→はじめての方へ/
→過去のお知らせ
2008.12.24
樽本照雄作、林祥源、王曉強訳「《林紓蒙冤事件集》前言」が「林紓文化研究所Blog福建工程学院 http://hexun.com/czjr/default.html」に掲載されています。
これは、樽本『林紓冤罪事件簿』の「まえがき」を中国語訳したものです。
福建では林紓を主人公とした連続テレビドラマが放映されているとか。これも再評価の動きのひとつでしょうか。
2008.12.2
日本の東方書店から『特選図書目録』2008年10月というものが届きました。
その188頁に「146058 新編増補清末民初小説目録』斉魯書社が掲載されています。
日本語で説明して次のようにあるのです。
「……1997年に清末小説研究会で刊行した《新編清末民初小説目録》を中国の賀偉氏らが大幅に増補したもの」
そのような事実はありません。
「賀偉訳」と表示されているところからくる推測でしょうか。
賀偉氏は、主として「序」「後記」などを漢訳しました。本文の編集とは関係がないのです。
どこから出てきた説明なのか不明ですね。

劉徳隆、朱禧編『也無風雨也無晴――滬榕書札』私家版2008.11
2008.12.1
『滬榕書札』は、劉鉄雲の孫に当る人物劉厚沢の書簡集です。
1958-1966年の9年間に劉厚沢(上海=滬)から兄劉尅キ(福州=榕)へ当てた手紙103通を収録しています。
人間関係を簡単に説明しましょう。
劉鉄雲は、いうまでもなく「老残遊記」の著者としても有名です。彼の息子のひとりが劉大紳です。「関於老残遊記」(1939)を発表し貴重な証言を残しました。劉尅キと劉厚沢の兄弟は、その劉大紳の息子たちという関係になります。
書名から、劉尅キと劉厚沢の往復書簡集にも思われます。しかし、実物を見るとそうではありません。
「文化大革命」にあって劉尅キは拘束され、手元にあった劉厚沢からの手紙も没収された。のちに返還されたもののなかに手紙も含まれていたということらしい。
ところが、劉尅キからの手紙は没収されたまま行方不明になった。ということで、残された劉厚沢書簡を親族が協力して整理刊行したというのがいきさつです。
「反右派闘争」「大躍進」の時代からはじまって、劉厚沢の仕事、研究(太谷学派、劉鉄雲研究を含む)、あるいは親戚の消息がつづられており興味深いことです。人名には「説明」がつけられていて、親切だといえましょう。
「老残遊記」に関連しての話題が多く含まれています。読み解けば、新しいことが出てくる可能性もある。
該書は、冒頭に写真8頁、凡例、劉徳隅「前言」、目録、本文、附録(1劉厚滋「丹徒劉審言先生墓表記」、2劉徳平「読信雑憶」、3劉徳枢「吾家家世」、4劉徳隆「関於《老残遊記資料》」、5劉徳隆「《也無風雨也無晴――滬榕書札》保存整理始末」、6劉徳平「亦談書名“也無風雨也無晴”――校対感言」)という構成になっています。
B5判、314頁。私家版のためか奥付はありません。
2008.11.23
王学鈞「《官場現形記》連載及刊行考」(『明清小説研究』2008年第3期(総第89期) 2008発行月日不記。174-182頁)が発表されました。
「官場現形記」の『世界繁華報』連載とその単行本が刊行された時期について考察した論文です。
「一、誤解的発生」において、誤解の原因は魯迅だと指摘します。
魯迅は、単行本の刊行が1901年から著者李伯元の死去である1906年までだと書いた(『中国小説史略』)。これが通説になったというのは、周知のことでしょう。
「二、魏紹昌的考証及問題」は、魯迅の論断について魏紹昌が検討を加え訂正をほどこしたことを説明します。
新聞連載は、「一九〇三年四月」からはじまり「一九〇五年六月」には終了した、というもの。
今回の王学鈞は、それに対して訂正をします。開始は、「光緒二十九年四月(1905年5月)です。魏紹昌もおかした旧暦新暦混用を正した。
以上は、樽本「『官場現形記』の版本をめぐって」(『清末小説叢考』2003収録)と同じ意見です。次が、異なる。
『新聞報』光緒三十一年十月十九日(1905.11.15)の広告に「官場現形記」第5編(49-60回)を刊行したとあるらしい。
王学鈞が使用した新しい資料とは、『新聞報』の出版広告というわけ。
李伯元は死去するまえに「官場現形記」60回は書き上げられていたというのが重要です。
以上の王学鈞論文を読んで、なにかもの足りない。私は『官場現形記資料』(2003)を編集刊行して問題点を指摘したことがあります。
「官場現形記」の偽作問題、欧陽鉅源の搨獄{問題、日本知新社の海賊版問題などなど。これらについては、王学鈞の言及はありません。
氏は、別に論文を準備しているようです。それが発表されることを待つことにしましょう。
2008.11.18
北京大学中法文化関係研究中心、北京図書館参考研究部中国学室主編『漢訳法国社会科学与人文科学図書目録』(北京・世界図書出版公司1996.4)を入手しました。
漢訳されたフランス文学作品を含んでいるだろうという予測です。その通りでした。
裏表紙の内容紹介において、精確で信用できる情報を提供している、と自らがうたっています。
フランス語原作を示しているところが有益です。私が編集を継続している『清末民初小説目録』に役立つのはいうまでもありません。
ひとつひとつ点検しながら目録に注記として追加記入していて気づきました。
あの有名なヴェルヌ作品に関して1点だけ、奇妙な説明をしているのです。
梁啓超、披髪生(羅普)合訳『十五小豪傑』が森田思軒訳『十五少年』からの重訳であることは周知のことでしょう。
ところがなにを考えたのか、該目録は原作が“Un Capitane de quinze ans.”だと説明しています(177-178頁)。
「15」に引っかかったらしい。該作品は、日本では「15歳の冒険船長」とか「少年船長の冒険」と翻訳されます。つまり「15」つながりでヴェルヌ原作を取り違えたと推測できます。
わざわざ、日本語翻訳からの転訳と注記しているのが白々しい?

