阿英説「翻訳は創作より多い」は事実か


樽 本 照 雄



1 阿英説のはじまりとその根拠
 清末小説全体をさして、「翻訳は創作より多い(原文:翻訳多於創作)」といったのは、阿英である。
 阿英『晩清小説史』(上海・商務印書館1937.5。274頁)から約20年後に改訂した同書(北京・作家出版社1955.8。180頁)においても、まったく同じ語句を使っている。
 さらに、「翻訳書の数量は、全数量の3分の2」であるとも総括する。数字を提出し具体的にのべているから、読者を説得して有力であるということができよう。
 以来、「翻訳は創作より多い」、「全数量の3分の2」を占める、という阿英の指摘は、中国において、現在にいたるまで否定されたことはない。生き延びているから疑問を提出する研究者は誰もいない。これが現状だ。
 近い例をあげるなら、『中国近代文学大系』第11集第26巻翻訳文学集1に掲げられた施蟄存「導言」(1990)*1がある。
 施蟄存は、阿英(銭杏邨)の統計によるならば、と前置し、「翻訳小説の出版数は、創作小説の2倍になる可能性がある」(18頁)と書いているのだ。
 1937年の『晩清小説史』初版からすでに60年が経過した。だが、この期間、阿英の指摘を検討あるいは批判した論文が発表されることは、中国語圏においては、皆無であった。だからこそ阿英が引用されつづける。
 理由は簡単である。阿英説を検討しようにも、よるべき資料がないからだ。阿英がみずから編集した「晩清小説目」(1954)*2をうわまわる小説目録は、中国において編集出版されることがなかった*3。
 阿英が述べる「翻訳書の数量は、全数量の3分の2」という自信に満ちた発言は、彼の「晩清小説目」に根拠をもっていた。「晩清小説目」にもとづくかぎり、阿英と異なる発言をすることは不可能なのだ。
 阿英の翻訳小説に関する説明そのものを検証しようと思えば、「晩清小説目」を凌駕する小説目録を編集する以外にない。
 新しい小説目録が出現しないから、阿英「晩清小説目」を利用せざるをえない、という循環におちいる。阿英とは別の見解が出てくるわけがない。
 私は、過去数回にわたり、阿英説「翻訳は創作より多い」について検討してきた。一度で終わらなかったのは、利用する資料が成長しているためである。それゆえ結論に変化が生じた。
 その変化を簡単にいえば、「晩清小説目」に密着しての検証から、「晩清小説目」より離れての検討、という動きとなる。別の言葉で表わせば、同調から批判へ、という道筋である。それは同時に、収集資料の拡大と深化を意味してもいるのだ。

2 阿英説の検討
2-1 同調からはじまる
 小説目録本来の目的のひとつは、書物の検索であることはいうまでもない。しかし、私は、書物検索以外に、目録そのものが資料として利用できることを証明したかった。
 「目録って何だ」(1978)*4は、その例である。阿英「晩清小説目」を整理しなおし、創作と翻訳の発行件数に焦点をあて、その変遷をたどった。
 その結論は、以下の通りである。

 阿英は『晩清小説史』第14章でのみ翻訳小説をあつかい、翻訳書の数は全体の3分の2を占めるというが、小説目の数字に基づけば1107種のうちの翻訳628種であるから約56%である。初版で単行本を1500種以上としたのを改訂版で1000種以上に改めたのにならえば翻訳は全体の5分の3とでもした方がよかったかも知れない。(31頁)

 3分の2ならば、約66%だ。しかし、阿英の目録を実際に数えてみれば、翻訳が約56%を占めているにすぎない。阿英のいう数字よりも10%も少ないではないか、という気持ちだった。だから、5分の3なのである。
 3分の2にしろ5分の3にしろ、翻訳が創作よりも多いのは変わらない。
 考えてみればこの結論は、当然のことであった。阿英は、自分の「清末小説目」にもとづいて「翻訳は創作より多い」、「全数量の3分の2」という結論を得たのだ。同じ「清末小説目」を資料にするのだから、結論が、10%の違いはあるにしても、ほぼ同じになるのも不思議ではない。
 そこで清末小説の発行状況を以下のみっつにまとめた。

1.1902年を境として発行件数が急増している。
2.最初は翻訳の方が創作よりも圧倒的に多く、逆転するのは1909年になってから。
3.頂点は、1907年である。

 阿英が依拠したのと同じ資料を使用して、阿英の立論を検討することは、無意味ではない。追跡確認とよばれる作業に属する。だが、新しい見解を得るには十分ではないこともわかるのだ。
 阿英とは違った方法で、より広く資料を収集する必要がある。時間がかかるのは、当たり前であろう。新説を提起するまでに、思いおこせば、約10年かかったことになる。
 その前に、阿英の方法とは、なにか。ここで確認しておきたい。

