梁 啓 超 の 盗 用


樽 本 照 雄


 ●馮自由の指摘
 あの梁啓超が盗用とは、おだやかではない。しかし、梁啓超が、日本人・徳富蘇峰の文章を剽窃、盗用しているのは事実である。私自身が発明、発見したこと
ではない。1945年頃、馮自由が言及していることを、あらためてここにむしかえそうというのである。
 馮自由の問題の文章は、題名を「日人徳富蘇峰与梁啓超」という。『革命逸史』第4集(商務印書館1946.8重慶初版/1946.11上海初版。269-271頁)に収録されている。
 内容は、おおよそ次のようなものだ。

 清代における文学革新について、世の人々は、 梁啓超が主編する 『清議報』『新民叢報』の手柄にしている。しかし、梁啓超の文章は、大部分が蘇峰の受け売りだ。梁啓超の「飲冰室自由書」と徳富蘇峰の『国民新聞』および民友社「国民小叢書」を検討すれば、多くを蘇峰の文 章から材料を取っているばかりか、その筆法も蘇峰に倣っていることがわかる。ゆえに蘇峰の文学が、中国の文学の革新に間接的にあたえた影響は、はなはだ大きいし、『新民叢報』がはじめのころ社会から大きな歓迎を博した原因のひとつでもある。しかし、梁啓超は、他国の文学家の著作を剽窃(原文:勦襲)しながら、出典を明らかにせず、他人の成果をかすめとることを得意としたため、中国の留学生に厳しく指摘されることになった。/1901(ママ)年秋冬のころ、蘇峰は、『国民(ママ)新聞』に短文を発表した。Inspirationと題する。一ヵ月のち、横浜『清議報』の「飲冰室自由書」に中国語訳がのった。題名は「烟士披里純」。全文、『国民(ママ)新聞』と同じだ。読者は、梁啓超が日本語に通じているばかりでなく、英語にも深く通じていると考えた。2(ママ)ヵ月後、上海で出版されていた 『新大(ママ)陸』雑誌は、『国民(ママ)新聞』と『清議報』の原文を対照し、梁啓超の盗用を非難した。

 興味深い文章だ。ただ、馮自由は、約40年前を回想して書いているためか、記憶違いの箇所がある。徳富蘇峰作「インスピーレーシヨン」は、『国民新聞』ではなく『国民之友』第22号(明治21年5月18日<1888>。日本影印本<明治文献1966.2.15>による)に、最初、 発表された。初出の日時も、1901年ではなく、1888年だ。該文は、のち、『静思余録』(国民叢書第4冊、民友社1893.5.1/1911.1.20四十一版)に収録されている。収録の際、題名は「インスピレーシヨン」と変更された。一方、梁啓超の「烟士披里純(INSPIRATION)」は、「飲冰室自由書」の表題のもとに、『清議報』第99冊(光緒二十七年十月廿一日<1901.12.1>。 台湾影印本<成文出版社1967.5>による)に掲載される。 梁啓超盗用非難の文章は、『新大陸』雑誌にのったと馮自由は書いているが、『大陸(報)』(月刊、のち半月刊。1902.12-1906.1)の間違いだろう。

 ●徳富蘇峰の文章         
 蘇峰の「インスピレーシヨン」は、みっつの部分からなる。初出にある章題をあげ(『静思余録』本では削除)、その内容を私なりにまとめると、次のようになる。
 「第一 人は常に我胸中の秘密を語らんとする者なり」
 「胸中の秘密は、自から抑へんと欲して抑ゆる能はず」、人間の身体を通して、自然と表面にあらわれる。絵画、彫刻、建築、音楽、詩歌、文学、宗教などは、すべて人心の反応である。つまり、芸術は、人心の表現であるというのだ。ただし、器械的作用で自動的に表現されるわけではない、という点に注目しなければならない。その表記にしたがえば、エメルソン、アンジロ、ミルトン、杜甫、施耐菴、ユーゴー、ワグ子ルなど広範囲にその例を挙げる。
 「第二 人心の高潮」
 人心が表現されるためには、「インスピレーシヨン」の助けが必要となる。そこで「インスピレーシヨン」を説明して、「突如として我れ自から我れたるを忘れ、我れ自から我れより超越するに至る事」であり、「人の思想感情の高潮の時節」であるという。ルーテル、正宗、文覚、ゴルドスミス、ウエスレー、ルーソー、モルレー、趙翼、シーザル、クロンウエル、ゴステオス、グラツトストンなどが、紹介、引用される。蘇峰によると、「インスピレーシヨン」は、ある時間(数分時間)継続してあらわれるという。
 「第三 人間にして天使なるを得べき乎」
 「インスピレーシヨン」について、さらに説明がつづく。「蓋し『インスピレーシヨン』は、神力なり、哲理的に、数理的に、化学的に、分解説明する能はざる所の不可思議力あり」「蓋し『インスピレーシヨン』は神力なり、我れ自から我れより超越し、人間自から人間より超越し、人間にして天使に類する行をなすが如きは、皆な此の『インスピレーシヨン』に本つく者なり」。第二の部分と重複する記述である。この部分こそ、蘇峰が強調したかったところだ。重要箇所といっていい。では、「神力」であり「不可思議力」である「インスピレーシヨン」を養う方法は、あるのか。蘇峰によれば、あるのだ。「醇粋」、「至誠」、「真面目」、「一生懸命に一の方に向つて働くこと」により得ることができる、という。
 以上を総合する。人の胸中には、自己を超越する人の心がある。普段はあらわれないこの人心は、神力であるインスピレーションによってのみ、表面にあらわれる。そのインスピレーションは、ただ、「醇粋」であることによって得られるもので、これが芸術的創造の源なのである。
 この文章が、梁啓超の手にかかると、どういうことになるか。