曾孟樸訳ユゴー「九十三年」『時報』部分
2008.11.10
曾孟樸は、フランス語ができました。
原文から翻訳して「忠実」であると評価が下されています。
もうひとつの特色は、彼が白話を使用して翻訳することを強調したことです。
曾孟樸は林琴南に面会したとき、白話で翻訳することを林に勧めました。有名な話ですからお聞きになったことがあるかも。
そうならば、曾孟樸の翻訳は白話で一貫していたと思うではありませんか。
ところが、上記の漢訳ユゴー「九十三年」は、文言を使用しています。
(法)囂俄著 東亜病夫(曾孟樸)訳「(法国革命外史)九十三年」『時報』1912.4.13-6.14(一部分です)
VICTOR HUGO“QUATREVINGT-TREIZE”1874。
今までの説明は、不確かだったということになるでしょう。
2008.10.19
杜慧敏『晩清主要小説期刊訳作研究(1901-1911)』(上海世紀出版集団上海書店出版社2007.12 上海市社会科学博士文庫 第9輯)が刊行されました。
上編晩清主要小説期刊訳作研究専論、下編晩清域外小説訳介研究資料(1晩清五種主要小説期刊訳作研究資料、2晩清域外小説訳作編年目録)の2部構成になっています。
私は、中国の研究者の翻訳研究、とくに上記のような雑誌掲載の作品を対象とした著作を重視します。その理由は、日本では見ることのできない資料を使用して新しい見解が提出されているのではないか、と期待するからです。
我仏山人(呉趼人)『電術奇談』に言及しています(115頁)。
この原作は、菊池幽芳「新聞売子」です。私がそれを確認したのは、20年以上も前のことです。
日本語原文と漢訳を比較対照し、基本的に忠実な翻訳であるとも判定したのです。下訳が6回で呉の筆により24回になったのは、簡単なこと。下訳1回を4回に分割しただけ(もとは新聞連載ですから、回数は75回を数えます)。回数の違いは、問題になりません。実物を見れば誰でも理解するでしょう。
ところが、杜慧敏は私の説明を紹介して、「6回」と「24回」の食い違いがある、とまだ疑問に思っている。数字を見て勝手に想像しているだけです。
疑問を感じれば、調べる。実物を見る。これが基本でしょう。
菊池『新聞売子』は、現在では国会図書館のデジタルライブラリーで公開されています。中国にいてもウエブから簡単に見ることができるはずなのに、いまだに疑問が解消しない。
該書は、意欲的な著作だと私は考えています。それだけに、小さな箇所の説明に引っかかるのです。
2008.10.3
渡辺浩司氏より『新編増補清末民初小説目録』についてのご指摘をいただきました。
こちらへどうぞ。
2008.9.29
『清末小説』第31号 好評発売中! 定価3.150円
=============
原原本本(二題)………范 伯群
阿英による林紓冤罪事件――『吟辺燕語』序をめぐって………樽本照雄
林譯遺稿及《林紓翻譯小説未刊九種》評介………馬 泰來
通俗與經典的錯位――中國近代讀者視域中的柯南道爾、哈葛コ、凡爾納與大仲馬………〓 嵐
The Thinking Machine の中国語訳………渡辺 浩司
『林紓冤罪事件簿』ができるまで――あるいは発想と研究方法について……樽本 照雄
周作人が魯迅を回想して林紓に言及する――日本語訳注釈について……沢本 香子
李伯元遺稿(10)――李錫奇『南亭回憶録』より
=============

