初期商務印書館の印刷物(上)
――漢訳『新島襄伝』について――


樽 本 照 雄


 商務印書館は、1897年2月11日(光緒二十三年正月初十)、印刷業を営むものとして設立された。上海のイギリス租界江西路北京路に間借りをして出発したのだった。創立者は、キリスト教の信仰で結びついていた夏瑞芳と鮑咸恩兄弟たちである。
 創業から1902年くらいまでの約5年間、どのような印刷を行なっていたのか、特に書籍、雑誌に関するものをさがそうとすると、とたんに見通しが悪くなる。原物を見ることが困難なことはいうまでもない。それゆえか、二次資料もあやふやになっている。


 手探りではじめる

 たとえば、王雲五『商務印書館与新教育年譜』(台湾商務印書館股有限公司1973.3)である。1901年に『外交報』を創刊する(8頁)、1902年の項目に図書15種27冊を出版する(10頁)、と書いてあるくらいのことだ。1900年以前の仕事は、皆目わからない。
 本来ならば、 『商務印書館図書目録(1897-1949)』(北京・商務印書館1981)を見れば、一目瞭然となっていてほしいところだ。ところが、該書に収録されたのは、書名と著訳者名を主としており、発行年月が記載されていない。惜しい、としかいいようがない。出版した教科書の概況が、付録に掲載されている。初等小学用に7種類、高等小学用に9種類の書名が掲げられるが、これらは1902年のものだ。
 さすがに、『商務印書館大事記』(北京・商務印書館1987.1)は、創業90周年を記念して発行されただけのことはある。以前のものにくらべて、記述がかなり詳しくなっている。
 該当部分を引き抜いてみよう。
 1898年の項目に、「出版《華英初階》,《華英進階》(謝洪賚牧師訳注)」*1とある。説明しておくと、『商務印書館大事記』には、通しページ数というものはない。1年を見開きに収める。
 この英語の教科書がよく売れ、出版業の基礎をつくったことは有名だ。請け負いだけの印刷業より自社企画の出版業へ転身するきっかけとなった記念碑的出版物といってもいいだろう。
 おなじく1898年の項。「代印《昌言報》和《格致新報》」と書かれている。「代印」とは、印刷を請け負ったという意味だ。『昌言報』は、その第3冊(1898.9.11光緒二十四年七月二十六日)より印刷が商務印書館に変更された*2。該誌第6冊(1898.10.11光緒二十四年八月二十六日)のノドに「上海北京路商務印書館代印」と見える。
 『商務印書館大事記』によると、創業の1897年には、 印刷、 出版の記載がない。つまり、翌年に出した『華英初階』、『華英進階』がはじめての出版物であり、『昌言報』、『格致新報』が最初の印刷物だ、と商務印書館自身が認めていると考えてもいいだろう。
 『商務印書館大事記』の記述をもうすこし見る。

1899年「出版《商務印書館華英字典》(據舶x灼所編《華英字典》修訂)」
1900年「出版《華英地理問答》(英漢対照)」

 以上のふたつとも教科書がらみの出版だ。つぎの『外交報』あたりからすこし傾向が異なってくる。

1901年「代印張元済与蔡元培創辧的《外交報》(1901-1910)」

 『外交報』に関する『商務印書館大事記』のこの記述は、正確さを欠く。『外交報』第1号の発行は、「光緒二十七年十一月二十五日」である。西暦になおすと1902年1月4日だ*3。西暦で表記するならば、そのまま1902年とする必要がある。この第1号表紙下に「上海商務印書館代印」とあることをつけくわえておく。
 たよりになるはずの『商務印書館大事記』には、以上のような言及しかない。あとは、あちこちに散らばる資料から拾い集めることになる。見落しがあるのは免れないが、気のついたものを紹介しよう。


