●清末小説から 第41号 1996.4.1


呉熕l訳「電術奇談」余話(上)


樽 本 照 雄



1.「電術奇談」日本原作の発見
 呉熕lの「電術奇談」は、1903年の『新小説』連載以来、原作がなにであるのか不明だった。菊池幽芳の「新聞売子」だと私がつきとめたのが、1985年のことだ*1。私は、呉熕lの翻訳がどのようなものなのか、日本語原文と中国語訳文を対照しながらさぐった。その結果、呉熕lは、原作の大筋を変更せず、具体的な加筆をほどこして読者の興味を引く翻訳としていることが明らかになる。「「新聞売子」は、恋愛幻想探偵小説である。幽芳の言う通りたしかに「事実錯綜趣向変幻巧みに読者の好奇心を動かす」作品だ」と書きもした*2。
 のちに編集した清末小説研究会編『清末民初小説目録』(1988)には、

D203* 電術奇談 (一名催眠術 写情小説) 24回
(日)菊池幽芳氏元著 方慶周訳述 我仏山人(呉熕l)衍義 知新主人(周桂笙)評点
『新小説』1年8号−2年6号(18号) 光緒29.8.15(1903.10.5)-?
菊池幽芳「新聞売子」(『大阪毎日新聞』1897.1.1-3.25)のち単行本 大阪駸々堂 前後編2冊1909.9.12/10.30 *3(注:*印は翻訳を示す)

と記述している。単行本としては、D204*上海・広智書局(光緒31.8<1905> 扉に「奇情小説 電術奇譚 横浜新小説社訳印」とするものあり)、D205*北京中亜書局(中華帝国元年)、D206*世界書局(1923.3)なども挙げておいた。
 もし、今、つけ加えるとすれば、『大阪毎日新聞』の連載は75回であったことくらいであろうか。
 1996年、正月早々に香港中文大学で開催された「翻訳与創作:中国近代文学国際研討会」に参加してみると、呉熕lの翻訳である「電術奇談」に関して、あいも変わらず原作不詳としたり、「翻訳ではない、再創作だ」などという説を信じている研究者がいることを知った。情報が充分には伝わっていないようだ。今まで書いてきた文章と重複するところもあるが、長年存在している誤解をとくために、あえて述べることにする。

2.「再創作」説の謎
 「電術奇談」第24回末尾の「附記」によると、「本書は(方慶周の)もとの翻訳がわずかに6回、それも文言であった。それを24回に俗語で書き改めた」という。
 「電術奇談」は、翻訳ではなく呉熕lの「再創作」だと言いはじめたのは、孫楷第あたりかもしれない。

2-1 孫楷第『中国通俗小説書目』(1958)

 本書は、日本菊池幽芳の原著を底本としこれを引き伸ばしたもので、すでに翻訳という性質のものではない。*4

 なにを根拠に翻訳ではない、と孫楷第はいうのだろうか。その詳細を明らかにしてはいない。想像するに、あの「附記」を理由にしているのであろう。つまり文言6回を24回に書き改めたという証言である。6回からその4倍の24回に膨れあがらせた、と単純に考えたのではないか。孫楷第は、「電術奇談」の原作がなにであるのか知ってはいない。「新聞売子」の名前がどこにも見えないところからわかる。原作を知らずに、なぜ、翻訳ではないと断言できるのだろうか。おかしなことだ。「電術奇談」が翻訳ではないとするのは、孫楷第の空想だといわざるをえない。
 しかし、孫楷第に「すでに翻訳という性質のものではない(已非翻訳性質)」と自信たっぷりに書かれると、それで納得する研究者が出てくる。

2-2 盧叔度「我仏山人作品考略」(1980)

 阿英は本書(注:電術奇談)を「晩清小説目・翻訳の部」のなかに入れており、これがよくないというわけではないが、しかし、「本書は、日本菊池幽芳の原著を底本としこれを引き伸ばしたもので、すでに翻訳という性質のものではない」。呉熕lの創作とみなすことができる。*5

 「」内に孫楷第の文章を引用して、盧叔度も、呉熕lの創作とした。呉熕l研究の専門家盧叔度でさえ、阿英の分類を否定したうえに、かさねて誤りを伝えていくのだ。

2-3 欧陽健、蕭相пu《晩清小説目》補  編」(1989)

 実は、呉(熕l)の再創作である。*6

 欧陽、蕭のふたりは、のちの『中国通俗小説総目提要』を編纂するため、中国全土の図書館を調査していたという。その過程で目にした資料のなかから抜粋して「《晩清小説目》補編」を発表したものだろう。彼らも、また、「電術奇談」を「再創作」とする根拠を示してはいない。呉熕l研究の専門家である盧叔度が書いたことをそのまま引き継いだのだ。
 1985年には、「新聞売子」が原作であることはすでに判明していた。その事実を知らずに「再創作」だ、と根拠もなく断言するだけだ。このふたりが関係する『中国通俗小説総目提要』が同じ記述になるのは必然だろう。

2-4 江蘇省社会科学院明清小説研究中心  編『中国通俗小説総目提要』(1990)

 実は、呉熕lの再創作である。*7

 翻訳は中国小説ではない、という立場をとるのが該提要である。ゆえに「電術奇談」を収録しているからには、創作であると考えているのだ。孫楷第の考えがここにも反映されていることがわかる。

