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孟兆臣『中国近代小報史』北京・社会科学文献出版社2005.10


2005.12.18
 前回の続き。
 孟兆臣『中国近代小報史』を利用して『清末民初小説目録』を増補しました。
 この作業にほとんどかかりきりで約1週間ですか。増補したのは、総数965件にのぼります。
 該目録には、完成ということがありません。清末だけでなく民初も含めていますから、なおさらのことです。



2005.12.11
 前述の孟兆臣『中国近代小報史』を利用して『清末民初小説目録』を増補しています。
 該書全675頁のうち約6割が「中国近代小報小説目録初編」なのです。
 私が長らく望んで得ることのできなかった種類の目録にほかなりません。
 新聞に連載された小説は、雑誌掲載のものよりも探索がむつかしい。
 今まで中国で編集された小説目録で、新聞を収録対象としているものは、私の知る限り、存在しなかったのです。
 あれば、当然のことながら『清末民初小説目録』に採録しています。
 「中国近代小報小説目録初編」にもとづいて増補する作業は、単調ですが楽しいものですネ。
 たとえば、祝均宙ら編「中国近代文藝報刊概覧」(魏紹昌主編『中国近代文学大系』第12集第30巻史料索引集 上海書店1996.7)では一部明記されていなかった新聞の発行年月日が、孟兆臣の目録では書かれています。私の目録をより精緻なものにすることができるのです。
 『清末民初小説目録』第4版を発行する計画は、今のところありません。ですが、増補を続けることによって私の『清末民初小説目録』は、世界で唯一の完備した目録にますます近づいていくことになります。そう考えると、点検と増補という単調な作業も苦痛ではなくなるのです。
 残念といえば、孟兆臣『中国近代小報史』には、『申報』『大公報』『民国日報』『盛京時報』などを収録していません。説明によると、影印本が出ているという理由からだそうです。
 すこしガッカリしました。しかし、やるべき作業が明確になったという意味で、これまたうれしいことです。



2005.12.5
 『清末小説から』第80号を掲げました。



2005.12.2
 現在、修文書館について調べています。東京築地活版製造所が上海に開設した活字販売所です。1900年に修文書館が上海を撤退する時、商務印書館が機材の一切を購入したというのは有名な話でしょう。詳細は依然としてわかりません。ただ、いくつかの興味深い事実がみつかりました。また、お目にかける機会もあることと思います。
 孟兆臣『中国近代小報史』(北京・社会科学文献出版社2005.10)を入手しました。小型新聞についての専門書です。新聞の原物を見ることができる中国人研究者ならではの研究成果だとわかります。
 小説目録を作成していて、一番むつかしいのが新聞に掲載された小説の調査なのです。日本で調べることは、不可能だということができます。
 孟兆臣は、その「導言」において樽本照雄の『清末民国小説目』(ママ)は新聞の小説について十分重視をしていない、と書いています。
 冷や汗が出てきますね。もうしわけありません。やりたいのですが日本ではできないのです。
 さっそく『清末民初小説目録』に収録させていただきます。



2005.11.3
 記録容量の関係でいくつかのファイルを削除していました。
 ご不便をおかけしたことと思います。
 本日、それらをすべて復活させました。
 いくつかお知らせを。
 『近代文学研究・留得』第3輯(2005.10)が発行されました。
 樽本照雄著『清末小説研究論』(清末小説研究資料叢書9)を発行しています。