 資料の海を漂う

 ふるいものから順に触れる。
 1898年、邵作舟撰『邵氏危言』を上海商務印書館が出版した、という記述がある*4。
 英語教科書『華英初階』、『華英進階』とは別の出版物があったことがわかる。
 「『亜泉雑誌』は、わが国人が自ら経営する最も早い自然科学に関する総合雑誌である。1900年11月29日(光緒二十六年十月初八日)に創刊された。主編は杜亜泉,彼が上海で創設した亜泉学館が出版発行し、上海北京路商務印書館が印刷した(下略)」*5
 『外交報』の印刷より、こちらの方が早い。
 はやいといえば、もうひとつ『訳林』がある。1901年3月5日(光緒辛丑正月十五日)創刊。林゚、伊藤賢道監訳。編印所は杭州におかれているが、印刷は上海だ。「上海北京路商務印書館代印」と明記される*6。
 『訳林』とほぼ同じころ『集成報』の印刷も請け負っている。
 『集成報』は、1901年4月(光緒二十七年三月)、上海で創刊。イギリス商の集成報館の経営、代理人はラッセル(H.C.Russell呂塞爾)という*7。
 めずらしいと思われるものに『天地奇異志』(1901)がある。ツゲ版画の印刷例としてあげられたものに説明が加えられ、商務印書館の印刷だと書いてある*8。
 1901年、厳復の翻訳『原富』(A.Smith“AN INQUIRY INTO THE NATURE AND CAUSES OF THE WEALTH OF NATIONS”)を印刷したというのは、汪家熔だ*9。増田渉文庫の目録には、「英国斯賓塞爾撰、清厳復訳『原富』南洋広学訳書院排印本 光緒二十八年(1902)」*10となっていて、発行は1902年と知れる。
  なお、 厳復の翻訳では ミル(John Stuart Mill)の 『群己権界論』(On Liberty)が商務印書館から出版されている。賀麟「厳復的翻訳」には、『「哲学/群己権界論/On Liberty/John Stuart Mill/英/1859/商務印書館/1899/原名自由論一九〇三年改今名」*11 とあり、1899年に発行されているように読める。しかし、該書は、一般に1903年の出版とされる。原物を見ていないので、疑問にとどめておく。
 ついでに、『商務印書館大事記』の1903年の項目には、「出版厳復訳《群学肄言》(〔英〕斯賓塞著)」とあるが誤り。『群学肄言』は、上海文明書局発行。ここは、「出版厳復訳《群己権界論》(約翰・穆勒著)」とすべきだ。
 以上、こまごまと述べた。私の見た資料の記述によると、可能なかぎりさかのぼって、商務印書館の印刷物は、創業の翌1898年になる。 (つづく)
 次号において、どの資料にも掲載されていない(当然、管見によれば、という修飾語がつく)初期商務印書館の印刷物のひとつ、漢訳『新島襄伝』を紹介する。


【注】
1)次のものを参照。
 汪家熔「記《華英初階》注訳者謝洪賚先生(1875-1916)」『商務印書館館史資料』之三十七 商務印書館総編室編印1987.4.10。2-4頁
 汪家熔「記《華英初階》注訳者謝洪賚先生」『出版史料』 1988年第3・4期(総第13・14期)1988.9。80-81頁
2)樽本照雄「『昌言報』と商務印書館」表題は「清末小説・研究結石」『中国文芸研究会会報』第60号 1986.7.31
3)樽本照雄「『外交報』と『繍像小説』の共通点」『清末小説研究会通信』第48号1986.5.1。のち『清末小説きまぐれ通信』清末小説研究会1986.8.1所収。
4)張樹年主編「張元済年譜(二)」『出版史料』1989年第1期(総第15期)1989.3。43頁
5)范明礼「亜泉雑誌」中国社会科学院近代史研究所文化史研究室丁守和主編『辛亥革命時期期刊介紹』第一集 人民出版社1982.7。77頁
6)樽本照雄「『訳林』のこと」『中国文芸研究会会報』第35号1982.7.13
劉仁達「訳林」中国社会科学院近代史研究所文化史研究室丁守和主編『辛亥革命時期期刊介紹』第一集 人民出版社1982.7。90頁
7)潘慶徳「集成報」中国社会科学院近代史研究所文化史研究室丁守和主編『辛亥革命時期期刊介紹』第一集 人民出版社1982.7。69頁
8)張静廬輯註『中国近代出版史料初編』上海・上雑出版社1953.10。挿頁
9)汪家熔『大変動時代的建設者』成都・四川人民出版社1985.4。1901年代印とする。46頁
10)『関西大学所蔵 増田渉文庫目録』関西大学図書館1983.6.30。140頁下
11)『東方雑誌』第22巻第21期1925初出未見。いま、張静廬輯註『中国近代出版史料二編』上海・群聯出版社1954.5、106頁による。