漢訳ドイル「荒磯」物語
――山縣五十雄、周作人、劉延陵らの訳業
樽本照雄
本稿の表題を「「荒磯」物語」としたのは、コナン・ドイルの原作が最初の日訳と最初の漢訳にされた時、どちらもが「荒磯」と題しているからである。
ドイルの英文原作は、023“The Man from Archangel アーカンジェルからの男”(London Society 1885.1)という。のち、『ロンドン・ソサエティ』に掲載した作品を主として集めて“Mysteries and Adventures”1889が刊行されたが、これに収録されている。
目録を見れば、7種類の日本語翻訳がある*1。漢訳は、2種類が発表された。本稿の目的は、この作品の最初の日訳と、漢訳2種類を比較検討することだ。
1 最初の日訳
「アーカンジェルからの男」の日訳は、最初、エー、コーナン、ドイル氏、山縣螽湖訳「荒磯」と題して『反省雑誌』第13年第1-2号(1898.1.1-2.1)に発表された。のちに単行本になったのが、コナン、ドイル原著、山縣五十雄訳註『荒磯』(内外出版協会、言文社1901.11.29)だ。
単行本の表紙には「英文学研究第貳冊」と示されており叢書だとわかる。「はしがき」は叢書についての説明だし、「読者諸君へ」とともに編集者の言葉である。
本書の構成は、英語学習書の体裁をとる。すなわち、巻末から逆に数えて横組みページがある。英文原作を掲げ、ドイルの略伝を紹介し、「註釈」を配列する。縦組み部分が翻訳で、その署名は、螽湖生訳である。
ドイル略伝に、彼の小説についての発言を紹介している。これに注目しておきたい。
「甞て人あり、Doyle に問ふに其小説に於ける主義を以てす。Doyle 答へて曰く、小説の目的は主として娯楽を与ふるに在り、所謂理想派又は写実派の如きは余の深く関心する所に非ず、余は唯余の小説を面白くせんとを志すのみと。彼は此主義を以て其小説を編む、故に彼の小説は理想派の小説の高遠落漠として雲を捉むが如きものあるの弊もなく、又写実派の小説のあまりに平凡無味にして倦怠を来たさしむるものあるの癖もなく、始より終り迄唯面白く楽しくして実に巻を措く能はざらしむ」(19-20頁)
少し長く引用したのは、このなかの一部の語句が、周作人の手になる漢訳の説明部分に見られるからである。
2 漢訳2種類
漢訳2種類は、以下の通り。
1.(英)陶爾、萍雲(周作人)訳述「(恋愛奇談)荒磯」『女子世界』2年2-3期(14-15期)刊年不記[乙巳(1905)]
2.(劉)延陵「哲学家言(柯南達利山窗砕墨之一)」『小説月報』9巻3号 1918.3.25
両者の間には、13年間の時間の隔たりがある。発表についていえば、前者は清朝末期だし、後者は中華民国初期だ。辛亥革命をはさんで、それぞれの時代に同じドイルの作品が漢訳されている。両者を比較検討することにより、翻訳の質に変化があるのかどうかも見たい。
2-1 周作人の漢訳
1902年、周作人は、兄・周樹人(魯迅)が日本に留学するのを見送った。彼は、その後も南京の江南水師学堂で学生生活を続ける。日本にいる魯迅から周作人にあてて、当時、東京で入手できた中国語の雑誌『清議報』『新小説』『新民叢報』『訳書彙編』『浙江潮』などが郵送で、あるいは知人に託されて届けられた。
在学中の1904年ころから、周作人は翻訳を始めたようだ。アラビアン・ナイトからアリ・ババと四十人の盗賊を「侠女奴」と題して『女子世界』第8-12期(甲辰七月初一日(1904.8.11)-刊年不記))に女性名の筆名で連載したのがそれだ。単行本が、小説林社(光緒乙巳1905。初出未見。丙午1906年三月再版)より刊行されてもいる。そのほか、ポー EDGAR ALLAN POE の“THE GOLD-BUG”1843 を漢訳した『玉虫縁』(小説林社1905。初出未見。丙午1906年四月再版)がある。周作人が、日本に留学するまえの仕事だ*2。
ドイルの「荒磯」は、このころの翻訳のひとつということになる。「恋愛奇談」と角書がある。
周作人の漢訳「荒磯」について言及する文章は、少ない。原資料ともいうべき『周作人日記』の1904-1905年に欠落が多いため、それを翻訳していたであろうころの情況がわからなくなっている。
周作人は、ドイルの作品を漢訳する際、何に拠ったのか。原本が特定できれば、する必要がある。初出雑誌の『ロンドン・ソサエティ』掲載のものか、あるいは単行本“Mysteries and Adventures”所収のものか。
その手掛かりは、漢訳につけられた周作人の「咐言」の中にある。
「咐言」において、原著者を明らかにして陶爾(Dayleママ)と書く。当然のことながら Doyle の誤植だ。原著者がホームズ(福爾摩斯全案)で有名であることを、忘れずに付け加える。それだけで当時の読者は、理解したことだろう。続けて、「本作品は、原名をアーカンジェルからの男という。日訳では荒磯とする。今、それに従う。訳者は日訳を読むことができないので、原本から訳出する。(此文本名 The Man Oromママ Achengleママ 。日訳易曰荒磯。今仍之。訳者未能読日訳。従原本述出)」と説明している。
原題の英文綴りが間違うのは、植字段階での誤植だろう。問題は、次の箇所だ。
「(ドイル)氏の著作は、もともとおもしろいので有名だ。小説を書く時、理想派のような高邁でもの寂しいものを好まないし、また、写実派のような平凡無味なのも好まない。だから、書くものはすべてめずらしくおもしろいのだ(先生著作、素以有趣味聞。彼作小説、不喜如理想派之高遠落漠、亦不如写実派之平凡無味。故凡所作、皆奇趣可喜)」
日訳のドイル小伝に見られる語句のうち「理想派」「高遠落漠」「写実派」「平凡無味」が、共通していることに気づく。