 ●梁啓超の盗用          
 まずはじめに、なぜ、盗用というのかを説明しておく。答えは、簡単である。梁啓超の文章には、もととなった文献の原著者、原本が明らかにされていないからである。
 梁啓超の盗用は蘇峰の全文まるのまま、と馮自由はいう。ふたつの文章を対照してみると、たしかに、文章の主旨は基本的に変更されていない。しかし、梁啓超なりの取捨選択をしていることがわかる。
 大きくは、削除、書き換え、加筆のみっつに分けることができる。
 梁啓超による加筆は、「インスピレーシヨン」の原綴り“INSPIRATION”であったり、「婦人は弱し、然れとも母は強し」を訳して「婦人弱也、而為母則強」に添えて“WOMAN IS WEAK, BUT MOTHER IS STRONG”としたり、孟子を引用したり、などである。
 書き換えは、日本固有の例を、たとえ
            ママ
ば、正宗、文覚、西行を、元奘にかえ、哥侖布(コロンブス)にかえるといったものだ。
 加筆と書き換えは、中国の読者に理解しやすいようにとの配慮であろう。かといって、日本語原文にない英文を挙げるところは、やや、教養をひけらかしている感じがするが、知識人には、受けたのかもしれない。どのみち、論旨には影響をおよぼさない。
 問題となるのは、削除部分である。

 ●『新小説』へ          
 削除されたのは、多くは、引用紹介部分だ。アンジロ、ミルトン、杜甫、施耐菴、ユーゴー、ワグ子ル、ルーソー、ロスキン、ロングフルロー(表記は原文のまま)の例をすべて翻訳するのは、しつこい、くどい、と梁啓超は判断したのかもしれない。
 しかし、蘇峰がエマソン(Ralph Waldo Emerson,1803-82)から強く影響を受けていた事実を知るなら、第1部の「エメルソン曰く」以下を削除するのは、合点がいかない。
 それよりももっと不可思議なのは、蘇峰の文章において最も重要な箇所である第3部の冒頭からそれに続く部分を削除していることだ。
 「蓋し『インスピレーシヨン』は、神力なり、哲理的に、数理的に、化学的に、分解説明する能はざる所の不可思議力あり」という部分にこそ蘇峰の考えが表現されていることは、すでに指摘した。以下、「不可思議力」「不可思議」「不思議」が連発されるのだが、すべてを梁啓超は削除した。
 「神力」といい、「人間にして天使に類する行」(傍点樽本)といい、ここには、蘇峰のキリスト教的思考が表現されている。梁啓超は、宗教的表現を嫌ったのかもしれない。すると、インスピレーション=神力=不可思議力、とつながる蘇峰の思考は、梁啓超の場合には、「神力」をぬき、小説(インスピレーション)=不可思議力、と捉えられたことになる。ただし、梁啓超の把握の仕方は、該当部分が削除されているのだから『清議報』の段階では公にされていないことになる。社会に対して表明されるのは、1902年の『新小説』創刊を待たなくてはならなかった。
 「小説を新しくしなければならないのは、なぜか。小説には不可思議な力があり人を支配しているからである(必新小説。何以故。小説有不可思議之力支配人道故)」(「論小説与群治之関係」傍点樽本)
 この部分に、梁啓超はさりげなく蘇峰を引用していることが、わかるのだ。


【付記】
 梁啓超と徳富蘇峰の関係について述べたものに、中村忠行「中国文芸に及ぼせる日本文芸の影響――梁啓超の訳業とその影響(承前)」(四)『台大文学』第8巻第4号1944.6.30がある。
 島田厚「『国民之友』と純文学理念」(『文学』第30巻第10号 1962.10.10)参照。