『清末小説から』第44号 1997.1.1



橋本循記念会
第6回「蘆北賞」受賞のことば



樽 本 照 雄


 『清末小説』の編集ならびに発行をしております樽本照雄でございます。
 このたび名誉ある「蘆北賞」を受賞し、大変、光栄に思っております。
 『清末小説』は、文字通り清朝末期の小説を専門に研究する雑誌です。年1回の発行で、本年(1996)第19号を発行し、実質、20年になりました。
 清末小説という研究分野は、20年前はそれほど注目されていなかったのが事実です。
 1950年代から60年代の中国大陸におきまして清末小説のいくつかが批判の対象となったことがあります。政治運動に関連していたのですが、それ以来、清末小説研究は顧みられない分野のひとつとなりました。否定的評価を下すためにだけ書かれた論文が出現するということがあったくらいです。
 1966年、私が大阪外国語大学に入学したその夏から、中国では「文化大革命」が始まり、学術研究活動も停止してしまいました。
 私を含めた数人が清末小説研究の専門雑誌を発行しようと計画していた時、中国では依然として「文革」が継続中で、清末小説研究の分野が注目されることはまったくありませんでしたし、日本でも同じような情況だったのです。
 それでも1977年に創刊号を発行しましたのは、この分野が研究の空白地帯となっていたことが明白で、誰も注目しないからこそやりがいがあったと言えるのです。
 もっとも、これは現在から振り返っての感想でありまして、当時、自分に興味のあることを前面に押しだしてやりたい、というくらいの気持ちにすぎませんでした。最初、『清末小説研究』と題し、1985年、第8号より『清末小説』と改題しております。創刊号から、私個人が編集と発行の責任を負って現在に至っています。
 また、1986年、季刊『清末小説から』という小冊子を創刊し、以来、来年(1997年)1月で満11年になります。こちらは短い論文を掲載し、速報の意味を持たせた定期刊行物です。
 両者ともに、使用言語は、日本語および中国語としております。日本で発行している雑誌ですから日本語が中心になるのは当然です。研究対象が清末小説ということもあり、中国語でも可能ということにし、海外在住の研究者へ門戸を開いております。世界の清末小説研究者のうち主要な人の原稿が、掲載されているのも事実です。さいわい雑誌『清末小説』の存在が、研究者の知るところとなり、だいぶ前から、原稿の多くが海外からの投稿であることも申し添えておきます。
 海外=中国香港台湾および欧米へ郵送しておりますのは、『清末小説』第19号を例にとりますと全体の約6割にのぼりましょうか。日本国内は、残りの約4割ということになり、この割合は、以前からそれほど変わっておりません。日本よりも海外への郵送が多いことになります。発行部数そのものが少なく、数の上では、他分野の研究誌にはるかに及ばないでしょう。しかし、清末小説(中国では、近年、「近代小説」とよんでおります)の専門家は、もともと多いというわけではないのです。一般に目にできる種類の雑誌ではありませんが、清末小説に興味をもっている研究者のあいだでは、知名度は低くないといえましょう。
 私たちの雑誌の編集方針は、論文の発表と資料の発掘です。
 中国の専門家との討論を『清末小説』誌上で展開するということもありました。清末の小説専門雑誌で有名な『繍像小説』の発行時期についての論争ですとか、「文明小史」と「老残遊記」の盗用関係を討論するというのもございました。
 資料発掘の例をふたつあげましょう。
 李伯元が自ら主宰する新聞において「妓女コンテスト」を開催したことが知られています。その模様を記録したオリジナル資料を、私は、京都の書店で偶然に発掘したことがあります。雑誌にその資料を掲載したのは言うまでもありません。
 呉熕lが日本人の作品を漢訳にもとづいて口語訳した作品があります。「電術奇談」という題名で著名なのですが、この作品の原著者が菊池幽芳であることは最初から明らかでした。作品にそう書いてあるからです。しかし、菊池幽芳の何という作品であるのかは、長年にわたって不明のままだったのです。それが、菊池幽芳の「新聞売子」であることを探しだし、その成果を発表したのも『清末小説』においてです。
 資料の発掘を重視するという編集方針は、多くの研究者から支持されているのではないかと思います。
 昔のことは、いくらでもお話しすることができそうですが、ここで、現在は何をしているのかを簡単に紹介しておきましょう。
 清末から民国初期にかけての小説目録をまとめる作業を続けています。
 小説専門雑誌が出現するのも清末時期の特徴のひとつです。雑誌初出から単行本まで、小説の履歴書を作成するのが目的です。『清末民初小説目録』として8年前に、一度、出版しました。それから増補訂正作業を継続しておりまして、現在、収録数は、もとの分量の約1.5倍に増えています。全体で約1万5千件のデータをまとめたものになりそうです。
 もうひとつ、インターネットを通じて研究会のホームページに接触するすることができます(http://www.biwa.or.jp/~tarumoto)。ご覧ください。
 私たちには、解決すべき課題とやるべき仕事が多くあり、それに集中してきただけです。周囲の人々からどのように評価されているのか、知ることは少なかったように思います。
 『清末小説』および『清末小説から』の継続発行は、中国をはじめとする諸外国の専門家の協力なしにはできないといっても過言ではありません。
 清末小説というのは、時期的には非常に限定されたものですが、その分だけ研究者間の交流は緊密であるということができます。
 ですから、今回の「蘆北賞」受賞は、日本国内にとどまらない、まさに世界の清末小説研究者全員に対する応援であると私には思えるのです。
 私たちの研究活動に長年注目していてくださった橋本循記念会関係者の方々に感謝いたします。
 本当にありがとうございました。
1996年11月21日 からすま京都ホテルにて


【注】(財団法人)橋本循記念会の事業には、留学生への奨学金(本年度14名)と中国文学研究助成を目的とする蘆北賞授与などがある。第6回の蘆北賞論文部門は、小松謙(京都府立大学助教授)、学術雑誌部門が本誌、出版部門(該当なし)となっている。選考委員は、以下の通り。岩城秀夫(山口大学名誉教授)、興膳宏(京都大学大学院教授)、清水凱夫(立命館大学教授)、芳村弘道(就実女子大学助教授)。