つまり、周作人は、日訳『荒磯』からある一部分を、直接、引用しているという結論になる。これが意味していることは、ただひとつだ。周作人が拠った英文原作は、日訳『荒磯』にほかならない。
周作人が「咐言」において、「訳者は日訳を読むことができないので、原本から訳出する」と書いたのは、『荒磯』が日本で発行されたことを聞いただけで、該本を入手できないから「読むことができない」という意味ではない。日訳『荒磯』は入手して手元にあるが、日訳部分は日本語を学習していないから「読むことができない」、この日訳『荒磯』に収録されている英文「原本」に基づいて漢訳するということなのである。
前出『玉虫縁』の原作について、周作人は次のように回想している。
「有篇「玉虫縁」的原文係依拠日本山縣五十雄的訳註本、係是他所編的「英文学研究」的一冊、題目是「掘宝」」*3
日本語に翻訳するまでもないから、このままにしておく。山縣五十雄訳註『宝ほり』(英文学研究第四冊 言文社1902.7)によって漢訳したとはっきり述べている。『荒磯』と同じく、言文社の英文学研究シリーズの中の1冊なのだ。
事実、周作人自身が次のようにも回想している。
「『天方夜談』1冊、大型の『ユゴー』選集8冊、日本で編印した『英文小叢書』、その中のアラン・ポーの『黄金虫』、すなわち『玉虫縁』の底本、『侠女奴』すなわち『天方夜談』からのものなどを覚えているだけだ」*4
回想だから記憶違いがある。ここでいう『英文小叢書』とは、『英文学研究』シリーズのことだ、とすぐわかる。魯迅が、弟・周作人の英語学習に役立つようにと日本で購入して送ったものだろう。
2-2 劉延陵の漢訳
劉延陵(1894-?)江蘇南通の人(一説に泰興の人)。字は蘇観、筆名に言林、逸岑、延陵、Y.L.など*5。
作品に副題がついていて「柯南達利山窗砕墨之一」と見える。ここからわかるようにシリーズものだ。ほかに2作品の漢訳が、同じ『小説月報』に掲載されている。参考までに題名などを以下に示す。
(劉)延陵「迷宮(柯南達利山窗砕墨之二)」119 The New Catacomb /Burger's Secret 『小説月報』9巻3号 1918.3.25
(劉)延陵訳「海中宝箱(柯南達利山窗砕墨之三)」117 The Striped Chest 『小説月報』9巻8号 1918.8.25
3 英文原作、日訳と漢訳
作品書き出しについて、日訳と漢訳2種類をならべてみよう。
On the fourth day of March, in the year 1867, I being at that time in my five-and-twentieth year, I wrote down the following words in my note-book―the result of much mental perturbation and conflict:
【山縣】一千八百六十七年の三月四日、余は生年二十五歳なりし時、久しく心を悩まし思を苦めたる後、得たる所を我覚え帳に記して曰く、
【周作人】一千八百六十七年、三月四日、予時年二十五、索居寡黙、曠観多感、歎塵縁之滓我、常作出世想、心殊鬱鬱、不能自広。時於手帳中紀録一則云。(1867年3月4日、私はその時25歳で、寂しくくらし寡黙であったが、思うところは多く、世俗の因縁が自分を汚すのを嘆き、いつも出家することを考え、心は鬱うつとして、のびのびすることができなかった。その時、手帳に次のように記録したのだった)
【劉延陵】一九一五年三月二十日、吾正二十五歳。因記下文於日記中。(1915年3月20日、私はちょうと25歳だった。日記につぎのように書いた)
日訳が、英文原作に忠実なのに比較すれば、周作人訳も劉延陵訳も、少しはずれる。
mental perturbation and conflict は、精神的な混乱と葛藤という意味だ。それを周作人は、言葉を補って説明した。一方の劉延陵は、1867年を1915年に書き換えたうえに精神的なことは省略してしまった。1915年に変更したのは、『小説月報』での掲載が1918年だからかと考える。だが、なぜ1915年でなければならないのか理解に苦しむ。
物語の主人公は、ジョン・マクヴィッティー John M'Vittie という。弁護士だった。25歳の時、手帳に記録した内容には、難解な表現が見られる。その一部を示す。
Of these one of the smallest and most insignificant is that conglomeration of solid and of liquid particles
【山縣】此等諸円体中に於て最小最微の一、液体と固体と集合して一塊となりたる者
【周作人】此中之一、其為体也、最小最微、為固体与液体集合而成。(その中のひとつは、立体で、最小最微であり、固体と液体が集合してできた)
【劉延陵】球之最小最不重要者、乃液体固体合成之堅塊。(球の最も小さく最も無価値のものは、液体と固体が合わさってできた堅いかたまりである)
地球について説明している。most insignificant は、最も無価値という意味だ。ここに主人公の考えが、反映している。それを山縣と周作人がそろって「最微」とするのは、原文からズレてしまう。この点、劉延陵が正確だ。
Upon the outer crust of this moving mass crawl many mites, of whom I, John M'Vittie, am one, helpless, impotent, being dragged aimlessly through space.
