清末小説から


陳 平原○『千古文人侠客夢――武侠小説類型研究』北京・人民文学出版社1992.3
陳 謙豫○『中国小説理論批評史』上海・華東師範大学1989.10
方 正耀○『晩清小説研究』上海・華東師範大学出版社1991.6
高 健行○《老残遊記》外編及『三集』『出版史料』1992年第1期(総27期)1992.3
郭 延礼○『愛国主義与近代文学』済南・山東教育出版社1992.3
柳 无忌○<王晶訳>『蘇曼殊伝』生活・読書・新知三聯書店1992.3
盧 善慶○『中国近代美学思想史』上海・華東師範大学1991.5
清水 茂○清朝文人の教養 『中国清朝の書』季刊墨スペシャル第13号1992.10.5
太田辰夫・竹内誠○松友梅著『小額 社会小説』汲古書院1992.8
王 俊年○侠義公案小説的演化及其在晩清繁盛的原因 『文学評論』1992年第4期 1992.7.15
向  雲○日本《清末小説研究》及其他『中国文学研究年鑑』1988 中国文聯出版公司1992
曾樸・燕谷老人○『全本゙海花』2冊 太原・北岳文芸出版社1991.1/1991.11二次印刷
張 ァ生○『民国通俗小説論稿』重慶出版社1991.5


【音信一通】
 書籍文献は、機会があるときにはとりあえず入手しておきたい。一瞬の躊躇が、長年にわたる悔やみの種となる。
 20年近く前、新聞広告で「老残遊記」の名前を見かけた。文芸誌に掲載された文章だ。その足で電車に乗り、奈良市内の書店に出向いた。当時、郊外の団地に住んでいて、文芸誌が置いてある書店は、奈良市内にしかなかったのだ。さいわい該当文芸誌がある。ページを繰る。たしかに「老残遊記」と題する文章だ。しかし、目を通すと劉鉄雲の作品とはなんの関係もない。単に中国の「老残遊記」という題名に触発されて書かれたというだけのことらしい。これではしようがない、と書棚にもどした。これが悔やみの元である
 その後、妙に気になる。日本の作家が「老残遊記」という作品を書いたことは、事実である。しいていえば劉鉄雲の「老残遊記」の影響とも考えられるかもしれない、と思うようになった。なにかの折りに、日本の作家が書いた「老残遊記」、という文句が頭に浮ぶようになった。
 『彷書月刊』第8巻第5号(1992.4.25)を見ていると頁のすみに「老残遊記」という書名がある。中谷孝雄の作品集という。取り寄せる。
 中谷孝雄『無名庵日記』(朝日書林1991.12.20)
 手に取れば、確かに「老残遊記」が収録されている。書きだしは、こうだ。

 私はこの十月一日で満八十一歳になつた。仁者は寿(いのち長し)といふが、私はかりにも仁者を以つて任じてゐるわけではさらさらない。敢ていへば、いささか放逸な老人にすぎない。中国の古い本に『老残遊記』といふのがある。私はもうずつと前、三十五、六の頃からなぜかその本の題名にひかれ、一度読んでみたいと思ひながら、まだその機会を得ずにゐる。私はそのやうな、のろまな男であるが、中味を知らないその本の題名を暫く無断借用して、私の老残遊記を書いて見たいと思ふ。

 中谷孝雄は、1901年生まれであるという。上の文章によれば、満81歳ということは1982年の執筆ということになる。今から10年前のことにすぎない。私が、20年近く前、と記憶していたのは間違いだった。
 書名ともなっている作品「無名庵日記」は、雑誌発表時は「老残日記」と題していたという。老いぼれて生き長らえる、という日本語の語感に作者が引かれているのがわかる。ただし、劉鉄雲の「老残遊記」は、そのような日本語の意味合いとは、無関係だ。誤解をするのは読者の権利だから、別にかまわない。
 著者「あとがき」によれば、「本書に収めた五篇はすべて現代物の私小説であ」るという。芭蕉の墓があることで有名な義仲寺が出てくる。義仲寺の近所に住んでいる私には、その部分が興味深かった。
 ようやく10年来のつかえがおりたような気分を味わったという次第である。
 逃した書籍は、なかなか入手できないことが多い。私の家に2冊、3冊と中国語の同一書が集まることになったのも、この時の後遺症なのかもしれない。ただでさえ狭い部屋に、書籍が生え立っている原因である。なに、入手できなかったときの事を思えば、重複など問題にならないのだ。