2008.9.6
瀬戸宏先生が事実とは違うことを書いていても、私は驚きません。
またかいな、と思うだけです。
瀬戸宏「《〓外奇譚》について」(〓はサンズイに解。以下同じ。『中国文芸研究会会報』第322号2008.8.31)には、次のように書かれています。
引用はじめ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
現中学会関西部会大会での私(注:瀬戸宏)の発表の際にコメンテーターを担当した樽本照雄氏は、《〓外奇譚》の翌年発行された《吟辺燕語》序の“詩”はこの時代には劇を指す、という新説を提示した。樽本氏の提示は十分な根拠を示さず、氏の著書『林紓冤罪事件簿』でもまったく述べられていない。(8頁)
引用終り−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
瀬戸宏先生は、「樽本氏の提示は十分な根拠を示さず」と書いています。
私は、十分な根拠となる文献についてその場で瀬戸宏先生ご本人に質問しました。
その文献でも「詩」を「戯曲」の意味で使用しているからです。重要だと考えているから、瀬戸宏先生に確認するのは当然です。
『清末小説から』第92号に掲載する樽本「瀬戸宏報告を評する」から、お先に一部分を引用しましょう。
引用はじめ−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
中国話劇研究の専門家である瀬戸宏は、●●●が「シェイクスピア伝」を書いていることを知らないわけがないと私は思った。念のために確認した。
質問12:●●●「シェイクスピア伝[莎士比伝]」は見たか→瀬戸宏○
引用終り−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「●●●」には著名な中国人の名前がはいります。その場で実名をあげて瀬戸宏先生に確認しました。
「→瀬戸宏○」というのは、私の質問に瀬戸宏先生が「はい」と返事して肯定したことを示します。
私は瀬戸宏先生の隣にすわっていました。瀬戸宏先生が見たと即座に答えた文献なのです。
瀬戸宏先生自身が見ている(たぶん読んだのでしょう)文献に十分な根拠があるにもかかわらず、それには知らん顔をする。
まあ、見たあるいは読んだ、といっても理解しているかどうかは別問題ですが。
6月に開催された大会ですから、調べる時間はあったはず。瀬戸宏先生はその文献を読み直さなかったのでしょうか。
なんでしょうねえ。読みたくない文献は読まない。聞きたくない話は聞かない。「?」「!」
次はどう言い訳するのか、そちらのほうがみものです。
詳細は、『清末小説から』にゆずりましょう。
また、『清末小説』第31号にも関連論文を掲載します。近日中に発行しますから、雑誌の実物を手にとってご覧ください。

2008.8.22
6月26日付の本ホームページで陳大康氏の名前を紹介しました。
「「晩清《新聞報》与小説相関編年」を『明清小説研究』2006年第3期(総第81期)より連載しはじめた陳大康教授ではないでしょうか」
私が想像するに、陳大康氏が指導し大学院生などが参加している研究班があるのかもしれません。
『繍像小説』の発行遅延問題、『官場現形記』海賊版裁判問題などは、この『新聞報』を資料にした研究成果だと思われます。華東師範大学紀要に掲載されました。
連載されているその資料は、『新聞報』に掲載された小説関係の広告などを丹念に収録した労作です。実物を調査したからこそ、いくつかの問題が存在していることに気づいたといえます。
1893年からはじまり、1907年まできました(『明清小説研究』2008年第1期)。
私は、『繍像小説』の刊行が遅延していたと従来から主張しています。『新聞報』掲載の広告は、それを確認するための資料のひとつになりますから見ていたのです。
ところが、なんと『明清小説研究』2008年第2期(総第88期)には該資料が掲載されてはいません。
小説雑誌の総目録を作成した経験からいえば、その資料的な意味が理解できない人がいるのです。「この資料には何の意味があるのか」と公表することに反対する。
まァ、理解するつもりがない人にいくら説明しても理解しません。
陳大康氏のばあいはどうでしょう。無理解に妨害されているのでなければいいのですが。
氏の行なっている作業は、研究の基礎となる重要な意味をもっています。ここを強調しておきたい。

陳錦谷編『林紓研究資料選編』福建省文史研究館編2008.6
2008.8.14
上記の巨著(上下で全1,215頁)はある人からいただきました(内部資料とあるので名前をふせます)。感謝。
1907-2007年に発表された文章を分類して収録しています。「生平与思想」「林訳与“林訳小説”」「小説創作与理論」「詩文与画」「“新”“旧”之争」「附録」です。
林紓研究の専著を除けば、ほとんどの研究論文を読むことができるのではないでしょうか。便利です。