魯迅『中国小説史略』北京・団結出版社2005.3 挿図珍蔵本民国珍本叢刊

2005.10.18
 魯迅『中国小説史略』は、現在も多くの復刻版が出版されています。
 そのなかのひとつが「挿図珍蔵本民国珍本叢刊」と称するものです(北京・団結出版社2005.3)。
 私の目を引いたのは、『老残遊記』の「手稿本」が写真で掲げられているからです。
 写真を見る限り上下2冊のようです。左側の表紙には、「葯雨」の印章が見えます。
 右側写真は、「老残遊記」第15回の毛筆原稿です。下書きではなく清書したものを綴じたとわかります。
 「老残遊記」の原稿といえば、下書きの6枚が有名です。これは、『繍像小説』に渡す前の文字通り下書き原稿なのです。
 ところが、うえに掲げた「手稿本」は、第15回があります。
 これが何を意味するかといえば、劉鉄雲がのちに追加執筆した第15回以降の原稿である可能性が高いということです。
 『天津日日新聞』社長だった方葯雨の印章があるというのも、信頼性を高めます。
 これまで、このような原稿(印刷されたものではないので版本とはいわないでしょう)が残っているなどとは、思いもしませんでした。
 これに言及する文献など見たこともありません。
 ただ、わざわざこの写真を掲載したにもかかわらず、その出所を明らかにしていないのは、まことに残念です。
 のちの誰かが模写しただけの模造品という可能性がなくもありません。そのばあいは、大笑いです。
 中国の研究者に調査を依頼しています。なにかわかれば報告しましょう。





『老残遊記(英漢対照)』20回2冊
劉鉄雲著、(美)哈洛徳・謝迪克(HAROLD SHADICK)英訳
南京・訳林出版社2005 大中華文庫

2005.9.24
 『老残遊記』の英訳です。過去にいくつか英訳が出版されました。
 このたび発行されたのは、おなじみハロルド・シャディック英訳本に中国語原文を対照させたものです。
 シャディック夫妻が劉鉄雲の息子劉大紳たちと一緒に写真におさまっていますし、当時の済南の名所の写真も収録しています。たぶん初版のままを復刻したものと思われます。
 「英訳『老残遊記』」という題名で簡単な紹介をしようかと考えて……?どこかで書いたような。
 計画倒れということも十分に予想されるわけです。






2005.9.11
 『清末小説』第28号を発行しました。
 『近代文学研究・留得』第2輯(2005.8)が発行されました。主として清末小説研究にまつわる情報を掲載しています。
 これは、劉徳隆氏が編集発行する自家版清末小説研究通信です。以前に出ていました『近代文学研究・拾稗』の後継誌です。
 第2輯の冒頭に掲げられているのは「《劉鶚詩文集校輯》編輯工作啓動」という記事です。将来、劉鉄雲全集が発行されるという予告には注目せざるをえません。
 あとはウェブサイトに「雑家劉鶚」があるとか、研究者の近況などが掲載されるB4判裏表4頁の刊行物です。
 中国で研究者が個人刊行物を発行しつづけているのは、近頃まれな例だと思います。それだけでも興味深いといえましょう。






2005.8.14
 『清末小説から』第79号の誤植をご指摘いただきました。
 作り直しましたのでご覧下さい。
 なお、『清末小説』第28号は、9月中には印刷ができあがる予定です。



2005.8.9
 『清末小説から』第79号を公開しました。



2005.7.18
 『清末小説』第28号は、本年10月発行をめざして編集中です。
 あくまでも予定です。内容は変更する可能性があります。

『清末小説』第28号(2005.12.1)予定目次

商務印書館関係資料いくつか…………沢本 郁馬
林紓を罵る快楽(1) ………………樽本 照雄
『小説海』掲載の「老残遊記」記事…杜  筆恩
中国におけるコナン・ドイル(5)…樽本 照雄
近代偵探小説的高潮從何而來…………袁   進
從粤中名門望族末世走出的一代英才
  ――黄世仲的家世和早歳生活……顔  廷亮
劉鐵雲・“救濟善會”・《中外日報》
           ………………劉  徳隆
《消閑報》與呉趼人的《海上名妓四大金剛奇書》
           ………………何  宏玲
李伯元遺稿(7)――李錫奇『南亭回憶録』より
編集ノート



2005.7.9
 『清末小説から』次号の予告をかかげます。

『清末小説から』第79号 2005.10.1

『迦因小伝』に関する魯迅の誤解・下………樽本照雄
百年是非,如何評説?4完 ………歐陽〓雪
晩清小説作者掃描(肆) ………武  禧
漢訳アラビアン・ナイト(13)……樽本照雄
『新編増補清末民初小説目録』の『小説海』掲載作品正誤………杜 筆恩
清末小説から



