半 歩 大 前 進 (1)

――『中国近代文学大系』史料索引集を読む


樽 本 照 雄



 上海書店より出ていた「中国近代文学大系」が、全30巻を完結したと報じられている*1。一冊目の翻訳文学集1が出版されたのは、1990年10月だった。最終巻である史料索引集2の発行日付が、1996年7月となっている。出そろうまでに6年間がかかった計算だ。文芸新聞で報道されるだけの価値があろう。
 『中国近代文学大系』文学理論集1、2巻および小説集2巻の合計3冊が出版中止となった、という告知を朋友書店の書目(1995.1)で見たことがある。中国において、書籍の出版中止は珍しい事ではないかもしれない。だが、すでに出はじめていた叢書だったから、完成しないのかと残念に感じたことだ。この種の出版が、中国で完結することが困難であることを想像させるに充分であった。しかし、それは虚報だった。
 採算が合わないに決まっている種類の学術出版である。しかし、やらねばならない類の企画でもあるだろう。このたびの全巻完結にたいして、なによりも、まず、書店を含めた関係諸氏のご尽力を賞賛したいと思う。
 出版がはじまって6年間だ。出版計画を聞いたのは、さらに以前のことになる。

1.編集前史
 「中国近代文学大系」が出版のはこびとなったのには、明らかな要因が存在していた。私の見るところ、台湾・広雅出版有限公司「晩清小説大系」精装本全37冊(1984.3)の発行が、直接の原因である。
 台湾「晩清小説大系」について、私は、つぎのように紹介した。
 「資料は、主として、阿英編「中国近代反侵略文学集」、「晩清文学叢鈔」小説巻、大陸で出されたいくつかの復刻単行本、および『新小説』『繍像小説』等の小説雑誌影印シリーズである。ことに小説雑誌影印シリーズは存分に利用されている」*2
 台湾「晩清小説大系」は、香港・商務印書館が1980年に出版した晩清文学雑誌五種があってこそ実現した企画だったのだ。
 この台湾本に大陸の研究者と出版社が、大いに刺激された。当時、私が聞いたのは、「上海から「晩清小説大全」が出るという。魏紹昌主編、全60巻、原本の影印をまとめるらしい」*3との情報である。
 耳にしていた「晩清小説大全」は、計画が中止になったか、あるいは形を変えて今の「中国近代文学大系」に改題されたと思われる。収録範囲を文学全般に拡大するなどの変更があったのかもしれない。「中国近代文学大系」関係者は、誰一人として発言していないが、客観的情況から判断すれば、この大型叢書の出版は、「台湾の「大系」を強く意識している」(同前)のが明らかだ。
 そのころ名前のよく似た大型叢書「中国近代小説大系」も、同時に計画されている。江西人民出版社と復旦大学の連合編纂出版で、全70巻、毎年1輯発行、1994年完結予定というふれこみだった*4。実際には、最初の規模を縮小して35冊で終了したらしい(南昌・江西人民出版社1988.10-1989.12。南昌・百花洲文芸出版社1991.3-10)。こちらの新聞記事には、「台湾・広雅出版有限公司が近年出版した《晩清小説大系》を越えた」*5という字句があからさまにある。
 台湾「晩清小説大系」の出版は、「中国近代小説大系」および「中国近代文学大系」というふたつの大型叢書を出版させることになった。該叢書の、大陸の関係者に与えた衝撃の大きさをここから推し量ることができる。
 香港、台湾、大陸とそれぞれが影響をあたえあい、刺激しあって清末民初小説関係の資料が出版されることは、大いに歓迎される事柄だ。ふたつの大型叢書より、みっつの編集物があるほうが、利用する側からいえば便利に違いない。
 清末小説研究会編『清末民初小説目録』(中国文芸研究会)を出版したのは、1988年3月のことだった。清末小説に関する大型叢書の出版を計画しているから、その資料として『清末民初小説目録』を欲しい、という要求があり、同年9月、上海書店に1冊を贈呈した。今、考えれば、その計画こそが「中国近代文学大系」のことだったのだ。
 『清末民初小説目録』の「序」が、范泉によって中国語に翻訳されている*6。該目録が、編集計画に役立ったかどうかはわからない。想像するに、参考書籍の1冊としては、とどめ置かれたのだろう。
 一方、『《中国近代文学大系》編輯工作信息』第29号(1988.12.10)を見れば、ほぼ固まりつつあった史料索引集の全容がわかる。