(法)大仲馬著、病夫(曾孟樸)訳「血婚哀史」『時報』1912.12.16
2008.8.14
(法)大仲馬著、病夫(曾孟樸)訳「血婚哀史」(『時報』1912.12.14、16、17、20)です。
新聞連載ですが、全部を見たわけではありません。私が所蔵する部分だけになります。
原作は、大デュマ著「王妃マルゴ LA REINE MARGOT」です。
雑誌『小説林』に連載したときは「馬哥王后佚史」という訳名でした。
「血婚哀史」に言及する文献は、ほとんどありません。
そういうわけで紹介しました。
2008.8.12
『清末小説』第31号は、本年9月に発行を予定しています。
『清末小説から』第92号(2009.1.1)は、基本的作業を終了しました。
2008.8.11
驚きました。
欧陽健「福州近代的文化巨人林紓在民国」(『〓門虫}江学院学報』2007年第6期(総第104期)2007.12.15)の複写を入手して読んだところです。
同氏の「福州近代的文化巨人林紓在晩清」も該学報第4期に掲載されています。
両論文ともに、翻訳小説には触れないというのがひとつの方針らしい。それが問題ではありません。
私が驚いたのは、民国の文学革命時期における林紓の評価なのです。
欧陽氏は、林紓「論古文之不宜廃」、林紓と蔡元培の公開書簡、林〓の短編小説をとりあげて彼を擁護しています。従来の評価を逆転させているのです。中国の研究者では珍しい。
その主旨は、私の「林紓を罵る快楽」とほぼ同じであることを知りました。偶然の一致にすぎません。お互いに論文の存在を知らなかったのですから。
先入観なく冷静に文献を読めば到達する結論だ、といまさらながら感じるのです。
いうまでもなく、林紓批判という結論を先に設定しておき、それにあう資料を選択しながら論文を書く研究者とは違う、という意味です。
2008.7.24
『清末小説』第31号目次予告
=============
原原本本(二題)………范 伯群
阿英による林紓冤罪事件――『吟辺燕語』序をめぐって………樽本照雄
林譯遺稿及《林紓翻譯小説未刊九種》評介………馬 泰來
通俗與經典的錯位――中國近代讀者視域中的柯南道爾、哈葛コ、凡爾納與大仲馬………〓 嵐
The Thinking Machine の中国語訳………渡辺 浩司
『林紓冤罪事件簿』ができるまで――あるいは発想と研究方法について……樽本 照雄
周作人が魯迅を回想して林紓に言及する――日本語訳注釈について……沢本 香子
李伯元遺稿(10)――李錫奇『南亭回憶録』より
=============


『姚〓雛文集』小説巻全2冊
上海世紀出版股〓有限公司、上海古籍出版社2008.4
2008.7.12
姚〓雛(1892-1954)は、民国初期に活躍した作家です。小説を集めて2冊で合計1158頁の大著が刊行されました。
范伯群氏による「序言」が書かれていることをつけ加えておきます。
2008.7.5
渡辺浩司氏より『新編増補清末民初小説目録』についてのご指摘をいただきました。
こちらへどうぞ。
2008.6.26
『華東師範大学学報(哲学社会科学版)』がおもしろい。
私の興味を引く論文がつづいて掲載されているのです。
文迎霞「関於《繍像小説》的刊行、停刊和編者」(該誌2006年第3期(総第185期)2006.5)は、『繍像小説』に関係する論文です。私が進めていた『繍像小説』発行遅延説を検証しています。
文のねらいは正しいのです。しかし、あと一歩のところで真相に到達していないのがもどかしい。ほんとうにもう少しで詰めになったはずなのですが。
私は以上のことについて、「『繍像小説』研究の現在」(『清末小説から』第89号2008.4.1)を書いて紹介しました。
同誌同号に掲載されたのが、劉穎慧「李伯元《官場現形記》版権訴訟始末」です。
私は、これに触発されいったんは中断していた調査を再開しました。その成果が「「官場現形記」裁判の真相――日本を装った海賊版」(『清末小説から』第90号2008.7.1)です。
劉が見落としていた新聞記事をすくい上げたところが新しい、と自分で判断します。
そしてさかのぼって、沈慶会「談《迦因小伝》訳本的刪節問題」(『華東師範大学学報(哲学社会科学版)』2006年第1期(第38巻第1期)2006.1)がありました。
従来から問題になっている『迦因小伝』の削除について、原本を検討しているのが中国では新しい。
ただし、これについて私はすでに「『迦因小伝』に関する魯迅の誤解――漢訳ハガード小考2」上下(『清末小説から』第78、79号2005.7.1、10.1)を公表しています。
沈は、私の論文があることを知らなかったようです。日本語で書かれていますから、しかたがありません。
それにしても、これらの興味深い論文が『華東師範大学学報(哲学社会科学版)』に集中して掲載されているのが目を引きます。指導教授がいるのでしょう。
「晩清《新聞報》与小説相関編年」を『明清小説研究』2006年第3期(総第81期)より連載しはじめた陳大康教授ではないでしょうか。
2008.6.22
『清末小説』第31号は、本年10月刊行を目標に現在鋭意編集中です。
途中経過として以下の論文を掲載予定であることをご報告します。
=============
原原本本(二題)………范 伯群
阿英による林紓冤罪事件――『吟辺燕語』序をめぐって………樽本照雄
林譯遺稿及《林紓翻譯小説未刊九種》評介………馬 泰來
通俗與經典的錯位――中國近代讀者視域中的柯南道爾、哈葛コ、凡爾納與大仲馬………〓 嵐
『林紓冤罪事件簿』ができるまで――あるいは発想と研究方法について………樽本照雄
そのほか
=============
最終的に決まっているわけではありません。変更する可能性があります。

