清 末 翻 訳 二 題


樽 本 照 雄


》盧藉東と方慶周《

 盧藉東は、ジュール・ヴェルヌ『海底二万リュー』を漢訳した人物である。記録によると、広東南海の人、光緒二十四(1898)年二月に来日、二十八(1902)年六月蚕業講習所を卒業している(房兆楹輯『清末民初洋学学生題名録初輯』台湾中央研究院近代史研究所1962.4。樽本「漢訳ヴェルヌ『海底旅行』の原作」『清末小説から』第2号1986.7.1)。
 一方、方慶周は、広東東莞の人、1897年来日、自費で高等師範学校に留学する(房兆楹同書。中島利郎「晩清の翻訳小説(2)」『千里山文学論集』16号1976.10)。この方慶周は、菊池幽芳「新聞売子」の漢訳者である。該書は、呉熕lが翻案し、周桂笙が加評のうえ、「電術奇談」の名前で発表された(樽本「呉熕l『電術奇談』の原作」『中国文芸研究会会報』第54号1985.7.30)。
 盧藉東は蚕業講習所、方慶周は高等師範学校とそれぞれ方向が違うように見え

 ●『清議報』第25冊 1899.8.26

る。ところが、一時期、日本で同じ学校に在籍していたらしい。
 資料は、「横浜大同学校夏季大考前列諸生名次録」という。『清議報』第25冊(光緒二十五年歳次己亥七月二十一日<1899.8.26>。台湾影印本)に掲載されている。その左斎中文第一班のなかに、盧藉東が第2番目、方慶周が第5番目に出ている。また、英文第一班一等には、盧藉東が第1番目に、方慶周の名が第6番目に見える。

 わずかに、これだけである。だが、盧藉東、方慶周ともに、横浜大同学校に在学していたことをしめす貴重な資料だといえる。
 ついでに、馮自由が、『革命逸史』初集(商務印書館1939.6初版/1945.2重慶第二版/1945.12上海初版。50-53頁)の「横浜大同学校」の中で、同級生として方慶周の名前をあげていることもつけくわえておく。


》哥徳斯密著「姉妹花」《

 (英)哥徳斯密著「姉妹花」という翻訳作品が発表されている。角書は、「家庭教育小説」。掲載誌は、『教育世界』である。 甲辰1期から21期まで<69-89号>、掲載年月は、表記にしたがえば光緒30年(1904)の約一年間となる。
 『教育世界』は、中国最初の教育雑誌といわれる。羅振玉により、光緒辛丑四月上(1901)創刊された。
 該誌89号に付録「葛徳斯密事略」がある。一字違いで哥徳斯密と同一人物であることは明らかだ。
 残念ながら「姉妹花」は、未見である。
 原文は、未見となれば、原作者と原作品をつきとめることは、雲をつかむようなものだ。
 ちいさな手掛かりがあることに気がついた。蒋瑞藻編『小説考証附続編拾遺』(上海・商務印書館1919.9/1935.5)だ。「姉妹花」に関する記述を、「留庵叢談」(孫毓修著?)から収録している(446頁)。いま、江竹虚標校の2冊本(上海古籍出版社1984.7。 569-570頁)が読みやすいので、これに基づき、固有名詞を中心に、内容を抽出してみる。
 古徳密斯――『小説考証』では、こういう表記になっている、哥徳斯密ではない。愛爾蘭人。1727年生まれ。都伯林大学で学位を得、愛汀堡で医学を学ぶ。時に英国では大旅行が流行、古徳密斯も羅馬、巴黎におもむき無一文で帰国した。立卻特孫の印刷工場に入り、校正者となる。約翰生博士は親友だ。古徳密斯の小説は、威克非爾牧師伝が最も流布した。すなわち姉妹花である。家の前を約翰生が通りかかると、古徳密斯が家賃50ポンドにこまっている。約翰生が60ポンドで売ってくれ、それで家主の女主人に支払った。云々。
 アイルランド人、1727年生まれ、ダブリン大学、エディンバラなどの固有名詞を手掛かりにし、いくつかの本にあたる。その結果、浮かんできたものがゴールドスミスである。
 簡潔にまとめてある『増補改訂 新潮社世界文学辞典』(株式会社新潮社1990.4.20。395頁)から、引用させてもらう。

