『清末小説から』第48号1998.1.1
民国初期における小説発表件数の推移
樽本照雄
1.問題の所在
民国初期に発表された小説に関して、創作と翻訳の発行件数の割りあいがどのように推移していったのか。これを明らかにすることが、本稿の目的である。
発想の根に阿英の発言があった。いわく、清末時期の小説は、「翻訳は創作より多い」「全数量の3分の2」を占める、である。
阿英が指摘したのは、清末に限ってのことだった。また、検証すれば、阿英の言葉は正しくはなかった。ただ、その発想を民初に延長するとどうなるか。
私は、過去においてすでに仮説を提出している*1。
その時は、民初では、翻訳の方が創作よりも多い、という結論であった。
2.参考資料
民初に発行された小説の統計資料が、中国で発表されたことはあるのだろうか。
以前は、よるべき資料がないから、独自に作成した『清末民初小説目録』(中国文芸研究会1988.3.1)を使用したのだ。
あれから、中国でそれに類する書物が、まったく出版されなかったというわけで
【図1:清末民初小説発行件数の推移】
はない。
北京図書館編『民国時期総書目(1911-1949)』シリーズの発行をあげなくてはならない。
「文学理論・世界文学・中国文学」全2冊(北京・書目文献出版社1992.11)と「外国文学」篇(同前1987.4)が、単行本を収録している。これらは、残念ながら雑誌初出の作品を採取していない。だが、資料のひとつにすることは可能だ。
陳鳴樹主編『二十世紀中国文学大典』の1897-1929年部分(上海教育出版社1994.12)も出た。創作、理論批評、訳文、作家活動など、範囲は広いし、雑誌からの採録もされている。本書に掲げられた作品を丹念に拾っていけば、統計資料として使うことができるだろう。
ただし、利用できるといっても、該書をもとにして実際に発行件数の動向を調べた研究者がいるとは聞いていない。
『清末民初小説目録』発行後、増補訂正作業を継続していた。当然、北京図書館編『民国時期総書目(1911-1949)』シリーズも、陳鳴樹主編『二十世紀中国文学大典』も、役立ちそうな資料は、すべて参照したうえで取捨選択している。これが、『新編清末民初小説目録』(清末小説研究会1997.10.10)という書物になった。
資料としての蓄積も増えている。再度、数量だけから見た、創作と翻訳の変遷を追ってみたい。
雑誌初出の作品を中心とした全体と、それから単行本のみを抽出した部分とのふたつに分けて述べることにする。
3.全体
はじめ雑誌に発表された小説のうち、いくつかが単行本化されるというのは、清末に引き続き民初にも見ることのできる現象である。
初出の作品を抽出する。単行本は、初版のみで再版本は数えない。ここでいう件数とは、種類数と同じ意味である。
【図2:清末民初単行本発行件数の推移】
1873年からを採取の対象としているが、これは、阿英「晩清小説目」に合わせただけで便宜的なものでしかない。同様に1919年で区切ったのも大きな意味はない。『新編清末民初小説目録』の収集範囲は、1918年を一応のメドとしているのだから、1919年が少なくなるのは当然のことなのだ。ただ、1919年まで延長すれば、全体を見渡すのに便利だと考えた。
雑誌掲載の作品を中心に収集しているから相当な数にのぼる。比較のために、清末も含めてその件数を提示しておこう。
【表1:全体の割合】
創作 翻訳 全体
1873-1911 1,477 1,003 2,480
60% 40% 100%
1912-1919 5,987 1,536 7,523
80% 20% 100%
1873-1919 7,464 2,539 10,003
75% 25% 100%
(単位:件)
民初の傾向を見る。
1910-1912年に低迷していた小説の発行件数は、1913年より急激に増加する。1915年が頂点となっており、そのあとは下降する。くりかえすが、『新編清末民初小説目録』そのものの収録範囲を、一応1918年までと区切っているため、グラフの上では下降しているように見えるにすぎない。五四以降の小説目録が整備された時には、もう少し詳しい変遷を追うことが可能になるだろう。
清末の発行件数と比較して、民初は、約3倍の多さを示しており、そのうちの約79%が創作である。創作が翻訳を、数のうえで圧倒的に凌駕しているということができる。
4.単行本ラクダ
発行全体から単行本だけを抜きだす。単行本ラクダというのは、グラフにすると清末と民初にそれぞれ頂上があり、ふたこぶラクダに形が似ていることに由来する。
こちらも比較のために清末と民初の数字を示しておく。
単行本から見れば、清末は創作と翻訳はほぼ互角の発行件数となる。数字にもとづけば、やや、翻訳の方が多い、といってもいい。いってもいいが、「翻訳は創作より多い」と強調しすぎるのは、いかがなものか*2。
【表2:単行本の割合】
創作 翻訳 全体
1873-1911 591 603 1,194
49% 51% 100%
1912-1919 534 319 853
63% 37% 100%
1873-1919 1,125 922 2,047
55% 45% 100%
(単位:件)
1902年を境にして発行件数が急増し、1907、1908年が清末の頂点を示し、1912年が底である。単行本についてみても清末全体の発行と同じ傾向を示している。
民国以降、急激に発行件数は増大し、1917年には、清末の頂点1907、1908年をうわまわる件数を見ることができる。
発行件数と単行本との関係を見てみよう。
清末では、全体で2,480件ある作品のうちの1,194件が単行本によって占められている。単行本率、約48%だ。
しかし、民国全体の発行件数が7,523件で、単行本になったのは853件にすぎない。単行本化率は、約11%にしかならない。意外に少ないように思う。もっとも、この数字は、件数についていっているだけで、発行部数ではない。各単行本の発行部数になると、現在のところそれを表わした資料を知らない。
発行件数が飛躍的に伸びているにもかかわらず、単行本化率が少ないのは、雑誌に掲載された作品がいかに多いかを示している。逆にいえば、雑誌どまり、という作品が多いことをも意味する。
以前の「清末民初小説のふたこぶラクダ」で提出した仮説は、単行本についていうと翻訳の方が創作よりも多い、というものだった。今回は、それとは逆の結果となった。創作のほうが翻訳よりも多いのである。
清末から民初を通じて、便宜的に1873-1919年としておくが、翻訳は、全体では25%を、単行本では45%を占めているにすぎない。
これが、基礎材料を以前に比較してかなり多く収集したうえでの結論である。
民初も、清末1909年以降にひきつづいて創作が翻訳をうわまわる。
私は、前説を以上のように訂正したいと思う。
【注】
1)樽本照雄「清末民初小説のふたこぶラクダ」『野草』第42号1988.8.1。のち、『清末小説論集』法律文化社1991.2.20所収。
2)樽本照雄「阿英説「翻訳は創作より多い」は事実か」『清末小説から』第49号掲載予定