『新加坡国立大学中文図書館蔵中国明清通俗小説書目提要』の清末小説部分について


樽 本 照 雄




 ここに紹介するのは、辜美高、李金生主編『新加坡国立大学中文図書館蔵中国明清通俗小説書目提要』(新加坡国立大学中文系漢学研究中心1998.6.30)である(以下、『シンガポール書目』と略称)。
 本提要は、書名からもわかるようにシンガポール国立大学中文図書館が所蔵する明清白話小説について説明するものだ。
 作品名、巻数、著者、発行所、発行年をかかげる。さらに、作品それぞれの版本、序跋などにも言及する編集方針は、使用の便を考えているといってよい。
 説明の際に利用した参考書は以下の通りだ、と「巻前話」にある。
孫楷第『中国通俗小説書目』北京・作家出版社1957
柳存仁『倫敦所見中国小説書録』香港・竜門書店1967
江蘇省社会科学院明清小説研究中心『中国通俗小説総目提要』北京・中国文聯出版公司1990
中国大百科全書出版社『中国古代小説百科全書』北京・中国大百科全書出版社1993
樽本照雄『新編清末民初小説目録』日本・清末小説研究会1997
寧稼雨『中国文言小説総目提要』済南・斉魯書社1997
 該提要に収録された清末小説について、ざっと見た感想をのべる。
 なによりもありがたいのは、所蔵目録だから原物が存在していることがはっきりしていることだ。
 清末小説についてだけ注目すれば、その所蔵する版本は、基本的に台湾と大陸で発行されたシリーズものの2種類が中心となっているということができよう。すなわち、台湾・広雅出版有限公司の「晩清小説大系」、南昌・江西人民出版社および南昌・百花洲文芸出版社「中国近代小説大系」だ。これだけしかないというわけでは、当然、ない。だが、主力はそうだ。
 版本などの記述は、さきにかかげた参考書類にもとづくらしい。清末小説部分を読むかぎりでは、記述の根拠として『中国通俗小説総目提要』と『中国古代小説百科全書』をかかげる例が比較的多いように感じた。
 『新編清末民初小説目録』も利用されたらしい。ただ、時間的な制約があったのかもしれない。全面的採用というわけでもなさそうに見受ける。そう推測する根拠をふたつだけ例示しておく。

●例1:「胡雪岩外伝」(76頁)の場合
 台湾「晩清小説大系」本が掲載されている。
 説明には『中国古代小説百科全書』による、とある。発行所と発行年などの基礎事実だから、関連部分のみを原文のままにかかげることにしよう。

光緒29年(1903)(明治36年)日本東京愛美社排印、封面題《胡雪岩》

 簡潔で充分な記述だ。基本事実だからこれ以上書きようもないか。では、拠ったもとの文章は、どう書かれているのか。同文だという予想をすることはできるが、念のためだ、確認しておこう。
 『中国古代小説百科全書』175頁に見える該当項目は、林薇の執筆で、

光緒二十九年(1903)日本東京愛美社排印本、封面題《胡雪岩》

と書かれている。発行年を光緒二十九年、東京愛美社とするところに変わりはない。異同箇所といえば、『シンガポール書目』は、発行年に「明治36年」をつけ加えている。ただ、これがどこからきたのかについての説明はない。
 では、資料を最近のものからさかのぼってみよう。

○陳鳴樹主編『二十世紀中国文学大典
(1897-1929)』上海教育出版社1994.12
 訳文1903年同年の項目に配列し、

[大典62]訳者不祥、東京愛美排印社刊

とする([]内は略号。数字は頁数。以下同じ)。訳文に分類するのは誤り。原書が訳書のように装っていることは、すでに明らかにされているのだが。発行年の1903年はそのまま。東京愛美排印社とした部分が異なる。何を根拠としたのか推測すれば、これより以前の『中国通俗小説総目提要』に東京愛美社排印本とあるのを見誤ったのかとも思う。
 『二十世紀中国文学大典(1897-1929)』には、誤植がかなり見られる。この場合も注意を要する箇所であろうか。
 大型出版物を見てみよう。
○馬良春、李福田総主編『中国文学大辞典』全8巻 天津人民出版社1991.10
 該当項目は、裴效維の執筆になる。