范全春、張一渭『琴南往事』
長春・時代文藝出版社2007.8
2008.6.14
林琴南を主人公とした小説です。研究書ではありません。林大成「序」あり。
連続テレビドラマ「布衣・林琴南」の関係で書かれたものらしいです。ドラマが実際に制作放映されたのかどうかは知りません。
たとえば、劉玄同(銭玄同のこと)が、銭半農(劉半農のこと)に林琴南を批判する「なれあいの芝居」をやろうともちかけます。
なるほど、テレビドラマにするには、こういう場面を書き込まなくては成立しないわけです。
いかにもありそうで、へんに生々しく感じます。
林琴南が主人公ですから、従来とは反対の目線があって珍しく思いました。
2008.6.7
前回に引き続いて小川利康編「周作人・松枝茂夫往来書簡 戦前篇(2)」です。
イヤー驚きました。なんと松枝茂夫は、冷血を林琴南の筆名だと考えています。
松枝茂夫がそう勘違いして『周作人随筆集』(改造社1938)と『瓜豆集』(創元社1940)に注釈をほどこしています。
それを70年後の小川利康も踏襲しているのですから、私が驚くのも当然でしょう。
周作人の文章にでてくる書名が林訳だと誤解しています。林琴南とは関係がないのですから、いくらさがしても出てくるわけがありません。
樽本「周作人が魯迅を回想して林紓に言及する――日本語訳注釈について」を書きました。
ついでに林琴南に関連する次の論文も脱稿しています。「阿英による林紓冤罪事件」。乞うご期待。
2008.6.1
以前、私が問題にしたのは梁啓超「論小説与群治之関係」の「群治」でした。
日本では、この「群治」を政治と理解する研究者が多いのです。
しかし、政治という訳語をあてるのは不適当だ、というのが私の主張でした(「梁啓超「群治」の読まれ方」1997)。
それでは、なにか。社会です。
最近、周作人と松枝茂夫の往復書簡が公開されはじめました。そのひとつに興味深い記述があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
19380827Z【周作人→尤炳圻→松枝茂夫】
平白兄:
昨日別后又想起松枝君譯稿中,梁任公「論小説與群治之關係」[大約在/末一章]處,將群治註作デモクラシ,似不妥,其時尚無此語,所謂群治實只是社會或社會生活之意耳。如校稿尚未交出,請為改正。專此奉,順頌
大安 作人啓
廿七日
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
周作人の考えでは「群治」は、社会あるいは社会生活にするのがよいということです(小川利康編「周作人・松枝茂夫往来書簡 戦前篇(2)」早稲田商学同攷会『文化論集』第31号2007.9電字版。62頁)。

『吟辺燕語』説部叢書の表記がない
2008.5.30
林琴南の『吟辺燕語』は、有名です。
上に掲げた書籍は、上海図書館編『中国近現代話劇図誌』(上海科学技術文献出版社2008.1)に収録されています。「説部叢書」の表示がないのが珍しい。
商務印書館の出版物のようです。しかし、私は実物を見ていませんから説明することができません。
いろいろあるものだと感心しました。
2008.5.27
渡辺浩司氏より『清末小説から』第90号にある誤植のご指摘をいただきました。感謝いたします。
以下のとおりです。
『清末小説から』第90号誤植
13頁右5行 前有日商朝日 → 前有朝日
13頁右6行 出售洋装翻刻 → 出售翻刻
13頁右6行 領事論令 → 領事諭令
15頁右2行 日本人之名 → 日本人名
16頁右倒4行 思想 → 理想
17頁左5行 能行 → 能嚴行
17頁右倒3行 同朋 → 同胞
18頁左2行 出場 → 出馬
20頁左10行 1989年 → 1898年
後日本ホームページ掲載予定のものは訂正してあります。
2008.5.24
新刊のご案内。
『清末小説研究ガイド2008』を発行しました。
2008.5.19
『中国近代文学研究 留得』第22号(2008.4)が発行されました。
『劉鶚集』刊行の反響を特集しています。
ほかに、樽本「林琴南冤獄――林訳莎士比亜和易卜生」(『政大中文学報』第8期2007.12)があることを紹介しています。ありがたいことです。
ただ、『政大中文学報』に「日本」とあるのは誤りで、「台湾」が正しいのです。

