宅に帰り「ラツケツト」板(割注:羽子板の如き者にして球を打つの遊戯に用ふる者)を作り、其柄に窩凹を刻み、之に薬剤を填塞し、379頁
問題は、「ラツケツト」板である。運動の内容を知らなければ、翻訳して説明するのはむつかしい。だから、「羽子板の如き者にして」という説明になる。レイン版は、goff-stick と表示する。そこに添えられた挿絵を見れば、馬に乗った人々が右手に長い棒をふりあげている。棒の先は、すこし曲がっており、たとえていえばゴルフのクラブである。その長い棒で球を打つ姿は、ポロに違いない。しかし、明治時代にポロといっても理解されなかっただろう。永峯が、打球棒を説明して「羽子板の如き者にして」と書くところを見れば、手元にあったレイン版の挿絵は、なんの役にも立たなかったらしい。
ある大臣が王に、あの医者は、敵国の刺客だと密告する。しかし、王は、その虚言に惑わされない。
【タウンゼンド】His virtue excites your envy, but I shall not suffer myself to be prejudiced aganst him unjustly.(彼の美徳がお前の嫉妬をかきたてたのだな。しかし、わしは彼に対して不当にも偏見をいだいたことによって自分自身を苦しませたくはないのじゃ)24頁
タウンゼンド版は、あっさりとしたものだ。王が医者を特別扱いするとまでは、書いていない。しかし、永峯訳は、タウンゼンド版を越えている。
【永峯】察するに彼が才知群を抜くを見て、卿妬心を懐きたるならん、吾焉んぞ徳に報ゆるに怨を以てすべけんや。余れ初めは彼を以て一医生の特に其業にのみ精しき者とのみ思ひたるに、昨日彼と談ぜし所、彼は諸学に通じ、実に天下又あるまじき賢人なり。故に今日より彼に大祿を給し、別に毎月一千金を与へんと欲す。たとひ吾が国を裂き彼に与ふるも、猶吾心に厭足ざるの思ひあり。379頁
タウンゼンド版をこえている部分は、それではレイン版からの流用かといえば、確かにその箇所もあるのだが、全部ではない。
【レイン】I will, from this day, appoint him a regular salary and maintenance, and give him every month a thousand pieces of gold; and if I gave him a share of my kingdom it were but a small thing to do unto him.(本日より、彼に常の給金と生計費のほかに、毎月、一千金を与えるであろう。たとえわが王国を分け与えようとも彼にとってはささいなことなのだ)79頁
一千金あるいは王国を与える、と述べる以外の部分、すなわち老子の言葉(2度目)とか、諸学に通じているなどは、いずれも永峯独自の加筆である。
腑に落ちないことがひとつある。漁夫が魔神に物語る、以上のギリシア王と医者の寓話は、恩を仇で返す例証のはずだった。にもかかわらず、大臣の讒言におちいりそうになった医者は、王の賢明さに救われた。これでは、最初の意図が、ずれた結末になっているのではないか。まだ、話は終わらない。
こんどは、王が、大臣に対して助言者としての役割について物語る。物語の中の物語において、さらに物語が出現するのだ。
◎2-9 富商並鸚鵡の伝 The History of the Husband and the Parrot
表題に「富商」とあるが、原題は、The History of the Husband and the Parrot である。夫というだけで、富商である必要はない。タウンゼンド版では、富商であると述べてはおらず、ただ a good man 善人、とだけいっている。レイン版は、極端に嫉妬深い商人 a certain merchant, of an excessively jealous disposition とする。
男は、留守中の妻の行動をオウムに監視させていた。妻の隠し事をオウムはしゃべる。妻は、奴隷が洩らしたと責めるが、オウムのしわざだと判明した。計略を考え、オウムのカゴのまわりで、さも嵐がおこっているように細工をした。ありもしない嵐をオウムが報告する。嘘つきと断定した夫に、オウムは殺されてしまう。
この寓話は、恩を仇で返すという主題からいえば、正直な話をしてかえって殺されるというのは、それでよい。しかし、話の流れのなかに置くと、違和感が生じる。
つまり、正直なオウムは、正直であったがために殺される。だが、王に讒言する大臣は、オウムの立場とは異なっている。ウソをつくオウムであればまだしも、そうでないのだから、この寓話は、この場合にはそぐわない。
本来は別の場所で発生していた寓話を、ひとつの流れのなかに無理矢理に押し込んだために生じた不都合である。
