●清末小説から 第43号 1996.10.1


長 尾 雨 山 の 教 科 書 (上)
――初期商務印書館の印刷物


樽 本 照 雄


 夏瑞芳主導のもとで創設された上海・商務印書館は、周知のとおり印刷請け負いから仕事をはじめた。キリスト教会の出版物、あるいは一般雑誌の印刷が、その主な業務内容である*1。
1.夏瑞芳の日本教科書出版失敗
 創業の翌1898年、夏瑞芳は、印刷業のかたわら英語教科書の出版を試みる。これに成功した夏瑞芳は、当時、各書店が日本の書籍を翻訳して売れ行きがいいところに目をつけた。ところがクズ原稿をつかまされて出版したもののさっぱり売れない。原稿料1万元を失う。これにこりて編訳所を設立し教科書を編纂しはじめた。それが民国元年より9年前、すなわち癸卯(1903)年だという。商務印書館において教科書編纂の当事者であった蒋維喬の回想だ*2。
 ここで紹介するのは、商務印書館が創業まもなく翻訳発行した日本語の教科書である。坪内逍遥が書いた国語読本をふたつに分け、1901年と1904年に前後して、中国語に翻訳し出版している。前者の出版は、1901年だから蒋維喬のいう1903年よりもさらに2年をさかのぼる。時期的にみれば売れない教科書ということになる。はたして「クズ原稿」に類するものなのだろうか、検討してみよう。後者は、長尾雨山が上海で翻訳した。商務印書館が金港堂と合弁をした後の出版物でもある。中村忠行「検証:商務印書館・金港堂の合弁(三)」(『清末小説』第16号1993.12.1)において紹介がすでになされている。紹介がなるべく重ならないように努力する。

2.坪内逍遥の教科書
 長尾雨山の教科書について述べる前に、逍遥坪内雄蔵の教科書から説明しよう(以下、逍遥本と称する)。
2-1 逍遥本
 翻訳のもとになったのは、坪内雄蔵著『国語読本』尋常小学校用である。
 坪内がとなえる小学校読本教授の目的にはふたつあり、直接と間接に分けられる。直接の目的は、「(第一)能く語り、能く読み、能く作文するの能力を鍛ふること、(第二)事物に関する普通知識の端緒を授くること、(第三)性情陶冶即ち徳育、美育などに資すること、是れなり」という。間接の目的は、「生徒をして読書の利益と興味とを覚らしむるに在り」*3である。このふたつの目的を達成するために、材料、配列、文体に気をくばり、挿絵、字体、分量にも工夫をこらさなければならない、というのが坪内の教科書編集の方針であった。
 坪内逍遥が編集した教科書は、尋常小学生徒用書『読本』8巻*4(冨山房1899。未見)とその訂正版である尋常小学校用『国語読本』8巻(冨山房 明治33<1900> .9.17未見/12.19訂正再版*5)がある。
 「富山房が、文豪であった坪内雄蔵に依嘱して、それまでの教科書の調査を十分した上で、独創的に編集したものであり、当時の代表的な読本である」*6という。
2-2 沙張訳本
 商務印書館が線装本で出版したのは、逍遥本の訂正再版本前半4巻にもとづいている。なぜそうとわかるかは、その扉に、