呉曉峰主編『中国近代文学史証――郭長海学術文集』上下冊
長春・吉林人民出版社2005.3
2009.5.17
ようやく入手しました郭長海氏の研究論文集です。
秋瑾、近代文学、南社、李叔同、魯迅、その他という分類で大著です。
その「代前言」が編者の呉曉峰によって書かれており、興味深い。
「20年間に少なくない学者が中国近代文学史料の蒐集と整理の仕事に従事してきた」とあって、具体的な名前があがっています。すなわち、
「日本の中村忠行、樽本照雄氏など、中国国内では張純、劉徳隆、顔廷亮などの人」
というのです。私を入れていただいて恐縮ですね。ところが、つづけて
「近代作家と作品の史料をいくらか発見したが、それらはみなこまごましたものにすぎない」(4頁)
とあります。
申し訳ありません。冷や汗が出てしまいました。
今後も努力します。


長尾雨山を囲んで 商務印書館社員
上海図書館編『上海図書館蔵歴史原照』上冊 上海世紀出版股〓有限公司、上海古籍出版社2007.11
2008.5.4
上海の商務印書館が日本金港堂と合弁を解消したのは1914年です。日本人職員であった長尾雨山は、永住する決意で上海に渡ったものの、状況が変化したのですからしかたがありません。商務印書館を辞職しました。
長尾雨山は、帰国前に中国国内を旅行することにし、1914年6月21日、商務印書館同人が徐園で歓送会を開いたのです。
上に掲げたのは、その時の記念写真です。そういう珍しいものが上海図書館には所蔵されていたらしい。
人物だけを拡大します。白服には、修正が施されているのは、写りが悪かったものでしょうか。
前列左から鮑咸昌、印錫璋、長尾雨山、陶惺存、張菊生(元済)。後列左から朱赤萌、蔡松如、小平元、木本勝太郎、荘百兪、李抜可、蒋竹荘。
この写真を説明して蒋維喬跋「商務印書館送日本人離華帰国」としています。何度も送別会を開いていますから、そのうちのひとつだと考えれば間違いではありません。
2008.5.3
曹虹氏の「日本中国学会第59回大会傍聴記」(『日本中国学会便り』通巻第13号2008.4.20)が公表されています。
昨年、名古屋大学で開催された大会でのことです。私は「林琴南は戯曲を小説に翻訳したか」と題して発表しました。それに触れられており、ありがたいことです。
そのフリに「年輩の研究者たちもしっかりと範を垂れている」とあります。なるほど、私は「年輩」なのだな、としみじみと感じた次第です。
知らぬは本人ばかりなり、というではありませんか。
2008.4.22
齋藤希史「『申報』の文学圏――『瀛寰瑣記』創刊前後」(『吉田富夫先生退休記念中国学論集』汲古書院2008.3.1)が発表されています。
『申報』と『瀛寰瑣記』に掲載された外国翻訳小説について触れており、興味深い。
ところが、「マ夕閑談」を紹介する部分に引っかかるものがあります。
その粗筋を説明したのち、こう書いているのです。
「残念ながら、原作はいまのところ不明で、したがって翻訳の詳細な分析は他日を期すしかないけれども」(233頁)
「マ夕閑談」の原作が不明であると明記してあります。これを目にして、私はすこし首をひねる。
該小説の原作が、EDWARD BULWER LYTTON“NIGHT AND MORNING”1841であることは、アメリカのハナン(PATRICK HANAN。漢訳名は韓南)がずいぶん前に公表しているからです。
その論文は、漢訳もされました。(美)韓南著、葉雋訳「談第一部漢訳小説」(『文学評論』2001年第3期2001.5.15)です。2001年のこと。
ハナンの該論文(原題THE FIRST NOVEL TRANSLATED INTO CHINESE)は、以下の著作に収録されました。
PATRICK HANAN“CHINESE FICTION OF THE NINETEENTH AND EARLY TWENTIETH CENTURIES”COLUMBIA UNIVERSITY PRESS, NEW YORK 2004
この著作も、漢訳されています。(美)韓南PATRICK HANAN著、徐侠訳『中国近代小説的興起』(上海教育出版社2004.5)です。
私は、『文学評論』の漢訳を見て、樽本編『新編増補清末民初小説目録』(済南・斉魯書社2002.4)にも記載しておきました。
私の目録は、あまりお役に立たなかったようで、すこし残念。まあ、そんなもんでしょうか。
2008.4.5
黄林『晩清新政時期図書出版業研究』(長沙・湖南師範大学出版社2007.3)が出ています。
興味深いのは、外国企業との合弁問題についての次の説明。
「ある時期、これ(合資経営)は、日本のいくつかの出版企業が苦境を脱出するための重要な方法になった。たとえば金港堂と商務印書館の合作はまさにこれである」(68頁)
商務印書館が金港堂を救済した、と黄林は言いたいらしい。
あきれましたね。
私が『初期商務印書館研究(増補版)』(2004)にまとめ、そういう事実はない、と指摘しているのですが、聞く耳を持ちません。
救済されたのは商務印書館の方です。日本の金港堂が救いの手をさしのべたことを、まったく知らない。あるいは、認める気がない。聞きたくない意見は聞かない、ということです。その気持ちはわからないこともない?
2008.3.27
渡辺浩司氏より『新編増補清末民初小説目録』についてのご指摘をいただきました。
こちらへどうぞ。
2008.3.26
樽本照雄「林琴南冤獄――林訳莎士比亜和易卜生」(『政大中文学報』第8期2007.12)を掲げます。