3.王立言の発見
 中国では「電術奇談」の原作が「新聞売子」であることを知る研究者は、全く存在しないのか、といえば、当然、そんなことはありえない。いうまでもなく中国における近代文学研究者の層は厚い。1991年秋、上海で開催された「首届中国近代文学国際学術研討会」には、百名を超える研究者が参加していた。その数は、圧倒的であったのを今でも私は記憶している*8。
 中国の研究者にとっては、自国の文学研究である。外国の研究者に遅れをとるはずがない。ほかの誰よりも早く「電術奇談」の原作に言及した中国の研究者は、王立言である。
 王立言は、「電術奇談」の原作が英国の作品であること、菊池幽芳の翻訳が『大阪毎日新聞』に連載されたこと、のちに大阪駸駸堂から前後編の単行本で発行されたこと、作品名は「新聞売子」であることなどを明らかにした。その上で、次のようにいう。

3-1 王立言「(電術奇談)前言」(1988)

 「電術奇談」は、晩清の著名な小説家呉熕lが方慶周の文言訳述にもとづいて再創作してなった小説である。*9
 菊池幽芳の翻訳と対照して見ると、主要な骨組みには変化がない。しかし、呉熕lは、筋と人物の心理描写にすくなからぬ工夫をこらした。「電術奇談」はけっして単なる翻訳作品ではなく、呉熕lが再創作した作品であることがわかるのだ。*10

 王立言は、「菊池幽芳の翻訳と対照して見ると」と確かに書いている。それだけではない。原名の「新聞売子」を指摘し、さらには『大阪毎日新聞』連載の年月日、大阪駸々堂の単行本にも触れている。私は、王立言の文章が正確であることに、正直いって、驚いた。私が捜し当てた「新聞売子」の事実を、まったく寸文の違いもなく記述しているからだ。かさねていう。中国の研究者層は、厚い。さすがに人材があるものだと感心したものだ。
 「電術奇談」原作を王立言が発見したのをいちばん喜んだのは、盧叔度ではなかったか。

3-2 盧叔度「前言」(1988)
 盧叔度は、呉熕l研究の専門家として長年作品を研究していた。「電術奇談」の原作について特に知りたかったはずだ。盧叔度は、王立言の記述にとびついた。『我仏山人文集』第1巻の「前言」において、菊池幽芳の作品名と連載状況、方慶周などについての王立言の文章をそのまま約1ページにわたり引用した*11。引用末尾に、「王立言《電術奇談・前言》」と典拠を示し、それによって王立言の功績を讃えている。

4.無断引用
 盧叔度に称賛された王立言の文章を読んで、どこか腑に落ちないものを私は感じた。
 中国において日本の新聞を調査することなどできるのであろうか。広い中国のことだ、どこかの公共図書館、大学図書館には、日本の新聞も所蔵されているかもしれない。しかし、明治時代の新聞である。新聞の原物は、日本の図書館でも所蔵するのを渋る。かさばるからだ。では、王立言は、マイクロフィルムを見たのだろうか。日本の新聞をマイクロフィルムで購入するだけの図書館予算が中国にあるとでもいうのか。いや、広い中国のことだから、可能性が皆無というわけでもないだろうが……。疑問は、つぎつぎ出てくる。
 それよりも、王立言は、なぜ新聞にたどりついたのか。『新小説』連載には、菊池幽芳原著とあるだけで、新聞に掲載されたなどとはどこにも書かれてはいない。また、それに言及されたこともない。まず菊池幽芳の単行本を探すのが普通ではなかろうか。単行本で捜査したあと、余力があれば新聞調査に着手するという順序である。しかし、王立言の説明は、まず『大阪毎日新聞』連載から始まっているのだ。不思議だ。
 もうひとつ、菊池幽芳の著作を中国で読むことができるのだろうか。『新聞売子』は、日本のどこの図書館にでも所蔵されるような種類の書籍ではなかった。だからこそ私は捜査に手間取ったのだが。
 王立言の説明は、類をみないほど詳しい。いや、詳しすぎるということができる。これがかえって不自然である。
(次号完結)


【注】
1)樽本照雄「呉熕l「電術奇談」の原作」『中国文芸研究会会報』第54号1985.7.30。のち、『清末小説論集』法律文化社1992.2.20所収。
2)樽本照雄「呉熕l「電術奇談」の方法」『清末小説』第8号1985.12.1。16頁。のち、『清末小説論集』所収。209頁。
3)清末小説研究会編『清末民初小説目録』中国文芸研究会1988.3.1。113頁。
4)孫楷第『中国通俗小説書目』北平国立北平図書館1933初版未見/北京作家出版社1957.1北京第1版未見/1958.1北京第2次印刷。128頁/北京人民文学出版社1982.12訂正重版。146頁。
5)盧叔度「我仏山人作品考略――長篇小説部分」『中山大学学報』1980年第3期。今、復印報刊資料による。
6)欧陽健、蕭相пu《晩清小説目》補編」『文献』1989年2期(総40期)1989.4.13。74頁。
7)江蘇省社会科学院明清小説研究中心編『中国通俗小説総目提要』北京・中国文聯出版公司1990.2。898頁。
8)熊向東、周榕芳、王継権選編『首届中国近代文学国際学術研討会論文集』南昌・百花洲文芸出版社1994.7を参照されたい。
9)我仏山人著『恨海』広州・花城出版社1988.8。95頁。「電術奇談」は、『我仏山人文集』第6巻(広州・花城出版社1988.8)にも収録されているが、王立言の「前言」は、どうしたわけか第6巻には掲載されていない。文集からいくつかの作品を抜きだし、別に出版したのが『恨海』である。
10)我仏山人著『恨海』広州・花城出版社1988.8。96頁。
11)盧叔度「前言」(1988)『我仏山人文集』第1巻 広州・花城出版社1988.8。24-25頁。