坪内雄蔵著、沙頌噤A張肇熊訳『和文漢訳読本』商務書館印行 明治33(1900)年12月著、光緒二十七(1901)年九月訳

と書かれているからだ(西暦は樽本が附した。以下、沙張訳本と略称する)。ここに示されている元本の発行年月が逍遥本の訂正再版と一致している。ちょっと脇道。1996年4月3日、日本放送協会大津放送会館の前を通りかかった。「懐かしの教科書展」という掲示が目に飛び込む。江戸時代からの教科書が展示してあるのだ。琵琶湖西方のマキノ町にある白谷荘民俗資料館から所蔵物のうちの教科書だけが示してある。数が多くその内容も貴重だ。その場にいらした所有者・大村表郷氏のおはなしによると所蔵の一部だという。その中に逍遥本の訂正再版本
(明治33年9月17日発行/12月19日訂正再版)があった。自宅から沙張訳本の複写を持参し、逍遥訂正再版本と原文を照合させてもらったが、もとになった日本語本文と挿絵は同じであることを確認した。
 さて、「商務書館」は、商務印書館をさすが、別に誤植ではない。商務印書館の初期出版物には、「商務書館」名義のものがいくつか存在している。
 沙張訳本巻1は、「トリ」から始まる。見開きにニワトリのつがいとヒヨコ、カラス、ハト、スズメ、ツバメ、オシドリのつがいなどの鳥づくしだ。ここに単語がひとつ「トリ」と片仮名が示され、傍線の右に「鳥」と漢字がふられている。次ページは、ハト(鳩)、アリ(蟻)、ハタ(旗)、タコ(風筝)だ。和服の子供が棒を持って木の枝にとまった鳩を捕獲(?)しようとしている挿絵があり、左ページに日本の奴凧と日章旗が配される。いかにも日本の教科書である。欄外にト、リ、ハ、ア、タ、コと記されているのは、片仮名の学習のためなのだろう。
 まず、日本語単語から導入し、あわせて片仮名を学ぶことから始まる。挿絵は、理解を助けるために必要だ。単語をいくつか並べたあとは、「イケ(池)ニヒヨコ(雛)」である。あたらしく出てきた「ニ」については、「ニ字可作於字解猶言雛在於池也」と説明する。
 外国語を学習するとき、自前の教科書がなければ外国で使用された教科書をそのまま使うという情況は、普通に見ることができる。中国でも英語の学習には、同様のやり方から始まった。しかし、教科書全部が英語というのは、使い勝手がよくない。前出『華英初階』(原本未見)が読者に歓迎された理由は、英単語に漢語の注釈をつけるという工夫をしたことによる*7。
 夏瑞芳は、英語教科書で成功したやり方を、そのまま日本語教科書に応用したと考えられる。
 単語「トリ」から始まり短文「ウサギ ガ ヤスム」になると沙張訳本は、同じく「兔」「指定之意」「休息」と注釈をつける。ただし、短文だからといって漢語の注釈がすべて正確だとはいえない。「ツキ ガ ウツル」では、猿が左手で枝をつかみ、水面に映る月に右手を伸ばしている絵を添える。「ウツル」に「映也」とするのは、よい。しかし、同じ場所に「移也」と振るのは、訳者が日本語の「ウツル」を正しく理解していないことを示しており、注釈としてはよろしくない。同じ間違いは、熊がサケを竹の枝に刺して運ぶ後ろ姿を挿絵に掲げ、「サケヲ トル。カツイデ ユク。ハシ カラ ヌケル」の「ハシ」に「橋」と漢字を当てている部分にも表われる。平仮名にすすみ「はなさかぢぢ。かれえだ に、はな を さかせる」の「かれえだ」を「彼枝」とするのも誤りだ。本来の「枯れ枝」がわからなかったらしい。
 巻2より巻末に各課の和文漢訳が掲載される。「て(手)のなる(為)ほーへ(法)。てのなるほーへ。それ(那)、おに(鬼)がき(来)ました(過去意)。にげ(逃)ませう(未来意)。にげませう」の「なる」が「為」、「ほー」が「法」になるのは、理解しがたい。しかし、そえられた漢訳では「向拍手有声之方来。那有鬼来了。逃呀逃呀」となっていて日本語の意味は把握していることがわかる。本文の注釈と漢訳が別々の人物によって担当されており、しかも両者の間に連絡がついていないらしい。
 巻1の巻末に「日本語音韻文法変化之大要」があり日本語についての説明がされているとはいえ、この教科書を使って中国人が日本語を独習することは少しむつかしいように思う。漢語の注釈に誤りがあるからなおさらだ。日本語を知る人が教科書に使用するにはさしつかえないか、という程度の翻訳教科書である。
 沙張訳本の売れ行きがはたしてよかったのかどうか、この教科書の表示だけからはうかがうことができない。版数を重ねている証拠でもあれば使用された状況を推測することができるのだが、それもない。
 ひとつの手掛かりとして『東方雑誌』第2年第1期(1905.2.28)の出版広告をあげておきたい。

外国語学類
  和文漢訳読本(全部八冊定価洋 1元)

 我が国と日本は同文の国である。文明を輸入しようとすれば和文を学習するのが便利だ。本書の初版は学界においてはなはだ推奨され1ヵ月で売りつくした。ただ、慌ただしく出版したためすこしの誤りがあるのを免れなかった。近頃、各省の学堂の多くが日本語学習をふやし、購入希望者がひきもきらずやってくるが、恥ずかしながら要求にこたえることができなかった。今般、特に前日本高等師範学校教授長尾槙太郎君に請い、最新本をもとにくわしく校訂をしてもらい、すべての字を斟酌し元の意味をすこしも失っていない。初心者の手引きとすることができよう。

 出版元が売れませんでした、とは言うはずがない。「すこし誤りがありました」と表明するのがやっとのことだ。しかし、長尾を引っ張りだしたのは、沙張訳本の欠陥を認めたことになる。「元の意味をすこしも失っていない」という部分にいたっては、沙張訳本が元の意味を取り違えていたと告白しているのとかわりない。
 ただ、いくつかの間違いがあることをもって、これを「クズ原稿」だときめつけるには躊躇する。漢語訳文は、意味が通っているからだ。実藤文庫に残っている教科書だから、ある程度は出回ったのであろう。かといって、日本語読本としてすばらしい出来である、とも断定することはとてもできない。商務印書館自身が、誤りを認めているのだ。中途半端な翻訳教科書だということにしておく。
(次号完結)
【注】
1)樽本照雄「初期商務印書館の印刷物」上下 『清末小説から』第23-24号 1991.10.1-1992.1.1
樽本照雄「夏瑞芳暗殺」『清末小説』第18号 1995.12.1。7-8頁。
2)蒋維喬「編輯小学教科書之回憶――一八九七年−一九〇五年」『出版周刊』第156号 1935。初出未見。 張静廬輯註『中国出版史料補編』北京・中華書局1957.5。140頁。
3)坪内逍遥「『小学国語読本』はしがき」冨山房1901。原本未見。『逍遥選集』別冊第3巻 春陽堂1927.11.18。689-692頁。
【参考】坪内逍遥「『小学国語読本』編纂要旨」『逍遥選集』別冊第3巻 春陽堂1927.11.18。693-708頁。
4)『東書文庫所蔵教科用図書目録』第2集 東京書籍株式会社1981.9.1。430-431頁。
5)海後宗臣編纂『日本教科書大系 近代編 第6巻 国語三』講談社1964.4.20/1968.12.10第2刷。なお、小学読本研究会『小学読本物語』(アトム出版社1959.1.10。46-47頁)に坪内雄蔵『国語読本』の明治34年版という「トリ」の図が掲げられているが、訂正再版本の図と異なる。
6)海後宗臣編纂『日本教科書大系 近代編 第6巻 国語三』617頁
7)汪家熔「記《華英初階》注訳者謝洪賚先生(1875-1916)」『商務印書館館史資料』之三十七 商務印書館
総編室編印1987.4.10。
汪家熔「記《華英初階》注訳者謝洪賚先生」『出版史料』1988年第3・4期(総第13・14期)1988.9。80頁。