【山縣】此動きて止むことなき団塊の外皮に、無能無力、蛆虫の如き者幾億万蠢動し、何の目的もなく、徒らに空間に拉〓手止}れ行く。余ジヨン、マクヴィッチー亦此等蛆虫の一なり。
【周作人】外皮凸凹、厥名山川。有億万蛆蟲類之微生、蠢動其上。無能、無力、無目的、無秩序。徒是蝟蠕牽引。其名曰人間世。我約翰麦微汀、亦此等蛆蟲之一也。(外皮はデコボコで、それを山川という。億万のうじ虫のような小さな生き物が、その上でうごめいている。無能無力、目的も秩序もない。むだに集まりうごめいてひっぱる。それを人間界という。私、ジョン・マクヴィッティーは、これらうじ虫のひとつだ)
【劉延陵】有〓虫主}蟲無数、蠕蠕動於其上(其一即吾約翰飛蒂)無助無能、盲然為之〓手曳}於空中。(ごくつぶしが無数に、その上をうごめいている(そのなかのひとつが、私、ジョン・マクヴィッティーである)。無力無能で、盲目的に空間にひっぱられていく)
人間を説明している。辞書的にいえば、mite はダニだ。ウジは、maggot という。だから、山縣が訳した「蛆虫」は、原文からはずれる。周作人は、山縣の訳文に引かれたと考えられる。つまり、周作人は、日訳を参照して、といってもまだ日本語を理解していないということだから、日訳の漢字だけを拾い読みして漢訳したということだ。また、ここでも原文を離れて説明しすぎる。
劉延陵が漢訳した「〓虫主}蟲」は、シミの類だから「ごくつぶし」とした。比較すれば、劉延陵がやや正確だといえる。
という調子で難解な用語を使用している。というのも、ドイルが、難しく考える人間に主人公を設定しているということだ。結局のところ自分というものを、山縣訳によれば「吾人は斯の如く憫笑すべきの愚物のみ miserable entity as I am」と規定する。実は、のちにジョンの信奉する主義が、世をすねた冷笑主義 cynicism であることが明らかにされる(後述)。だが、この部分だけを見て簡単にいえば、自分を含めて人間を冷笑するのだから、厭人主義、厭世主義だ。この「みじめな実在」部分を、周作人も劉延陵も漢訳しないのは、手落ちである。
冷笑主義にとりつかれていたジョンに、叔父の財産が入ってきた。北方の土地と一生を安楽に暮らすことのできる金額である。彼は、さっさと職を投げ捨て、哲学の書物と科学の機器を購入して譲り受けた北方の地に引っ越した。この経緯を劉延陵の漢訳は、省略する。
3-1 マンジーの狂人
スコットランド北東部のケイスネス Caithness の辺鄙なマンジーの海岸 Mansie Bay(【周作人】曼水【劉延陵】曼西)に、もとからあった石造りの家屋を修繕して、ジョンは、哲学と科学の研究に没頭するのだった。地元の住民とは交際をしないから、世捨て人の生活をするというわけだ。といっても、身の回りの世話をする老婆は雇っている。
ジョンがやっているという哲学研究の内容を例に見てみる。
At night I read Bacon, Descartes, Spinoza, Kant−all those who have pried into what is unknowable. They are all fruitless and empty, barren of result, but prodigal of polysyllables, reminding me of men who, while digging for gold, have turned up many worms, and then exhibit them exultantly as being what they sought.
【山縣】夜は灯火にベーコン、デカート、スピノーザ、カント等不可知の事を探求せし古人の書を渉読したるが、此等の所謂哲学家なる者の遺書は、一も実効の挙れる者なく、空々漠々、唯難渋の文字に富むのみにして、毫も得る所なく、恰かも黄金を掘出さんとするものが、土虫を多く掘り出して、これぞ求むる所の物なれと得々として誇るがごとし。
【周作人】入夜則燃灯静坐。読排康、代加士ママ司畢那然康徳諸大家之文。此等所謂哲学者之遺書、雖不無至理名言、而空漠無涯、終鮮実際、唯餘満紙艱渋之文字。殆如荒山掘金、黄金不可得、反拾得許多之土虫、聊以誇所得之富而已。(夜になれば灯火のもとに静かに座り、ベーコン、デカルト、スピノザ、カントの諸大家の文章を読んだ。これらのいわゆる哲学者の遺書は、まことにもっともな名言でないものはなかったが、しかしはてもなく空漠で実際に乏しく、ただ難解な文字だけがあふれているだけだ。山で金を掘っているのに、黄金は得ることができず、かえって多くの土虫を手に入れて、それで得たものが多いと誇っているようなものだった)
【劉延陵】夜治哲学、読倍根戴〓ka斯萍那康徳諸家之書、覚其空言寡得、而富僻字、正如掘金得〓虫主}者、陳設無数〓虫主}蟲、以為掘金之成績。(夜は哲学を勉強し、ベーコン、デカルト、スピノザ、カントら諸家の書を読んだが、そらごとばかりで得るところは少なく、使われぬ言葉ばかりで、まったく、金を掘っているのにごくつぶしを手に入れ、その無数のごくつぶしを並べて、金を掘った成果だと考えているかのようだった)
英文には、灯火は出てこない。遺書もない。しかし、周作人の漢訳には、灯火があり、遺書と土虫が日訳と共通する。ここからも、周作人は、山縣が翻訳に使用した単語を引っ張ってきて漢訳に使用していることがわかる。
心乱れて、休まず食べず、きたない格好をしてうろつき回るものだから、ついには地元の人々からスコットランドなまりで「マンジーの狂人 mad laird o' Mansie(【周作人】曼水狂夫【劉延陵】曼西之瘋人)」と呼ばれることになる。
周作人の漢訳に省略する箇所がある。
What companion is there like the great restless, throbbing sea? ……
【山縣】世間豈に動いて止まざる大海に比ぶべき伴侶あらんや。……
【周作人】省略する。
【劉延陵】人之好友、孰若跳動不息之海。……(人のよき友は、躍動して休むことのない海に及びがつくものがあろうか。……)
海こそが、最良の友であるという大海讃歌の部分を、周作人は、なぜだか省略してしまった。また、居住して2年になる、という原文を、周作人は、「一年」に取り間違う。山縣、劉延陵ともに正しく2年にしているのに、不思議なことだ。いずれも、人を遠ざけて、思索と実験に明け暮れる奇人として、主人公・ジョンが語られる。
マンジー湾の遠くないところに暗礁があり、危険だった。
6月のある夜、それまで経験したことのない暴風雨に襲われる。
3-2 難破船――美少女の出現
翌朝3時、遭難船があるとたたき起こされた。
“Eh, maister, maister!”she screamed in her hateful dialect.“Come doun, mun; come doun! There's a muckle ship gaun ashore on the reef, and the puir folks are a' yammerin' and ca'in' for help−and I doobt they'll a' be drooned. Oh, Maister M`Vittie, come doun!”