 ゴールドスミス オリヴァー OLIVER GOLDSMITH (一七二八−七四) イギリスの詩人、小説家、劇作家。アイルランド在住の牧師の子に生れ、苦学してダブリンの大学を卒業、聖職、法律家などを志して果さず、オランダのライデンで医学を学び、五五年から大陸各地を放浪、五六年に無一文で帰国。医者、教師、著述などに従事したが、つねに糊口の資に苦しんだ。六一年、S・ジョンソンの「ザ・クラブ」の一員となり、このころから、中国人の目で見た体にして時事を諷した随筆『世界の民』(六二)、長詩『旅人行』(六四)、小説『ウェイクフィールドの牧師』(六六)などで次第に認められた。最後の作はジョンソンの斡旋で六〇ポンドに売れ、彼の滞納家賃支払いにあてられたという。プリムローズという田舎牧師の一家がいろいろな憂き目にあいつつ摂理を信じて耐えてゆく物語で、善良な一家を中心にユーモアとペーソスをたたえた愛すべき過程小説である。つづいて喜劇『お人好し』(六八)、農村の荒廃をうたった、詩としての傑作『荒廃の村』(七〇)、名作喜劇『負けるが勝ち』(七三)などで名声大いにあがったが、貧乏には一生悩んだ。性単純、閑雅を好み、世事にうとく、まさにプリムローズ牧師のような人柄であった。(朱牟田夏雄)

 生年が1年ずれているが、経歴からして、古徳密斯、または哥(葛)徳斯密は、GOLDSMITHで間違いなかろう。 そうなると、「姉妹花」すなわち「威克非爾牧師伝」は、『ウェイクフィールドの牧師』(“THE VICAR OF WAKEFIELD”1766)である。約翰生博士は、サミュエル・ジョンソン(SAMUEL JOHNSON 1709-84)、「留庵叢談」に見える立卻特孫は、サミュエル・リチャードソン(SAMUEL RICHARDSON 1689-1761)ということになるか。
 『教育世界』を見ていないので、これは推測なのだが、蒋瑞藻編『小説考証附続編拾遺』に収録された「留庵叢談」は、『教育世界』第89号の付録「葛徳斯密事略」に材料を得ているのかもしれない。
 ゴールドスミス著『ウェイクフィール

●ゴールドスミスの肖像

ドの牧師』というところまで判明した。ねんのため『清末民初小説目録』を検索してみる。
 (英)格得史密斯著、商務印書館編訳所訳『(義侠小説)双鴛侶』(中国商務印書館1908.6)という書名で発行されていることがわかる。説部叢書第十集第九編だ。これは、のち、上海商務印書館の説部叢書初集第九十九編に組み込まれる(1914.4再版)。
 英語から、直接、中国語訳がされたのかどうかは不明である。『ウェイクフィールドの牧師』は、複数の日本語訳があるそうだ。中国語原文が読めるようになれば、参考にすることができるかもしれない。
 と書いた翌日である。時間つぶしにたまたま入った京都の古本屋で、関連のある本が、向うのほうから飛び込んできた。 赤い表紙の、外見はまるで英語の原本のようだ。訳註英文名著全集第一輯第七巻OLIVER GOLDSMITH『THE VICAR OF WAKEFIELD(ウエークフイールドの牧師)』大橋栄三訳註(東京・英文学社1930.3.20)である。
 「少年時代は人並外れて愚鈍で、時と金を浪費する以外に取り柄がたかつた。福助あたまで、あばた面で、素振作法に落着きがなく、口がのろいときてゐるので、学校では先生や生徒から気の毒な位嘲笑された。無論学課の方も平凡以下であつた」(GOLDSMITHの生涯と作品)という記述は、前述の『増補改訂 新潮社世界文学辞典』からは想像がむつかしい。大橋本から、ゴールドスミスの肖像を掲げておこう。