劉 鉄 雲 の 初 来 日


      樽 本 照 雄


 1906年、劉鉄雲は、2度、日本を訪れている。劉鉄雲が残した詩集、すなわち「東遊草」を根拠とする。
 「東遊草」を含める劉鉄雲の詩は、劉ゥ孫によってまとめられ、注を施し『鉄雲詩存』と題して出版された。済南斉魯書社1980年12月発行。1983年1月の再版本がある。
 劉ゥ孫は、劉鉄雲の孫にあたる人物だ。現在、福建師範大学歴史系教授。1984年、私の天津滞在中、氏は、福建からわざわざ宿舎を訪問下さったことがある。感激した私は言葉もなかった。
 『鉄雲詩存』の劉厚滋(ゥ孫)注によれば、「東遊草」はすべて光緒三十二年(1906)、劉鉄雲が日本に赴いたときに作ったものだという(『鉄雲詩存』42頁)。
 詩の題に込められた日付を見ると、最初の来日は旧暦正月、2度目は同年八月となる。
 劉ゥ孫の説明にしたがい、初来日を詩題のままにならべる。カッコ内は、陽暦の日付。
光緒三十二年(明治39年、1906年)
正月十四日(2.7) 夜 長崎着
  十五日(2.8) 茂木に遊ぶ
  十六日(2.9) 四国九州を過ぎる
  十七日(2.10) 神戸着、布引の滝
  十八日(2.11) 奈良着、春日神社
  十八日(2.11) 大阪泊、恵比寿橋
          丸万館
  十九日(2.12) 西京清水寺
  二十日(2.13) 嵐山
  二十四日(2.17) 口号
 日付なし     吉原
 日付なし     新橋
 日付なし     紅葉館

 「十八日(2.11)大阪泊、恵比寿橋丸万館」というのは、戎橋の丸万料理店のことか。紅葉館は、明治13年に創業した料亭。東京芝公園内にあった。
 見れば、長崎から、関西、関東へと、急ぎ足で名所旧跡を歴訪する旅と知れる。劉鉄雲がよんでいる「二十四日口号」には、「半ばは名勝に遊び、半ばは見物」という表現がある。なんのことはない、全部が観光ということだ。
 劉鉄雲の来日目的を考える場合、彼のこの表現を重視すべきだ、というのは劉ゥ孫(『鉄雲先生年譜長編』済南斉魯書社1982.8。134頁)と汝艮(「『老残』遊日本」『文学報』第140期1983.12.1)である。
 異論がないわけではない。蒋逸雪は、「劉鉄雲年譜」(魏紹昌編『老残遊記資料』北京中華書局1962.4。采華書林影印本。181頁。また、蒋逸雪『劉鶚年譜』済南斉魯書社1980.6。48頁)で、劉鉄雲の訪日について次のように言う。「本年、2度訪日しているが、その意向は不明。ある人は精製塩を売りさばくためだとか、古物を売るためだとかいっているが、いずれが正しいか知らない。」いろんな意見があるものだ。
 このたび、上に見る劉鉄雲の初来日を証明する新聞記事を見つけた。以下に紹介する。

 『大阪朝日新聞』明治39年2月12日
       欄外記事
●観光清人 道台劉鉄雲氏は観光の為昨
十一日上海より来着今朝奈良に向つて出
発せり京都に一泊し明日東上の筈同氏は
嘗て北京シンヂケート(福公司)の総弁
たりしことあり清国事業家の一人にして
在清国本邦人とは交遊最も広く本邦人に
して同氏の家に寄食し居たるもの尠から
ず同氏は又有名なる蔵書家にして金石に
通じ所蔵古銅器、骨董品、古書画類の如
き人目を驚かすに足るもの多し同氏は留
学の為今回二人の令息をも伴ひ来れり

 劉鉄雲は、上海から長崎に到着。長崎から船に乗って神戸に着いた(ン?!)。大阪に移動してきたところを朝日の記者が取材したらしい。そのあと、劉鉄雲らは奈良の鹿と遊び、大阪に引返し戎橋の丸万に宿泊した、ということになろうか。朝日の記事と、詩にうたわれた日程は、一致する。
 来日の目的も、観光であることが証明された。
 朝日の報道で、「同氏は留学の為今回二人の令息をも伴ひ来れり」という箇所が、私の目を引く。初耳である。劉鉄雲の子息で日本留学をした人物となると、劉大紳の名がすぐ浮かんでくる。
 <劉大紳 1886−x 字は季英、日本に留学して京都帝国大学文学部出身。其の著に「貞観学易」「女真訳語質疑」があり、皆未刊である。其の既刊に「最新養蜂法」(商務印書館出版)
  橋川時雄『中華文化界人物総監』中  華法令編印館1940.10.25。669頁>
 劉鉄雲に連れられてきた一人が劉大紳とすれば、彼が二十一歳のときだ。ついでに言えば、劉大紳の長男が、ほかでもない劉ゥ孫である。
 新聞記事には、二人の令息とある。もうひとりは誰なのか。待考。
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      樽 本 照 雄 著
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