劉鉄雲故居訪問日記


      樽 本 照 雄


1987年
 11月9日(月) 午前3時、起床。コーラとクロワッサン(3年前は、和平飯店南楼に食堂があった。今は、しゃれたパン屋に変身。ここで買ったもの)で便意を促す。長距離バスに乗るのだが、トイレなど期待できないからだ。4時半、前日予約しておいたタクシーが到着。時間通りなのに感心する。停留所まで4.8元。日本円に直して約200円。悪いなあ。 5時30分、漣水行きバスに乗車(淮安まで鉄道が引かれていないとは知らなかった)。指定席なのだから焦る必要はないにもかかわらず、つい、まわりの中国人につられてしまう。人、自転車、トラクター、ロバ、馬車、バスなど、とにかく追い抜く、かわす、クラクションをあびせる。身体がまえのめりになったかと思うと、トラックに追突。フロントグラスは強化されておらぬただの窓ガラスらしく、いとも簡単に割れてしまい、ハンドルが動かぬ。小1時間で応急修理してしまったのには拍手。江陰で渡江。江都で昼食。食欲なし。おもいきり開放政策を取らざるを得なくなったフロントグラスから、なつかしい畑のにおい、牛糞の香りが冷風とともに顔面を直撃する。黄濁した大河「「大運河の土手沿いにひたすら北上、淮安に着いたのは午後4時40分である。群がってくる輪タクで学会の開催会場・楚州賓館へ。正式の集合日は、明日10日で、明日ならばバス停に出迎え
の車が出るのだという。持参した中国語の論文「劉鶚和日本人」50部を提出。私には応接間付きの、つまり特別室?をあてがわれる。なにしろ疲れた、7時から湯が出るというのでフロにはいり、家に報告書を書くと、早々に寝てしまう。

 11月10日(火) 宿舎近くの名所「鎮淮楼」を見物。楼上では、「人体生理科普展覧」をやっているではないか。ミイラ、胎児のホルマリン漬け、性病写真など、これがあの衛生博覧会かとおもう。変なものを見てしまった。午後、劉鶚誕辰一百三十周年紀念学術討論会への参加者が続々到着しているらしく、そのうちの何人かが部屋を訪れる。資料の交換で名前だけはしっている研究者としばしの談話。夜、中央テレビでソ連映画「戦争と平和」を連続放映している。
 9時には寝る。9時半、ドアをノックする音が聞こえる。陳遼たち5名が訪れて言うには、今回の討論会には外国人は参加出来ない、これは、上級の規定である、と。なんということだ。「呼んで」おいて、それはないだろう。笑顔がひきつりそうになるが、なぜだか笑顔のまま応対しようとする自分を感じる。悪い予感が的中したにもかかわらず顔にはりついたこの笑顔の意味するものは、話のタネができた喜びかも知れぬ。明日は、タルモトのために案内人をつけ、劉鉄雲の関係場所を案内し、明後日は、専門家が集まって私的な座談会を特に開いてやるという提案。イヤだといって通じるような場所ではなし、資料を全部欲しいとこちらの希望をのべて受け入れられる。ナンナノダッ、彼等がひきあげていったあと、おもわず声が出てしまった。

 11月11日(水) 朝、多くの研究者に会う。淮安の宣伝部の案内で、周恩来総理故居(淮安で生まれ、幼少時代を過ごしたのだそうだ。淮安観光の目玉にするつもりなのだろう)、呉承恩故居、韓信関係の地を見て、午後は、いよいよ劉鉄雲故居である。
 淮安の市街図は、まだ作成されておらず、遊覧図を掲げておくが、これには劉鶚故居の記入はない(おおよその位置を書いておく)。勺湖の東に位置し、西は地蔵寺巷に接し、南は高公橋西街に面し、東に向かえば北門大街に通じる場所にある。故居は、東院(劉鉄雲の兄が住んでいた)と西院(劉鉄雲の住居)の一部が修復なったばかりだ。入り口を右手に行くと東院で正面に劉鉄雲の肖像が軸もので掛けられ、文献、愛用の品らしいボロボロの琴が展示されている。西院の北室には、劉鉄雲の生涯が連環画になっている。悪くない絵だ。南室は写真、新しく書かれた書画など。なにしろ正式公開は明日というのだから(あとから聞いた)、展示物はおいおい揃えていくのだろう。「漢奸」と呼ばれた時期もあった劉鉄雲の故居が修復されて、今、私の眼の前に存在している。その入り口横の壁に「県級文物保護単位 劉鶚故居 淮安県人民政府 一九八五年三月」と石のプレートがはめこんである。ソ・ウ・デ・ス・カ。フムフムム。あっけないような、まことに不思議な、違和感のようなものを感じる。夕食後、一人来室、一人来室、五人来室。話す。就寝前、竹中労『美空ひばり』(朝日新聞社文庫)がおもしろい。

