『清末小説から』第38号 1995.7.1

横浜・新小説社に言論弾圧


沢 本 郁 馬



●『新民叢報』
 数年前、上海の古籍書店で『新民叢報』19冊を入手した。台湾から影印本が出版されており、本文を読むだけならそれほど不自由はしない。該雑誌は、半月刊で96号が発行されているが、購入したものは19冊だから全体の一部にすぎない。なぜ購入したかというと、原本だったからだ。表紙に第何号と印刷されており、目次もあっていかにも原本だ。影印本では往々にして省かれる色紙の広告ページもそのままの状態である。広告は、資料として大きな意味を持っているから、欲しくなった。日本での古雑誌に比較すれば、価格はそれほど高くはない。しかも、原
本が手に入ることはめったにない。翌日、再度、足をはこび現金を支払った。
 帰国後、あらためて調べてみると、原本は原本なのだが、内容別に分類し直してある。第44、45号合併号までをバラして論説、政治、歴史、学術、伝記、小説などに分けて糸で綴じている。紙片が挟まれていて、「分類装丁本につき注意(注意拆訂本)」と書いてある。これを後の祭りという。
 気を取り直して一応眼を通してみる。すると紅色紙「論著門」扉ウラに次のような新小説社の広告があることに気づいた。資料としての価値があるので原文を掲げ、日本語訳をつける。

啓者本報従権停刊数月其故頃已登報声明当為購閲諸公所鑒諒茲擬定期五月続出第四号至十二月共出九冊合之去年三冊恰成十二冊一年之数誠恐閲報諸君喧]特此預告祈為鑒之
横浜新小説社謹啓

拝啓 本誌は臨機の処置をとって数ヵ月停刊いたしました。その原因はすでに新聞で声明しておりますゆえ購読の諸君にはご推察いただいていると思います。五月に第4号をつづけて出し、十二月まで全部で9冊を出せば昨年の3冊と合わせて1年分12冊になります。購読のみなさまがお待ちではないかとただ気がかりで、ここに特に予告をしご理解いただくようお願いいたします。
横浜新小説社謹告
 京都大学人文科学研究所所蔵本で照合してみると、この広告は、『新民叢報』第29号(光緒二十九年三月十四日<1903.4.11>)にある。ただし、京大人文研所蔵本は、合訂本だ。合訂の時、表紙を省いており厳密にいうと原形をとどめているとはいいがたい。中扉(色紙)もあったり、なかったりで少し信頼性に欠けるかとは思う。
 それはさておき、『新小説』は、光緒二十八年十月十五日(1902.11.14)に創刊し、十一月十五日(1902.12.14)に第2号を、十二月十五日(1903.1.13)に第3号を出した。3号までは毎月陰暦十五日の発行が守られている。しかし、第4号の発行が光緒二十九年五月十五日(1903.6.10)となっており、約五ヵ月の空白が生じているのだ。閏月があるので年末まで月刊が維持されれば9冊の発行となる。実際には、第8号が八月十五日(1903.10.5)が出たあと、第9号は光緒三十年六月二十五日補印(1904.8.6)で約十ヵ月の空白があるが、こちらは今は触れない。

●『新小説』
 『新小説』が、第3号から第4号を発行するまで五ヵ月を要した理由はなにか。上の広告によると新聞で声明しているという。今、その記事を捜し当てることはできていない。だが、天津『大公報』に、以下のような報道がなされているのを見つけた。

天津『大公報』光緒二十九年三月初五日(1903.4.2)
「時事要聞」
探悉外務部奉 旨電致駐日本横浜領事封禁小説報館以息自由平権新世界新国民之謬説並云該報流毒中国有甚於新民叢報叢報文字稍深粗通文学者尚不易入云云

聞き込みによると、外務部は命令を承り駐日本横浜領事に以下のように電報で通告した。小説報館を封鎖し、自由同権、新世界新国民といった謬論をやめさせよ。また、該誌は中国に害毒を流すこと新民叢報よりひどい。新民叢報は、文章がやや深いため生かじりの文学通にはなかなか入りにくいからだ云々。

 横浜の「小説報館」といえば、新小説社しかありえない。横浜で編集発行されていた『新民叢報』『新小説』は、大量に大陸へ送られていた。その影響を清朝政府が無視できなくなったことがわかる。時期的に見て上の新聞報道は、『新小説』の第3号から第4号までの空白五ヵ月の事情を説明していると考えていいだろう。天津『大公報』の記事は、清朝政府が、外務部を通じて新小説社の言論を弾圧しようとした証拠である。『新民叢報』にくらべて『新小説』の方が(私の言葉になおせば)タチが悪いというのもおもしろい。論文より小説の方が影響力がより強い、と清朝政府自身が認めたことになるのだ。
 中国国内であれば、雑誌社の封鎖など簡単にできたかもしれない。事実、『蘇報』『民吁日報』など廃刊に追い込まれた新聞もある。しかし、新小説社は日本横浜にある。清朝政府が直接手出しをできるものではない。ゆえに領事を通じて圧力をかけたのだろう。圧力の効果は、五ヵ月の空白に現われた。また、第4号が予定より五ヵ月遅れで発行されている事実が、その圧力の効き目の限界をも同時に語っている。