大臣は、嫉妬のために注進しているのではないこと、医者こそが王を害毒の元であることを主張する。そして、王にむかって物語るのだ。
◎2-10 受戮宰相の伝 The History of the Vizier who was punished
大臣の話は、長くはない。
狩り好きのひとりの王子がいた。オス鹿を追ってお付きの大臣とはぐれてしまう。森のなかで美しい婦人にであった。馬から落ちて、道に迷っているという。気の毒に思った王子は、婦人をつれて帰路につく。途中の建物にたちよった婦人が出てこないので覗いてみた王子が耳にしたものは、食料に人間をつかまえた、という声だった。婦人は、食人鬼だったのだ。王子は、命からがら宮殿に逃げもどると、大臣の怠慢のせいで命を落すところだったと王に訴える。大臣は処刑された。
タウンゼンド版は、美しい婦人 a beautiful lady (26頁)としか書いていない。永峯訳が「彼の少女答へて児は印土王の少女に侍べる」(381頁)と説明するのは、レイン版で「彼女は答えて、私はインドの王の娘です。she answered, I am a daughter of one of the kings of India」(81頁)を借用挿入したからだ。
この寓話を話す大臣の意図は、こうだ。怠慢な大臣が王子を窮地に落し入れた。自分は怠慢ではないから、医者が危険な存在であることを王にご忠告している、という主張なのである。
忠義顔した大臣の意見に、王は、ついに同意してしまう。王は、ドウバンを刺客だと信じた。これが、いかにも物語らしい。
ドウバンを宮殿に呼び出す。死刑に処するというのを聞いて、医者ドウバンは貴重書を王に献上するといい出す。不思議な書物で、首を刎ねられたドウバンであったが、その書物の特定のページを開くように王に告げる。しかし、白紙のみがある。指にツバをつけながらページをめくる。それを数回繰り返すと、王は死んでしまう。ページに毒が塗られていた。ドウバンの計略だったのだ。
病気を治して命を救ってくれた恩人を、逆に悪人扱いして殺してしまう。その結果は、自分の身の破滅になる。意味深長な物語だ。
ここで、最初の魔神と漁夫にもどる。漁夫がいうには、ドウバンと同じく、命を恩人を大切にしていたら、王も死ぬことはなかった。魔神も、壷から出してくれた漁夫に対して殺すなどと脅かさず、大事にあつかったなら再び壷に入ることはなかっただろう。漁夫が話した物語の寓意は、以上のようである。
タウンゼンド版は、漁夫は話し終わると、金持ちになりたくないかという魔神からの申し入れに心を動かすことになっている。だが、永峯訳では、金持ち話に移る前に、タウンゼンド版には存在しない挿入がある。
【永峯】魔君瓶中より大漁翁願くは慈悲を垂れよ、古時炎麻(エンマ)が亜的加(アテカ)に怨を報うたるが如きなるなかれと叫びけるとき、漁夫其委曲を聴かんことを求れば、魔君答へて、若し君某物語を聴んと欲せば、吾をして瓶外にあらしめよ、斯く狭小の器中に在りては、呼吸苦くして語る能はざるなりと答ふるを打聴て、一声高く冷笑ひ、さても巧みに計りたり、今与窮苦の中に世を送るに一段の物語りを知るも無益なり、いざ此瓶を海底に沈めんと、瓶を滾がし、水中に投ぜんとすれば、…… 382-383頁
これだけの量があれば、そう短いということはできない。おまけに、「炎麻(エンマ)」とか「亜的加(アテカ)」とか、聞いたことのない名前も出てくる。ものの本に、このふたりの名前が出てくる物語は、すでに伝えられていないという。そんな箇所をも永峯はレイン版から引っ張ってくるのだ。
【レイン】――do not therefore as Uma/}meh did to 'Atikeh.――And what, said the fisherman, was their case? The 'Efreet answered, This is not a time for telling stories, when I am in this prison; but when thou liberatest me, I will relate to thee their case. The fisherman said, Thou must be thrown into the sea, and there shall be no way of escape for thee from it;(ウママーがアティカにしたようには、わたしになさらないでください。いったい、どういうことなのかね、と漁夫は言いました。魔神は答えて、今はお話しする時ではありません、閉じ込められているからです。しかし、自由にしてくれるなら、そのお話をいたしましょう、といいます。それなら海に投げ込んでやろう、そこから逃げる方法はないからな、と漁夫はいいました)87頁