 魏紹昌「編纂《史料索引集》総体設想」には、史料索引集編集の全体構想が述べられていて、実現しなかった項目も見ることができる。
 魏紹昌が参考にしたのは、阿英「中国新文学大系」史料・索引である。それを見本にしたうえで、柱として以下の4項目が示される。
1.近代文学大事記
2.近代文学流派、社団および文学運動資料
3.近代文芸雑誌と文芸新聞編目
4.近代文学研究論著索引
 これらは、そのままに編集が実行された。
 計画がありながら実現されなかったのは、創作編目、翻訳編目である。
 少し先走りしてこれらについて述べておく。
 企画書によると、作家の伝記、創作、翻訳目録などは、各集の担当者が、それぞれの巻に収録するよう指示されている。しかし、出版されたものを見ると、ごく簡単な作家紹介と版本説明しか書かれていない。創作編目、翻訳編目は、形も見えないから、収録は最終的に放棄されたのであろう。言葉がでないくらいに惜しい。叢書に収録できなかった作品も、この目録を見ればその所在がわかる、という相互補完的な役割を分担させることができたものを、と残念に思うのだ。
 私と大系との関わりは、『清末民初小説目録』を贈呈しただけにとどまらなくなる。まさか、中国で出版される叢書に、部分的とはいえ私自身が関係することになろうとは、まったく想像していなかった。
 前述魏紹昌の「編纂《史料索引集》総体設想」には、「海外研究中国近代文学論著索引」を編纂中であると書かれている。資料集に海外の研究論文目録が収録されるのは、当時としては、珍しい部類に入るのではないだろうか。過去に劉鉄雲関係資料で、日本の研究論文目録が掲載されているのを知っているくらいだ。どんな目録ができるのか楽しみにしていた。その時点で、話が私にまわってくるとは思わない。
 該叢書の史料部分に日本における研究論文目録を収録したい、ついては私にその編集を依頼する、と魏紹昌氏よりお手紙をいただいたのが1990年春のことだ。(『清末小説から』第16号<1990.1.1>に中国近代文学大系30巻の出版予告を掲載している)
 与えられた時間は、限られていた。6ヵ月もなかったのではなかろうか。私が、依頼を引き受けたのは、なんとか期限までに作業を終了させることができるだろうと目算がたったからだ。将来、研究論文目録をまとめようと発表のあてもなく文献収集を継続していたのが役立つことになる。
 1990年末に目録原稿を上海書店に郵送した、と思う。昔のことではっきり覚えていない。
 1991年秋、上海・復旦大学で開催された国際学会に出席してみると、史料巻の編集者から私の目録原稿について質問をされるということがあった。それのみならず、上海書店から范泉氏が、学会会場に私をたずねて来られ(と思ったのは自惚れで、何かのついでだったのだろう)、挨拶をされたのには、まことに恐縮してしまったことである。范泉は、該叢書の編集責任の地位にあった。
 というわけで、原稿郵送から6年目にして史料索引集が日の目をみた。
 この史料索引集2冊は、清末民初関係の資料集としては、貴重であり、まためずらしいものに属する。紹介をかねて内容を検討したい。厳しい言葉がでるかもしれない。該書は、必ずしも一般読者を対象としていないはずだ。専門研究のための資料集であるから、少しくらい評価基準が高くても当然だと思うのだ。(以下、敬称略)

2.史料索引集の構成
 史料索引集2巻の書名などの出版情報および目次は、以下の通りである*7。

 1.『中国近代文学大系』第12集第29巻史料索引集1(魏紹昌主編) 上海書店1996.3
魏紹昌「導言」
管林、鍾賢培、陳永標、謝飄方、汪松濤「中国近代文学大事記」(1840-1919)
関愛和、王広西、袁凱声「中国近代文学思潮、流派、社団簡介」(附:参考資料目録索引)
祝均宙、黄培R「中国近代文芸報刊概覧」(一)
 2.『中国近代文学大系』第12集第29巻史料索引集2(魏紹昌主編) 上海書店1996.7
祝均宙、黄培R「中国近代文芸報刊概覧」(二)
  附録:中国近代已知待査文芸報刊簡表
裴效維、張頤青「中国近代文学研究資料篇目索引」(1840-1990)
  附:中国近代文学研究資料篇目索引附録
樽本照雄「清末民初小説研究目録――日本、その他の国篇」

