増補版あとがき


 本書は初版『初期商務印書館研究』(清末小説研究会2000.9.9)を増補したものである。
 「増補版」という理由は、主としてみっつある。
 1『華英初階』、2『絵図文学初階』、3『最新国文教科書』について書き足したことによる。
 1は上海図書館で閲覧する機会があった。商務印書館が印刷請け負いから教科書出版に進出する契機となった出版物だ。
 2は日本の書店から、3は上海の書店を通じて原物を複数冊購入した。実物を見ることによってその詳細を書くことが可能になったのである。
 3種ともに日本の公共図書館では見つけることができなかっただけに、読むことができたときは率直に喜んだものだ。
 写真、図についていうと、初版のものに加えて、さらに、夏瑞芳と商務印書館関係の写真をスタッフォード(Francis Eugene Stafford)の撮影したものからいくつかを引用した。また、鮑3兄弟の写真を見つけたのでこれも追加している。
 附録として商務印書館理事会報告書を収録したのは、研究に不可欠だと判断したからだ。また、年表を新しく作成し、論文を1本つけくわえた。商務印書館『最新国文教科書』第1冊の本文を収めている。
 全体にわたって文章を点検した。誤植を正して語句の一部を書き換えている。文献一覧、索引も作り直した。
 私は、商務版「説部叢書」についても論文を公表している。収録しようかどうか迷った。もし、これを取り入れるならば、『繍像小説』の編者問題に関する一連の論文も無視することができなくなる。
 本書は、金港堂と商務印書館の合弁問題に焦点をあわせている。「説部叢書」と『繍像小説』に関しては、論文名を文献一覧に採録しておくにとどめた。
 2001年12月14日、神戸で開催された辛亥革命90周年国際学術討論会において「辛亥革命前後における商務印書館と金港堂の合弁」を報告した(のち、『辛亥革命の多元構造』汲古書院2003所収)。
 それまで、資料検討を何度かくりかえしていた。その結論は、金港堂と商務印書館の合弁がきわめて良好なものであったということだ。そればかりか、商務印書館にとっては、金港堂よりも圧倒的に有利な合弁事業であったことを、あるがままにのべた。本書にもその主旨を取り入れていることを記しておく。
 その後の研究について簡単に触れておきたい。
 中国において、商務印書館と金港堂の合弁に言及する論文、著作が増えてきている。従来の無視という情況からは、その意味において少しは前進したということができよう。
 しかし、本書のなかで指摘しておいた誤解が、中国ではあいかわらず信じられているといわざるをえない。
 すなわち、金港堂が教科書疑獄事件でつまづき、活路を求めて中国に進出し商務印書館と合弁をした、という例の伝説だ。かりに「金港堂中国進出物語」と称しておく。
 初版においても、それがありえないことだと事実をあげて説明しておいた。
 だが、中国の研究者は、よほどこの「物語」が好きらしく思われる。少なくない文章が、根拠のない作り話を疑うことなく、くりかえし述べているからだ。
 多くの著者が、中国語で書かれた文献だけを読んで、簡単に信じこんでしまっているのには、いささか驚く。事実を無視しているからありえない物語だ、といくら私が主張しても聞く耳を持たない。
 「金港堂中国進出物語」を採用しているか否か。私は、ここに研究と創作の分岐点があると見る。
 「金港堂中国進出物語」をのべる文章は、そのほかの部分がいかに詳細に書かれていようとも、信用するにたりない。研究論文としては、無視してもかまわない。いかに文献を読みこなし、学術論文の装いをしていようともだ。自分で資料を検討する能力がないことを自らが認めているにほかならない。
 重要な箇所において、根拠のない架空の物語を信じる「研究者」の論文は、それだけの意味しかないと断言をしてもいい。
 初版刊行後1年以上が経過した2001年、北京のある出版社から漢訳して出版したいと申し込みがあった。
 仲介者の手紙によると、学術出版はむつかしくなっており、印税は出ないという。
 学術出版が困難であることは、日本でも同じだ。中国の研究者に私の研究成果を知ってもらうほうが、初期商務印書館について存在する誤解をとくためには有効だと考えた。例の「金港堂中国進出物語」も、当然、その誤解のなかに含まれる。研究のお役に立てばよい、と思った。
 私が提示した条件は、本文を勝手に書き直したり省略しないこと、図版をそのまま収録すること、索引を作り直すこと、一部に原稿を追加すること、印税のかわりに著者分として50冊を贈呈希望先に郵送することだった。仲介者の言葉によれば、いずれも出版社の了承が得られたという。