タウンゼンド版にはもともと書かれていないウママーとアティカなのだが、永峯はあえて引用し加筆している。
前述したように、加筆すれば、描写が詳細になる。レイン版からの引用部分は、たしかに、魔神が、なんとかもう一度壷から出たいとわるあがきする様子を強調する役割を果たしているといえる。
さて、場面は、ふたたび漁夫と魔神の直接対話にもどる。
◎2-11 漁夫の伝続 The Further Adventures of the Fisherman
魔神から金持ちになる方法を教えてやるといわれ、その誘惑に勝てず、漁夫は、壷の封印を解いた。
魔神が教えた方法とは、ある湖で青黄赤白各色の魚1尾づつをとらえ宮殿に売ればよいという。
漁夫は、その通りにした。あまりにも珍しい魚で、王は、長い間ながめていたが、それを料理するように命じた。タウンゼンド版では、出てくるのは単なる料理人である。永峯訳は、「近頃希臘王より送り越したる厨婦は極めて工手なれば、彼女に命じて晩餐に備へしめよと命じ」(383頁)となる。ギリシアからの云々も、レイン版からの借用だ。
【レイン】and he said, Give these fish to the slave cook-maid. This maid had been sent as a present to him by the King of the Greeks, three days before; (それらの魚を奴隷の料理婦に与えよ、といわれた。そのメイドは、3日前、ギリシア王からプレゼントとして送られてきたものだったのです)88頁
細かな引用だといえば、そうだ。逆にいえば、永峯は、全編にわたり、タウンゼンド版とレイン版を詳細に照合していることが、ここからもわかる。
魚を料理しようとすれば、厨房に不思議な人物が表われ、魚に問いかける。魚は答え、それが終わるたびに、魚は黒焦げになる。最初は、料理婦の前で、つぎに大臣をまじえて、最後に王も居合わせて、これを3度くりかえした。
あまりに不思議なことが、魚をめぐって発生する。そこで、王たちは、魚を取りに行くことにした。湖岸に陣取った大臣たちを残して、王はひとりで探索にでかける。平野で見つけたのが、黒い大理石でできた宮殿であった。
宮殿の中には、だれもいない。室内の描写を原文と永峯訳を比較してみよう。
【タウンゼンド】He then entered and passed through some large halls, the carpets of which were of silk, the alcoves and sofas of stuffs of Mecca, and the door-curtains of the richest shawls of India, embroidered with gold and silver.(彼は入るといくつかの広間を通り抜けました。絹の絨毯、メッカ織りの部屋とソファー、そして金銀で刺繍した最高級インド産ショールのカーテンです)33頁
【永峯】若干の室房を過る処に、地氈は盡く絹帛(割注:古時亜細亜西辺及び西洲にて絹帛を得る甚難く、絹布を以て最も貴重の品となせり、「シーサール」東征より帰り、絹布の上袍を穿ち、朝官を驚かしめたることあり)を以て製し、寝室臥床は「メツカ」(割注:亜剌比亜の大市)織を以て覆ひ、戸帳は金銀を以て刺繍したる印度「シヤール」を以て製したり。385頁
訳文は、逐語訳である。しかも、2ヵ所の割注で、絹帛とメッカの説明をしている。この説明文は、永峯の筆になることがわかる。原文には、タウンゼンド版、レイン版ともに注釈はほどこされていないからだ。
王は、泣き声を聞いた。「噫保留丹(ホルタン)神よ(割注:保留丹は善神の名)助け玉へ、汝既に己が快楽を計らんが為め、吾を久しく苦しめたり、最早吾を苦しむることを止め、速かに吾を殺して此苦悩を免がれしめよ O Fortune, thou hast not suffered me long to enjoy a happy lot! Cease to persecute me, and by a speedy death put an end to may sufferings」(386/33頁)
Fortune を保留丹神とし、割注で善神と説明する。間違いではない。ただ、運命の女神とでもすれば、よりよかったかもしれない。ここでも、永峯訳が原文に忠実になされていることが理解されるだろう。
声の主を捜し当ててみると、それは、腰から下が大理石に変化してしまっている若者であった。
◎2-12 黒島王の伝 The History of the Young King of the Black Isles
下半身が大理石の若王が、物語る。