 なにしろ分厚い。1が1,511頁、2が1,092頁、合計すると2,603頁になる。巨冊という言葉を使用してもいいだろう。
 あまりの厚さに圧倒される人がいるかもしれない。どう使いこなすかが問題だ、と悩む研究者が出ないとも限らない。
 しかし、見た目だけで即断するのは禁物である。ページ数が多ければいい、というものでもあるまい。重要なのは、いうまでもなく、内容なのだ。慎重に吟味してから結論を出しても遅くない。
 まず最初に念頭に置かなければならないのは、くりかえすが、本史料索引集は、一般読者を対象にしたものではないということだ。つまり、専門家、研究者(大学院生を含む)のために編集されたと考えるのがいいだろう。発行部数が、小説集の4,500部に比較して2,500部と少なくなっているところからもそれがわかる。
 史料索引集を現在の研究情況のなかに位置づけるために、清末小説関係の資料が、現在、どの程度発行されているのかを簡単に紹介しておきたい。

2-1 清末小説関係資料の情況
 「清末小説は、資料がほとんどないので、研究がすすみません」
 以前は、これですんでいたかもしれない。だが、いまは、違う。
 すでに述べたように、作品そのものは、上海書店影印の小説雑誌影印シリーズ(上海書店影印、香港・商務印書館1980.12)で読むことができる。そのほか、阿英編「中国近代反侵略文学集」(北京古籍出版社1957.2-北京・中華書局1960.2)、「晩清文学叢鈔」小説巻(北京・中華書局1960.5-1961.4)、台湾・広雅出版有限公司「晩清小説大系」、「中国近代小説大系」、「中国近代文学大系」さらに「中国近代文学作品系列」小説3巻(福州・海峡文芸出版社1988.5-1990.12)などもそろっている。
 研究論文を読みたければ、時期は限定されるが、関連論文を集めた中国社会科学院文学研究所近代文学研究組編『中国近代文学論文集』(1949-1979)小説巻(中国社会科学出版社1983.4)と王俊年編『中国近代文学論文集』(1919-1949)小説巻(中国社会科学出版社1988.5)がある。
 清末四作家(劉鉄雲、呉熕l、李伯元、曾孟樸)については、それぞれの専門資料集がすでにあることは、周知のことだろう。
 中国社会科学院近代史研究所文化史研究室丁守和主編『辛亥革命時期期刊介紹』全5冊(北京・人民出版社1982.7-1987.11)で、定期刊行物について知ることができるし、上海図書館編『中国近代期刊篇目彙録』全6冊(上海人民出版社1965.12/1980.7-1984.8)には、1857年から1918年までに創刊された雑誌の目次が集大成されている。
 そのほか、陳平原、夏暁虹編『二十世紀中国小説理論資料』1897年-1916年(北京大学出版社1989.3)も便利だ。清末中心の文学史もいくつか書かれた。専門辞典もある。
 清末小説研究会編『清末民初小説目録』を開けば、作品の雑誌初出から最近の版本まで一覧することができる。
 年刊『清末小説』は、19号が出されており、今後も継続発行する。季刊『清末小説から』も順調に号数をのばして、編集兼発行人の私が言うから確かなのだが、このふたつの雑誌は、世界でも珍しい専門研究誌ということができる。
 以上のような情況を見れば、資料的には、ほぼ、基本的なものはそろっているということができる*8。
 以前のように清末小説を無視してすむ、という情況では、とっくに、ない。
 清末小説研究という分野は、すでにある程度の資料的蓄積がある。一通りの材料資料が整っている状況のもとで出版されたこの史料索引集には、それなりの充実を期待されるのは当然だ。「ないよりマシ」段階に留っていてはならない。さらにいえば、専門家の使用に耐えるだけの厳格さ、精密さが備っていることが要求される。
 史料索引集の順番に、内容を紹介しながら具体的に見ていくことにしよう。

