樽本照雄『清末小説探索』
あとがき
本書には、清末四作家をめぐる原稿を主として収録した。関連して『繍像小説』と梁啓超についての諸論を置く。魯迅にまつわる文章を収めたのは、誤解が伝えられたまま現在にいたるまでとけていないと思うからだ。
ということで、ここ10年間に書いた論文のなかから、ほぼ同じ分野に属するものを集める結果となった。別のいいかたをすれば、翻訳小説、初期商務印書館とそれにかかわる長尾雨山についての文章、また研究状況に言及した論考を割愛したということでもある。
収録した複数の論文が、広く信じられている通説を否定する、誤りを指摘する、あるいは新しく仮説を提出する。はじめから意図したわけではない。できる限りの資料を手元において追求してみると、通説を疑わざるをえない結果になったにすぎない。
私の意識は別にして、それらの多くは、重大な意味を含んでいる。にもかかわらず、中国の研究者からは、ほとんど無視される。当然だ。
理由のひとつ。外国人の研究であるから彼らの視野に入りにくい。ふたつ。日本語で書かれており、発表の場所も日本だからだ。主な掲載誌である『清末小説』『清末小説から』あるいは『野草』などは、日本で印刷発行している。諸外国の研究者あてに郵送してはいるが、発行部数そのものが多くない。
その一方で考える。過去において、論文のいくつかは、日本語論文の主旨をそのままにして中国語で書いた。また、中国語に翻訳されたものもある。翻訳も反応のひとつだということはできよう。しかし、直接言及されることがないのは、日本人の論文という理由だけではなさそうだ。通説を否定している論文は、それ故に中国の専門家の眼にとどまらないのではないか。脳の網目を通り抜けてしまうのだろうか、と想像したりする。いや、単に情報が不足しているだけかもしれない。私の論文から10年ちかく経過して、同主旨の論文が中国大陸で発表されるのを目にしようとは、夢想だにもしなかった。日本からの情報が伝わるしくみになっていないらしい。
通説に従っているほうが、楽で安心にきまっている、と私が思っているわけでは決してない。私が重要だと考える問題も、中国の学者にしてみればとるにたらない、という場合も充分にありうるのだ。
無視ならそれでもかまわない。ところが片方で、中国人研究者が、私の論文を無断引用する例がある。私しか指摘していない事柄を、私の書いた語句をそのままに使用しているのだ。私の論文が出典であることを明記していないのだから無断引用といわざるをえない(本文参照)。
無視かと思えば、無断引用である。清末小説の研究分野は、混乱状態なのだろうか。外国人である私から見ると、不思議に感じる。
事実はひとつ、である。そのうち理解する人もでてくるだろう。誤解しないでいただきたい。それを望んで渇いているわけではない。私にとって、反応がないことの方が常態なのだ。私は、自分が知りたいことを探索しているだけであることをいっておく。
この10年間における私の研究活動についてつけくわえると、国際学会への参加がある。
台北(1991)、上海(1991)、済南(1993)、ソウル(1995)、香港(1996)、武夷山(1997)などの学会に参加し、それらのほとんどで報告した。いずれもが清末小説研究で発表できる種類の学会であることが特徴である。世界に視野を広げると、清末小説研究は、以前よりも格段に興味を注がれる分野に変化していると実感するのだ。研究活動が活発になれば、読者の注意を引くことにつながる。清末小説の復刻が増加すれば、研究の資料的環境が改善されることにもなろう。状況が動いている。
海外の学会に参加したのは、自分の考えるところ、調査の結果を海外の人々に紹介してみようという気に少しはなったからだ。その効果のほどは、わからない。それよりも、専門家と新たに知りあう、あるいは論文でのみ親しんでいた人に直接会うことができた方が有益だった。他を鋭く批判する論文の著者が、話してみれば温和な性格のように見えることもある。論文とそれを書いた人物とは、印象が違うのがおもしろい。
『新編清末民初小説目録』の発行については、とくにのべておきたい。1988年に『清末民初小説目録』(中国文芸研究会)を出版して以来、絶え間なく増補訂正作業を続けていた。編集の途中経過説明を数回行なったように記憶する。