2-2 阿英「晩清小説目」の特徴
 阿英が「晩清小説目」を編集するさいに採用した方針は、単行本を主体とし雑誌にも採取の範囲を広げる、というものだ。これを単行本主義という。
 阿英以前の目録は、この単行本主義によって編纂されるのが一般である。だいいち雑誌という形態が出現する以前の小説を対象としているのだ。
 阿英が、疑いもなく従来通りの単行本主義を採用したのも無理はない。しかし、雑誌に着目してもいる点を見逃すわけにはいかない。
 清末こそ雑誌という新しい形態の出版物が出てくる新時代の幕開けであった。多種多数の雑誌に小説が発表されるようになる。そのうちのいくつかは単行本化される。つまり、新しい時代の小説は、雑誌掲載を中心としたものに主流が移動しているのだ。単行本を中心にしながら、雑誌を無視しなかったところに阿英の非凡な才能をみることができる。
 雑誌が主な発表媒体であるならば、清末小説の目録は、当然ながら雑誌を主たる採取対象としなければならない。これを雑誌主義という*5。
 阿英の採用する単行本主義では、とりこぼす作品の割合が増大するであろう、と予想は簡単につく。事実、そうであった。
 詳細に阿英目録を検証すると作品採録に不十分な点が見つかる。
 たとえば、同じ雑誌に掲載されていながら、阿英は、採取する作品とそうでない作品に分けている。そうでありながら、採取の基準は、明示されていない。恣意的なのだ。雑誌初出を採録したりしなかったり、単行本を見逃していることもある*6。
 以上のような不備が「晩清小説目」にある事実を認めなければならないだろう。不備のある小説目録を基礎とし、それから得られた「翻訳は創作より多い」という結論に対して疑問が生ずるのは当然である。
 雑誌主義にもとづき、雑誌初出から作品を採取して編纂発行したのが清末小説研究会編『清末民初小説目録』(中国文芸研究会1988.3.1)である。雑誌主義といっても単行本を排除しているわけではない。単行本も、できるかぎり収録している点を強調しておきたい。

2-3 批判――「翻訳は創作より多い」を疑う
 『清末民初小説目録』を発行したあと、増補訂正作業を続けていた。その最新データにもとづいて阿英「晩清小説目」を比較検討した。
 阿英「晩清小説目」が提供する数字から離れ、「晩清小説目」を別の資料――すなわち『清末民初小説目録』にもとづいて見直した最初の論文が、「清末民初小説のふたこぶラクダ」(1988)*7だ。
 新しい資料によってはじめて阿英「晩清小説目」とは違う様相を指摘することができた。
 発行年が記載されている作品のうち1911年までのものを抽出する。字数の多少にかかわらず、初出を1件と数え、再版本は計算に入れない。以上の方針を定めて創作と翻訳の件数を取りだす。
 その最大の特徴をいえば、清末の作品総量2,372件からすれば、創作1,237件に対して翻訳1,135件となり、ほぼ互角であるという意外な結果である。
 阿英のいう「翻訳は創作より多い」どころか、数字をこまかくみれば、創作が翻訳よりも多い。雑誌初出の作品を、阿英が実行したよりもより広く深く採取したうえでの結論だ。阿英の言葉とは大きく隔たった事実が浮かび上がったのである。
 以後「清末民初小説の種類」(1992)*8、「清末民初の翻訳小説」(1996)*9で同様の比較検討作業を公表してきた。
 1996年1月時点において、『清末民初小説目録』によって得られる清末小説の数は、創作1,288件、翻訳1,016件の合計2,304件であった。
 比較作業をするたびに、データ数が異なる結果となっている。それは、毎日のように増補訂正作業を継続しているからなのだ。また、データ抽出の角度によっても出てくる数字が違うこともある。阿英の「晩清小説目」は、増補改訂されることはない。いわば死んでしまっているのにくらべて、私の『清末民初小説目録』は、日々、成長しているのだ。その数字も同一というわけにはいかない。

3 「翻訳は創作より多い」は事実か――『新編清末民初小説目録』による再検討
 1997年10月、『新編清末民初小説目録』を発行した*10。
 雑誌初出を中心に、単行本もできるかぎり収録するという編集方針を徹底させたものだ。
 機会があり、ついでに、阿英「晩清小説目」についても誤植、翻訳と創作の入れ違いなどを点検しなおした。
 その結果、阿英「晩清小説目」は、1911年までの創作は413件、翻訳は583件の合計996件となった。合計件数が減少したのは、刊行年を記載しない作品を除外したからだ。
 これに対して、『新編清末民初小説目録』の清末部分は、どうか。
 雑誌掲載作品のみを数えれば、創作886件、翻訳400件の合計1,286件だ。
 単行本の方は、創作591件、翻訳603件の合計1,194件となる。
 ふたつを総合して、創作1,477件、翻訳1,003件の総合計2,480件という数字を得ることができる。
 阿英目録の996件を『新編清末民初小説目録』清末部分の2,480件で割れば、阿英「晩清小説目」がどれくらいの範囲を収録しているかがわかる。
 おおまかにいって、阿英目録は、『新編清末民初小説目録』清末部分の約40%しか収録していないことが判明する。
 『新編清末民初小説目録』にもとづけば、ほぼ、清末に発表された創作、翻訳小説の発行件数の推移をほぼ正確に把握することができると考える。
 清末に発表された小説の創作と翻訳の発行件数(雑誌掲載のものと単行本を合計している)の推移は、次のようになる。

