《獄中題壁》という詩の原作者について
  「「劉鶚・譚嗣同関係史実辯正


     張 純著・宋 松訳


 《清末小説から》第六号(1987.7.1)に劉徳隆・劉徳平両氏の「劉鶚与梁啓超及戊戌変法」という文章が掲載された。そこでは、

  望門投止思張倹,忍死須臾待杜根。  我欲横刀向天笑,去留肝胆両崑崙。

という譚嗣同の《獄中題壁》に言及している。さらに、「両崑崙,説者謂:一為康有為,一則王五」という注釈を論拠として、「劉鶚与譚嗣同的結識当在戊戌変法之前,並且対譚嗣同的作為是明確支持的」という結論を引き出してしまった。
 私は、この結論は誤りだと考える。それは、まず、《獄中題壁》という詩の原作者は譚嗣同ではないからである。だから「両崑崙」というのは、当然、「縁鶚之介」のあの大刀王五のことを指すのではない。
 《獄中題壁》という詩の原作者については、1955年、李沢厚が疑問を出している。のち、台湾の学者である高陽・黄彰健の両氏が、それぞれ専論を発表し論じたが、惜しむらくは強力な証拠を提出していない。昨年、傅剣平が《譚嗣同<獄中題壁>詩考辯》を発表し、詩の中に出てくる「横刀」、「忍死」という二句について疑問を発した。譚嗣同の思想と人柄に一致しないというのである。さらに進めて、この詩は梁啓超の手になる偽作だという仮説を出した。しかし、実をいうと《獄中題壁》という詩の原作者は、戊戌の難に殉じた「六君子」のひとり林旭なのである。
 もと天津《大公報》の主宰者であった英斂之は、光緒己亥(1899)年三月の日記に次のように書いている。

  初九日……灯下閲《国聞報》、有林旭《獄中詩》二絶、云「青蒲飲泣知無補、慷慨難酬国士恩。欲為公歌千里草、本初建者莫軽吾」、「望門投止憐張倹,直諌陳書愧杜根。手擲欧刀向天笑、留将功罪後人論」。

  英斂之の日記に見える《獄中詩》の第二首こそ、譚嗣同の作だと誤り伝えられた《獄中題壁》なのである。
 天津《国聞報》は、光緒二十三年(1897)十月初一日に創刊され、戊戌変法運動期には維新派の重要新聞のひとつであった。かつて厳復が翻訳したハックスレーの名著《天演論》を掲載し、上海の《時務報》と遥かに呼応して、ともに維新派の南北両大代弁者となっていた。英斂之の日記によると、天津《国聞報》が林旭の《獄中詩》二絶を掲載したのは、光緒二十五年四月であった。戊戌変法の失敗後で、《獄中詩》に関して、現在、見ることの出来る、最も早い記録といえるだろう。さらに、清末の《繍像康梁演義》にも、林旭の遭難詩二首が収録されているが、その内容は、なんと英斂之の日記に見える林旭の《獄中詩》と完全に一致するのだ。偶然の一致であろうか。ただ、林旭の《獄中詩》があやまって譚嗣同の《獄中題壁》とされたのには、歴史的理由があったためであろう。傅剣平氏のいうように、そこには、人為的な政治の要請があったかもしれないし、あるいは、台湾の高陽・黄彰健両氏がいうように、これは普通のちょっとした誤りであるかも知れない。しかし、いずれにせよ、早くから伝わっていた《獄中詩》には、たしかに「去留肝胆両崑崙」という詩句は、なかったのである。
 さて、劉鶚と大刀王五の関係は、現存する劉鶚の詩文と日記には記録されていない。ただ、蒋逸雪の《劉鶚年譜》だけが言及している。劉鶚の生前の交際状況から見れば、大刀王五と知りあう可能性は排除できない。しかし、そこから、王五と譚嗣同が知りあったのは「縁鶚之介」であるとするには、劉鶚についての未公開資料が、さらに一歩進めて公開されるのを待たなければならない。以上から、劉氏兄弟のいう「劉鶚与譚嗣同的結識当在戊戌変法之前」は、成立しない。「対譚嗣同的作為是明確支持的」というに至っては、おそらく主観的な憶測で、問題を説明するには不十分である。
 樽本照雄氏は、《劉鉄雲は梁啓超の原稿を読んだか2「「劉徳隆・劉徳平両氏に答える》で、劉鶚と梁啓超の関係をきっかけとして、劉鶚と戊戌維新運動との関係について研究を進めようとしている。しかし、私個人としては、劉鶚の思想と維新変法思想は全く相いれないものだと思っている。劉鶚は、「養天下為己任」をもって、「今日国之大病、在民失其養」と考えているからである。彼は、生涯を通じて、治水、鉱山開発、鉄道建設、商業経営などをおこなったが、これらはすべて「養民」を目的としたものだった。彼の思想は、清末の洋務派と近いものだ。劉氏兄弟は、該文のなかで劉鶚と関係のあった多くの維新派の人物の名をあげたが、これは、劉鶚の交遊範囲を説明できるだけで、それ以外の結論を得ることはできない。劉鶚が梁啓超の依頼に応じてその翻訳《十五小豪傑》のために題簽を書いたかどうかに至っては、1903年、横浜新民社から刊行された原著を見ることができればすぐわかるはずだ。現在、捜査中であり、見つけ出したら再び論じたい。
        1987.7.19中国南京にて