清末民初に発表された小説について、雑誌の初出から単行本までを網羅する目録だ。清末民初小説を研究するばあいの基礎資料、工具となるものだという認識が私にはある。日本のみならず、中国、香港、台湾、欧米などの研究者にも役立つはずだ。必要としている人は少ないかもしれないが、研究には不可欠の書籍である。前の目録出版から約10年間、中国そのほかからも同じ編集方針の目録は、ついに発行されなかった。必要な工具は、自分で作るしかない。
すべての項目を点検しなおし、典拠を注記する。増補すべき書籍が次々と出てくるのも約10年という時間を必要とした原因のひとつだった。
毎日のように情報を個人電脳に入力していく作業は、日常になってしまえば、とりたてていうほどのこともない。
作業がすすむにつれて疑問も出てくる。たとえば、阿英「晩清小説目」の記述と一致しないものが出現する。数種類の資料を照しあわせれば、結局のところ阿英の誤記であることを発見することになる。こうして、該目録を全面的に検討することもできた。阿英「晩清小説目」を利用して清末小説の発表情況を説明することは、不可能になったのである。
1千ページをこえ、200部しか印刷しない書籍など、発行してくれる出版社は、日本以外にもたぶんないだろう。『新編清末民初小説目録』は、清末小説研究会で出版することにする。どうにか世に送りだすことができたのは、文部省の研究成果公開促進費を得たからだ。なぜ印刷必要経費の半分しか出ないのか、と文句をいうつもりはない。自らが痛まないですむほど日本の学術出版には、余裕はないのだ。十分に承知している。結果として出版できた。心からお礼を申し上げる。
もうひとつ、1996年秋、インターネット上に清末小説研究会のホームページ(http://www.biwa.or.jp/~tarumoto)を開設したことも紹介しておく。
研究成果を世界に発信するには、送り手からいえば、インターネットは、理想的な手段に見える。だいいち印刷する必要がない。読者が勝手に閲覧するだけで、こちらから郵送しないですむ。民間業者を利用しているから、使用料を支払っている。少しの経済的負担で、世界につながっていると思えば、安いものだ。
とりあえず『清末小説』と『清末小説から』のいくつかを掲げた。そのほか、研究論文目録、研究単行本の紹介、研究ガイドを読むことができるようになっている。
ただし、ここでも言語の壁が立ちふさがる。日本語だ。海外で見ようとすれば、閲覧者が日本語字体を持っていなければ自分の個人電脳に表示することすらできない。中国人研究者の論文は、漢字で書かれているが、これも日本漢字であるから同様である。漢字は漢字に違いなかろう、と考えている人に電脳のしくみを説明するのは、むつかしい。
とにかく最大の障害は、電脳を持っていない人には、何の役にもたたないということだ。当分は、印刷物との併用にならざるをえない。
私の前著『清末小説論集』(法律文化社1992)について、瀬戸宏「清末小説研究の貴重な成果」(『東方』第136号1992.7.5)が書かれた。
批判されることは、無視よりもまだいい、という。まさに言葉どおりだと同感する。瀬戸宏氏(摂南大学)は、私の『清末小説論集』を批判したつもりらしい。ところが、清末小説に関する瀬戸宏氏自らの無知ぶりを白日のもとにさらけだす結果にしかならなかった。瀬戸宏氏が、あえて自分の無知をあらわにしてまで書評を書いたのには奥深い意図があるのではないか、と私は疑った。注意深く読んだが、何もありはしない。発言さえしなければ、清末小説について瀬戸宏氏が何も知らないことがバレずにすんだものを、と同情すらしてしまった。同時に、大いに笑わせてもらったことも率直にのべておきたい。批判するつもりが、自らを俎の上にあげてしまったということである。批評という行為が必然的にもつ別の側面だ。わかっている人は、知っている。わざわざここに書くまでもない。
また、中島利郎「新実証主義の著書――樽本照雄『清末小説論集』」(『清末小説』第20号1997.12.1)も発表されている。
それぞれが、それぞれの意味でありがたかった。
清末小説というごく狭い分野である。世界の動向とは異なり、日本において読者の興味を引くものとは、必ずしも、なっていない。古典、現代文学に比較して研究者も少ない。先刻承知のうえなのだ。誰かがやらねばならぬ仕事だといっても、私は、いやいや研究しているわけではない。探索したい題材が、私にはまだまだ残されている。
思わず長くなってしまった。
本書は、大阪経済大学学会からの出版補助を受けた。感謝します。
今回も、面倒な編集と発行を引き受けてくださった法律文化社の岡村勉氏と田靡純子氏にお礼を申しあげます。
1998.5.1
樽本照雄