漢訳ヴェルヌ「海底旅行」の原作


      神 田 一 三


 「凡爾納選集」と題する叢書が、1979〜81年付で中国青年出版社から出されている。『八十天環遊地球』(八十日間世界一周)など1950年代にでたものの再版を含むジュール・ヴェルヌの翻訳集だ。全部ではないが、私の手元にあるだけでも、12種22冊をかぞえる。この叢書の発行は、ヴェルヌ物が中国において現在でも根強い人気を獲得している事実を私達に教えてくれる。というのは、過去「「清末において、ヴェルヌ物の出版ブームがあったからだ。それも、多分に日本からの影響を受けた形で。
 ここで取り上げる漢訳「海底旅行」もそのひとつだ。原作は、ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne、1828−1905)の『海底二万リュー』( Vingt Mille Lieues sous les Mers、1869)である。のちにネヴェル(Alphonse Marie de Neuville 1836-1885)の挿絵入り本(1872)が出たというが、両者ともに、原本は見る機会を得ていない。
 英訳本には2系統あるらしい。訳者名を明示せず、ネヴェルの銅版画を111枚収録する “TWENTY THOUSAND LEAGUES UNDER THE SEAS”(BOSTON : GEO. M. SMITH & CO. 1873)、および完全版とうたう、フリス(Henry Frith)訳“Twenty thousand Leagues under the Sea”(1876。未見)である。完全版を称するものがあるところからも、挿絵本が抄訳であることがわかる。2、3の英訳本を見たが、訳者名を書かない本は、挿絵のあるなしにかかわらず、1873年出版のネヴェル挿絵本と同文みたいだ。
 さて、漢訳「海底旅行」は、『新小説』第1号(光緒二十八年十月十五日、1902.11.14)から連載が開始された。途中、休載はあったが同誌第2年第6号(第18号、刊年不記)の第21回をもって、未完のまま終了している。
 最初、「泰西最新科学小説」と角書きされていたが、第5号掲載の第12、13回より、単に「科学小説」と称する。
 また、原作者名を出したのは、第1号だけ。「英国蕭魯士原著、南海盧藉東訳意、東越紅渓生潤文」と記すが、第2号からは、原作者なしの「紅渓生述、披髪生批」と変わる。さらには、第4号になると披髪生(羅普)も消え、紅渓生が述べるのみとなる。
 以上の変化は、盧藉東の翻訳をもとに、紅渓生が自由に翻案したことを物語っている。
 ついでにいえば、英・露亜尼著、海外山人訳『海底漫遊記(一名投海記)』新小説社1906というものがあるらしい。これが、まったく「海底旅行」そのままの海賊版だという(周桂笙「説小説」『月月小説』第1年第7号1907.4.27)。
 問題は、「海底旅行」の漢訳者・盧藉東が拠ったものは、なにか、である。フランス語原文か、あるいは英訳本か、はたまた日本語訳本か。
 この問いに答えるには、盧藉東という人物が、日本に留学していたことが手掛かりのひとつとなろう。房兆楹輯『清末民初洋学学生題名録初輯』(台湾中央研究院近代史研究所1962.4)に次のように記録されている。

「(姓氏)盧藉東任明/(年齢)二十三/(籍貫)広東南海/(抵東年月)二十四年二月/(卒業年月)二十八年六月/(学校)蚕業講習所」

 わずかにこれだけの記述にすぎないが、盧藉東は、光緒二十四年(1898)二月に来日し、四年間を日本で過ごしたことが知れる。盧藉東が学校を卒業した四ヵ月後に横浜で『新小説』が創刊された。卒業のころには、「海底旅行」の訳稿が出来上がっていたのではないか。
 盧藉東が拠ったのは、日本語訳本というのが有力だ。
 明治翻訳文学について知るために、とりあえず、誰しもが参照する柳田泉の研究(『明治初期翻訳文学の研究』春秋社1961.9.15第1刷未見。1966.3.10第2刷)を見る。それによると、ヴェルヌ『海底二万リュー』の日本語訳には、次の3種類がある。

  1.『二万里海底旅行』 鈴木梅太郎訳 京都山本 明治13年(1880) フランス語原本からの直接訳。未見
  2.『六万英里海底紀行』 井上勤訳 博聞社 明治17年(1884) 英訳本からの重訳。
  3.『五大州中海底旅行』 太平三次訳 四通社 明治17年(1884)

 1の鈴木梅太郎訳本は、半紙本和装といわれる。しかし、柳田ですら未見で、私も所蔵目録など見たが、その所在は、わからない。つまり、流布しなかった本だ。盧藉東が拠った可能性は低い。
 2の井上勤訳本には、英国ヂユールス、ベル子原著(扉ではジユールス)、日本井上勤訳述、博聞社、明治17年2月28日版権免許と書かれている。この井上勤訳本に対する柳田泉の評価は、高い。引用する。