使用人の老婆のセリフである。スコットランドなまりだから、英語の初学者にとって理解するのは簡単ではない。
【山縣】マツヂは憎むべき土音をもて叫びていふ『エ、旦那、旦那、下りておくんなさい、船が一艘岩に衝ッてぶつ壊れて、可哀さうに救けい舟救けい舟とわめいてます、そしてきつとおッ死にますべい、マクヴツイチーの旦那、下りておくんなさい』
山縣の本は、英語学習書だから注釈がついている。関係部分を下にあげてみる。数字は、原文の行数を示す。
197. maister. master の訛、旦那
198. come doun. come down の訛
198. mun. man の訛
199. gaun ashore. gone ashore の訛、岩に乗り上げた
199. puir. poor の訛
200. are a' yammering. all crying. 皆叫んで居る
200. ca'in.'. calling の訛
200. doobt. doubt の訛
201. a' be drooned. all be drowned の訛、皆溺れ死ぬる
以上の注釈を参照にしながら、周作人の訳を見よう。
【周作人】梅〓王其}自門外語、蘇格蘭土音磔磔可厭、大呼云。/密思〓心弋}!速下来!人!……彼處有一大船觸礁破、委沙磧、彼等皆呼号乞援。吾恐彼等皆将溺死。密思〓心戈}麦!速下来!……(マッジは、ドアの外からチッチッといういやらしいスコットランドなまりで、大声で叫ぶのだ。/ミスタ!早くおりてくだせい!おい!……あっちで大きな船が岩にあたって壊れて、捨てられておりますで、みんな助けてくれと叫んでいますで。溺れ死にするんじゃあるまいかと。ミスタ・マクヴィッティー!早くおりてくだせい!……)
英文では、方言とあるだけだ。周作人は、それがスコットランドなまりだとなぜ理解したかといえば、山縣が注釈の別のところでそう説明しているからだ。「/」印で示したのは改行である。周作人は、会話部分を改行1字サゲして地の文と区別している。
これほど詳しい注釈がついているにもかかわらず、また、日本語の翻訳があるにもかかわらず、周作人が勘違いをしている箇所がある。すなわち、「マスタ」とあるのを「ミスタ(密思〓心弋})」にする。たしかにミスタにも旦那という意味はあるが、やはりここは使用人が言うのだから、マスタだろう。
【劉延陵】媼怪鳴曰、先生速下。先生速下。有船擱灘。勢将沈没。船友正呼救也。(老女は、おかしな物言いでいう、旦那、早くおりてきて。船が中洲に引っ掛かって、沈没しそうだ。船員が助けを求めている)
劉延陵の漢訳は、そっけない。スコットランドなまりであるにもかかわらず、それほど大筋を外していないのがよろしい。英語の実力はあるように思える。
ジョンは、彼自身、冷笑主義の人嫌いでありたいと修練をつんでいた。哲学研究もその一端である。だから、人が遭難しようが、死のうが関係ないと怒鳴りかえす。ところが、まったく他人に興味を失ったわけではなかった。
On this occasion I found, however, that the old leaven still fermented strongly in my soul.
【山縣】然るに此時余は猶ほ全く人間界に超脱せざるを知りぬ。
【周作人】然終未能超脱人間世。(しかし、ついに人間界を超脱することができなかった)
【劉延陵】省略する。
「しかしながら、この時、魂のなかで古い酵母がまだ発酵を強力につづけていたことを私は発見した」というのが原文の意味だ。人間に対する未練が、ジョンの中では完全には失われていなかったことをいう。
山縣は、「人間界に超脱せざる」と意訳した。そう意訳するまでになるまでの根拠として、注釈につぎのように書いている。
218-219. the old leaven still fermented strongly in my soul. 在来の発酵物がまだ強く我精神中に沸きかへる(即ち在来の思想が猶我精神中に大に存して居る)
ここは重要な箇所だ。徹底して冷笑主義を貫いていたはずのジョンだったが、実は、心の底では冷笑主義者になりきれていなかったことを言う部分だからだ。
周作人は、山縣訳に拠っている。劉延陵がこの重要部分を省略するのは、間違いである。
さて、気になったジョンは、海岸まで足を運んだ。そこで目撃したのは、難破船上で男女の争うような場面だった。男は女を海中に放り投げる。これを見たジョンは、「人情が哲学に打ち勝った my manhood overcame my philosophy【山縣】余が人情は哲学に打勝ちつ【周作人】人世感情、已戦勝哲学(この世に対する感情が、哲学に打ち勝った)【劉延陵】省略する」
日ごろの哲学は横に置いておき、ジョンは、婦人を救助するために真っ暗な暴風雨のなかに小舟を出したのだ。
ジョンの主義を表わす言葉がここで出現する。cynicism である。世をすねた、冷笑主義だ。
I threw my cynicism to one side as a garment which I might don again at leisure, and I rushed wildly to my boat and my sculls.
