あとがき




 かなり以前のことだ。ある研究者が、私を某研究会へ参加するようにと誘った際に理由をこう言ってくださった。「樽本さんは、孤立しているから」
 私には、かえす言葉がない。私のことを心配してくださっての言葉である。ありがたい。しかし、ふたつの意味でフにおちなかった。
 ひとつは、孤立しているという意識が私にはなかった。もうひとつには、その人の言葉使いに違和感をおぼえたからだ。私は、孤立という言葉は負の価値を帯びていると思っている。無援だから、いかにも徳がない。面とむかってそういうか。それはないだろう。孤軍奮闘とか独立独歩くらいは言ってもらいたいものだ、などと感じないわけではなかった。
 だいいち、私はそのころ別の研究会で事務局の会計を担当しており、月1回の研究会、夏の合宿、会報、研究誌の編集発送などでいつも十分すぎるくらい飽きるほどに群れていた。孤立のしようがなかった、とは主観的な見方だったのだろう。
 研究会の活動とは別に、清末小説を研究する時は、基本的にはいつも単独行動でやってきた。いまさら別の研究会への参加を勧められても、気持ちは動かない。
 というわけで、今も「孤立」してやっている。
 本書に収録したのは、並行して進めているいくつかの分野の研究のうち、劉鉄雲、李伯元あるいは小説専門雑誌についての論文になった。
 劉鉄雲と黄河治水の関係については、どの研究者も言及する。しかし、詳しく調べてみれば、意外な結末に到達した。先行する研究論文のほとんどが、劉鉄雲の「老残遊記」に描写された黄河治水法を、しかも不十分なそれを劉鉄雲自身の考えとして把握していることが判明したのである。
 劉鉄雲の黄河治水については、彼の実際行動と彼自身の手になる専著にもとづいて理解すべきだ。不十分な描写しかされていない「老残遊記」を代替物として、それがすべてであるかのように劉鉄雲の黄河治水法を理解するための材料に使うのは、誤解のもとなのである。
 この当然すぎる事実をあらためて言わなければならないほど、小説の影響力の大きいことは、普通ではない。小説「老残遊記」が、劉鉄雲の実際行動を代表してしまうのである。小説と事実を厳密に区別していないといわざるをえない。今まで誰も指摘していないことだから、重ねていっておきたい。
 劉鉄雲逮捕の理由についても、あらかじめ存在する思いこみに研究者がふりまわされている。
 劉鉄雲が逮捕されたのには、理由があるはずだ。これが前提になっている。歴史研究者が、その前提に合致する(ように見える)資料を探し出して、劉鉄雲の逮捕理由だと文章を発表した。だが、中国において文学研究者は誰もそれに反論しない。まるでそのままを承認したような印象を与えている。前提(すなわち特定の思い込みだ)をはずして、資料を冷静に読めば、劉鉄雲の逮捕理由など存在しないことに気づくはずだ。私から見れば、まことに不思議な情景である。
 『繍像小説』の主編は李伯元だったのか、そうではなかったのか。日本と中国において、長年にわたって続いてきた論争だ。その論争に終止符をうつ資料が、劉徳隆氏によって発見された。望めば資料はでてくる、か。新発見の資料を学界に広く知らせることができたのも、うれしいことだ。それと同時に、『繍像小説』が李伯元の死後も刊行されていたこともはっきりしている。研究者には広く認知されていないとしても、これが事実だ。
 『清末民初小説目録』(1988)からはじまり、『新編』(1997)、『新編増補』(2002)と改訂を継続している。
 『新編増補清末民初小説目録』は、中国・済南の斉魯書社から発行された。初版を完売し、再版されたのも研究者のご支持があったからだ。感謝する。
 目録編集の目的は、ただひとつだ。研究に役立つ、これよりほかにはない。作成過程で、阿英の説明とは異なる事実が存在することにも、自然と気づくことになる。あくまでも副産物である。
 清末小説研究会は、「清末小説研究資料叢書」を刊行しはじめた。これまで、『日本清末小説研究文献目録』、『搨濠ッ場現形記』、『樽本照雄著作目録1』、『官場現形記資料』の4種類を出版している。
 『搨濠ッ場現形記』は、中国でも見ることのできない、珍しくしかも貴重で研究には不可欠の版本を影印したものだ。私の所蔵本だが、広く利用してもらうためと小説資料として保存する目的で刊行した。
 日本の公共図書館には、清末小説関係の資料はほとんど収録されていない。その理由は、当時、中国から書籍が入ってこなかったからだと思っていた。しかし、『搨濠ッ場現形記』は、日本で出版しているにもかかわらず、必要とする研究者、機関は、数えるくらいにとどまっている。原資料を収集する意識が、はじめからないことがよくわかった。私が「孤立」する必然的な理由がここにある。
 論文冒頭にしるした「前注」には、いちいち書かなかったが、初出の文章について、渡辺浩司氏より語句の誤り、誤植などについて詳しくご指摘をいただいている。詳細に読んでくださって恐縮です。ひとこと書きそえて私の感謝の気持ちとしたい。できるだけ訂正したが、およばぬ箇所があるかと思う。責任は私にある。
 本書は、大阪経済大学学会からの出版補助を受けた。感謝します。
 発行と面倒な編集を引き受けてくださった汲古書院の石坂叡志氏および坂本健彦氏にお礼を申しあげます。

2003.5.1
樽本照雄