劉鉄雲の汪康年・梁啓超あて手紙


      樽 本 照 雄


 劉鉄雲の汪康年・梁啓超あて手紙1通を見つけた。近頃出版された上海図書館編『汪康年師友書札』(三)(上海古籍出版社1987.5)に収められている。劉徳隆・朱禧・劉徳平共編『劉鶚及《老残遊記》資料』(四川人民出版社1985.7)には、未収録であるのでここに紹介する。
 まず、出てくる人名から見ていこう。宛名の穰卿は、汪康年の字である。卓如も、梁啓超の字だ。「農務会」を創設した羅式如というのは、羅振玉のこと。
 つぎに、この手紙が書かれたのは、どこで、また、いつか。
 時間を表わす文句を探してみる。最初に「去年の秋、お教えを拝聴いたしまして、しらぬまにすでに半年」とある。さらに、「三月末に都をあとにする所存でしたが、また諸事に拘束され、上海に着きますのは、おおよそ端午の節句前後になりましょう」と、具体的に書かれている。さらには、「三月初三日『申報』」という記述もある。三月であることは、はっきりしている。では、何年のことか。時間を推測する有力な手掛かりは、文中の、先日、卓如先生の「康女士伝」を読みました、という箇所である。「康女士伝」とは、梁啓超の「記江西康女士」のことに違いない。該文は、『時務報』第21冊(光緒二十三年二月二十一日<1897.3.23>)に掲載されている。
 つまり、劉鉄雲のこの手紙は、光緒二十三年三月中に、北京で書かれたものである。
 時間を念頭において、文中の事柄を見ていこう。
 光緒二十二年(1896)、上海を訪れた劉鉄雲を迎えて、汪康年、梁啓超、宋伯魯、毛慶蕃、黄葆年、羅振玉らが集まったことがあった。その時、劉鉄雲の詩「郊遊即目」に各人が和したという(劉ゥ孫鉄雲先生年譜長編』(山東斉魯書社1982.8。36頁)。最初にでてきた、「去年の秋、お教えを拝聴いたしまして」というのは、このことを含んでいるだろう。
 羅振玉が「農務会」を創設したとあるが、これは劉鉄雲の記憶違い。「農学会」が正しい。農学会は、農業振興を目的に、羅振玉が蒋伯斧らと光緒二十二年(1896)、上海に組織したものだ。その機関紙『農学報』が、翌光緒二十三年四月に創刊された。中国最初の農学刊行物だ。創刊号に梁啓超が序を書いている。梁啓超序につづいて、「務農会略章」が掲げられているところから、「務農会」と一般に称したかと想像する。もしかすると劉鉄雲の「農務会」というのは、ここからの連想かもしれない。
 三月末に北京を出発するつもりだった劉鉄雲が、上海に着くのが端午の節句前後になるというほどの「諸事」とは、山西の鉱山開発計画であろう。前年は、芦漢鉄道、津鎮鉄道建設のために北京、上海、漢口をとびまわっていた(劉鉄雲は、鉄道のことで多忙、という言葉が羅振玉の汪康年あて手紙に見える。『汪康年師友書札』(三)3153頁)。
 劉鉄雲が、羅振玉に託して、汪康年、梁啓超のふたりに媒酌人になってほしいと書いてある。劉鉄雲の第四子大紳と羅振玉の長女が結婚するのは、この手紙から八年後の光緒三十一年(1905)だから、羅振玉の長女ための媒酌人ではなかろう。文面はつづいて、「わたくしは、妻を失ってすでに四年、そばめ、子供もあります。歳も四十にして役人とは、もともと続ける気もありません。中国の風習がかたく閉ざしていることを思えば、この変わりものの娘には配偶者を見つけるのはむつかしいですし、役人の家にははばかられることが必ず多く、そうなればその才能を伸ばすことは困難ですから、自分で売りこむよりしかたがありません。卓如先生が中国女学を開設されるのに成功されることを望む理由でもあります。お考えはいかがでしょうか」と述べられている。
 正室王氏を病気でなくしたのが光緒十九年(1893)で、手紙のとおり四年前だ。 それに続く部分を、わたしは、「そばめ、子供もあります。歳も四十にして役人とは、もともと続ける気もありません」と訳した。この原文には、「已有姫妾,子女年亦強仕,本不願続」と句読点がうってある。手紙それ自身には、句読点などあるはずがなく、ここには、編者の読みが表わされているのだが、問題は、「姫妾,子女」と切った箇所だ。こう切ると「子供も歳は四十」と読むことになってしまう。ところが、この手紙が書かれた光緒二十三年は、劉鉄雲のほうが四十一歳なのだ。親も子供も同い年などありえない。句読点の区ぎり間違いではないか。
 子供、それも特に娘の結婚問題についての手紙である。
 追伸部分に、「淮安で報20部を代理販売いたしました」と書かれている「報」とは、当然、梁啓超の「記江西康女士」が掲載された『時務報』である。預かった20部のうち6部が売れているのを淮安で確認し、その代金を上海に送った。残りの14部も売れたが、家からの連絡でまだその代金を送っていないことを知り、五月に上海を訪れたおりに、清算いたします、とはきっちりしたものだ。