【山縣】まヽよ哲学は又閑ある時の事とせん、今は小舟こそ必要なれと、狂気の如く走せ帰りぬ。
【周作人】平昔厭世之主義、棄置一旁、狂走而取舟楫。(平素の厭世主義はかたわらに投げ捨て、狂気のように走って舟の櫂を取った)
【劉延陵】乃棄消極悲観之哲学、而取船与〓将木}。(消極悲観哲学を投げ捨て、舟と櫂を取った)
山縣は、cynicismを「希臘の哲学者 Antisthenes の唱へたる学派にして人情の美を疑ひ道徳の妙を嘲り、総て悲観的に人世を観る哲学なり」と説明する。犬のような自由な生活を賛美するところから、日本語では、犬儒学派などという。だが、この場合は大文字で Cynicism と書くのが普通だ。小文字の cynicism とは区別しなければならない。注釈で説明した事柄は、語源はそうかもしれない。だが、小文字の普通名詞なのだから単に冷笑主義とするのがよいと考える。だから、山縣が、注釈とは異なり日訳では「哲学」にするのは、かえって正解に近くなる。周作人は、「厭世之主義」を採用、劉延陵は、「消極悲観之哲学」とした。
ジョン・マクヴィッティーは、弁護士をしていた。その彼が、なぜ、世をすねた冷笑主義、漢訳でいえば厭世主義、消極悲観哲学にとりつかれてしまったのか、説明はない。ドイル原作の弱い箇所でもある。
ともかく、婦人を救助して家に連れてかえれば、それは美貌の少女だった。あとで、名前がソーフィー・ラムージンだとわかる。言葉が通じない。また、海辺で拾った船の一部に「アーカンジェル Archangel(【山縣】アーチヤンジエル【周作人】愛倉格耳【劉延陵】亜琴)」と読めないはずの文字が書かれていた。
Archangel の読みは、日本語では表記の問題になる。いくつかある。石田幸太郎「アーケインジエル」、延原謙「アーケーンジェル」。尾崎紅葉は、「心中船」のなかで「アヽカンゲル」と表記している。どう読もうとも、場所は北ドビナ川の河口、白海に面した港町で、現在ロシアでいえばアルハンゲリスクになる。辞書を調べたところ「アーカンジェル」の方が適当かと思うのでそうする。
表題にもしているアーカンジェルではあるが、ドイル原作の不可解なところが出現する。
まず、ロシア文字で書かれているはずなのに、なぜ、ジョンは読むことができたのか。また、船名でもない地名のアーカンジェルが、木片に記されていたのも不思議だ。
ジョンが、いく通りもの発音で「アーカンジェル」と発音したが、少女は理解しなかった。ここも納得のいくようでそうでもない奇妙な箇所だ。なぜなら、ロシア語のアルハンゲリスクをアーカンジェルと発音したところで、少女が理解するはずがない。ここまでは、いい。だが、考えてみれば、木片にロシア文字でアーカンジェルと書かれているはずがないではないか。ロシア語ならばアルハンゲリスクだろう。原作の矛盾である。
さらに、少女は、英語を解さないはずなのに、自らの名前を Sophie Ramusine (【山縣】ソフィー、ラムージン【周作人】蘇菲簡模生【劉延陵】莎菲羅金)と書くのもおかしなことだ。だいいち、わざわざ筆記することもない。自分で発音してみれば、それですむことだ。
美しい少女と同居することになったジョンは、困惑を感じ始めた。少女があまりに魅力的で、気になってややもすれば勉学から注意がそれるからだ。一読者としての感想は、少女の出現で気持ちが浮つくなど、なんとも底の浅い冷笑主義だといわざるをえない。
そこへ男がひとり現われる。
3-3 アーカンジェルからの男
ジョンが海岸で出会ったのは、あの難破船にいた男だった。男は、愛するものを失い、自分が救助されたのを喜んでいない。ところが、ジョンから少女が助かって家にいると聞かされて、家に突進していく。あわてて追いかけてみれば、部屋では少女が男から逃げようと大声をあげているではないか。
男の名前は、アレキシス・ウールガネフ(Alexis Ourganeff【周作人】亜力山濠〓王干}尼夫【劉延陵】亜力山大烏鈕。アレクサンダーと誤解したか)、ロシアのアーカンジェルから来たという。少女は、自分の妻だとも。しかし、少女はいやがっているから、ジョンは男を追い返した。
その後、1ヵ月ばかりは何事も起こらなかった。少女は、いつのまにかジョンのそばにおり、実験をも手伝うまでになっている。ジョンは、努めて少女を無視しようとした。しかし、心情に変化が生じる。
By ignoring the fact of her being a human being, and looking upon her as a useful automatic machine, I accustomed myself to her presence so far as to miss her on the few occasions when she was not at her post.