2005.6.22
 『清末小説研究ガイド2005』の訂正を掲げます。



2005.6.15
 樽本照雄著『清末小説研究論』は、すでに発行されました。



2005.6.4
 『新編増補清末民初小説目録』で気がついた点を1ヵ所訂正します(多くの誤りは、また別の機会に)。

s0194*『桑狄克偵探案』(英)奥斯登著 常覚、覚迷、天虚我生(陳蝶仙)訳述
上海・中華書局1918.1/1930.3六版
 この著者を(英)JANE AUSTEN著としたのは、[民外0744]すなわち『民国時期総書目』外国文学にそう書いてあったからです。
 郭延礼『中国近代翻訳文学概論』159頁も、同じ記述をしています。
 たぶん『民国時期総書目』外国文学、あるいは『清末民初小説目録』を見たのでしょう。
 考えれば、JANE AUSTENが、探偵小説を書いたとは思えません。
 該書は、R.AUSTIN FREEMANの間違いだと気がつきました。
 ということは、原作は“John Thorndyke's Cases”1909あたりでしょう。
 「桑狄克」がソーンダイクの音訳だとわかります。
 郭延礼といえば、『20世紀中国近代文学研究学術史』(南昌・江西高校出版社2004.12)が出ました。
 研究を回顧評価して非常に興味深い著作です。こちらも別の機会をみて紹介することにしましょう。



2005.5.30
 『近代文学研究・留得』第1輯(2005.6)が発行されました。通称『拾稗』が第17輯で停刊したあとに改題し、あらためて創刊したものです。
 近代文学研究にまつわる逸聞を掲載しています。劉徳隆の個人通信誌であることには変わりがありません。
 学会消息、出版情報、研究者紹介など。中国における研究の情況をうかがうことができて興味深いものがあります。



2005.5.23


 上に掲げたのは、羅蘇文著『上海伝奇――文明〓女亶}変的側影(1553-1949)』(上海・世紀出版集団、上海人民出版社2004.12。390頁)です。
 商務印書館の創業者4人で、右上張元済、右下鮑咸恩、左上鮑咸昌、左下夏瑞芳と名前がつけられています。
 ところが、右上は張元済ではありません。高鳳池の間違いです。
 該書は、上海の歴史を珍しい写真、図画で説明した本です。あの有名な張元済も間違われることがあるのだ、と変な感心のしかたをしてしまいました。



2005.5.18
 出版予告です。
 樽本照雄著『清末小説研究論』は、6月中にできあがるでしょう。



2005.5.1
 現在、清末小説研究会では、以下の書籍を発行準備中です。
 目次を掲載します。
 実際には、変更があるかもしれません。あくまでも予定です。
 題目の後ろの番号は、『樽本照雄著作目録1』と連動しています。

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清末小説研究資料叢書9
樽本照雄著『清末小説研究論』
(2005.5.18 目次省略)
=====================






2005.3.27
 『清末小説から』次号の予告をかかげます。

『清末小説から』第78号 2005.7.1
『迦因小伝』に関する魯迅の誤解・上………樽本照雄
『大共和日報附張』スクラップ……杜 筆恩
百年是非,如何評説?3  ………歐陽〓雪
韓國所見清末民國通俗小説書目(初稿)………張 元卿
晩清小説作者掃描(参) ………武  禧
漢訳アラビアン・ナイト(12)……樽本照雄
清末小説から






2005.3.6
 商務印書館と金港堂が合弁を解消したとき、両者が結んだ契約書を紹介したことがあります(沢本郁馬「商務印書館と金港堂の合弁解約書」『清末小説』第27号2004.12.1)。
 このたび出版された宋原放主編、汪家熔輯注『中国出版史料・近代部分』第3巻(武漢・湖北教育出版社2004.10。39-42頁)に、「商務印書館清退日股合同」と題して全文が収録されました。
 契約書は手書きで、しかも縮小印刷されていますから、読みにくいものです。史料には、全文が復刻されていますから利用するのに便利になりました。
 大きな誤りを2ヵ所だけ指摘しておきます。

 1 奇妙なことですが、史料は『申報』の掲載月日を「1919年7月24日」と誤っています。
 正しくは、7月25日です。なぜ、このような間違いが生じたのか理由はわかりません。
 2 最後の署名部分です。
 誤「見証 三本条太郎」→正「見議 三木是市」
 山本条太郎から連想して誤記したのかもしれません。