 「『六万英里・海底紀行』(上下合一冊)これも原作者はジュール・ヴェルヌ、有名な『海底二万リィグ』の訳である、これはなかなかの名訳で、井上氏の訳としては『魯敏孫』に劣らぬものだと思う。総体、井上氏の翻訳は他人の文飾を経ぬときの方が成績がよい。(中略)漢文口調と和文調を七分三分にまぜたもので、いわゆる周密文体の先駆の一つであろう。挿絵は原書のをそのまま西洋木版にしたらしく、面白いものがある」(柳田前出書55頁)。

 「挿絵は原書のをそのまま西洋木版にしたらしく」とあるが、やや正確さを欠く。挿入された8枚の絵のうち半分の4枚は、柳田のいうように、ネヴェルの図柄をそのまま木版(?)に写したものだ。しかし、残りのうち2枚は、原画に似せただけの物だし、もう一方の2枚にいたっては、原画とは関係のないまったくの創作である。柳田は、挿絵の作者について「ヒルデブランの銅版画」といっているが、これは何かの間違いだ。挿絵には「A de N」と「Hildebrand」のふたつの署名がなされている。前者が、画家のネヴェル(Alphonse Marie de Neuville)で、後者のヒルデブラントは、銅版画の彫り師の名前だ。
 翻訳の中身についていえば、英訳原本に忠実であり、柳田が、「(井上勤訳『六万英里海底紀行』は)太平氏訳の『海底紀行』と同じものなれど、井上氏の方の訳がずつと佳」(柳田前出書404頁)と書いている通りである。
 3の『五大州中海底旅行』は、井上勤訳本よりよほど多く売れたらしい。ネヴェルの挿絵13枚を貼付した上編が、四通社から発行されたのは明治17年10月である。下編は、翌明治18年3月、起業館より出版された(下編初版未見。覚張栄三郎刊の明治19年6月再刊本を見る。これには上編と重複するものを含めて6枚の挿絵が張り込まれる)。上下分冊、合冊本と形態を変え、版を重ね、架蔵のものは、上下編合本の1冊本、辻本九兵衛、鎗田政二郎刊明治20年3月の三版である。合本版には挿絵10枚が収められているはずだが、私の本ではどういうわけか、それらがすべて剥ぎ取られている。扉に、仏国シユールスペン原著、日本服部誠一校閲、日本大平三次重訳、明治十九年六月刊行とある。原著者名は、上編本文ではジユールス、ベルン、下編ではヂユールス、ペルンと表記され、ゲーテでなくともびっくりする。これではヴェルヌを表わす中国語訳がマチマチなのも、なんら不思議ではない。
 柳田泉は、次のように書いている。
 「この年(注:明治17年)、井上氏の『海底紀行』の訳のほかに、同じ原書を太平三次氏が訳し、『五大州中海底旅行』(赤表紙、四六版二冊)と題して出版している。これは文章は大いに流暢に読み易くしてあるが抄訳であり、挿絵の点でも井上氏の訳本の敵ではない。しかし普通『海底旅行』の翻訳といえば、この方のみ云々されて、井上氏の『紀行』の方は余り知られていない。読み易いだけにかえって太平訳の方が売れたものであろう」(柳田前出書55−56頁)。
 大平三次訳本が版を重ねている事実が、柳田説の正しいことを裏付けている。なお、柳田の同書では、大平のことをすべて「太平」と表記するが、誤植であろう。原本を見るかぎり、大平三次である。ついでにいえば、富田仁『フランス小説移入考』(東京書籍1981.3.27)および同氏『ジュール・ヴェルヌと日本』(花林書房1984.6.20)は、柳田泉の誤植を踏襲している。
 井上勤訳本と大平三次訳本がそろった。さて、漢訳「海底旅行」の原本は、そのいずれか。
 それぞれの冒頭をくらべてみる。
 ●井上勤訳本
 説キ起ス茲ニ紀元一千八百六十六年ハ
奇妙不思議ノ現象顕ハレ出デ最ト怪キ出来事ノアリタルガ為メニ最モ著シキ年トナリ世ノ人今ニ其年ヲ記臆セザルモノナシ
 ●大平三次訳本
 話説す墺西多羅利国は印度洋の中に位
し四面に大海を繞らして渺々たる滄溟は
幾万里の天に連なるを知らず
 ●漢訳「海底旅行」
 話説世界上大州有六。大洋有五。中有一国。名為「墺西多羅」。在「亜細亜」之南。「印度洋」之中。渺渺滄溟。水天万里。
 一見して明らかなように、漢訳「海底旅行」は、大平三次訳本をさらに意訳したものである。ヴェルヌの原作は、登場人物アロナックスの自述によって物語が進行する。英語訳でも、井上訳でもその設定はくずされていない。ところが、大平訳では、第三者が話を記述することにおおきく変更してしまっている。漢訳も、当然、大平訳にならう。
 漢訳「海底旅行」について、中村忠行は、「華訳本は、大平訳に拠つたのではないかと見られる節「「訳語・文体・省略個所の一致「「がある」と書いている(「清末の文壇と明治の少年文学(一)」『山辺道』第9号1962.12.25。53頁)が、遠慮することはない。漢訳「海底旅行」は、大平三次訳本に拠っていると断言してよろしい。    

【記】各版本については、国会図書館、天理図書館にお世話になりました。感謝いたします。