劉鶚著、劉徳隆整理『劉鶚集』上下冊
長春・吉林文史出版社2007.12(装丁は2種類)
2008.3.25
劉鶚全集です。巨冊で上下にわかれます。
上冊は、河工、算学、医薬、文学(老残遊記、詩など)、批注題跋、禀稿啓事、日記書信電文を集めています。
下冊は影印で古文字与金石、音楽を収録。
劉徳隆「後記」「写於《後記》之後」「付印前的幾句話」あり。

姜維楓『近現代偵探小説作家程小青研究』
北京・中国社会科学出版社2007.10
2008.3.20
程小青の『霍桑探案』に焦点をあわせた研究書です。第1章中国偵探小説的産生、附録1程小青偵探小説理論文章、附録2程小青作品列表があります。
過日お知らせしました清末小説研究資料叢書11について。『清末小説研究ガイド2008』を6月発行予定にしました。柔軟に対応しているとお考え下さい。
2008.3.13
閔傑編著『晩清七百名人図鑑』(上海世紀出版股〓有限公司、上海書店出版社2007.12)が出版されています。
清末の政治、軍事、経済、教育、新聞、出版、文学芸術、および訪中外国人の写真を集めて、珍しいものが多いといえるでしょう。
ただし、金松岑と曾孟樸を取り違えているのはなぜだかわかりません。
2008.3.10
渡辺浩司氏より『新編増補清末民初小説目録』についてのご指摘をいただきました。
こちらへどうぞ。
2008.3.5
清末小説研究資料叢書11の刊行予告だとして『清末小説研究ガイド2008』をあげました。
本ホームページの「単行本」を見ると叢書12だし、叢書11ははてなマークではないか、とおっしゃる。
たしかに、番号が違っています。
それには理由がありまして、叢書11には、別のものが予定に入っているのです。
確定しましたら、またお知らせしましょう。
2008.3.4
『清末小説から』第90号の予告です。
第89号がまだ公開になっていないのに、というご意見もあるかと存じますが。
『清末小説から』第90号(2008.7.1)
「官場現形記」裁判の真相………樽本照雄
晩清小説作者掃描(拾伍)………武 禧
November Joeの中国語訳(下)………渡辺浩司
2008.2.27
昨年12月に左鵬軍氏のご指摘を紹介しました。
つまり、『新編増補清末民初小説目録』についての「不備」、すなわち小説目録であるのに戯曲、伝奇が混入していることです。
左氏からは、以下のようにたびたびご指摘をいただいています。
■「《新編増補清末民初小説目録》所録伝奇雑劇補述」『清末小説から』第69号2003.4.1
■「《新編増補清末民初小説目録》補正」中国近代小説研討会論文 2007.10天津
■「《新編増補清末民初小説目録》匡補」『明清小説研究』2007年第4期(総第86期)2007発行月日不記
詳しく見ていただいて、本当に恐縮です。重ねてお礼を申し上げます。
前回、説明いたしましたように、現在も増補訂正中の目録には左氏のご指摘を注記しました。
戯曲、伝奇がまざったままにしております。それは、利用者の判断にまかせるのが編集方針だからです。
必要なければ無視して下さい。小説と戯曲との関係を知りたい人には、ある方が役立つと思います。
2008.2.20
清末小説研究資料叢書11の刊行予告です。
『清末小説研究ガイド2008』の出版を準備中。2005の改訂版です。
該書には、「附録 本ガイド作成履歴」を収録しません。そこで、その部分のみを本ホームページに掲げることにしました。記録のためです。こちらへどうぞ。

