改 竄 さ れ る 書 物


樽 本 照 雄


 影印本には、気をつけていた。原本と字句が異なる場合があるからだ。ところが、原本そのもの、実物があってもダマされようとは思いもしなかった。

阿英『晩清小説史』の場合

 阿英『晩清小説史』の初版(上海商務印書館1937.5)は、台湾で影印出版されている(台湾商務印書館1968.5)。人人文庫の一冊である。台湾影印本では、第十四章翻訳小説の周樹人兄弟『域外小説集』の部分を削除する。
 大幅な削除だから、かえってその事実に気がつきやすい。
 同じく、阿英の『晩清小説史』改訂版(北京・作家出版社1955.8)は、香港・太平書局(1966.1)によって影印出版されている。影印だから原本と同一だと思うではないか。
 最終ページの「跋」に、原本には「原作品はまたすべて蒋匪によってすでに強奪されつくされてしまい」という部分がある。しかし、香港影印本には、「蒋匪によって」という箇所が削除されているのだ。原文わずかに三文字(為蒋匪)。この三文字を切り抜き、字詰めをほどこすが、オフセット印刷によって、切り貼りの痕跡は隠蔽される。
 「為蒋匪」部分が削除されるのは、香港という土地柄と1966年という時代だったのだろうか。
 この二例は、周知の事実に属する。

阿英編『晩清戯曲小説目』の場合

 これまた阿英の手になる『晩清戯曲小説目』である。
 初版は、上海・上海文芸聯合出版社出版、1954年8月発行、印刷数2000冊。定価6800元。インフレを物語る定価だ。
 三年後、増補版が、上海・古典文学出版社から出版された(1957.9)。印刷数1800冊。定価0.55元。「原上海文芸聯合版印3,000冊」とあり、 上記の印刷数と合わない。
 私の手元に、初版と増補版の原本がある。中国で出版されたあと、日本で直ちに購入したというわけではない。『晩清戯曲小説目』が中国で出された頃は、私は、小学生である。知るはずもない。大学に入学したのが「文革」が始まった年で、清末小説など、ほとんど影も形もなかった。だから、『晩清戯曲小説目』を入手したのは、かなりあと、「文革」後のような気がする。日本の古書店の目録に載ったのを見て注文したのだ。二冊とも、香港経由で日本に入荷したもののようにみうける。なぜわかるかというと、香港経由の古本は、裏表紙に香港ドルらしき数字が書き込んであるからだ(図参照)。
 問題は、『晩清戯曲小説目』の冒頭にかかげられた阿英の「敘記」なのである。
 1934年から1941年にかけて、阿英が困難な情況のもとで、いかに多種の目録を

初版1954.8/裏表紙(表四)

作成したか、5ページにわたって書かれている。
 この「敘記」が、初版には、ないのだ。増補版には、ある。
 くりかえすが、私の所蔵する原本は、そうなっている。
 きっかけは、『野草』第42号(1988.8.1)であった。 中島利郎著「阿英『晩清小説』の成立」を書評することになった私は、合評の席で、『晩清戯曲小説目』「敘記」は、初版にはなく増補版で附された、と述べた。
 ところが、中島氏は、納得しなかった。

増補版1957.9/裏表紙(表四)

後日、『晩清戯曲小説目』初版を私に提示したのである。
 中島氏が見せる初版には、「敘記」がたしかに、ある。しかし、電子複写だ。氏によれば、複写部分は氏が貼りつけたもので、これも香港経由で購入したという。
 気になる。 帰宅後、 ただちに所有の『晩清戯曲小説目』初版を点検してみた。「晩清戯曲小説目 阿英編」と扉があって、「晩清戯曲録例言」がつづく。「敘記」など、どこにもない。……ん、ノドの部分が、なにかヘンだな、とッ。ノリが、普通より大目についていて、剥がすと、なにやら、ページが切り取って、あ・る・よ・う・だ。
 別の初版を見て得られた結論は、こうである。初版には、「敘記」がはじめからついていた。 つまり、 私の原本は、「敘記」を切り取った改竄本であったのだ。
 なぜ、「敘記」を切り取らなければならなかったのか。
 香港経由で出回っていることと無関係ではない。阿英『晩清小説史』の香港版が、「蒋匪」部分にひっかかった事実を思い出してほしい。
 『晩清戯曲小説目』「敘記」にも、次のような箇所がある。

 このふたつの目録(注:晩清小説目、晩清戯曲録)を最初に組版したときから、今ここにあらためて組版出版するまで、たちまちのうちに十数年がたってしまった。このもっとも困難な時期に、毛主席と党の指導により、また中国人民の共同の努力とソ連友邦の援助(原文:蘇聯友邦的援助)により、我が国は、日本、アメリカ両国の侵略者を撃退し、蒋匪集団(原文:蒋匪幇)を撃破したばかりか、中華人民共和国を建設し、社会主義建設の段階にまで発展させ、百年来、人民が夢にまで求めていた憲法を発布し、民族は、ついに復興したのである。

 香港影印『晩清小説史』の例にならえば、「敘記」切り取りの理由は、上記の引用部分にあると考えられる。
 図書館などに所蔵される原本を複写してすませる(当時、原本などどこにも売っていないことは述べた)ことができる性格ならば、だまされることもなかっただろう。原本を求めるというコダワリと、私が遭遇した時代が作り出した、などというのは大げさか。だが、問題は、これで終わらない。もうひとつの改竄があることを、はからずも、私に教えることになった。

改竄される書物

 阿英の文章は、「文革」後、いくつかの文集にまとめられている。『晩清戯曲小説目』の「敘記」が収められた文集は、私の知っているものだけでも、以下の数種類がある。

A.『阿英文集』下冊 三聯書店香港分店 1979.6香港第一版。597頁
B.『阿英文集』北京・三聯書店1981.11。
641頁
C.阿英『小説四談』上海・上海古籍出版 社1981.12。192頁
D.阿英『小説閑談四種』上海・上海古籍 出版社1985.8。192頁

 もうひとつの改竄は、A.の香港三聯版に見える。さきの引用文の、「中国人民の共同の努力とソ連友邦の援助により、我が国は」の部分から、「ソ連友邦の援助」という語句が削除されている。念のため、原文をかかげておく。

初版:由於中国人民的共通努力以及蘇聯 友邦的援助,我国不僅撃退日、 美両国侵略者,……
(下線は樽本)
香港:由於中国人民的共通努力不僅撃退 日、美両国侵略者,……

 A.の香港三聯版を編集しなおしたB.の北京三聯版も、同じくソ連部分を削除する。ところが、C.D.はともに初版のままで、削除はない。
 中国とソ連の友好関係を謳うのがはばかられる時代から、 180度方向が変わったということなのだろう。
 それにしても、ややこしい。