 11月12日(木) 起きぬけに一人来室。今朝は北方風に、ゴマ餅、フカシパン、豆漿、メンの唐揚げ。大運河沿いに土手を南に車で20分走る。下車。あたり一面畑のなかを東にのびる一本道を歩く。小雨まじりのモヤと風。20分くらいと聞いていたが、なかなか。ひたすら歩く。自転車、一輪車とすれちがう。路傍の農家では、新築ラッシュ。並木をなかをただ歩く。ちょうど1時間歩いたところに劉鉄雲の墓はあった。「清劉鉄雲先生之墓」と刻んだ墓碑が新しい。裏には何も記されていない。大中小の土が盛られ、大は劉鉄雲の父・成忠の、中が劉鉄雲自身の、小は劉鉄雲の次女・馬保のものだという(陳民牛「劉鶚墓地追尋記」『劉鶚誕辰一百三十周年紀念冊』1987.11)。ただし、あとで聞いてみると劉鉄雲の父・成忠は鎮江に葬られたはずだから、大きいのは成忠の墓ではないはずだ、とのことだ。それでは、誰のものかということになると、よくわからん、研究するという返事。墓の存在するのは大後村というらしく、そこの党支部でお茶をふるまわれた。来た道を同じ時間かけてもどる。同伴者が溜息をつく。つきたいの私の方だ。冷たい風にさらされるが、歩くため汗がしたたる。宿舎に帰って、5日分の食費50元と宿泊費210元、合計260元を支払う。 午後2時半より座談会。12名が来室。劉鉄雲と老残遊記について親しく懇談。5時終了。写真撮影。
 夕食後、一人が言う。今回の討論会に外国人の参加を認めなかったのは国家の規定である。これに違反することはできない。くれぐれも討論会に参加したと書かんように(事実、討論会には出席できなかった)。しかし、実は、交流を望み歓迎をしているのである。ゆえに、劉鉄雲の故居を見せたし、討論会の資料も渡した。劉鉄雲の子孫、中国人の研究者も訪れていない劉鉄雲の墓にも案内した。理解して欲しい。
 風呂の後、二人来室。

 11月13日(金) 起きぬけに一人来室。朝食後、二人来室。一人来室。一人来室。午前中の予定はないらしい。今回の討論会は、通知にも、記念冊にも、会議中にも明記はされてはいないが、「平反(名誉回復)大会」なのである、と聞かされ、思わずのけぞる。純粋の学術討論会とばかり思っていた。政治大会に外国人が参加できないのは当たり前だ。そうすると、あの劉鉄雲批判は政治キャンペーンであったのか。違和感が増幅される。午後の予定もなし。散歩。夜は、打ち上げの宴会。総勢約60名が食堂に集合。各テーブルに名前一覧表が置かれている。私も呼ばれたから宴会には参加していいらしい。名簿をみると、「日本学者」とある。そこからは、「理解してほしい」という声が聞こえる。思わず、「我姓日本、名字叫学者」と言ってしまう。始めて見る顔がある。県の役人らしい。
 劉鉄雲の著作、太谷学派関係の資料を見せてもらう(上級の許可アリ)。論文を書いて欲しいと要望しておいた。
 二人来室。一人来室。

 11月14日(土) 6時、陳遼の見送りを受け、6時50分発、上海行きのバスに乗る。交通事故で1時間渋滞。トラックどうしの正面衝突。そのほか、合計5件の事故に遭遇。遅れるはずだ。身をもって中国経済の活発化を知る。夜8時、上海到着。夕食を食いはぐれる恐怖を感じつつホテルさがしに右往左往する。 ィ

【資料1】             
『劉鶚誕辰一百三十周年紀念冊』目次
       1987.11
開頭話……………………淮安県紀念劉鶚
       誕辰130周年籌備委員会
劉鶚生平…………………王正竜・許文金
劉鶚与淮安…………………………楚 傑
劉鶚故居的変遷和修理……………潘正凡
劉鶚墓地追尋記……………………陳民牛
劉鶚新論……………………………陳 遼
劉鶚名、字、筆名、室名索引
関於劉鶚著作、版本、論著目録
紀念劉鶚誕辰130周年籌備委員会名単

【資料2】配布論文など(順不同)  
在首届劉鶚学術討論会上的開幕詞
            ………陳 遼
試論劉鶚対甲骨学的貢献…………劉徳隆
鉄雲庚子詩二首初探………………楊先国
建国以来劉鶚研究概述……………袁 健
劉鶚《宿秤鈎駅》詩的幾個………顔廷亮
劉鶚《道徳経批文》与《老残遊記》
        ………葛崇烈・諸祖仁
《老残遊記》雑談二題……………丁福林
創新与伝統「「略談《老残遊記》
  的魅力…………………………袁 進
劉鶚与鎮江…………………………王 驤
有関《老残遊記》研究資料二題…厳薇青
関於《老残遊記》一公案………曾 陽
《老残遊記》:一種現代化理論和
  一位思想者命運的検討………徐保衛
寓言的暗示:《老残遊記》与晩清
  社会思潮………………………蔡鉄鷹
劉鶚的文学批評……………………顧水心
劉鶚三議……………………………白 堅
鉄雲的経済思想……………………劉ゥ孫
《老残遊記二編》補編(様本)…劉ゥ孫
読《老残遊記》第一回札記
        ………劉沢球・浦徳欣
以養天下為已任……………………連燕堂
劉鶚筆下的劉鶚……………………索 義
対劉鶚“漢奸”之管見……………陳民牛
劉鶚的審美情趣与《老残遊記》的
  芸術風格………………………朱徳慈
従《老残遊記》看作者的創作心態
            ………鍾賢培
末世悲歌話劉鶚……………………李徳身
読《老残遊記》札記………………李沢平
《老残遊記》的進歩傾向和叙景状
  物的特色………………………葛正華