『清末民初小説目録』について


      沢 本 郁 馬


 暖かい日がつづき、このまま春を迎えるのではないかと感じられた3月初め、一転して雪の中を、旧国鉄の膳所駅におりたった。集合住宅の5階に招きいれられる。ドテラを羽織った樽本照雄は、勉強部屋に私を案内する。CDプレーヤーの演奏する松岡直也を絞り込んだ樽本は、机に稼働中のワープロ専用機とパソコンを背にして、ヒゲ面を私に向けた。

−−『清末民初小説目録』を編集したきっかけは何でしょうか。
 ことの始まりは、中村忠行氏なのです。1985年、中国の留学を終えてボンヤリしていた頃、清末小説の年表を作ってはどうか、阿英「晩清小説目」をもとにカード化しているのだが、という連絡をもらいました。実現可能かどうか、自分で考えました。よるべき資料はあるか、作業に参加できる人員はいるか、出版物にできるか。問題は多くあります。やるとすれば、本腰をいれる必要があります。留学で休んでいた雑誌『清末小説研究』をあらたに発行したかったし、そのかねあいもありますからね。そこで、手持ちの資料を点検し、小説目録ならば出来るかもしれないと考えたのです。
−−おもに依った資料というのは、何だったのでしょうか。
 阿英の「晩清小説目」も、当然、そのうちのひとつです。しかし、今までにない目録が作りたかった。私達が必要とし
ているのは、雑誌の初出が明記してある目録なのです。私は、『繍像小説』をはじめに、清末雑誌の総目録をいくつか作っていました。そのほかの雑誌は、上海図書館編『中国近代期刊篇目彙録』全6巻という大部で便利な書目をみればなんとかなりそうでした。また、商務印書館の「説部叢書」、「林訳小説叢書」の原本を利用できたのが、大きな自信になりました。清末小説研究において、翻訳小説はその重要性にもかかわらず、所蔵する図書館は、日本にほとんどありませんから。実藤文庫に少量あるくらいです。
−−すると、『清末民初小説目録』の特徴は、どういうことになりますか。
 いま言いましたように、雑誌から、直接、作品を採録している点です。単行本から、再版、その復刻本も、最近、出版されたものを出来るかぎり集めました。中国を含めて、今まで清末と民初を連結した目録は、小さいものを除いて、これほどの規模のものは、たぶん、なかったのではないかと思います。ですから収録作品は、約1万件にのぼりました。翻訳小説には、わかる限り原作者と原作を注記しています。万全というわけにはいきませんが。まったく新しいタイプの目録といえると考えます。
−−作業に参加したのは何人でしょうか。
 中村忠行氏のお宅で打ち合わせをしたのが中島利郎、山内一恵氏で、あと松田郁子氏にカードを採ってもらいました。
−−カードで整理したのですか。
 そうです。最初は。資料を分担してカード採取したのですが、これに約1年かかりました。
−−はじめからパソコンを利用しようと考えていたのでしょうか。
 いいえ。考えてもいませんでした。5、6年前、パソコンが世間の話題になっていたころ、専門家に文献カードの整理をパソコンで出来ないだろうか、と質問したことがあります。その答えは、ノーでした。今、思うと、そのころのパソコンは、漢字を扱えなかったからでしょう。
−−ワープロを導入されたのは、いつごろですか。
 1985年です。清末小説の目録を作る相談をしてからです。それまで『清末小説研究』は、活版印刷でした。費用の削減という目的もありましたが、誤植の問題が大きかったのです。あいだに人手が入ればはいるほど、誤植を見逃してしまうのです。それなら、いっそのこと全部ひとりでやってしまいたい、と考えるのは自然でしょう。
−−ワープロの機種は、なんでしょう。当時は、キヤノンかシャープが多かったのではないかと思いますが。
 リコー2600を選んだ理由は、印字の字体が気にいったからです。比較してみて、その頃は、これしか見るにたえるものはありませんでした。3年前に50万円したとは、今では信じられないでしょうが、それだけ技術革新が激しいということでしょう。『清末小説』を3号分、小冊子の『清末小説から』を9号分出しました。そのほか論文執筆に使っていますし、手紙もすべてワープロです。
−−つまり、自分専用の印刷機がほしかったのですね。それで次は、パソコンですか。
 そういうわけではありません。目録のカードを私のところに集中し、整理を始めました。書名のABC順に並べなおすのです。つまり、ワープロに入力しようと考えていたのです。今から考えれば、これは不可能なことでした。
−−なぜですか。ワープロで字句の追加、訂正することは容易なことでしょう。
 しかし、一文書量に制限があります。リコー2600は、一文書が、わずかに5120文字です。こういう制限があるとはつゆ知らず、最初はあせりました。現在、入力している目録を、かりにリコーでやるとすれば、約700文書に分割しなければなりません。やってできないことはないでしょうが、私は、やりたくありません。
−−それでは、なぜ一般的なNECのパソコンではなく、日立なのですか。
 パソコンが出てくるのは、偶然でした。勤務先の大学に日立のコンピュータが設置されたのです。付属の印刷機として、大きなレーザープリンタが中部屋をまるまる占拠しています。このレーザープリンタが使えるものと、端末の日立2020を購入したのです。なんといっても印字が鮮明ですから。ところが、当てはずれで、目録の印刷には使えませんでした。
−−そうすると利用できるソフトも限られるのではありませんか。
 その通りです。コンピュータ雑誌を読んで面白そうなソフトだと思ってみたところで、まったく機械がうけつけないのですから、喜ぶのは、配偶者だけです。傍流機種にも利点はあります。ソフトの選択に迷わなくてもいいのです。ゲームをするのではありませんから、使うのはせいぜいワープロかデータベースくらいのものです。少ないソフトの中からTIMSUを購入しました。『dBASEUガイドブック』という参考書などを勉強しましたが、パソコンに素人の私にはむつかしく感じたからです。TIMSUを使って、一応、『清末民初小説目録』が出来たわけですから、無駄にはなりませんでした。
−−『清末民初小説目録』を見てみますと、1頁に10作品づつ掲載されており、見やすいと言えばいえるのですが、行間を詰めるなどできなかったのでしょうか。
 ソフトにその機能がないので仕方がありません。索引部分とあわせて、改訂版では改良したいと考えています。
−−もう改訂版に着手しているのですか。
 はい。北京図書館編『民国時期総書目』(外国文学)を採り入れることが時間的にできませんでした。現在、照合のうえ不足分を追加しています。『民国時期総書目』シリーズには、当然、創作が編まれるはずですから、出ましたらこれも参照するつもりです。仕事は、たくさんあるのですよ。

 インタビューの途中で、部屋に新しいパソコンが搬入された。こうなるとほとんどビョーキといっていいかもしれない。