[大辞4191]愛美社(日本東京)光緒二十九年(1903)初版鉛印本、平装1冊

 発行所を愛美社とし、発行年を光緒二十九年と書くのはそのままだ。「平装1冊」とあるのだから原物を見ているのだろうと想像できる。
 さらに過去に引き返し、専門の総目録といえば、つぎにあげる総目提要だ。
○江蘇省社会科学院明清小説研究中心『中国通俗小説総目提要』北京・中国文聯出版公司1990.2
 ここにおいて張守謙は、

[提要896]光緒二十九年(1903)日本東京愛美社排印本、封面題“胡雪岩”

と書く。東京愛美社、光緒二十九年とするのは同じ。表紙に「胡雪岩」と記述するのがこの時点で新しい。原本を見ている、あるいは、阿英編『晩清文学叢鈔』小説四巻(上下冊 北京・中華書局1961.4)に書影が収録されているのを知っているからだろう(ただし、1982.10北京第2次印刷本では書影を省略する)。
 そうしてたどり着くのが、阿英の例の小説目だ。
○阿英「晩清小説目」『晩清戯曲小説目』上海文芸聯合出版社1954.8/増補版 上海・古典文学出版社1957.9
 いうまでもなく清末小説に関しては、中国において権威を持つ目録だとしかいいようがない。

[阿英83]光緒二十九年(一九〇三)愛美社刊

 『晩清文学叢鈔』小説四巻という作品集に書影を飾るくらいだから阿英は原物を所蔵している。その彼が「愛美社」と記録しているのだ。以後の目録、解説が、すべて「愛美社」としているのは不思議ではない。しかし、これには「明治36年」という語句は存在していないことに気づく。
 では、『シンガポール書目』に見える「明治36年」は何にもとづいたものか。阿英より以降の中国の文献に「明治36年」を記載したものはないことは上に見てきた通りである。
 出典だと思われるのが、『新編清末民初小説目録』だ。これには、

X1285 雪岩外伝 (日)大橋式羽著 東京・愛善社 光緒29.5 明治36.6(1903) 封面題:胡雪岩

とある。「明治36年」を記載するのはこの目録しか存在ない。ということは、『シンガポール書目』は、発行年について『新編清末民初小説目録』を参考にしたことがわかる。
 『新編清末民初小説目録』には、もうひとつほかの目録とは異なる記述をしている箇所がある。発行所の「愛美社とあるのは誤り」というのだ。阿英に始まる「愛美社」は間違いで「愛善社」が正しい、と指摘する。『シンガポール書目』は、「明治36年」は採用し、「愛善社」は不採用にした。無理もない。「愛善社」とする目録、解説は、列挙された参考資料のなかでは、『新編清末民初小説目録』以外にはないからだ。
 だが、書誌は、多数決ではない。「善」と「美」の一字違いではあるが、誤りは誤りである。該書についての『新編清末民初小説目録』の記述は、原物で確認した上で書かれている。
 『新編清末民初小説目録』が唯一の正解を提出していると考えるならば、これも正しくない。中国には、厳密な研究の蓄積がある。いまさら言うまでもない。ほとんど60年も前に、正しく記述する目録があることを知っている。
○墨者「稀見清末小説目」『学術』第1輯 1940.2
 関係部分だけを抜き出す。

[墨者36]光緒二十九年(一九〇三)東京愛善社排印本

 原本の記載のままに書かれていることがわかる。こうでなければならないのだ。
 近くの例をあげるなら、王継権主編『中国歴代小説辞典』第4巻近代(昆明・雲南人民出版社1993.3)がある。該当項目にも、東京愛善社出版(164頁。姚宏強執筆)と正確に書かれていることを指摘しておく。
 次の例は、目録を作成する場合のひとつの参考になるかもしれない。

●例2:「生生袋」(186頁)の場合
 こちらも台湾「晩清小説大系」本を収録し、その著者を「(清)克明著」とする。
 さらに、次のような説明をしている。翻訳して示す。

