「函髻記」をめぐって
神 田 一 三
「李叔同(弘一法師)の『函髻記』という小本は、珍しいもので、ここで紹介すれば、弘一大師の人生観、倫理感、愛情感を理解するうえで手助けになることもあるかもしれない」と書きはじめる鄭炳純の「李叔同的出家与《函髻記》」(『読書』1992年第4期 1992.4.10。116-118頁)がある。
該書は、西冷印社に印刷させた非売品であるという。署名は「盟鴎〓著」、表紙に「函髻記」の三文字、左下に「盟鴎〓雑著」とあり、雑著二文字の間に「李息私印」と朱印が押してある。李息は、李叔同が出家する前に常用した名のひとつで、通例そのような位置に捺印できるのは作者自身しかいない。盟鴎〓は李息のことである。鄭炳純は、こう断定する。
唐代の進士・欧陽行周と太原の名妓・申行雲の悲恋を題材とするこの短編は、清末小説研究会編『清末民初小説目録』 (中国文芸研究会1988.3.1。233頁)にも以下のように収録されている。
H117 函髻記 盟鴎〓著 『小説月報』6巻9号 1915.9.25
これ以外に同名の小説は、『清末民初小説目録』に見当たらない。『小説月報』を見れば、54-58頁に掲載された作品は、鄭炳純が紹介するものと同一内容である。
盟鴎〓が李叔同の筆名であるとする鄭炳純の文章を読んで、私は腑に落ちないものを感じた。捺印の場所を断定の根拠にする部分も大いに怪しい。それよりも、張純「南京図書館所蔵晩清創作小説(1)」(『清末小説から』第15号 1989.10.1。10頁)に次のような記載があるのを知っているからだ。
33.評点四大名家小説不分巻 二冊 民国四年(1915)/排印本。/附注:該書収入梁啓超《世界末日記》、鄭孝胥《函髻記》、康有為《青娥血涙》、樊増祥《琴楼夢》。
「函髻記」と題するほかの作品を見ない以上、ここに示された鄭孝胥「函髻記」は、盟鴎〓名で発表された作品ではないか、と考える方が自然だろう。ただし、『評点四大名家小説』を目にできない現在、私にはそう断定することができない。
盟鴎〓は、李叔同か、それとも鄭孝胥か、疑問のままに残されるかと思われた。
しかし、回答は、すぐ得られたのだ。同じく『読書』の次号に、労祖徳は、「関於《函髻記》」(『読書』1992年第5期 1992.5.10。152-154頁)を書いて、鄭炳純の誤りを正した。
労祖徳は、鄭孝胥「海蔵日記」(中国歴史博物館所蔵)壬寅(1902)から、「函髻記」に関連する文章を引用する。その核心は、つぎの部分である。
五月廿一日:欧陽行周の「函髻記」 を読んで触発され、小説を書い て思いを託そうと考える。
六月十六日:「函髻記」を書く。
「函髻記」が鄭孝胥の作品であるからには、発表時に使用された盟鴎〓という名称は、鄭孝胥の筆名であると考えてよさそうだ。
なお、労祖徳には、「鄭孝胥日記中的出版史料――読《商務印書館大事記》」(『商務印書館館史資料』之四十二 北京・商務印書館総編室編印1988.11.19)と題する文章があることをつけくわえておく。
【追記】馬良春、李福田総主編『中国文学大辞典』全8巻(天津人民出版社1991.10)所収の『評点四大名家小説』には、鄭蘇龕(孝胥)著とある。