妻は、毎夜、若王に眠り酒を密かに飲ませ、夜中、淫行をかさねていた。ある夜、若王は、眠り酒を飲んだふりをして、外出していった妻のあとをつけた。妻は、男と密会している。その話の内容が、原文と日本語訳は、少し異なる。
【タウンゼンド】I perceived that she was walking with a man, with whom she offered to fly to another land.(妻が男と歩いているのに気がつきました。妻は、別の土地に逃げようとそいつに提案しているのです)35頁
【永峯】吾が妻は一個の男と伴なうて、行々物語るを聞けば、妖術をもて土地人民を滅絶し、二人して憚る処なく世を送らんことを計るなり。387頁
夜逃げと妖術だから、明らかに内容は、異なる。日本語訳が、タウンゼンド版と違うばあい、レイン版を導入する例を見てきた。この場面では、レイン版はどうかと見れば、タウンゼンド版が問題にならないくらいに凄惨だ。永峯も採用しなかったほどである。ここでは紹介しない。
おだやかなタウンゼンド版では、若者は、その男の首に三日月刀で切りつけた。男は、倒れる。男は、死ぬはずであった。だが、妻の妖術によって、かろうじて死をまぬかれ、植物人間になる。
妻は、廟(原文は墓。tomb)を建てたいと希望し、それを許す。それは「涙宮」と名付けられた。原文は、the Palace of Tears。永峯訳は、「堕涙廟」である。
若王は、しばらくして廟に様子を見にいった。妻が、植物人間となった男を丁寧に世話しているのを見て、激情がほとばしり、刀を抜けば、妻の妖術によってかえって半身大理石の人間に変えられる。
そのあと、都は滅ぼされ、土地は湖水と砂漠になった。あの鮮やかな色の魚にも意味がある。白色は、イスラム教徒(永峯訳:回々教徒)、赤色は、ペルシア教徒(比耳西教徒)、青色は、キリスト教徒(基督教徒)、黄色は、ユダヤ教徒(猶太教)だ。そればかりか、妻は、毎日、動けない若王の背中に百の鞭をあたえる。同情した王は、若王を助けだす計略を練った。
王は、涙宮に入ると、植物人間を殺し井戸に投げ込む。そのかわりに自分が寝椅子に横たわる。
永峯の訳文に少しの矛盾がある。妻と通じているのは、タウンゼンド版では、ただの男だ。だから、前の部分では訳文は、男になっている。ところが、寝椅子に横たわる植物人間は、いつのまにか黒人奴隷に変わっている。
王が涙宮に侵入して目標を見つける箇所だ。
【タウンゼンド】As soon as he saw the couch on which the inanimate form of the lover was laid, he drew his scimitar, destroyed the little remains of life left, and dragging his body into the outer court, threw it into the well.(妻の愛人の生命の形が横たわっている寝椅子を見つけると、王は三日月刀を引きぬき、ちいさな命の残存物を破壊し、宮殿の外に引きずりだすと、井戸に投げ込んだ)37頁
【永峯】姦夫なる黒奴は唯独り死するが如く生けるが如く臥榻に横はり居りたり。帝は之を一刀に誅戮し、之を程近き井の内に投け棄て……388頁
永峯訳が、黒人奴隷に入れ替えたのは、レイン版を参照した結果であろう。
寝椅子で愛人に扮した王は、ケガが治らないのは、妖術によって若王を変身させているからだ、もうひとつ都を破滅させたからだ、もとにもどせ、と命令する。
若王は、もとの姿をとりもどし、都は復活した。王は、若王の妻を切り捨て、若王を息子に迎えたのだった。王は、漁夫のことも忘れずに、丁重にもてなした。
漁夫のもてなし方は、永峯訳は、これまたタウンゼンド版通りではない。原文を示す。
【タウンゼンド】The sultan did not forget the fisherman, and made him and his family happy and comfortable for the rest of their days.(王は、漁夫のことを忘れず、彼と彼の家族を末長く幸福に安楽に過ごさせたのでした)40頁
【永峯】帝は此時尚ほ彼の漁夫を遺忘せず、此回数十万の生霊を救済したる大功業も、基本は彼に因れりと、漁夫を召して美服を賜ひ、家に二女一子あるを問ひ知り、一女を自からに、一女を太子に娶り、其子をば出納官となし、漁夫は当時の豪富中の富者と称され、二女は長く帝后となり、共に富貴安楽を得たりと、世の口碑に伝はりたりと。390頁
タウンゼンド版よりも、永峯訳は、格段に詳しい。漁夫の子供の二女一子の行く末までも書き込むのである。
永峯は、独自の加筆を行なうとはいえ、二女の嫁ぎ先までも考えだすとは思えない。やはり、レイン版を見ることになる。
