『清末小説 21』所載の樽本照雄「商務印書館のライバル――中国図書公司の場合」における記述について

鱒 澤 彰 夫




 中国図書公司は商務印書館の日中合弁という秘密暴露にその登場の意味があった。だから、中国図書公司を商務印書館のライバルの一つとする位置付けでは認識不足である。この秘密暴露を有力な武器の一つにし、中華民国成立に適合したタイミングとネイミングの中華書局の登場により、商務印書館は日中合弁の解消を決定した。それゆえ、中国図書公司の登場は商務印書館の日中合弁解消の契機というべきものである。以上が「『官話指南』、そして商務印書館の日中合辧解消」(早稲田大学中国文学会『中国文学研究』第23期1997年12月刊行所収)での鱒澤彰夫の論点です。張謇はその秘密を流した者という位置付けです。樽本照雄先生はそう読むべき入り口で引き返し、反論を展開されておられます。利権回収運動は、それに係わる商人たちにとっては為にする運動で、自分の商売のためになら何でも利用するのは世の習いというものです。当然に自分のことは棚におきます。商務印書館も商売人ですから損得勘定を優先させるのは自然で、日中合弁の決定と解消は自分のタイムテーブルに合わせ、商売の原則により状況判断して決めたものと考えられます。ですから、樽本照雄先生の指摘する解消決定までの時間的なズレの問題は、二次的な問題です。また、p63で書かれている商務印書館の中国図書公司への対応の仕方も、真にヤバイ相手と判断したからこそ侮らずに「必死の対抗策をとった」のだと考えられます。
 ところで、p47の「外交史料」という紹介は「外務省外交史料館所蔵史料」と正確に紹介すべきです。厳密な実証を旨とする樽本照雄先生らしからぬ不正確な紹介です。
 さて、鱒澤彰夫が問題とするのは、p45冒頭の3行の措辞です。はじめに、この措辞は文章構成から見ると、「3 鱒澤彰夫説」の小題の直ぐ下に置きその枕とし、さらには、その後に続く「鱒澤彰夫説」への反論全体の枕の役割を果たしております。そして、この3行を内容から見ると、「あれからほとんど20年が経過しようとしている。」と時間の長さを冒頭におき強調し、「上にみる私の文章が問題にされようとは思わなかった。」と続け、「別の角度からいえば、人の注目を引いたことがうれしい」と終わらせたのではなく、「別の角度からいえば、人の注目を引いたことがうれしいような気もするが。」と終わらせております。つまり、この3行の措辞は、樽本照雄先生がご自分の文章に時間的旧さを装わせ、それを20年後の今ごろ穿り出す人物として鱒澤彰夫をマイナスに位置付けたものであります。学説上(「学説上」に値するかどうかは別にして、樽本照雄先生の文体と使用語彙から、ここでの言葉としてはピッタリなので使いました)の反論に、このような措辞は必要なものなのでしょうか。樽本照雄先生のお説は、ご自分がこれまで否定なさらなかったし、現在も肯定なされている現役のお説です。そして、鱒澤彰夫の論の典拠は、残念ながら樽本照雄先生の「20年が経過しようとしている」初出雑誌からのものではなく、1983年9月20日刊『清末小説閑談』です。そのうえ、件の『清末小説閑談』が絶版で入手しにくいものかというとそうではなく、正にこの同じ『清末小説 21』ウラ表紙上に広告掲載されているのであります。つまり、樽本照雄先生ご自身が絶版にすることを要求せずに今も売りに出している『清末小説閑談』に収載され、否定もされてこられなかったこのお説は、「20年が経過しようとしている」かどうかには無関係で、また、「20年が経過しようとしている」過去のものではなく、それどころか「20年が経過しようとしている」今まさに、現に樽本照雄先生ご自身が「注目」されることを望み、ご自身もこれを生かしておられるものなのであります。ですから、この3行の措辞は、事実に反した、反論の内実とは全く無縁の、樽本照雄先生が読者に対してご自分の有利さを印象づけるための心理的論争テクニック、つまりは、コケオドシの詐術表現であります。とはいえ、『清末小説 21』上では上述の如く底がすぐに割れることなので幸いでありました。しかし、この「商務印書館のライバル――中国図書公司の場合」が一書の一論となったときには、底がすぐには割れぬばかりか、代々に誤解を与え続けることになります。それでは鱒澤彰夫は大変困りますので、樽本照雄先生がこの大論を大著に加えてご出版なさるときは、大論全体には全く無用で嘘っぱちなこの3行を削除するか訂正するか、或いは、この一文を注記するか併載するか、いずれかの処置を採って戴きたく存じます。
1998年12月22日