探求書――『和文漢読法』ほか



 日本で発行されていながら、日本で見ることのできない書籍、雑誌は少なくない。中国の研究者から、探索を催促されることがあるが、見つからない時は、お手上げなのである。『和文漢読法』がそのなかのひとつだ。

1 『和文漢読法』

 『和文漢読法』は、中国人が日本語書籍を読むための日本語入門書であるらしい。そのころ仮名がわからなかった梁啓超が、日本語のできた羅普とともに著述したというのだ*1。
 ある研究者は、該書はのちに「夏威夷遊記」と改題した、と書いている*2。意味がよくわからない。
 中国人のための日本語教科書を集めているのは、実藤文庫である。その目録を見ると、よく似た坪内雄蔵著、沙頌〓、張肇熊訳『和文漢訳読本』商務ママ書館印行(明治33(1900)年12月著、光緒二十七(1901)年九月訳)は、ある。しかし、梁啓超、羅普の『和文漢読法』は所蔵されていない。
 日本で編集出版された教科書関係の目録も見た。最後の手段で国会図書館にも問い合せてもらったが、「見当りませんでした」と回答があっただけだ。
 『和文漢読法』を探求している夏暁虹より、『清議報』第64冊(1900.11.22)に広告が載っていると複写をもらった。うたい文句に、数日で日本語の書籍が読めるようになる、という。また、清議報館が代理販売をする、ともあり『和文漢読法』は、確かに発行されていることがわかる。
 残念ながら、夏暁虹からの調査依頼にこたえることができないまま、現在にいたっている。もうしわけない。
 以下、梁啓超に関係する書籍、雑誌に言及しておく。

2 雑誌『新小説』

 研究者のなかで知らぬ人はいないくらいに有名な雑誌『新小説』である。梁啓超が、横浜において創刊した。今でこそ影印本が出版されていて本文を読むことができる。しかし、それ以前、日本で見ることができた原物は、創刊号と第7号の2冊にしかすぎなかった。では、現在はどうか。原物を所蔵する機関は、出現したのか。否定せざるをえない。広告ページを削除してしまった不完全な影印本で当分の間、がまんしなければならないだろう。

3 『十五小豪傑』

 ヴェルヌの翻訳にも梁啓超がからんでくる。
 「十五小豪傑」は、『新民叢報』にはじめ連載され、のちに(法)焦士威爾奴原著、飲冰子(梁啓超)、披髪生(羅普)合訳、横浜・新民社1903というかたちで単行本になった。
 劉鉄雲「壬寅日記」(1902)に、劉鉄雲が『十五小豪傑』を読み、題簽を書いたことが記述されている。この題簽は、梁啓超が劉鉄雲に求めたものだ、いや、劉鉄雲が『新民叢報』に連載されていたものを自分で装丁するために書いたものだ、という論争があった*3。
 このような意見の違いは、横浜で出版された『十五小豪傑』の原物を見れば、すぐに解決できる。単行本に劉鉄雲の書いた題簽があれば、梁啓超が劉鉄雲に依頼したものであろう。なければ、劉鉄雲が自分のために書いたものだ。ところが、この原物も、手にすることができない。問題が提起されてから時間がたった、もう見つけただろう、と中国人研究者にいわれたことがある。見当らないのだから返事のしようがない。
 しめくくりは、秋瑾関係である。

4 雑誌『白話』

 秋瑾主編で留日学生が組織した演説練習会が発行した雑誌という。その創刊号は1904年9月24日に発行され、第3期までの目録が郭延礼編『秋瑾研究資料』(済南・山東教育出版社1987.2。692-695頁)に収録されている。該雑誌は、第6期まで発行されているから、所蔵されるとすれば日本しかありえない、と中国の研究者は、いうのだ。可能性としてはそうかもしれない。しかし、さがしても見つからないことがあるのは、常のことなのだ。
 この場を利用して、ひろく情報の提供を呼びかけたい。ご存知のかたはいませんか。ご教示をお願いします。

1)丁文江撰『梁任公先生年譜長編初稿』上冊 台湾・世界書局1972.8再版。86頁に「羅孝高任公軼事」から引用して『和文漢読法』を著作したと書かれている。
2)坂出祥伸「梁啓超著述編年初稿(一)」関西大学『文学論集』第27巻第4号1978(別刷りによる)。1899年の項目に次のようにある。「『和文漢読法』(羅孝高と共著)のち「夏威夷遊記」と改題」。29頁
3)「劉鉄雲は梁啓超の原稿を読んだか」樽本『清末小説論集』法律文化社1992.2.20

(1998.3.27)