統計表から商務印書館を見る(上)


樽 本 照 雄


 数字の羅列の中から立ち現われてくるものがあるとすれば、それはなにか。「商務出版分類統計表」を見つめて、商務印書館の出版傾向を探ることが本稿の目的である。


1.教科書の編集出版

 英語読本の出版で創業したとはいえ、上海・商務印書館は、最初、印刷請け負いが中心の小規模印刷業者であった。商務印書館にとってひとつの転機は、1902年8月22日(光緒二十八年七月十九日)の失火と翌年の東京・金港堂との合弁である。焼け出された商務印書館は、北福建路に印刷所と編訳所を、河南路棋盤街に発行所を建設した。この時から商務印書館は、教科書の編集出版に着手し、出版業者へと変貌する。1903年11月19日(光緒二十九年十月初一日)、東京・金港堂との合弁が成立すると、金港堂側の長尾雨山、小谷重らが教科書編集に協力することとなった。
 清代には最新教科書、民国成立時には共和国教科書、国語運動が興った時期には新法教科書、学制改革時には新学制教科書、国民政府成立時には新時代教科書などなど、その時代に応じた教科書を発行し続けていることに対して、商務印書館は、強い自負をしめしている*1。
 教科書の編集出版は、商務印書館にとって重要な事業のひとつである点を見逃してはならない。
 この点を押さえたうえで、商務印書館は、出版事業において教科書以外のどの分野に力点を置いていたのか、探っていく。
 使用する統計表について説明する前に、この統計表が掲載された書物を簡単に紹介しておきたい。


2.『最近三十五年之中国教育』

 莊兪、賀聖編『最近三十五年之中国教育』(上海・商務印書館1931.9)という大型の書物がある。なぜ「最近三十五年」かといえば、副題にうたう「商務印書館創立三十五年紀念刊」を見れば理解できるだろう。商務印書館創立三十五周年を記念して、商務自身ばかりでなく中国の教育全般について回顧しようというものだ。
 王雲五の「導言」が7頁、「巻上」には、35年来の教育に関する9本の論文を掲げて274頁、「巻下」に6本の論文で278頁、商務の記録として莊兪「三十五年来之商務印書館」が62頁、印刷見本が合計28種類、全部で649頁の大冊である(詳細な目次を巻末に掲げておく)。
 本稿で利用する統計表は、李沢彰「三十五年来中国之出版業」の巻末に付せられている。


3.李沢彰「三十五年来中国之出版業」

 李沢彰(伯嘉)は、当時、商務印書館の出版部部長であった*2。
 「一国の文化の盛衰は、出版図書の多寡に正比例する」と書きはじめる李沢彰は、商務印書館が創業した1897年より数えて35年間を三つの時期に区分する。
 その1、革新運動時期、その2、新文化運動時期、その3、図書館運動時期である。
 その1、革新運動時期。1894年、中日間に戦争がおこり、中国が日本に負けて革新運動が発生した。初期には、キリスト教会、政府刊行局の活動が活発であったが、1904年前後よりその比重は、民営の出版業に移っている。中心は、商務印書館である。
 その2、新文化運動時期。中華民国の成立によって人々ははじめて言論著作刊行の自由を手に入れた。数年後発生した新文化運動とは、旧制度の批判および文言から口語への文体の変更である。新文化を伝える刊行物は、雑誌のほかは叢書

表1■商務出版分類統計表

であった。それと急増したのは、東洋西洋の文学書の翻訳だ。
 その3、図書館運動時期。1925年より始まる。文化の保存と建設を主旨とするこの運動は、具体的には広く図書館を建設することを目的としていた。容器(=図書館)が増えれば内容(=書物)が必要になる。商務印書館の万有文庫、百衲本二十四史、中華書局の殿版二十四史などが図書館のために出版されたという。
 李沢彰が区分したそれぞれの時期に、商務印書館の出版はいかなる動きを示しているのか、「商務出版分類統計表」を見てみよう。


4.「商務出版分類統計表」

 「商務出版分類統計表」(表1)について説明する。
横に年、縦に分類項目を置く。年は「光緒二十八年(1902)」より「民国十九年(1930)」までの29年間、分類は、「総類」より「史地」まで十分類である。
 なぜ商務印書館創立の1897年ではなくて1902年からの数字しかないのか。前述したように、創業後の数年は印刷請け負いが仕事の中心だった。出版業に変貌するのは、1902年よりだからなのだろう。また、1902年8月22日の失火によってそれまでの記録が焼失したのも原因のひとつかもしれない。
 十の分類は、図書館でよく見かけるような気がするが、これについても、一応、解説しておく。


