あとがき




 『老残遊記』の版本に焦点をしぼると、ふたつの大きな問題が未解決で残されている。今まで、解明した人は誰もいない。
 すなわち、ひとつは初集の『天津日日新聞』掲載時期の特定だ。もうひとつが『老残遊記』初集単行本の発行年月ということになる。
 というようなことを書けば、版本問題は小さい課題にすぎない、「老残遊記」と劉鉄雲の思想、あるいは彼の政治的立場の研究には無関係である、と批判した気になる人が、必ずといっていいほど出現する。私の経験からいえば、掃いて捨てるほど出てくる。その発言者のひとりが、研究界の重鎮だったりするから興味深い。
 劉鉄雲の思想問題、政治問題を研究することは重要だと私は考えている。しかし、版本問題もそれと同じくらい重要である。
 『老残遊記』がどのような経緯で、当時の中国に姿をあらわしたのか、その年月日まで正確に知りたい、と私はいっているだけなのだ。
 研究のもとになる、いわば基礎問題に興味を持っているにすぎない。そこを誤解しないでいただきたい。
 基礎問題を整理したうえに、研究の発展が期待できるだろう。この考えが、終始一貫して私にはある。
 というわけで、版本を中心にして本書『老残遊記資料』を編集した。
 本資料集も、必要だと判断したものは、私の手持ちの資料からすべてを提示した。日本でやっていることだから、それほど充実したものであるとはお世辞にもいうことができない。手持ちの資料といっても、原物そのものというのは多くない。それらのほとんどは複写資料である。不鮮明であるのもしかたがない、と言い訳しておく。
 それでも、過去の資料集とは異なった特色を出せたと考える。
 ひとつには、『繍像小説』は原本を使用した。影印本があるではないか、とおっしゃる方がいるだろう。確かに、影印本は便利なのだが、やはり原本と影印本では雰囲気が違う。もともとが活版線装本であることは、影印本の表紙を見ただけでは理解できないだろう。
 冒頭に書いたように、初集を掲載する『天津日日新聞』は、私は、見たことがない。そのかわり、『天津日日新聞』に掲載したままを単行本にした孟晋書社本を使用している。天津図書館に所蔵されているが、中国人研究者の誰でもが確認しているとは限らない。ましてや、複写を許可してくれるかどうかもわからない。1984年に私が複写を申請すると、昨日まで可能であったものが、本日から規則が変更になったと拒否されたことがあるくらいだ。何度も同じことを書いてスイマセン。
 『天津日日新聞』連載の二集が日本の研究機関に所蔵されていることは、ひろく知られるようになった。第9回までを収録している。二集は、これで中断したのだろう。第14回まであったという証言があるが、原物がでてこない。証言のほうがまちがっていたと思われる。
 中国に二集の原本が所蔵されているという情報も伝わってこない。それくらい珍しい版本に、私が日本で巡りあった幸運を何度でもかみしめる。
 下書き手稿は、『清末小説』第9号(1986)に掲載したデータをもとにしている。
 これを作成するについては、手間がかかった。1980年代、ある研究者に原物を筆写してもらって対照表をつくりかけたのだ。しかし、全部の筆写はできなかったらしく中断した。あらためて上海の劉徳隆氏から手稿の写真をいただき原稿を完成させた、といういきさつがある。
 ただ、十分に気合いを入れて作ったのに、学界の反応はなにもない。期待をしたわけではなく、使いこなすのがむつかしいのかと思わないでもなかった。のちに、王学鈞氏が「李伯元年譜」(1997)のなかで言及されている。さすが、と感心した。
 本資料によって、何年かぶりで復活させることができてうれしい。
 そのほか、研究書に収録された資料は、必要に応じて本書でも利用させてもらった。出典を明記するのは当然のことながら、同時にお礼を兼ねている。感謝します。

樽本照雄