前号、劉鉄雲書簡に関しての訂正


      樽 本 照 雄


 『清末小説から』第7号で、劉鉄雲の汪康年、梁啓超あて手紙を紹介した。匿名希望氏と大塚秀高氏より、誤読をしているというご指摘をいただいた。以下に訂正をしたい。
 劉鉄雲の手紙は、自分の娘の結婚問題についてではなく、自分自身を康女士に売り込むものである。関係部分を翻訳する。

 「先日、卓如先生の「康女士伝」を読み、気持がたかぶりました。康女士が未婚であることを知り(3月3日付『申報』にも言及あり)、手紙で羅式如兄に託し、おふたり(注:汪康年、梁啓超)に媒酌人になってほしいとお願いいたしました。わたくしは、妻を失ってすでに四年、そばめ、子供もあります。歳も四十ですから、もともと後妻をめとるつもりもありませんでした。しかし、中国の風習がかたく閉ざしていることを思えば、この奇特な女性が配偶者を見つけるのはむつかしいですし、役人の家にははばかられることが必ず多く、そうなればその才能を伸ばすことは困難ですから、自分で売りこまないではいられません。これもまた、卓如先生が中国女学を開こうというのを成就させたいという気持からであります。お考えはいかがでしょうか」

 ニュージーランドのManying Ip氏は、この劉鉄雲の手紙について、みっつの疑問を私に提出された。
 1.女性が「配偶者を見つけるのがむつかしい」というのが、なぜ「その才能を伸ばすことが困難」になるのか。当時は、女性は結婚しなければならず、そこではじめて事業を伸ばすことができたのであろうか。しかし、少なからぬ独身女性が事業に成功しているではないか。
 2.このことと「卓如先生が中国女学を開こうという」のと何の関係があるのか。
 3.劉鉄雲は、康女士と結婚したのか。 以上のうち、3番目の答えが、結婚していない、というのを除いて、今、回答できる状態にはいない。匿名希望氏のお手紙のなかに次のようにある。公開許可を求めると拒否されそうなので、無断で引用させてもらう。お許し下さい。「この求婚申込みですが、横井庄一氏や小野田氏に多くの女性が名乗りをあげたように、とかく男女を問わず英雄視されると、どいうわけか、求婚の申込みが殺到するという社会現象にお目にかかります。これは一体いかなる心理かと私は常々疑問に思っています。義侠心、同情、正義感、庇護意識等々を否定できませんが、やはり動物界の勝い種に対する自然の選択が働いているような気もします。見上げた志をもつ優れた才能の持主である女性に対して分別ざかりの老先き短い男性が求婚するなど、いささか突拍子もなく、また、こっけいな気もしますが、当人は存外、大真面目で確信をもって疑わないのも、当人の無意識部分(意識下)にはたらく生物としての自然の力の大きさを感じさせるように思われます」
 各方面のご意見をお聞かせいただけるとありがたい。
 重ねて、丁寧なお手紙をくださった匿名希望氏、大塚秀高氏ならびにManying Ip氏にお礼を申し上げる。


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  《金松岑先生行年与著作簡譜》譜主生年更正


       楊 友仁


  関於金松岑先生生年問題,拙著《金松岑先生行年与著作簡譜》(『清末小説研究』第6期)原拠其族弟立初(元憲)先生所撰《伯兄貞献先生行状》:“同治十三年癸酉”。因定為“一八七四年同治十三年甲戌”。後考先生《七十》(虚歳)自寿詩編在“壬午”年;復徴詢其戚属,告我以“鶏”年,則《行状》原定干支不誤;而紀年誤矣,当作“同治十二年(1873年)”。《譜》当従改。其它類推。