【レイン】So he sent to this fisherman, who had been the cause of the restoration of the inhabitants of the enchanted city, and brought him; and the King invested him with a dress of honour, and inquired of him respecting his circumstances, and whether he had any children. The fisherman informed him that he had a son and two daughters; and the King, on hearing this, took as his wife one of the dauthters, and the young prince married the other. The King also conferred upon the son the office of treasurer.(中略)And as to the fisherman, he became the wealthiest of the people of his age; and his daughters continued to be the wives of the Kings until they died.(魔法にかけられた都市の住人を甦らせた原因となった、あの漁夫をつれてきました。王は、漁夫に名誉の服を着せると、なんにんの子供がいるかなどと彼の暮らし向きをたずねます。一男二女だとお答えすると、王は、長女を自分の、次女を若王の妻にしたのです。王は、同じく漁夫の息子を出納官にもしました。(中略)漁夫は、もっとも裕福なものとなり、彼の娘たちは、死ぬまで王の妻でありました)102-103頁
永峯訳は、タウンゼンド版のそっけなさを捨て、明らかにレイン版のより詳しい描写を輸入したのである。
おしまい。ですが、荷担ぎ人足の物語にくらべれば、まだまだですね。お聞きになりたいですか。
残念ながら、永峯訳は、この2巻で終了したらしい。
●3 挿絵の問題
本文について、タウンゼンド版とレイン版を対照しながら永峯訳を検討してきた。
永峯訳がどれくらいレイン版から描写を借用、あるいは引用、輸入したは、実例を示したから理解できただろう。すくなくとも13箇所の引用部分が存在している。
本文だけでも十分だが、永峯がレイン版を参照していたという重要な証拠を指摘しておきたい。
柳田泉が『暴夜物語』の挿絵について触れていた。「文中挿んである画図も、原書か何かに拠るものがあったのではあろうが、なかなか面白いものがある」
『暴夜物語』に収録された4枚の挿絵には、柳田のいうように原典がある。だが、それは予想されるような底本となったタウンゼンド版では、ない。
それは、柳田が永峯から見せてもらったほかならぬレイン版なのだ。(両者をならべて掲げておく)
レイン版の挿絵は木版画である。『暴夜物語』では、1例を除いてそれを模写している。だから、構図そのものは同じだが、模写だから細かな部分がすこし違ってみえる。日本の方は石版印刷らしく、それも見た目の印象が異なる理由だろう。
簡単に説明をしておく。奇数番号が元になったレイン版、偶数番号が永峯訳だ。挿絵のデザインは、ウイリアム・ハーヴェイ William Harvey による。
1a. Ornamental Title(Jackson)
1b.Head-piece to Chapter I - Shahrazad narrating her Stories(Miss William)
2.発端
英文の題名は、レイン版にあるままを示した。カッコ内は、彫刻者の名前だ。
この図柄だけがレイン版の忠実な模写になっていない。
1のabともにシャーリヤル王にシャーラ・ザッドが物語る場面だ。そばにドゥニャ・ザッドがいる。ただ、1aには、王の姿が見えない。1bの、王が横たわり、シャーラ・ザッドが寝台に腰掛けているという構図は、永峯訳の挿絵と同一だが、天蓋の柱、調度品などが異なる。1abの2枚をもとにして、作成する日本側の判断で書きなおしたものだ。
その他の絵図が、元版とまったく同一なのを見ると、なぜ、この場面だけが独自性を主張しているのか、理由がわからない。
なお、永峯訳の原本マイクロ・フィルムよりも復刻本の方が印刷が鮮明だから、復刻本を使用した。
3以下の両者の絵柄を見れば、レイン版の挿絵が、参考資料として日本の彫刻会社に渡されたのは、間違いのないところだ。
3.The Second Sheykh saved from drowning(Linton)
4.後翁並二犬ノ伝