2-2 「導言」
 魏紹昌「導言」は、大きくみっつの内容に分けることができる。
 中国における「近代」文学研究の歴史、この歴史にからめて「近代」文学が低く評価されたことの理由、さらに本史料索引集の編集方針、編集担当などについての説明だ。
 まず研究の回顧から始まる。
 1919年より30年間に発表された「近代」文学研究論文の最初は、胡適「五十年来中国之文学」であるとする。つづいて魯迅『中国小説史略』、阿英『晩清小説史』(解放後の編集物を含めて)および鄭振鐸『晩清文選』を掲げ、彼らを成績の卓越した先駆者と位置づける。
 中華人民共和国成立後は、以下の時期区分である。1949-1966年の建国初期17年間、「文革」の10年、1976年四人組粉砕後現在までとなる。
 「文革」期間は、研究が停止していたから、言うことはないのもしかたない。建国初期の研究成果として魏紹昌の資料集5種、すなわち『老残遊記資料』(北京・中華書局1962.4)、『゙海花資料』(北京・中華書局1962.4)、『呉熕l研究資料』(上海古籍出版社1980.4。発行は遅れたが、すでに編集が終わっていた)、『李伯元研究資料』(上海古籍出版社1980.12。ついでだからここに挿入しておく)、『鴛鴦蝴蝶派研究資料』(<史料部分>上海文芸出版社1962.10)を紹介する。当時の研究情況からすれば、確かにめぼしい成果となれば、魏紹昌編の資料集を挙げるのが妥当だと私も考える。
 ここで本題から少しはずれる。魏紹昌は、自身が中国文学史上の空白を埋める仕事についたのは、1950年代末に偶然の機会から「命令された(原文:受命)」からだ、と書いている(4頁)。命令となれば、どこか上のほうから発せられたのだろう。中国の研究者は、そのあたりの事情はすぐ理解するのだろうが、私には、わからない。魏紹昌の研究動機については、聞いたことがある。「後に清末小説関係の資料を数冊編集しましたが、それは当時近代文学史を研究する人々が、皆この方面の資料の欠乏を感じていたため、私は力を尽くして先輩阿英同志の驥尾に付しいささかの空白を埋める仕事をしたにすぎません」*9
 これが「命令された」ものとは知らなかった。そういうことがあったのかと興味深く感じる。「近代」文学研究は、魏紹昌自らが選択したものだとばかり思っていたからなおさらのことだ。
 1970年代以降の出来事として、1978年に中国社会科学院文学研究所に近代文学研究組(現在は研究室に拡大)が成立したこと、および1982年の中国近代文学学術研討会の開催をいう。後者は、中国近代文学学会として正式に成立している。学会が開催されたという記事を見るから、そのうち学会誌が創刊されるといいなと思う。日本で発行している『清末小説』と『清末小説から』が、いつまでも世界唯一の専門雑誌というのでは、寂しいではないか。中国学術界の底力を見せてもらえるものと期待している。
 「文革」以後の研究成果について、具体的な書名論文は挙げられていない。多数にのぼることでもあるし、「導言」という限られた紙幅であるから研究論文目録にその役割を任せたのかもしれない。
 「近代」文学は、古典と現代文学のあいだにあって問題とするに足りない過渡期の低い谷間だ、と一貫して考えられてきた(15頁)。魏紹昌は、「近代」文学が長期にわたって公正な、あるべき地位を得ることができなかった(同上)と考える。当時の文芸雑誌新聞は、図書館に以前は所蔵されなかった(12頁)ことがそれを証明している。それに加えて、あってはならない偏向(3頁)――いかなる分野にも政治を突出させなければならない、「近代」文学研究も目前の政治の需要に奉仕しなければならない(同上)という傾向があったことを述べる。つまり文学研究における「政治主義」の存在を指摘している。ここまで書くことができるほどに情況が変化したとわかる。魏紹昌の筆は、「認識不足および別のいくらかの原因により」と述べるに止まっているが、さらに一歩踏み込んだ記述が可能となる日がくるのだろうか。
 11−14頁にかけては、大事記、簡介、概覧、篇目、目録の各編集担当者が、それぞれの分野ですでに実績を積んでいることが懇切に紹介される。この部分に問題は、ない。ただ、ほめるばかりでは均衡がとれないと思ったのか、魏紹昌は、次のようにつけくわえる。

 しかし、上述の三資料は、決して完全無欠ではない。あれこれの不足と欠点がなおあり、特にそれぞれに小さくない空白がある。たとえば、「中国近代文芸報刊概覧」は文芸雑誌を収録し、文芸に偏った総合雑誌をも収めているが、しかし文芸新聞に大新聞の文芸副刊は収録していない。「中国近代文学研究資料篇目索引」所収の目次には、単行本に収められた目次を少なからず加えている。しかし、専著、伝記、年譜の類の各種単行本は書目に収録していない。「清末民初小説研究目録」に収録された目録は、論文もあり単行本もあり、また小説類だけにも拘ってはいず、その他の方面の研究文献もあるが、しかし、結局、小説に偏っており、それも今世紀の比較的短い時期に限っている。(14-15頁)