 本文の誤りを訂正し、文献一覧を作り直した。追加したのは、初版発行後に書いた2本の論文である。『華英初階』と最近の商務印書館研究を評論した文章だ。出版の許可を与える「授権書」を同封して仲介者へ送付した。その後、漢訳版のために書いた「前言」および贈呈先一覧表も送る。
 だが、「出版契約書」は、それ以後、送られてこなかった。
 漢訳には時間がかかる。普通、出版契約書には発行時期を明記する。原稿引き渡しから5カ月以内に出版するなどという契約ならば、しばられることになる。それを嫌ったものだろう。善意に推測すれば、そうなる。
 というわけで、出版契約を結ぶまでにはいたっていない。
 私は半信半疑だった。中国において、はたして本書の漢訳出版が実現されるかどうか疑問に感じたのが正直なところだ。
 学術出版がむつかしい、という理由ではない。
 同じころ済南の斉魯書社から出版の申し込みのあった『新編増補清末民初小説目録』は、出版契約書をかわして契約通り期日内に発行されている(のちに重版となった)。
 問題は、本書の内容なのだ。商務印書館にとって耳に快い記述ばかりではない、それを中国の出版社が発行するだろうか。これが私の懸念した大きな理由である。
 その後、現在にいたるまで出版契約書は、送られてきていない。
 本書の内容ゆえに出版社上層部の最終許可が出ないのではないか、と想像した。予想されたことだし、計画が実現しないことなど出版界にはよくあることだ。私と出版社とのあいだに立った人は、本書の内容を知らずに出版を仲介したのかと考えたりする。
 中国の研究者にはお気の毒であった。その機が熟していなかっただけだろう。
 2003年1月、出版情況にくわしい中国の研究者が、その出版社はかならず出版するはずだ、と私にむかっていう。ここでも私は、半ば疑っている。
 2003年6月、上海で刊行されている『近代文学研究・拾稗』第5号に『初期商務印書館研究』の漢訳について消息が掲載された。もうすぐ出版されるという。編集者からの連絡によると、同年3月にその出版社の関係者から聞いたらしい。しかし、出版社から、私には情況を知らせる連絡はいっさい、ない。そういうやり方のようだ。出版契約書なしに出版するとは思えない。
 以上の経過を紹介して、私が不満を感じているとか怒っているわけでは、決してない。誤解のないように願いたい。そういう事実があった、という記録の意味しかない。
 そうこうしているうちに、増補版を発行するはこびとなった。
 本書が最新版なのである。
 本書は、中国の出版社に渡した原稿と基本的な部分において変更は、ない。しかし、大幅に増補している本書に比較すれば、初版は、すでに内容が古くなってしまったといわざるをえない。残念な結果となった。
 初版について、いくつか記しておく。
 ある人から、収録した上海地図についてお叱りの言葉をいただいた。
 本文中に地図番号を書いているが、それに対応した地図がない、という。
 私の説明が足りなかったらしい。
 地図につけた番号は、地図そのものの番号ではない。商務印書館の所在地、発行所、印刷所、編訳所などを示すものである。本文の説明と関連させて、移動している順番に地図のうえにその場所を示した。その番号だ。
 誤解をさけるために、地図は全体だけの1枚にして折り畳むことも考えた。しかし、説明文の近くに関連部分の地図を配置した方が読みやすいと判断して、初版のままにしておく。
 ある人から、「文学研究者の商務印書館研究」だといわれた。合弁会社というが、その定義を中国の当時の法律に照らして行なっていない、ということを含んでいるのだろう。
 歴史の専門家が日中合弁時期の商務印書館を研究しているのであれば、その著書を一番読みたいと思っているのは、私の方なのだ。
 しかし、それが、ない。だからこそ、私が調査した。また、歴史研究者であれば、書かないだろうと考える部分もある。第4章の精神分析は、彼らはやるはずがない。逆にいえば、私だからこそ、あえて記述したということでもある。
 ある人から、「国民統合の教科書問題」について掘り下げるべきではないか、との示唆を受けた。商務印書館が教科書を発行しているところから出てくる視点だ。考えてみたが、本書で扱うには大きすぎる問題である。中国で、当時、発行されていた教科書を収集するだけでも大きな困難がある。資料的にも不足している。今のところ見送らざるをえない。

 2003年、初版を大阪外国語大学へ提出し博士号(言語文化学)を取得した。

 初版について、渡辺浩司氏より誤植の指摘を受けた。多謝。また、複数の人からご意見をいただいた。増補するにあたり、できるだけ反映するようつとめた。いちいちお名前をあげませんが、感謝いたします。

2004年1月

樽本照雄