『清末小説から』第44号 1997.1.1



★ ★ ★

 『中国近代文学大系』第12集第29,30巻(史料索引集)2冊が出版された。
 魏紹昌主編、上海書店(1996.3、1996.7)の発行である。
 1、2に分けられる。それぞれの内容は、次のとおり。
1.魏紹昌「導言」
中国近代文学大事記(1840-1919)
中国近代文学思潮、流派、社団簡介(附:参考資料目録索引)
中国近代文芸報刊概覧(一)
2.中国近代文芸報刊概覧(二)
中国近代文学研究資料篇目索引(1840-1990)
清末民初小説研究目録――日本及其他国家篇目。

 最後に配置される「清末民初小説研究目録」を編集したのは、私だ。その凡例に「本目録を、直接あるいは間接に使用する場合は、いずれにしても編者・樽本照雄の氏名を明記しなければならない」とあるのを見て驚く人がいるに違いない。ひとこと説明する。
 魏紹昌氏より研究文献目録を編集してほしいと依頼を受けたのは、1990年のことだった。私は、それに対して、日本の研究文献については編集してもいい、しかし、日本を除く外国の研究文献についてはお断わりをする返事を書いた。充分に調査ができないことが分かっていたからだ。魏紹昌氏から、適当な人物がいないから、と重ねて外国の分を含めての編集を手紙で要請された。しかたなく、それまで収集していたものを整理したのが上の目録である。
 私が魏紹昌氏に示した条件には、ふたつある。
 ひとつは、日本語でそのまま掲載するのならば、私に校正をさせること。ただし、中国語に翻訳する場合は、校正の必要はない、というものだった。
 もうひとつは、これを資料として掲載する場合は編者として私の名前を明記してほしいということだ。以前、別の中国人研究者に資料を提供したことがある。名前を出すという約束だった。ところが、出版されたものを見ると私の協力が無視されるという経験があったからだ。
 資料を魏紹昌氏に郵送してのち、編集経過についての説明はない。校正刷りが送られてもこない。私は、提供した文献目録にもとづいて中国語に翻訳したのだろうと考えた。中国語に翻訳する場合は、校正は不必要だと言っている。原稿を郵送して6年近くが経過した。
 1996年11月、該書が送られてきたのを見て驚いた。日本語のままである。あれだけ校正をさせてほしいと申し入れておいたのに、私の希望は無視された。案の定、いくつか誤植がある。なによりも「本目録を、直接あるいは間接に使用する場合は……」がそのまま凡例となっているのには唖然とする。もともとは魏紹昌氏にあてた文面にすぎないものなのだ。
 日本語のままにするのか、中国語に翻訳するのか、その編集方針を伝えてもらえればよかったのに。残念である。本当の交流を実現するのはむつかしい。以上のような経緯なのだ。 (樽本照雄)