 読んで奇異な感じを受けた。ちょっと待ってほしい。どこか、おかしい。
 魏紹昌の書くことは、事実かもしれない。しかし、これは、「導言」で書かれるべき事柄なのであろうか。大いに疑問である。
 資料原稿に具体的な欠点、たとえば上に引用したようなものがあるとわかった場合、それを事前に指摘し、編者に改善を指示するのが主編の役割ではないのか、と一読者として思うのだ。少なくとも、「清末民初小説研究目録」を編集した私に、そいういった指摘と指示は、送られてこなかった。原稿を郵送してのち、本が出版されるまでの6年間、著者校正を含めていかなる連絡もなかったのだ。できあがった書物を開いて見れば、「小説に偏っており、それも今世紀の比較的短い時期に限っている」などと書かれているのを発見する。なぜ、前もって知らせてくれないのだ、本ができるまでの6年間という時間は、何だったのだ、と感じるのは当然だろう。一編者としても奇妙に思う。と同時に、魏紹昌が主編としての任務を遂行する上で、なんらかの障害が生じたのか、といぶかる気持ちがわきおこったのも事実である。
 結局のところ、魏紹昌は、「導言」のなかで評論家、つまり第三者として内容を批判し、主編という自らの立場を忘れているように思える。これが、私に違和感を与えたのだ。
 小さな誤植をひとつ指摘しておく。
 2頁26行《晩清戯曲小説書目》は、《晩清戯曲小説目》とするのが正しい。
 さて、以下において内容を順番に検討する。
【注】
1)徐中玉「研究中国近代文学的一部大書――略談《中国近代文学大系》的出版」『文学報』第874期 1996.9.26
2)『清末小説研究会通信』第40号 1985.9.1
3)『清末小説研究会通信』第41号 1985.10.1
4)『文学報』1987.9.10、1988.6.9、『文芸報』1988.7.16
5)『文学報』1987.9.10
6)『中国近代文学争鳴』第1輯 上海書店1989.10。165-166頁。
7)ついでながら、史料索引集以外の「中国近代文学大系」(上海書店発行)の構成と発行年月は、以下のようになっている。
第1集第1巻文学理論集1(徐中玉主編)1994.12
   第2巻文学理論集2(徐中玉主編)1995.4
第2集第3巻小説集1(呉組タ、端木痘ヌ、時萌主編)1991.4
   第4巻小説集2(呉組タ、端木痘ヌ、時萌主編)1995.11
   第5巻小説集3(呉組タ、端木痘ヌ、時萌主編)1994.12
   第6巻小説集4(呉組タ、端木痘ヌ、時萌主編)1992.12
   第7巻小説集5(呉組タ、端木痘ヌ、時萌主編)1992.12
   第8巻小説集6(呉組タ、端木痘ヌ、時萌主編)1991.4
   第9巻小説集7(呉組タ、端木痘ヌ、時萌主編)1992.1
第3集第10巻散文集1(任訪秋主編)1991.10
   第11巻散文集2(任訪秋主編)1992.6
   第12巻散文集3(任訪秋主編)1992.12
   第13巻散文集4(任訪秋主編)1993.8
第4集第14巻詩歌集1(銭仲聯主編)1991.4
   第15巻詩歌集2(銭仲聯主編)1991.4
第5集第16巻戯劇集1(張庚、黄菊盛主編)1996.2/1996.3一次印刷
   第17巻戯劇集2(張庚、黄菊盛主編)1995.12
第6集第18巻筆記文学集1(柯霊、張海珊主編)1995.12
   第19巻筆記文学集2(柯霊、張海珊主編)1995.12
第7集第20巻俗文学集1(范伯群、金名主編)1992.12
   第21巻俗文学集2(范伯群、金名主編)1993.12
第8集第22巻民間文学集(鍾敬文主編)1995.8
第9集第23巻書信日記集1(鄭逸梅、陳左高主編)1992.12
   第24巻書信日記集2(鄭逸梅、陳左高主編)1993.12
第10集第25巻少数民族文学集(馬学良主編)1992.12
第11集第26巻翻訳文学集1(施蟄存主編)1990.10
   第27巻翻訳文学集2(施蟄存主編)1991.4
   第28巻翻訳文学集3(施蟄存主編)1991.4
8)詳しくは、樽本照雄編「清末小説研究ガイド97」『大阪経済大学教養部紀要』第14号(1996.12.31)を参照されたい。
9)樽本照雄「魏紹昌氏のこと」『清末小説研究』第3号 1979.12.1