あとがき



 本書をご覧になる方は、不思議に感じられるかもしれない。
 個人の著作目録は、普通、還暦、退職、喜寿などなどの節目を記念して編纂されることが多い。著者の関係者が、時間をかけて資料を収集し、著者も忘れていた文章をさがしだしたりして、和気藹々だったりする。それを出版社が祝って刊行し公開することもあるだろう。
 だが、本書は、それらとは趣向を異にする。
 著者自身が編纂し、それぞれの論文そのもの、またその周辺についてのいろいろを自ら注記するのである。
 これから書こうとする文章は、対象になっていない。過去の論文を主題とするから、必然的に回顧することになる。
 回顧するには、早すぎる。これもどこかで使った言葉だ。
 私のばあい、依頼されて研究論文を書くということは、めったにない。
 大学の講義案内とか、研究費を申請するための書類とかは、決められた期限までに、きちんと書く。
 だが、研究論文は、そうではない。なぜなら、原稿の締め切りがあると、気になってしまうという理由もある。だが、大きな理由は、自分の興味のある題材について、気長に調べて、すきなように書くことを私の基本的執筆姿勢としているからだ。あらかじめ時間に制限がもうけてあると、気になる。一応の満足がいくまで探索することができない。
 そうなったのは、ひとつには、私自身の性格が影響しているだろう。さらに、専攻分野が人の興味を引かないものだということがある。中国のごく限られた時期の小説を研究対象としている。今日の糧、明日の利益には、なんの関係もない。ほかから、知りたいから原稿を書け、という要求もでてこない。
 それほど人気がないのは、中国においても、そうだと私は考えている。日本では、それに輪をかけて注目されていない。出版社の編集者が触手をのばすはずがない。奇特な編集者は、いない。
 人が興味をいだくような、その気にさせるような文章を書きなさい、というか。
 私は、それほど親切でもヒマでもない。目先のことを追求するのに精一杯だと答える。
 加えていえば、いくらかの経験から、本が出てくる過程、すなわち出版について、いささかの知識を得ているからでもある。
 著者がいるから、あるいは出版社があるから、著書が刊行されるのではない。編集者がいるから本が出るのである。編集者が出したいと思う本が出版社から刊行される。これが現在の基本的な出版システムである。
 編集者のいない研究分野においては、だから、自分の本を出版するために著者自身がそれぞれ努力をしなければならない。自分で出版社をさがす、出版助成金を申請するなどである。
 出版システムの現状と、研究している分野が以上の状況であるうえに、私は、他人が目録を編集してくれるほどの人物では、ない。このことは、私が、いちばんよく知っている。だから自分自身で編集するのだ。
 これまで書いてきた論文を、埋もれるにまかせる、という手もある。だが、そうするには、私の愛着が深すぎる。どの1篇をとっても、その時点で全精力をそそいで書いた文章だ。私の能力に限りがあり、あとで考えれば間違った部分もある。不断に進歩している研究界のことだ。過去の論文において、無キズであろうはずがない。自分の実力は、わかっているつもりだ。しかし、その時々で、最先端を目標にし、先行論文にはない新しく発見したことを織り込み、最高の内容になるような工夫をして執筆したという思いがある。
 どうあがこうとも、埋もれるものは、埋もれてしまう。著作目録があっても、読む価値のない論文は、なくなってしまうのだ。
 どのみち、自分が考えるほどには、……。
 論文執筆の背景を書いた部分は、昔の方が多くなった。ことわったように、重複したり順序がバラバラだったりする。書きながら、あれこれ思い出してくるのだった。
 本書に『清末小説きまぐれ通信』を収録したのは、分量的に適当だと考えたからだ。
 1冊にするには、といってもすでに単行本で出版しているが、薄すぎる。また、清末小説研究会のホームページにも未掲載だ。量的にそれほど多いわけではないから、本書に収録した。
 もとの文章のままであることを書いておきたい。あとで間違いだと判明したことは、そのように追加説明して、原文は訂正していない。

 表題に「1」とつけるのは、2002年以降の分を集める「2」があるはずという意味を持たせている。あくまでも予定であることはいうまでもない。

2002.7.1
樽本照雄