5.王雲五「中外図書統一分類法」

 商務印書館の編訳所には附設の書庫があり、涵芬楼と名付けられていた。1921年、商務印書館編訳所に入り、所長となった王雲五は、涵芬楼を一般公開することを建議する。雲五の提案を受け入れた商務印書館は、宝山路のむかいに建物を新築し東方図書館と改名した(1926年)。図書の公開閲覧と検査の効率をあげるため、王雲五により考案されたのが「中外図書統一分類法」だったという。これは、アメリカのデューイ(Mervil Dewey,1851-1931)が創始した「十進分類法」をもとに、独自の記号「+、++、±」を加味したものである*3。
 『商務印書館図書目録(1897-1949)』(北京・商務印書館1981)を見ると記号「+、++、±」もそのままに使用されていることがわかる。王雲五「中外図書統一分類法」は、現在においても有効であるらしい。
 それぞれの分類の中身がどのようなものか、主な項目だけでもあげて理解の助けとする。

  000総類:目録学、図書館学、百科全書、各科論文叢輯、新聞学を収録する。万有文庫、四部叢刊などの叢書は、この総類に分類される。
  100哲学:哲学一般、中国哲学、形而上学に心理学、倫理学なども含む。
  200宗教:宗教原理、宗教史、仏教に各種宗教、神話などを収める。
  300社会科学:三民主義、社会学、統計学、政治学、中国外交、経済学、法律、国際法、行政、軍事、教育、民俗学など包括する範囲は広い。
  400語文学:「語文学」とは、「言語学」の意味だ。比較言語学、英国言語学、日本言語学、ドイツ言語学、フランス言語学など。教科書、辞典、会話、読本なども含まれる。
  500自然科学:算術、代数、微積分、天文学、物理学、化学、生物学、人類学などがある。
  600応用技術:中国医学、医学、解剖学、生理学、外科、婦人科、獣医学ばかりでなく、軍事、橋梁、鉄路、農業、牧畜、園芸、印刷、著作権、会計、建築など。これも項目だけ見ていると幅広い。
  700芸術:中国芸術、彫刻、画学、油絵、音楽、娯楽など。
  800文学:文学思潮、修辞学、小説研究、戯劇研究、中国文学、中国詩文総集、各国文学、各国小説それぞれ。
  900史地:歴史学、地理、中国各省区地理、中国伝記、世界伝記、西洋史、中国歴代史など。

 ちなみに同じくデューイ十進分類法にならった「日本十進分類法」では、「000総記」「100哲学」「200歴史」「300社会科学」「400自然科学」「500技術、工学」「600産業」「700芸術」「800語学」「900文学」となっている。王雲五方式は、日本十進分類法と較べると、順序が異なっているくらいで、ほぼ、項目はおなじである。ただし、王雲五方式の「200宗教」のかわりに日本十進分類法の「600産業」があるところが違う。一項目だけの相違であるが、王雲五方式は、分類そのものが、やや、文科系にかたよっているということもできる。
 以上でだいたいの把握ができたことにして、「商務出版分類統計表」の説明にもどる。
 こまかい数字ばかりで目をこらすとチカチカする。目を酷使することによって、「商務出版分類統計表」では、種類数に3ヵ所、冊数に同じく3ヵ所、合計6ヵ所に数字の間違いがあることがわかった。
 種類数では、1924年の合計440を540に誤る。社会科学の合計2,290を2,390に誤る。ゆえに種類の総合計7,939を8,039に誤る。
 冊数でも、1917年の合計651を641に誤る。総類の合計2,777を2,767に誤る。必然的に総合計18,718を18,708に誤る。(以上の誤りは、表1の該当箇所に記入しておいた。)
 なお、この「商務出版分類統計表」の数字は、王雲五『商務印書館与新教育年譜』(台湾商務印書館1973.3)の該当年次に分散して採用されている。また、種類と冊数の合計の数字で民国12年(1923)までのものが該書82-83頁に見える。ただし、いずれも数字の誤りを踏襲したままだし、さらに誤植が付け加わっているので注意されたい。
 それぞれの分類に「種(類)数」と「冊数」のふたつが記入されている。商務印書館の出版業における重点の置きかたをさぐるのに、私は「種類数」の多寡の方が有効と考える。ゆえに以下は、種類数によって話を進める。



【注】
1)「商務印書館歴年出版小学教科書概況」1935.12。『商務印書館図書目録(1897-1949)』北京・商務印書館1981。付録。
2)王雲五『商務印書館与新教育年譜』台湾商務印書館1973.3。82頁。
3)王雲五『岫廬八十自述』台湾商務印書館1967.7.1/9.24四版。85-91頁。王雲五『商務印書館与新教育年譜』台湾商務印書館1973.3。155-173頁。