初期商務印書館をもとめて


      樽 本 照 雄


 1897年、英字新聞の植字工をしていた夏瑞芳は、同僚の鮑咸恩らと民家を借りて印刷業をはじめた。商務印書館の創業である。
 商務印書館創業の90周年にあたる1987年、私は、上海を通過する機会を得た。創業当時の商務印書館をもとめて、上海の街を歩くことが、かねてからの願いだった。90年前のことだ。そのうえ、移転を繰り返している。所在地をつきとめる
ことは、かなりむつかしいことになりそうだ。
 朱蔚伯によると、商務印書館は、「江西路北京路首徳昌末街三号」に開業したという(別掲の「初期商務印書館所在地の変遷」を参照のこと)。とりあえず、このあたりを目指して、宿舎の海鴎飯店を出た。
 新築の海鴎飯店は、ソビエト大使館の隣、黄浦公園をのぞむ、蘇州河と黄浦江のまさに合流点にある。外白渡橋(『上海市区交通図』中華地図学社出版1986.12第一版、1987.2第六次印刷では、ただの白渡橋と表示するが正しくない)を左手に見、右手に「フジカラー」のネオンを頂くようになった上海大厦の前をぬける。手にしたもう一枚の地図は、1893年の『重修上海県城廂租界地理全図』縮小コピーである。1893年地図では、外白渡橋は、ただの「大橋」となっている。めざすは、南北方向の江西路と東西方向の
北京路が交差する地点だ。江西路の橋を渡ればそのまま到着する……。蘇州河の北岸を西に向けてあるく。昔の地図にはない橋が、ある。
 百年間に、新しく橋もかけられるだろう。念のためいくつかの資料をならべてみることにする。
〇『上海城廂内外租界全図』(富文閣重  絵石印1888)
〇『重修上海県城廂租界地理全図』(上  海申昌書局1893)
〇『上海指南』(商務印書館宣統元年<  1909>五月初版七月再版)「付録上  海城廂租界地名表」
〇『最新上海地図』(大阪朝日新聞社19  32.3.5)
〇『大上海新地図』(上海日本堂書店19  38.10.25訂正四版)
これらに記載された上海の橋を東から順にならべ、一覧表にしたものを見てほしい。名称が変化していることがわかるだろう。
 現在の乍浦路と虎丘路をむすぶ橋は、1888年および1893年当時、存在しなかった。
 1888年では二渡橋となっている橋が、頭擺渡橋と名をかえ、さらに裏擺渡橋と改称している。
 中央郵便局を目印にさらに西に行く。手元の1893年地図に記載される江西路には二擺渡橋がかかっている。街路名を確認し、さて、渡ろうとして、橋がないのに気がついた。二擺渡橋、また自来水橋は、今はなくなっているのだ。
 中央郵便局までひきかえし、四川北路の橋を渡り、四川中路に足をふみいれた。江西中路を北京東路に向かって南下する。 道路に面して石造りのビルがならぶ。商務印書館創業の地、江西路北京路首徳昌末街三号は、このあたりではなかろうか、と適当にうつした写真が別掲のものだ。あるいはもっと奥の方かもしれず、自信はない。
 1年半後、創業の地から北京路慶順里に移転した。手狭になったためである。美華書館の西側というのがてがかりになる。1893年地図には、さいわいなことに美華書館の記載があるのだ。
 美華書館(American Presbyterian Mission Press)は、その名のとおりアメリカ長老会派が創立した出版機構である。その前身は、花花聖経書房で、1844年、アモイに設立された。のち寧波に移り、1860年、上海に移転して美華書館と改称した。日本からの依頼で、S.R.ブラウン編『日本語対話篇』(1863)、J.C.ヘボン編『和英語林集成』(1867)の印刷製本をしたのが、上海の美華書館であることは有名である(矢作勝美『明朝活字』平凡社1976.12.20)。
 この美華書館に印刷工として勤めていたのが、鮑咸恩の弟・咸昌、咸亨の兄弟である。商務印書館が美華書館の西隣に越してきたのを機会に、咸昌、咸亨ともに商務印書館の方に転職をしてしまった。 美華書館があった場所は、北京路に面し、江西路と河南路の中間に位置している。現在は、ここも石造りのビルとなっており、上海市第六十七中学と表札のかかっているあたりかと、写真をとる。
 1902年、北京路の社屋が火災にあった。 張元済が主編し、商務印書館が印刷していた『外交報』の壬寅19号(21期 光緒二十八年八月十五日補印)に、「上海北京路商務印書館広告」が掲載されている。北京路41号にあって、もっぱら印刷機器を販売し、華英訳本、時務新書を発行し、日一日と商い繁盛のおり、不幸にも先月、火災にあいました。しかし、現在、規模を拡大し、もとの場所の隣、40号にて営業しております。品物は良く、価格は安く、仕事も迅速ですのでよろしく、という意味の広告である。
 火事を機に、商務印書館は、発行所、編訳所、印刷所の三ヵ所に分割されることになる。
 さて、雑誌などの奥付でおなじみの、上海棋盤街中市の商務印書館発行所を訪れることにする。
 さがすのは、簡単である。現在でも商務印書館の看板がかかっているからだ。河南中路と福州路の交差点にたつビルがそれである。ビルの南側に商務印書館の黒文字が、北側に中国科技図書公司と赤文字が人目を引く。
 中国科技図書公司は、もと中華書局があったところだ。1912年、商務印書館に勤務していた陸費逵らが、とびだして創立したのが中華書局で、しばらくして商務印書館の北隣に移転してきた。なにも隣接しなくてもいいと思うのだが、ライバル意識まる出し、とはこういうことをいうのだろう。
 現在、内部は、本を販売している普通の書店にすぎない。
 街をウロウロするのに疲れてしまった。編訳所と印刷所をさがす時間もなくなった。写真はとったが、まるで見当違いの場所であるかもしれない。ご教示いただけるとうれしい。