……『中国古代小説百科全書』および『中国通俗小説総目提要』は、この小説集とこれに収録する14の物語についていずれも記載がない。『清末民初小説目録』によると本書は、はじめ『繍像小説』49-52期(1905.5(?)-6(?))に掲載されたことがわかる。ただし、該書は「作者」を「支明」と誤る(原文:但該書“作者”誤作“支明”)。

 『中国古代小説百科全書』と『中国通俗小説総目提要』にこの作品の記載がないと指摘する部分は、よろしい。その説明のままであるからだ。解説文に見える『清末民初小説目録』は、当然『新編清末民初小説目録』のことだろう。参考にしたのも別に問題ではないし、作品の初出が『繍像小説』であることに言及するのも親切だ。
 問題は、「該書は「作者」を「支明」と誤る」とつけ加えて記述している箇所である。
 文脈からしてここでいう「該書」は、『新編清末民初小説目録』を指している。
 台湾「晩清小説大系」本の著者を「克明」としたままでいるところからも、初出の『繍像小説』も「克明」という署名であると執筆者は考えているのだろう。つまり、『新編清末民初小説目録』が明記しているような「支明」が著者であるわけがないと思っているからこその「該書は「作者」を「支明」と誤る」という文章なのだ。
 たしかに、台湾「晩清小説大系」本では「生生袋」の著者を「克明」と表示している。
 首をヒネルのは、初出誌として『繍像小説』を挙げたのならば、その『繍像小説』そのものを見なかったのだろうか、と疑問に思うからだ。『繍像小説』の原本は所蔵する公共機関がほとんどないから参照するのはむつかしいにしても、上海書店から影印本が出版されている。こちらは誰でも利用できる。それを見るだけで、台湾「晩清小説大系」本の「克明」が間違っているのか、『新編清末民初小説目録』の記述「支明」が正しいのか、すぐに判明することなのだ。いうまでもなく『新編清末民初小説目録』の記述「支明」が正しい。
 『繍像小説』を見ることができなければ、「該書は「作者」を「支明」と誤る」と書いてはならないはずなのだ。
 記述の違いに気づいて、どうしても何か書きたいというのであれば、どちらが正しいのかの判断はしない書き方がいくらでもある。
 間違った解説を読まされるくらいなら、いっそのこと、余分な解説、説明など一切しない純粋な書目の方がよほど役立つ、ということになりかねない。
 自戒としてあえて書いておく。
 正誤表を別に掲げる。確認の努力はしている。しかし、誤りである、という指摘が誤る可能性を否定できない。
 そもそも、目録の訂正など、表立ってそれほど頻繁に行なわれることはないように思われる。誰しもが利用しながら、気づいた人は訂正するにしても、自分の目録に朱を入れることで充分の場合が多いからだろう。あえて正誤表を公表するのは、有用な工具書だからこそ多くの人に使用してもらいたいし、その際、できるだけ原物のままの記述を目にしてほしいという希望を持っているからだ。

『シンガポール書目』清末小説部分正誤表

頁 行  誤 → 正
1左 1愛苓小伝 → 愛〓小伝
19左31光緒34年,1908 → 宣統元年, 1909
24右 5羽衣士 → 羽衣女士
25左 1夏普 → 羅普
29右451904年5月 → 1904年6月
33左33光緒32年12月(1907年1月)
 → 光緒32年11月(1906年12月)
35左 1発財秘笈 → 発財秘訣
43右36負曝閑談評者 → 負曝閑談評考
44左 7一士評考 → 徐一士評考
45右24孤鬼記 → 孤児記
49右28明清小説大系 → 晩清小説大系
49右351986年 → 1956年
57右37春花記 → 看花記
76左26東京愛美社 → 東京愛善社
103左19九命奇案 → 九命奇冤
103左31上海啓智書局 → 上海広智書局
103右18九命奇案 → 九命奇冤
132右25(1911) → (1912)
154右48(1813) → (1893)
186左44克明 → 支明
186右 5該書“作者”誤作“支明” → 錯
216左18晩清文学叢抄 → 晩清文学叢鈔
255右18光緒丁末(1907.1) → 光緒 丁未(1908.1)
255右34、39、40 雁叟 → 〓叟
256右11愛美社 → 愛善社
284右311960年5月1日版 → 1960年5 月1版