【山縣】余は此少女を一個の人間とは思はず、便利なる自動器械と認めて、其常に余の傍に在るに慣れしかば、二三回其不在なりし時は何となく心淋しく感ずる迄に至れり。
【周作人】此少女雖為人類之一、然以予視之、不啻一極有用之自動器械。渠居予旁既久、毎見一度不在、輒令予記念。(少女は人間ではあったが、ごく有用な自動器械にすぎない、と私は見なした。彼女は、私のそばに長くいたため、いなくなれば、そのつど気になるのだった)
【劉延陵】吾視之如自動之機、不以為人。故見之而心不乱。(私は少女を自動機械と見なし、人とは考えなかった。ゆえに彼女に会っても心が乱れることはなかった)
ジョンは、不徹底な冷笑主義者にすぎない。というよりも、世をすねた冷笑主義者であるジョンを、さびしく思わせるほどの少女だったと考えるべきかもしれない。周作人は、原文に忠実に漢訳をしている。劉延陵は、原文とは反対の誤解を犯している。
実験中、化学式あるいは代数の記号を独り言でいう癖があったが、それを少女は記憶するのだ。それほど耳がよく、記憶力がすばらしかった。
The girl must have had a surprising memory for sounds, for she could always repeat the words which I let fall in this way, without, of course, understanding in the least what they meant.
【山縣】少女は音響について驚くべき記臆力を有せりと見え、余が独語を聞きて、直に之を暗記し、いふ迄もなく其何を意味するやは知らざれど、之を反覆して言ふことを得たり。
【周作人】少女聞之、雖不能解説而記之不忘。其記憶力之強大、寔為可驚。(少女はそれを聞いて、理解することはできなかったが記憶して忘れなかった。その記憶力の強さは、まことに驚くべきものだ)
【劉延陵】而女極敏。(娘はとても敏感だった)
劉延陵の漢訳は、省略部分が多い。
原文が論理的でない。少女は、化学式、代数の記号を聞いて覚えるほどの記憶力を持っていながら、1ヵ月以上も同居していて英語を理解しない。耳がよければ、英語を修得するのもはやいはずだ。これもドイル原作の不備な箇所である。
一見平穏な海辺の生活だったが、あのアーカンジェルから来た男は、少女をあきらめず、いつも監視していた。
ジョンは、男を憐れに思った。どんな女性にも好かれそうな男だのに、よりにもよって逃げ隠れするほど自分を嫌っている少女をなぜに好きになったのか。
and yet you must needs hanker after the one in a thousand who will have no traffic with you.
【山縣】而も汝は千中に一を選びて、汝を喜ばざる女子に切なる心を寄するの愚をなすや
【周作人】而汝乃偏欲千中選一、求此憎汝恨汝漠不相関之女子。此悪因縁、殊不可思議――咄咄!恋悪魔也!(しかもお前は千のなかの一を選んで、お前を憎み恨む、まったく関わりのない女性を求めているのだ。この悪因縁は、ことに不可思議だ――おお、恋の悪魔め!)
【劉延陵】何故必欲此女。(なぜ、この女性でなくてはならないのか)
周作人は、「此悪因縁、殊不可思議――咄咄!恋悪魔也!」を特別に付け加えた。「恋悪魔也」は、作品の最後にも、もう一度出てくる。
劉延陵の漢訳は、ここでも、やや簡略にすぎる。
ジョンは、ふたたび男と出会った。ここで、男の口からそれまでの経緯が説明される。
ウールガネフは、フィンランド人の船員だった。山縣の日訳と注釈があるから、周作人は原文の Finn を「芬蘭」と正しく漢訳することができた。劉延陵は、理解できなかったらしく、ここを漢訳しない。
男は、自ら船を所有し貿易商のようなことを営んでいた。その男が愛していた少女がいた。この少女というのが、ドイルの筆ではその描写が非常に微妙なのだ。重要な箇所だと考える。
the girl whom I had ever marked as my own, and who up to that time had seemed in some sort inclined to return my passion.
【山縣】私は私の全心を注いで、生涯の伴は此者と極めて居る少女がありましたが、其少女も私の誠心を多少報うて居りました。
【周作人】有愛妻、即此少女、已訂嫁娶之約。(愛妻、すなわちあの少女がいまして、すでに婚姻の約束をしていました)
【劉延陵】省略する。
原作は、あくまでも男の側からの発言である。男から見て、自分のもの、少女も自分の熱情にこたえてくれていたようだ、というだけだ。男の一方的な思い込みだといわれてもしかたがないだろう。少女が本当にその男を好いていたかどうかは、ここからはわからない。
それはそうだろう。もしも、相思相愛の仲であれば、少女が別の男に言い寄られて一時の心の迷いを生じさせたとしても、長い船旅から男がもどってくれば、結局はもとのサヤにおさまるはずだ。だが、少女は別の若者と結婚するために教会へでかけている。男が何をしたかといえば、手下の水夫とともに、結婚式から少女を掠奪したのだった。
前後のいきさつを考えれば、周作人が「愛妻」「已訂嫁娶之約」と漢訳するのは、訳しすぎということになる。劉延陵の省略は、乱暴であろう。
少女に対する男の一方的な思い込み、勝手な愛情の押しつけだという証拠は、少女を掠奪してのち船に軟禁して旅行をしているあいだ、少女は男を許そうとしなかった事実があるからだ。そしてあの暴風雨の夜、ふたりが争っているのを海辺のジョンに目撃されている。また、ジョンの住居に押し入った男を恐れて逃げまどったのも少女の取った行動だ。
3-4 掠奪、暴風雨のあと、結末
男は、あいかわらず少女の監視をつづけていたらしい。ジョンと少女の間も、それ以前と変わらぬままであった。(周作人は、この部分、原文で1段落を省略する)だが、結末は、突然やってくる。
研究の疲れをいやそうと海岸へ散歩に出たジョンは、暴風雨が来襲する予感を得た。家へひきもどす途中で叫び声が聞こえる。家から少女を担いだ男が出てくるのが見える。小舟で沖に漕ぎだしてしまう。手遅れであった。
ジョンは、少女を失って怒りを感じたが、それがなぜなのかを考えた。
Was it that I loved this Muscovite girl? No-a thousand times no. I am not one who, for the sake of a white skin or a blue eye, would belie my own life, and change the whole tenor of my thoughts and existence.