         初 期 商 務 印 書 館 所 在 地 の 変 遷


    年   月           所 在 地
光緒二十三年正月初十日     江西路北京路首徳昌里末街三号
   1987.2.11創立      英界 江西路西(寧波路北)
光緒二十四年六月        北京路慶順里口美華書館西首
   1898.7?8?        英界 北京路北〇蘇州路南(河南路東)
光緒二十八年七月            火   事
   1902.8
光緒二十八年八月       印刷所     編訳所     発行所
   1902.9      北福建路海寧路  唐家      河南路棋盤街
            美界 東自呉淞路 美界 七浦路南 英界 即河南路
            〇西至南川虹路  (北福建路西) 南首(南京路南
                             三茅閣橋北)
光緒二十九年正月             蓬路
   1903.1?2?              美界 即文監師
                     路              
光緒二十九年十月初一日
1903.11.19日本金港堂と
合弁、有限公司に改組
光緒三十三年            閘北宝山路    
   1907
1914.1.6金港堂との合弁
を解消


★朱蔚伯「商務印書館是怎様創辧起来的」『文化史料(叢刊)』2輯(1981.11) による。
★下線をほどこした地名の説明は、『上海指南』(商務印書館宣統元年<1909> 五月初版七月再版)の「付録上海城廂租界地名表」による。



                 上 海 の 橋 −− 変 遷 一 覧

  出典  上海城廂内  重修上海県城廂  上海指南    最新上海地図  大上海新地図
      外租界全図  租界地理全図  商務印書館  大阪朝日新聞社 上海日本堂書店
街路名    1888    1893    1909    1932.3.5  1938.10.25訂正4版
黄浦灘路   大 橋    大 橋     外擺渡橋    外白渡橋    外白渡橋
乍 浦 路    ×      ×      二擺渡橋    乍浦路橋    白渡橋
四 川 路   二渡橋    頭擺渡橋    裏擺渡橋     不記     裏擺渡橋
江 西 路   自来水橋   二擺渡橋    自来水橋    自来水橋    自来水橋
河 南 路   鉄大橋     不記     鉄大橋      不記     鉄大橋
山 西 路    ×      不記     盆湯 新橋   盆湯弄橋    盆湯 橋
福 建 路   老閘橋    老閘橋     老閘橋     老閘橋     老閘橋
浙 江 路   老拉 橋   新造大橋    老拉 橋    老拉 橋    老拉 橋