再 来 日 し た 劉 鉄 雲


      樽 本 照 雄


 前稿「劉鉄雲の初来日」(『清末小説から』第1号1986.4.1)を補うことから始める。
 劉鉄雲はふたりの息子を伴い来日した、と新聞記事にあった。ひとりは、劉大紳であろう。待考としたもうひとりは、劉大章ではなかろうか。劉大章は、劉鉄雲らが日本訪問をする前の年、1905年二月に留学を目的として大阪に赴いている。大阪商船学校に入学、のち、早稲田大学政治科に転入。劉大章(1875−1922)は、劉鉄雲の兄・渭卿の第三子として生まれた。その時、結婚後2年になる劉鉄雲夫妻にまだ子供がなかったため、南方の習俗に従い、劉鉄雲の長子として迎えたのだという(劉ゥ孫『鉄雲先生年譜長編』済南斉魯書社1982.8。8,115頁)。そうすると、劉鉄雲、大紳の親子は、日本留学中の長子・大章に合流したか、あるいは、大章が休暇で帰国しており、その再渡日に便乗したかであろう。
 さて、1906年(明治39年、光緒三十二年)、劉鉄雲は初来日から数えて八ヵ月後、ふたたび日本を訪れた(日本には大章が留学していたはずだが、劉鉄雲が大章に会ったということを聞かない)。
 再来日の旅程を探るのは、少々ややこしい。「東遊草」(劉ゥ孫標注『鉄雲詩存』済南斉魯書社1980.12。1983.1再版)にならべられた詩の順序が、地理的に見て、劉鉄雲の足取りをそのまま示しているとは思えない配列となっているからだ。その点が、初来日の詩と異なる。「東遊草」に挙げられた順序のままに、詩題に込められた地名、人名などを書き出してみよう。カッコ内は陽暦。

光緒三十二年(明治39年、1906年)
八月十五日(10.2) 京城
 日付なし     星岡茶寮
八月十六日(10.3) 夜、相模丸、玄海
 日付なし     馬関春帆楼
 日付なし     無題(『鉄雲詩存』では削除)
 日付なし     日光中禅寺道中
 日付なし     華厳滝
 日付なし     白竜滝
 日付なし     湯滝
 日付なし     春日神社
 日付なし     昨夜(『鉄雲詩存』では削除)
 日付なし     丹波雪子
 日付なし     仁川
 日付なし     平壌
 日付なし     塔之沢、箱根への道中

 劉ゥ孫は、「無題」「昨夜」を削除した理由を説明して、それらの詩が「まったくのたわむれの作(純是游戯筆墨)」だからという(「『鉄雲詩存』跋」)。明かしてみれば簡単で、内容がエロチックだと判断されたためである。
 京城は現在のソウル。星ヶ岡茶寮は明治17年に開業した、会員制の茶室を中心とする高級料亭。東京永田町の日枝神社内にあった。相模丸は、日本郵船の船で、玄海は玄海灘のこと。馬関春帆楼は、現在、下関の日清講和記念館となっているという。華厳滝は日光中禅寺湖に、湯滝は、その北に位置する湯ノ湖にある。ただし、白竜滝という滝は、付近には見当らない。白雲滝と竜頭滝は実在するから、両者を合体して称したものか。春日神社は奈良。仁川、平壌はともに言うまでもなく朝鮮半島にある地名。塔沢はそのまま箱根への道中だ。
 ソウルからいきなり東京へ。船中にあるかと思えば、下関。日光へとんで、はたまた奈良。仁川、ピョンヤンへ行ったかと思うと箱根に逆戻り。地理的に見て、あっちこっちと錯綜しているのがわかるだろう。日付がないところからくる混乱だ。
 劉鉄雲の再来日について、蒋逸雪が資料を加えている。陰暦八月二十五日(10.12)、「日本東京芝区烏森町吾妻屋旅館」に劉鉄雲が滞在していた(蒋逸雪「劉鉄雲年譜」、魏紹昌編『老残遊記資料』所収。北京中華書局1962.4。采華書林影印本。181頁)。
 これに、私が見つけた次の資料をつけ加える。

 『大阪朝日新聞』明治39年10月11日
     欄外記事「来往」欄
▲清客劉鉄雲氏 同上(沢文)

 「同上」というのは、「九日夕入洛」を意味する。「沢文」は京都麩屋町の宿だ。劉鉄雲は、10月9日(陰暦八月二十二日)京都に着いた模様である。
 もうひとつの手掛かりは、相模丸だ。この日本郵船の所有船は、新聞の出船広告によると、門司−長崎−釜山−仁川−芝罘−大沽を巡回している。
 相模丸の寄港地と劉鉄雲の詩とが共通するのは仁川だ。
 八月十五日(10.2)に劉鉄雲はソウルにいる。ソウルから仁川に出たと考える方が自然だ。そうなればピョンヤンを経てソウルに着いた可能性が高い。
 劉鉄雲は、陸路、ピョンヤン、ソウルを経て、仁川で相模丸に途中乗船した。十六日(10.3)、玄海灘を通過すれば終点の門司だ。門司で下船し、下関に渡る。関西へは、陸を行ったか、それとも瀬戸内海の道を取ったか不明。順序からいえば、奈良の春日神社が続く。初来日に訪れているから2度目ということになる。二十二日(10.9)夕方、京都に入り、宿泊。汽車でしか東京に向かう方法はない。二十五日(10.12)、東京の吾妻屋旅館。ここを拠点にしたと思われる。星ヶ岡茶寮に遊び、丹波雪子に抹茶をたててもらい、色里にも遊んだ。日光中禅寺湖へ行き、滝を巡る。箱根十三湯の一、塔沢にも足をのばした。
 以上の旅程通りに、もう一度劉鉄雲の詩を配列しなおす。< >は樽本注。

 日付なし     平壌
八月十五日(10.2) 京城
 日付なし     仁川
<仁川で相模丸に途中乗船>
八月十六日(10.3) 夜、相模丸、玄海
<門司に上陸>
 日付なし     馬関春帆楼
 日付なし     春日神社
<八月二十二日(10.9)京都着、沢文>
<八月二十五日(10.12)東京、吾妻屋旅館>
 日付なし     星岡茶寮
 日付なし     丹波雪子
 日付なし     無題(『鉄雲詩存』では削除)
 日付なし     昨夜(『鉄雲詩存』では削除)
 日付なし     日光中禅寺道中
 日付なし     華厳滝
 日付なし     白竜滝
 日付なし     湯滝
 日付なし     塔之沢、箱根への          道中

 『鉄雲詩存』では削除された「無題」「昨夜」は、一応、東京のこととした。しかし、門司上陸後、京都に着くまで、5、6日の期日があるから、下関、大阪、奈良でもいいし、また京都でもよい。
 劉鉄雲の来日目的は、詩を見るかぎり、初来日と同じく観光であったようだ。
 それにしても丹波雪子とは誰なのか。気になる。


【付記】カナダ在住の鮑耀明氏より資料をいただきました。記してお礼を申し上げます。


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