 史料ですから、今後、利用する研究者が誤ることになるでしょう。
 もうひとつ、説明することがあります。
 奥付を見ると、『清末小説』第27号の発行年月日よりも『中国出版史料・近代部分』の発行年の方が早くなっています。
 のちの人が見たら、『中国出版史料』を利用して「商務印書館と金港堂の合弁解約書」が書かれた、と考えるかもしれません。
 事実は、違います。
 『中国出版史料・近代部分』が発行されるよりもずっと前に、『申報』を調査していて発見した文献です。
 本研究会のホームページをご覧の方でしたら、契約書発見のニュースが2004年2月の掲示板に出たことをご存知かもしれません。
 細かいことです。研究にはどうでもいいことですが、ちょっと気にかかったので書きました。






2005.3.2
 『清末小説から』第76号と第77号をPDFファイルで掲載しています。
 文書内リンクのほかに「しおり」があると論文に跳ぶことができて便利だ、というご要望がありました。
 そのように作り直しましたのでご利用ください。



2005.3.1
 過日、『迦因小伝』の書影を掲げました。
 該書の表紙がすでに公表されているのに気づいたのでお知らせします。
 于潤g総主編『挿図本百年中国文学史』上巻(1872-1916)成都・四川人民出版社2002.6の333頁です。中国現代文学館の唐〓Tao文庫所蔵本から多く書影を収録していますから、そのひとつなのでしょう。
 原作の上半分か下半分かという問題については、何も説明していません。
 珍しい版本だとわかっている人が掲載するように指示したとわかります。ただし、魯迅の誤解問題までは知らなかったようです。



2005.2.22
 さっそくメールをいただきました。
 質問ふたつです。
 その1:『迦因小伝』表紙に見える四角の紙はなにか?
 その2:魯迅が原著の上半分しか漢訳していないといっている。日本でも、増田渉、竹内好『魯迅文集』、竹内実・吉田富夫の学研版日本語全集など、魯迅が間違っているなど一言も書いていない。樽本のいうことは正しいのか?
 疑問に思われるのも当然です。
 表紙に見える四角の紙は、たぶん所蔵印章を隠すためでしょう。複写を依頼したのですが、その人がそうしたのか、それとも所蔵者がやったのか。なぜ、そのようなことをする必要があったのか、私にもわかりません。
 中国で発行された『魯迅全集』でも、注釈に魯迅の誤解だとは書いてありません。
 注釈者の全員が気づいていないという重大問題なのですね(樽本、陳曦鍾、范伯群以外に指摘がある、ということをご存じの方は、お知らせください)。
 重大問題だということも認識されていないほど「重大」だということさえできそうです。





『迦因小伝』蟠溪子(楊紫麟)翻訳、天笑生(包天笑)参校
上海・文明書局 光緒二十九年四月(1903)

2005.2.20
 上に掲げたのは、中国では有名な漢訳ハガード『迦因小伝』です。
 原著は“Joan Haste”1895といいます。楊紫麟が翻訳し包天笑が文章を整えました。
 このたび、複写を入手しました。中国の研究者で該書の現物を見て報告した例を知りません。
 1930年代、魯迅が『迦因小伝』に言及したことがあります。訳者がいうには、原著の上冊しか入手できず、ゆえに漢訳は上半分だ、と魯迅は説明するのです。
 しかし、楊紫麟も包天笑も、のちの林琴南(彼の翻訳は1字違いの『迦茵小伝』)も原書は下半分であったと証言しています。魯迅の説明と異なっているのが奇妙です。
 『魯迅全集』の新旧版にほどこされた注釈は、いずれも魯迅のことばをそのままくりかえしているだけ。
 それらに対して、樽本照雄、陳曦鍾、范伯群が、魯迅の誤解だと指摘しています。
 ところが、郭延礼が大著『中国近代翻訳文学概論』(漢口・湖北教育出版社1998.3)において、わざわざ魯迅の記述が正しいと主張するのです。
 『迦因小伝』は、原著の上半分かそれとも下半分なのか。現物が入手できたのですから、結論を得るのは容易です。はっきり言いまし……。
 本年7月公表予定の『清末小説から』第78号をお待ちください。