【山縣】これ余が私に彼の露国の少女を恋ひ居たるが為めか。否、断じて此事なし。余や雪白の皮膚、明媚の眼に迷ふて、我思想を一変し、我常習を更ゆるが如き者に非ず、余が心は木石の如くにして、一毫の彼の少女の為めに動かされたるものなしと信ず。
【周作人】豈予真有愛於此俄国之少女乎?蛾眉皓歯、雖足移人、而予非其人。予心如古井、微波不生久矣。(どうして私が本当にこのロシアの少女を愛したということがあろうか。美しい眉、白い歯は人を変えるには十分だとはいえ、私はそのような人間ではない。私の心は古井戸のように、長い間かすかな波すら生じないのだ)
【劉延陵】然則汝愛女乎。曰、否、否。吾不愛之。吾不愛之。吾非同世俗之人、毎因玉膚金髪而忘身。尤不致以空洞虚無之愛情、自変其志操思想。(お前は少女を愛したのか。違う、ちがう。私は愛してはいない。私は愛してはいない。世俗の人間が、雪のように白い膚と金髪に我を忘れるというのとは、私は違うのだ。ましてや、空しく虚無の愛情が、その操、思想を変えるというのでもない)
Muscovite girl だからモスクワの少女だ。山縣は、それを知ったうえで「露国の少女」と翻訳した。周作人も山縣にならう。劉延陵は、無視した。
原作の白い膚と青い眼を、山縣は、「雪白の皮膚、明媚の眼」に日訳した。周作人が「蛾眉皓歯」に言い換えたのは、山縣の日訳を受けたというよりも、美人を表現する漢語の慣用句を使用しただけだろう。a blue eye は、「青目」と漢訳すればいいようなものの、周作人はそうしていない。なぜなら漢語の「青目」が、黒目(好意)を意味するからだ。では「藍眼」ならばどうか。たしかに青い眼にはなるが、これまた「眼の色が変わる」という意味をもっているから、これも不適切だ。それで、「皓歯」にした。劉延陵が、青い眼を「金髪」に置き換えたのも、同じ理由だとわかる。
少女に恋したことをジョンは認めない。ジョンの強がりである。では、なぜ怒りを感じるのかをジョン自身が出した解答というのが、自分を頼ってきた少女を保護できなかったことなのだ。言い訳にすぎないことが理解できる。
翌朝、嵐がさった海岸で発見したのが、死んだ少女を抱きかかえている男の死体であった。しかも男の顔には微笑みが残っている。また、少女の顔にもおだやかなものが認められる。
There were signs which led me to believe that during that awful night the woman's fickle mind had come at last to learn the worth of the true heart and strong arm which struggled for her and guarded her so tenderly.
【山縣】昨夜の惧しき暴風雨の間に、女は初めて男の誠心と、其為めに風波と戦ひ愛情深く自己を保護したりし強き腕の真価を知り、初めて心を許したりと思はるものあり。
【周作人】地球雖滅而愛之花尚開。於此婉〓言女}之少女、乃亦不能不回其一掬之芳心、感壮夫之誠意。(地球は滅びても愛の花は開く。この美しい少女は、男の誠意を感じ、翻意しないわけにはいかなかったのだ)
【劉延陵】亦若已感其痴情、重復愛之。(その愛情を感じて、ふたたび彼を愛したようだ)
周作人の「地球雖滅而愛之花尚開」は、訳者が書き加えた。原文のジョンの推測は、周作人の漢訳では、断言になる。劉延陵の漢訳は、省略があるが、原意を大きくはずれてはいない。
ドイルの原文にもどって考えれば、これまた、ジョンの勝手な解釈、あるいは思い込みであるということもできる。いくら男が誠意をつくして少女を愛したからといって、それは男からの一方的なものでしかない。少女の気持ちが、どこにも説明されていないのだ。男を嫌っているという行動は描写されているのだから、それを見る限り、ふたりの間には愛情関係は存在しない、と考えるのが普通の感覚だろう。
ジョンは、ふたりを「寂しい北海の岸 the shores of the desolate northern sea【山縣】凄じき北海の浪打寄する荒磯【周作人】北海濱之荒磯【劉延陵】海辺」に埋葬した。これが、山縣訳と周作人訳の表題が「荒磯」となる理由である。
作品の締めくくり箇所からその一部分を示すことにする。
I think of the strange couple who came from afar, and broke for a little space the dull tenor of my sombre life.
