鱒 澤 彰 夫 氏 へ


樽 本 照 雄




 樽本照雄が発表した論文(『清末小説』第21号1998.12.1)に関して、鱒澤彰夫氏は、「『清末小説 21』所載の樽本照雄「商務印書館のライバル――中国図書公司の場合」における記述について」(『清末小説から』第53号1999.4.1)を公表した。
 鱒澤彰夫氏が主として問題にするのは、樽本照雄の次の語句である。
 すなわち、「あれからほとんど20年が経過しようとしている。上にみる私の文章が問題にされようとは思わなかった。別の角度からいえば、人の注目を引いたことがうれしいような気もするが」という3行だ。
 鱒澤彰夫氏は、この3行は、「自分の文章に時間的旧さを装わせ、それを20年後の今ごろ穿り出す人物として鱒澤彰夫をマイナスに位置付けたもの」だと書く。
 さらに、鱒澤彰夫氏は、「この3行の措辞は、事実に反した、反論の内実とは全く無縁の、樽本照雄先生が読者に対してご自分の有利さを印象づけるための心理的論争テクニック、つまりは、コケオドシの詐術表現であります」と樽本照雄を批判する。
 鱒澤彰夫氏の結論は、「この大論を大著に加えてご出版なさるときは、大論全体には全く無用で嘘っぱちなこの3行を削除するか訂正するか、或いは、この一文を注記するか併載するか、いずれかの処置を採って戴きたく存じます」という要求になる。
 樽本照雄が書いたあの3行について説明しよう。
 日本において商務印書館を研究する論文は、それほど多くない。最近でもあまり見かけない。ましてや中国図書公司に関して述べる最近の文章は、私は、ほとんど読んだことがない。ゆえに鱒澤彰夫氏の文章は、珍しいと感じた。鱒澤彰夫氏は、文中で樽本照雄の論文を問題にしているから、なおさら興味深かった。もともと清末の分野に注目する人は、少ない。ようやく商務印書館を研究する人が出てきたのか、という感慨を持ったからそのことを率直に書いたのがあの3行である。それだけの文章にすぎない。鱒澤彰夫氏を「マイナスに位置付けたもの」であろうはずがない。
 鱒澤彰夫氏は、「このような措辞は必要なものなのでしょうか」と問う。樽本照雄は、必要であろうとなかろうと書きたいように論文を書いており、それこそが樽本照雄のやり方であると答えておく。
 さて、鱒澤彰夫氏は、「この3行の措辞は、事実に反した」と書いているのだが、これが成り立たないことを述べよう。
 樽本照雄は、20年前の論文と書き「時間的旧さを装わせ」ているが、「今も売りに出している『清末小説閑談』に収録され、否定もされて」こなかったではないか、と鱒澤彰夫氏は批判してみせる。だから、「この3行の措辞は、事実に反した」ものだと断定することになる。
 お待ちください。
 樽本照雄は、20年前の自分の論文を否定したか。鱒澤彰夫氏も書いているように「否定されてこられなかった」。当然である。樽本照雄は、否定などしてはいない。20年前であろうがなかろうが正しいと判断した結果については、変更をするはずがない。
 鱒澤彰夫氏は、古い論文を取り上げることがあたかも悪いことのように考えているらしい。だからこそ「時間的旧さを装わせ」などという言葉になるのだろう。
 ところが、樽本照雄は、20年前どころか、50年前の文章であろうが、たとえ100年前の文献であったとしても、必要があれば掘り起こして問題にし検討してきている。これこそが研究だと考えているからだ。20年前の論文を取り上げることが悪いという思考法そのものがない。ゆえに、鱒澤彰夫氏が書くような「時間的旧さを装わせ」る必要は、ない。
 鱒澤彰夫氏の樽本照雄に対する批判は、「自分の文章に時間的旧さを装わせ、それを20年後の今ごろ穿り出す人物として鱒澤彰夫をマイナスに位置付けたもの」という部分から生じている。だが、これは鱒澤彰夫氏の根拠のない想像である。
 あの3行を読んで、鱒澤彰夫氏を「マイナスに位置付けたもの」と考える人は、ただひとりの例外を除いてはこの世に存在しないだろう。樽本照雄に「鱒澤彰夫をマイナスに位置付け」る考えがもともとないのだから、「鱒澤彰夫をマイナスに位置付け」ている唯一の例外とは、鱒澤彰夫氏自身しかありえない。他人を「マイナスに位置付け」るためにはいかにすべきか、「自分の有利さを印象づけるための心理的論争テクニック、つまりは、コケオドシの詐術表現」について常日頃から考えている人でなければ発想できないたぐいの表現であり、それはまさに当事者、すなわち鱒澤彰夫氏にしかわからない心理でもあるからだ。
 鱒澤彰夫氏の樽本照雄批判は、「鱒澤彰夫をマイナスに位置付けた」という被害妄想に端を発しており、同時に、樽本照雄を批判するために並べた「心理的論争テクニック」「コケオドシの詐術表現」「嘘っぱちな」表現すべては、鱒澤彰夫氏自らを指し示している。
 「事実に反した」「嘘っぱちな」ことを書いているのは、鱒澤彰夫氏にほかならないことを述べれば充分だろう。
 鱒澤彰夫氏の文章は、鱒澤彰夫氏が被害妄想によって樽本照雄を批判した人間であることを日本のみならず全世界へ、それも「代々に」わたって知らせることになった。これこそ鱒澤彰夫氏ご本人が、強く望んだ結果なのである。