2005.2.10
 『清末小説から』第77号は、近日中に本ホームページに掲載する予定で準備中です。



2005.1.1
 本年もよろしくお願いいたします。

 張静廬が編集した出版史料は、今でもよく利用します。便利な史料で、原物を見ることができないとき、使わざるをえません。
 ある史料について、奇妙な処理がほどこしてあるのに気づきました。
 蒲梢「漢訳東西洋文学作品編目――一九二九年三月止」(張静廬輯註『中国現代出版史料甲編』北京・中華書局股〓有限公司1954.12上海初版)なのです。
 「一九五四年元旦徐調孚誌於首都」と表示のある解説文がついています。編者の「蒲梢」は、徐調孚の筆名だとわかるでしょう。
 以上の表記によると、該目録は、蒲梢すなわち徐調孚の編集物だということになります。
 ところが、もともとは、虚白編、蒲梢修訂『漢訳東西洋文学作品編目』(真美善書店1929.9)であるらしい。
 さかのぼれば、(曾)虚白「中国繙訳欧美作品的成績」(『真美善』第2巻第6号 1928.10.16)を徐調孚が大幅に増補して成立したものです。
 つまり、『漢訳東西洋文学作品編目』は、曾虚白の編集を基礎にしてできた翻訳目録です。ゆえに「虚白編、蒲梢修訂」という表記は実態をあらわしています。
 ここで奇妙なことが起ります。張静廬は、該目録を史料集に採録する時、曾虚白の名前を削除しました。
 曾虚白の名前を出したくなかったということでしょう。曾虚白が台湾に行ったことが原因なのでしょうか。勝手なことをするものですね。
 阿英にしても、魏紹昌にしても資料に無断で手を加えている箇所があります。張静廬もそうだったとは思いもしませんでした。

 『清末小説から』次号の予告を再度かかげます。

『清末小説から』第77号 2005.4.1
漢訳ハガード小考     ………樽本照雄
〓富灼及其編纂的商務印書館英語教科書
             ………張  英
『新小説』の発行遅延   ………杜 筆恩
百年是非,如何評説?2  ………歐陽〓雪
晩清小説作者掃描(貳)  ………武  禧
漢訳アラビアン・ナイト(11)……樽本照雄
清末小説から






はじめに

 中国の清末小説を専門に研究している会です。清末とは、清朝末期のことを指します。厳密にいえば、「中国の」と付ける必要はありません。清末は、中国にしか存在しませんから。まあ、丁寧に言っております、くらいのことですのでご了承ください。
 年代でいえば1900年代から1911年の辛亥革命をへて五四文学前です。
 日本ならば、明治30年代から大正初期にあたりますか。
 というわけで、清末小説を専門にしているといっても、中華民国初期の小説も含んでおりますので、誤解のないようにお願いいたします。
 それならば、いっそのこと「清末民初小説研究」と称してもいいようなものの、長くなるでしょう。
 研究会と称していますが、組織はありません。
 定期刊行物として年刊の『清末小説』と季刊の『清末小説から』を発行することが研究会の目的です。
 『清末小説』『清末小説から』の最新号所収の論文は、いくつかを本ホームページで読むことができます。
 なお、『清末小説』のバックナンバーのいくつかは、中国書籍専門店で印刷したものを購入することができます。『清末小説から』は、本ホームページのものを印刷してください。紙媒体では、基本的に発行しておりません。どうしても、という人は、国立国会図書館で読むことが可能です。
 清末小説研究会の出版物は、中国書籍専門店(東方書店、燎原書店、朋友書店、福岡中国書店など)で購入できます。ご注文ください。
 これまでの研究会活動を紹介するかわりに雑誌『清末小説(研究)』の編集ノートをあつめた編集ノート集をかかげます。おおよその活動が理解できるでしょう。
 研究論文目録は、研究のお役に立つと信じています(『日本清末小説研究文献目録』2002を発行しました。こちらの方が新しいです)。『清末小説(研究)』『清末小説から』著者別論文目録)を作成しています(2005.1.3更新)。
 研究をめざす人を対象に『清末小説研究ガイド2005』(2004)を発行しました。