【山縣】余は忽然遠くより来りて忽然遠くに去り、暫時の間我暗澹たる生活の単調を破りたる奇しき二人の事を憶ひ起すことあるなり。
【周作人】惟有無情碧海、長此終古、江潮嗚咽、日夜如語、〓人方}彿有声、発於水底云。/恋悪魔也!(無情の大海原だけは、このまま永遠に、潮がすすり泣き、日夜語るように、まるで水底から声が発せられるようにいうのだ。恋の悪魔め!)
【劉延陵】尤必憶吾孤独生活之中間、一小波折。(私の孤独な生活のなかで、ひとつの小さな波乱だ、と特に思い起こされるのだった)
劉延陵が、省略しながらあいかわらず簡潔に漢訳しているのに比較すると、周作人の翻訳は、原文を離れる。「恋悪魔也」は、アーカンジェルからの男を指して周作人が考えだした単語だ。周作人の翻訳では、最後に配置することによって、男の存在がより強烈になった。英文原作の「不思議なふたり the strange couple」は、ふたりなのだから、一応、平衡しているといえよう。周作人訳では、それが崩れてしまったとせざるをえない。
山縣は、ドイル小伝のなかで、この作品について以下のように書いている。「此篇に収めたる The Man from Archangel は短簡のものなりと雖も、其趣向意匠の斬新奇抜なる平凡作者の企て及ぶべからざるものあるを知るに足らん」その評価は、いかがなものか。
ドイルの原作は、男ふたりを対比させて描く。一方に、自分の哲学と科学研究に没入する、世をすねた人嫌いの冷笑主義者を置く。他方に、一人の少女を掠奪してまでも愛する情熱の男性を置く。この冷と熱の対比を描こうとしたのが、ドイルの原作である。冷笑主義は、少女の美しさによって破れそうになるが、情熱主義の破滅によって、もとの冷笑主義が継続される。
ドイルの意図としては、二者の対比なのであろうが(三角関係にまでは発展していない)、今から見れば、両者とも基本の部分で奇妙に似通っている。
冷笑主義のジョンは、闖入してきた少女を無視する。心が揺れることはあったが、基本的に無視していることに変わりはない。一方のアーカンジェルからの男がなにをしたかといえば、少女の気持ちを考えず、一方的に愛情を注ぎ込んでいるつもりになっている。その結果、暴力をふるうことも辞さない。死に至ることになろうとも、配慮しない。それこそが、愛情のあかしである、と行動する。そのようにドイルは描いている。冷も熱も、ジョンも男も、少女の意志を無視している点で共通しているのだ。
少女についていえば、ただの自動器械である。人形である。自らが、そういう存在になりたいと考えてなったわけではない。自分の気持ちを表現する言語を著者コナン・ドイルによって奪われている。
少女は、記憶力と耳は抜群にすばらしい。しかし、1ヵ月以上もジョンと同居していながら、英語を学習しようとはしない。意志を伝える手段を奪われた存在に置かれている。すべて、著者ドイルが設定したことである。
少女に意志を持たせ、その意志を表現させると物語が成立しない、とドイルは考えていたのではないか。アーカンジェルという文字に関して部分的に理屈の通らない箇所があるのも、少女を男が争奪する対象――自動器械に限定したことから発生した綻びにほかならない。
結論をいえば、この作品は、自然災害をきっかけとした無理心中物語である。尾崎紅葉が「心中船」と題したのは、まことに正しい理解だった。
本作品は、女性の意志を完全に無視して、男性の論理のみで成立している作品だ。それが許された時代だったのだろう。
周作人の漢訳は、訳者による加筆、あるいは省略がいくつかあるが、基本的に英文原作に忠実だということができよう。ただし、結末部分の書き換えは、周作人が考えるほど成功していない。表記上の工夫としては、会話部分を改行1字サゲにして読みやすくしている。
劉延陵は、会話部分に何の符号も使用せず、地の文章に溶け込ませている。時間的に見て、周作人よりもあとから翻訳した劉延陵の方が、昔ながらの流儀を採用しているのは、おもしろい。清末の周作人の意識が進んでいたのか、それとも民初の劉延陵の方が遅れていたのか。あるいは、『小説月報』の編集方針だったのかも知れないが、いま、確認する手段を持たない。
劉延陵の翻訳は、文言を使用し、原文の大意をつかみ取っているだけで、忠実な漢訳というわけではない。また、その訳し方を見ても、周作人の漢訳を参考にしてはいないと思われる。あとから出て来たものが、必ずしも万全ではないひとつの見本である。
【注】
1)藤元直樹編「コナン・ドイル小説作品邦訳書誌」『未来趣味』第8号2000.5.3。84頁。尾崎紅葉が、ドイルの該作品に基づいて「心中船」を訳述しているのは注目してもいい。「心中船」が収録されている『紅葉全集』第8巻(岩波書店1994.5.23)の須田千里「解題」、菅野昭正「解説」を見ても、どこにもドイル作品の翻訳だとは書かれていないからだ。藤元直樹氏による新発見である。2000年に「金色夜叉」の原作が発見され、新聞で大きく報道された。同じようなことは、同時に発生するらしい。
2)常春編『周作人日記』上冊 鄭州・大象出版社1996.12。403-412頁
3)周作人『知堂回想録』上冊 香港・聽涛出版社1970.7。140頁
4)周遐寿(作人)『魯迅的故家』(人民文学出版社1957重版の影印本)所収「魯迅在東京」の三十四補遺二。210頁
5)陳玉堂編著『中国近現代人物名号大辞典』杭州・浙江古籍出版社1993.5。191頁
【参考】
“THE CONAN DOYLE STORIES”GALLEY PRESS, 1988
【附記】
平山雄一氏よりご教示いただきました。感謝します。