画期的な書評


樽 本 照 雄


 研究論文の書評というのは、書かれたものについて著者の論述の筋道をたどりながら、結論の妥当性なり、該当研究分野におけるその論文の独自性なりを吟味するものだとばかり考えていた。ゆえに評者にはその分野の専門知識が要求されるのは当然のことだとも思っていた。ところが、私の常識を覆し、目からウロコが1枚はおろか10枚もおちることとなった書評が発表された。瀬戸宏「清末小説研究の貴重な成果」(『東方』第136号 1992.7.5)である。恐縮ながら私の『清末小説論集』(法律文化社1992.1.20)を書評の対象としている。
 はじめに言っておく。私の書く論文が、研究界でどのくらいの水準にあるかは、自分で承知している。ゆえに他からの評価を基本的には必要としていない。それにもかかわらず、依頼もしないのに瀬戸氏と『東方』編集者は、私の『清末小説論集』を取り上げ、その書評を掲載した。光栄のいったり来たりで感謝感激雨アラレである。
 瀬戸氏の書いた書評が、ほかのものと際立って異なっているのは、二段構えとも称すべきその書評方法のゆえである。
 第一段階は、各論の不備を突く。論旨が整理されているか、一読しただけで理解できるか、対象とするものの世界が見えてくるか、などについて考察する。普通は、この段階で論文の出来ふできが判定される。
 第二段階となると、すこし高度である。各論にたいした不備を検出できない場合、著者が述べていないことを批判の対象とする。重要な問題がたくさんあるにもかかわらず、著者は小さい問題にばかりこだわって、全体を視野にいれていない、というものだ。全体の中への位置づけができているか否か、を検討する。
 私の『清末小説論集』を書評するにあたり、瀬戸氏は、二段構えの後者に力点を置いたとうかがえる。いわく、「清末小説の全体像が本書からは見えてこないのである」、「なぜ清末文学の中で研究の対象を小説に限定したのか、ということも本書からは明らかにならない」、「本書はタテ(文学史)の関係においても、ヨコ(他ジャンルとの比較)の関係においても“清末小説”の意義を充分に解明しているとは言い難いのである」あといろいろ。
 時間的に見れば短い清朝末期ではあるが、その時期に発表された作品はおびただしい数にのぼる。「清末小説の全体像」「意義」などなど、その探究はいうほど簡単ではない。「これまで清末民初の話劇成立史に関心をもってきた」瀬戸氏は、そのことを自分で充分すぎるほどわかっているはずなのだ。にもかかわらず、半兵衛をきめこみするりと問題を提起するところなど、さすがに演劇を主として研究している瀬戸氏らしい。役者じゃのぉ、クエックエッ。かといって、問題点をはっきり認識している人が、その研究をしてほしい、と私がいったとすると、「直接専攻する者ではない」という逃げ道が用意されている。防御態勢は、万全だ。普通の才能ではできないことだろう。
 もうひとつ目をみはるのは、瀬戸氏の行なった引用の巧みさだ。
 丸山昇氏の文章に、「現代中国文学に関するかぎり(中略)問題のあまりの狭さとか、悪い意味でのアカデミズム……そこに書かれていることはその通りなのだが、それで一体何が明らかになりましたか、というようなものになっている」(「中国現代文学研究の視角・枠組みを考える」『野草』第39号 1987.2.15)という記述がある。
 「丸山氏の指摘が日本の中国現代文学研究全般にあてはまるかどうかにはかねてから疑問をもっている」と書いて、瀬戸氏は、丸山氏の意見には否定的だ。ところが、瀬戸氏は、自らが全面的には認めていない語句をわざわざ引用して私の著書に適用する。その効果は、絶大である。丸山氏があたかも直接、樽本の研究を批判したかのごとき印象を読者に与えるように仕向けられているのだ。これは、巧妙な引用のしかただということができる。凡人である私などは、自分が否定する語句を、一部分でも、しかも、あえて矛盾を犯してまで肯定的に対象物に対して適用するなど思いもつかない。誰しもがそう簡単にまねできる芸当ではないだろう。
 さらに言えば、私の著作について、それがどうした、と瀬戸氏自身が書けばすむことだ。なにもわざわざ丸山氏を引用するまでもない。あえて丸山氏の文章を、「疑問をもっている」にもかかわらず利用するところに瀬戸氏の屈折した権威主義が露呈していておもしろい。
 また、「氏の研究には『主義』がないという一部からの指摘」という部分にも意がもちいられている。そう指摘するのが、岡田英樹氏たった一人であっても、たしかに「一部」ではある。なによりも「主義」の内容を具体的に明らかにしないかぎり、この批判は無意味だ。事実、岡田氏は、私の問いに答えることができず死んだふりをしたままである。(参照:樽本「勝手に仕切り直しする岡田さんへ」『中国文芸研究会会報』第126号1992.4.30。樽本「押しつけられる側の発言」『中国文芸研究会会報』第127号1992.5.30)瀬戸氏は、以上の経緯を充分知っているはずだ。ところが、瀬戸氏は、そしらぬ顔をして、なにも考慮することなく無批判に、「主義」がない、という部分のみを引っ張ってくる。私の『清末小説論集』に根本的な欠陥があるといわんばかりである。瀬戸氏の書き方は、ため息がでてくるほど用意周到で並大抵の力量ではない。
 瀬戸氏は、書評というものを、書かれたものについて吟味するという枠から解放した。著者が書かないことを、書いていないがゆえに批判する、という新しい方法があることを広く知らしめた。こうなると専門、非専門をとわず書評ができる。荷が重すぎる、とか、手にあまる、などという遁辞とは、もはや無関係である。非専門であるからこそ、もっと重要な問題が存在しているだろう、そんな研究をして何になる、という質問もできるのだ。ないものねだりを書評というかたちで提出した瀬戸氏の新機軸に手の感覚がなくなるまで拍手を送りたい。書いていないものにこそ著者は責任を負わなければならない、と書評の可能性をおおきく拡大したところに瀬戸氏の書評の意味があることを強調しすぎることはないだろう。私が、画期的、という理由だ。
 結局のところ、成果とは認めたくない、という瀬戸氏の強い意識が、読者に十分すぎるくらいに伝わる文章となっていることにも注目しておく(この場合、瀬戸氏にその意図があったかどうかは、問題ではない)。全体の約半分を「不満」に費やすところからもそれがうかがわれる。なかなかに得がたい文章力であるといえるだろう。
 瀬戸氏が提出した新しい形の書評にたいして、私は、あるとすれば二枚舌も千枚舌も巻くわけである。
 2ヵ所の誤植がある。()内が正しい。「老山(残)遊記」、呉研(焉j人。