日本知新社本『官場現形記』
2008.2.2
『官場現形記』の海賊版として日本知新社本があることは以前から指摘しています。
この「日本」というのは虚偽です。中国人が日本人になりすまして海賊版を作成販売したものです。
ところが、それを理解しない中国人研究者がいるので不思議に感じました。
海賊版裁判の結果、中国人が体罰を受けたにもかかわらず、社主の日本人はどこにいったのか、ととても不満そうなのです(本ホームページ2007.12.8で既報)。
日本人の存在を信じ込んでいるのは、海賊版そのものを見ていないのではないか、と気づいたのです。
上海で発行したにもかかわらず中国では見ることがむつかしいらしい。それを言うならば、日本で発行した『新小説』の全冊揃いは、日本にありませんが。
『官場現形記資料』(清末小説研究会2003.6.1 清末小説研究資料叢書4)には掲載しているのですが、見ていなければしかたがありません。
あらためて本ホームページに掲げておきます。
2008.1.24
「林紓文化研究所 http://hexun.com/czjr/default.html」というホームページがウェブに開設されています。
林琴南に関する文献を紹介しており、樽本『林紓冤罪事件簿』も含まれています。

『商務印書館上海印刷廠建廠100周年』
2008.1.13
大判で全ページがカラー印刷です。
商務印書館創立100周年を記念した出版物のうちの1冊でしょう。
「商務印書館上海印刷廠製版・印刷・装訂」とは書いてあります。ただし、発行年、定価などを明記していません。記念式典の参加者に配布したものかもしれません。
当時の書店書目には見かけませんでした。つまり、市販を目的に刊行されたものではないという意味です。
書名からして印刷工場を中心にした印刷物だと思いました。実は期待していたのです。
商務印書館が失火後、巨大な印刷工場を新築した正確な月日がわかるのではないか。
残念ながら、そこまでは説明がありませんでした。その点に関しては、通り一遍の巨大パンフレットにすぎません。
写真が多数でおもしろいのですが、学術的な要求をする方が無理なのでしょうか。
2008.1.12
『清末小説から』次号の予告です。
『清末小説から』第89号(2008.4.1)
『繍像小説』研究の現在………樽本照雄
November Joeの中国語訳(上)………渡辺浩司
晩清小説作者掃描(拾肆)………武 禧
「林訳小説叢書」の作品数………沢本香子
そのほか
2008.1.4
上海在住の研究者劉徳隆氏が編集発行しているミニコミ誌については、過去において紹介しています。
中国近代文学研究『留得』第18、19号が同時に発行されましたのでご紹介しましょう。

2008.1.1
本年もよろしくお願いいたします。
はじめに
中国の清末小説(しんまつ しょうせつ)を専門に研究している会です。清末とは、清朝末期のことを指します。厳密にいえば、「中国の」と付ける必要はありません。清末は、中国にしか存在しませんから。まあ、丁寧に言っております、くらいのことですのでご了承ください。
年代でいえば1900年代から1911年の辛亥革命をへて五四文学前です。
日本ならば、明治30年代から大正初期にあたります。
というわけで、清末小説を専門にしているといっても、中華民国初期の小説も含んでおりますので、誤解のないようにお願いいたします。
それならば、いっそのこと「清末民初小説研究」と称してもいいようなものの、長くなるでしょう。
研究会と称していますが、組織はありません。
定期刊行物として年刊の『清末小説(しんまつしょうせつ)』と季刊の『清末小説から』を発行することが研究会の目的です。
『清末小説』と『清末小説から』の最新号所収の論文は、いくつかを本ホームページで読むことができます。
なお、『清末小説』のバックナンバーは、中国書籍専門店で購入することができるかもしれません。『清末小説から』は、本ホームページのものを印刷してください。紙媒体では、基本的に発行しておりません。どうしても、という人は、国立国会図書館で読むことが可能です。
清末小説研究会の出版物は、中国書籍専門店(東方書店、燎原書店、朋友書店、福岡中国書店など)で購入できます。ご注文ください。
これまでの研究会活動を紹介するかわりに雑誌『清末小説(研究)』の編集ノートをあつめた編集ノート集をかかげます。おおよその活動が理解できるでしょう。
研究をめざす人を対象に『清末小説研究ガイド2008』を発行しています。清末小説研究資料叢書は、該ガイドを含めて11まで発行したことになります。発行部数そのものが少ないので、短期間で在庫がなくなる可能性が高いのです。