清末1.1902年を境として発行件数が急増している。
清末2.最初、やや翻訳が創作をうわまわって発表されており、創作が翻訳を超えるのは、1908年以降である。
清末3.頂点は、1908年である。

 阿英「晩清小説目」と比較すれば、清末1の1902年に発行件数が急増する部分は、訂正の必要はない。清末3の頂点だけ1908年と改めなければならないだろう。
 問題は、創作と翻訳の割りあいとその動向である。阿英のいう、「翻訳は創作より多い」、「全数量の3分の2」に直接かかわる部分だ。
 翻訳の発行件数の多さは、創作に先行している。しかし、阿英の示す圧倒的というほどの差は認めることができない。雑誌掲載作品では、創作886件のほうが翻訳400件を大きくうわまわる。また、総合した発行件数のうえからいっても、創作は1,477件で、翻訳の1,003件よりもやはり多いのである。
 『新編清末民初小説目録』を見れば、翻訳は、実のところ清末全体の40%でしかない。
 阿英の「翻訳は創作より多い」という事実はない、という結論にたどりつく。
 以上が雑誌主義による資料にもとづく回答である。
 ついでに、別の側面から検討してみよう。単行本にしぼったらどうなるか。

4 単行本の場合
 『新編清末民初小説目録』に収録した作品のうち1873-1911年間に発行された単行本は、つぎのようになる。

  1873-1911 創作591件 翻訳603件 合計1,194件

 単行本全体に占める割りあいは、創作が約49.5%、翻訳が約50.5%である。ここでも、互角であるということができよう。しいていうなら、単行本の場合は、創作よりもわずかに翻訳の方が多い。だが、「翻訳は創作より多い」といってそれを強調しすぎるならば、実際の状況から離れてしまうといわなければならない。
 単行本発行件数の推移を見る。

単行本1.1902年を起点にして発行が急増しているのがわかる。
単行本2.最初は翻訳が創作をうわまわって発行されており、逆転するのが1909年になってからだ。
単行本3.発行件数の頂点は、1907、1908年である。

 清末小説全体の発行件数推移と比較すると、起点が1902年というのは同じだし、最初は翻訳の方が多いのも違わない。頂点が1907年というのもほぼ共通する。
 ただ、翻訳より創作が多くなるのが1909年で1年の遅れが認められるくらいのことである。
 いずれにしても、阿英が自らの「晩清小説目」にもとづいて得た「全数量の3分の2」とはかけ離れていることを言っておきたい。

5 結論――阿英説の誤り
 結論としては、阿英説「翻訳は創作より多い」は事実ではない、をくりかえすことになる。
 しかし、だからといって翻訳小説が創作小説に及ぼした影響を否定するものではない。内容による影響関係の問題は、別に検討されなければならないだろう。
 内容とは関係なく、少なくとも、雑誌掲載を中心としたものであれ、単行本化された翻訳小説であれ、1902年から1907、1908年頃までは、数のうえで創作小説をうわまわっていたのは否定できない事実でもある。
 ただ、阿英のいう「翻訳書の数量は、全数量の3分の2」は、誇張にすぎる、実情を指摘した立論ではない、と私は異議をとなえたいのである。


【注】
1)施蟄存「導言」『中国近代文学大系』第11集第26巻翻訳文学集1 上海書店1990.10
2)阿英『晩清戯曲小説目』上海文芸聯合出版社1954.8/増補版 上海・古典文学出版社1957.9
3)陳鳴樹主編『二十世紀中国文学大典』(1897-1929)上海教育出版社1994.12がある。収録数は、阿英「晩清小説目」よりも多い。ただし、こちらは年表であって小説目録というわけにはいかない。阿英「晩清小説目」とは編集意図が違うのだ。
4)樽本照雄「目録って何だ」『大阪経大論集』第124号1978.7.15。『清末小説閑談』法律文化社1983.9.20所収
5)樽本照雄「時代を反映する小説目録――『新編清末民初小説目録』のこと」『中国文芸研究会会報』第190号1997.8.31
6)樽本照雄「阿英「晩清小説目」の構造」『大阪経大論集』第48巻第4号(通巻第240号)1997.11.15
7)樽本照雄「清末民初小説のふたこぶラクダ」『野草』第42号1988.8.1。『清末小説論集』法律文化社1991.2.20所収
8)樽本照雄「清末民初小説の種類(その1 準備篇)」『大阪経大論集』第42巻第5号(通巻第205号)1992.3.31、「清末民初小説の種類(その2 実践篇)」『大阪経大論集』第42巻第6号(通巻第206号)1992.4.19。
9)樽本照雄「清末民初の翻訳小説――付:日本語経由の欧米漢訳小説一覧」『大阪経大論集』第47巻第1号(通巻231号)1996.5.15
10)樽本照雄『新編清末民初小説目録』清末小説研究会1997.10.10