時代を反映する小説目録
――『新編清末民初小説目録』のこと


樽本照雄


 阿英編「晩清小説目」が、『晩清戯曲小説目』(上海文芸聯合出版社1954.8)に収録されるかたちで発表されてから、すでに半世紀近くがたとうとしている。清末の小説目録といえば、現在にいたるまで阿英の目録しか存在しないかのように引用されてるのが実情だ。その理由を考えれば、清末小説を収録してその数が多いのが阿英目録しかなかったからだろう。
 たしかに、1千種をこえる小説を収録しているのが、阿英目録の最大の特徴である。単行本のみならず雑誌初出にも目配りしてあるもの特色のひとつだ。
 しかし、細かく検討してみて、阿英目録には、決定的な欠陥があることが判明した。
 阿英目録に、誤植が多いとか、翻訳と創作を取り違えているとかという表面的な間違いではない。編集方針にかかわる欠陥なのである。
 阿英以前の目録は、清末小説を収録するといっても、その単行本を記録するのが主流である。無理もない。旧小説の目録は、雑誌連載という形態で発表されることはないからだ。雑誌が出現するのが、基本的に清末以降のことだから、当然といえば当然のことなのだ。阿英が、「晩清小説目」を編集するにあたり、単行本を主体とする方針を採用したのも、その習慣にしたがったまでのことだ。しかし、阿英の天才的な感覚は、清末小説の発表形態の主流が雑誌に移行しつつあったことを見逃さなかった。ゆえに、単行本を主体としつつ、雑誌にも採取の範囲を広げたのである。ただし、単行本主義に引きずられ、雑誌からの採録が不徹底に終わった。私がいう阿英目録の決定的な欠陥というのは、まさにこのこと――雑誌からの採取が不徹底――にほかならない。
 いうまでもなく、清末期に発表された小説は、はじめは雑誌に発表されることが多かった。そのうちのいくつかが、のちにまとめられ単行本となる。雑誌初出から単行本へ、というのはそれ以前に見ることのできない、まったく新しい出版形態である。
 新しい情況を反映した小説目録を企画するならば、それに応じた新しい編集方針が確立されなければならないだろう。
 清末小説目録は、それまでの単行本主義を逆転させ、雑誌を中心にしたいわば雑誌主義に立脚しなければならないという結論になる。
 雑誌初出の作品を徹底的に採録し、あわせて単行本も記録する。この方針により『新編清末民初小説目録』は編集された。1988年に出版した『清末民初小説目録』(中国文芸研究会との共同出版)の増補改訂版である。
 『新編清末民初小説目録』をもとにして阿英目録を検証すると、意外な事実が判明する。阿英がよった単行本主義に原因するのだが、雑誌からの採取基準がきわめてあやふやであることだ。比較的長い作品は目録に収録する。しかし、短い作品は捨てる。その結果、『新編清末民初小説目録』の清末部分と比較すると、全体で約38%しか阿英目録はカバーしていない。
 阿英の主張で有名なのは、当時は、「創作より翻訳のほうが多い」というものだ。多くの研究者にくりかえし引用されている。
 阿英の「晩清小説目」に収録された作品を見る限り、その主張は正しい。しかし、阿英の編集そのものが、恣意的であることをいっておかなければならない。創作よりも翻訳を多く採録したから、「創作より翻訳のほうが多い」という結論になるのは当然だろう。
 今、雑誌主義により雑誌からの採取を徹底した『新編清末民初小説目録』によれば、清末時期の創作は、1,531種、翻訳は、1,101種となる。創作のほうが、翻訳よりもあきらかに多いのだ。
 清末から民国初期までを対象とした『新編清末民初小説目録』は、創作11,074件、翻訳4,972件の合計16,046件を収録する。雑誌初出から現在の復刻本までを網羅した小説の履歴書となっている。くりかえすが、編集方針は、雑誌主義を主体とし単行本主義を併用している。これこそが、清末という時代を反映する小説目録の編集方針だと信じているからにほかならない。

(樽本照雄編『新編清末民初小説目録』清末小説研究会1997.10.10 定価:本体33,981円+税)

『中国文芸研究会会報』第190号1997.8.31掲載