第2の老人の物語で、弟ふたりに海に突き落とされ、仙女である妻に助けられている場面だ。右側に黒く船の影が見える。レイン版と同一図柄であることは、いうまでもない。波、夜空の処理が、木版と石版では違っていることも見ればわかる。
5.The 'Efreet liberated from the Bottle(Orrin Smith)
6.漁夫の伝
漁夫が引き上げた壷から魔神が出現する場面だ。壷といっても首の長い形をしている。これは、描く人によっていろいろある。ここでも煙の描き方が、木版と石版では同じにならないことが理解できよう。
7.The Cook-maid dressing the Fish(Kirchner)
8.漁夫の伝続
4匹の色の違う魚を料理するたびに、出現する不思議な人物である。フライパンに4匹の魚がのっているのがレイン版では、鮮明に描かれている。料理人が、いかにも驚いている雰囲気もある。一方、永峯訳の挿絵は、復刻版を使用した。国会図書館所蔵の原本をマイクロ・フィルムにしたものには、落書きがあって、ここでは、掲載することができない。やや、鮮明度に欠けるが、それでも同一の絵柄であることが一目瞭然だ。
タウンゼンド版からなぜ挿絵を取らなかったのか、という疑問も出てきてよい。
理由は意外に簡単で、タウンゼンド版には、見るべき挿絵がなかったというだけだろう。
永峯訳には、挿絵を模写するくらい、レイン版の役割が大きかったという側面の方が重要だ。
●4 結論
永峯訳本は、タウンゼンド版を底本にしている。ただし、それだけでは十分な説明になっていない。
永峯訳の特徴を箇条書きにする。
1.永峯訳は、基本的にはタウンゼンド版によっている。
2.全訳ではない。タウンゼンド版全60話のうち、冒頭からの11話を翻訳している。
3.タウンゼンド版原書の発端から章題の通りに忠実に逐語訳をしている。
4.訳者が勝手に原文を削除して翻訳している部分は、ない。
5.同時にレイン版を参照しつつ、必要と考えた箇所を部分的にそこから補充する。
6.さらに、ある部分には永峯独自の加筆をほどこしている。
7.誤訳、豪傑訳する箇所は、ほとんど、ない。
柳田泉は、「中間、抄記省筆によっているところが明らかに見える」と書いた。しかし、どの部分が「抄記省筆」なのかを言わない。タウンゼンド版原文と永峯訳を、実際に比較対照してみれば、大きく「抄記省筆」する箇所は、発見できない。
なによりも、レイン版にもとづいた借用追加、永峯自身の筆による加筆が存在していることを強調しておきたい。
【注】
1)2種類の原本を見た。ひとつは、国立国会図書館所蔵の原本のマイクロ・フィルム。奥付は、明治8年5月7日官許、山城屋政吉。もうひとつは、天理図書館所蔵本で、奥付は、明治8年6月12日出版。第2冊に虫食い跡がある。なお、本稿では、句読点をほどこした『明治文化全集』第13巻(日本評論社1928.4.15)所収版を使用する。引用のページ数は、この復刻版を示す。ルビは省略。なお、国立国会図書館のマイクロ・フィルムには、絵図に落書きがある。保存をするなら、よりよい状態の版本がなかったものかと思わないでもない。
2)私が今見ているレイン版は、同志社大学図書館所蔵になる3冊本ロンドンのチャットとウインダス Chatto & Windus,1912 だ。ロンドンのチャールズ・ナイト Charles Knight and Co.,1839-1841の大型3冊本も天理図書館で見た。
3)『バートン版千夜一夜物語』7 河出書房1967.5.25。514頁の「千夜一夜書誌目録」も同じ。
4)『毎日新聞』1955.1.24付。無署名。字句に異同がある。引用部分の原文は、以下の通り。「いかんながら底本とした原書がつまびらかでない。恐らくヨーロッパで初めて「千夜一夜」を紹介したフランスのアントワーヌ・ガラン教授の重訳に基くものか」
5)大場正史「初期の邦訳『アラビアン・ナイト』」『世界文学大系月報』75。6頁
6)大場正史「初期の邦訳『アラビアン・ナイト』」『世界文学大系月報』75。6-7頁
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
絵図の説明文
1a. Ornamental Title(Jackson)
1b.Head-piece to Chapter I - Shahrazad narrating her Stories(Miss William)
2.発端
3.The Second Sheykh saved from drowning(Linton)
4.後翁並二犬ノ伝
5.The 'Efreet liberated from the Bottle(Orrin Smith)
6.漁夫の伝
7.The Cook-maid dressing the Fish(Kirchner)
8.漁夫の伝続