小説目録の旧暦新暦問題


樽本照雄



 『清末民初小説目録』(1988)あるいはこれを増補した『新編清末民初小説目録』(1997)を編纂する過程で、私が早くから直面していたのが旧暦新暦問題である。
 耳慣れない言葉かもしれない。だが、誰でもが実際に見ているはずだ。
 清末に発行された雑誌、出版された単行本は、発行年月を旧暦で表示する。これを収録した目録を参照し利用する時、新暦に換算されて記述されているのを目にするのだ。記述の都合で、新暦に統一すれば、旧暦を変換する必要が必然的にでてくる。
 ところが、その場合、年は新暦に置き換え、月は旧暦のままに記述する文献、目録が存在している。すなわち旧暦新暦混用だ。
 たとえば、目録に「一九〇六年十二月」、あるいは「1906.12」と記述されているとしよう。元となった出版物を見ると「光緒三十二年十二月」と印刷されている。これに対応する新暦は、「1907年1月14日-2月12日」だ。説明すると、旧暦と新暦にはズレが生じていて、だからこそ問題になるが、「光緒三十二年十二月」は、日の表示がないから、「十二月一日」ならば「1907年1月14日」だし、「十二月三十日」ならば「2月12日」の期間という幅を持っていることだ。
 目録表示の「一九〇六年十二月」にもどると、目録の編者は、「光緒三十二年」は新暦の「一九〇六年」に置き換え、「十二月」は旧暦のままにした。ここに旧暦新暦混用が発生する。
 「光緒三十二(一九〇六)年十二月」とでも記述すれば、誤解が生じることは少なくなる。全体が旧暦で表示されているとわかるからだ。しかし、これを「一九〇六年十二月」、あるいは「1906.12」と書くから混乱がうまれる。一九〇六年が新暦表示なのだから「十二月」も同じく新暦に違いないと思いこむ。無理もない。説明もせず、旧暦と新暦を混用して目録に記述するほうが悪い。
 この旧暦新暦混用は、目録作成上の基本的間違いだと考える。しかし、中国では、研究上それほど意識されてこなかったのではないか。
 問題の存在を明らかにしようと私が思ったのは、「二十年目睹之怪現状」の発行に関して、その年月の表記に問題があることを述べたことがきっかけである*1。
 私は、阿英の「晩清小説目」に書かれている出版年月の「一九〇六年十二月」が誤りであると指摘した。これに対して、中国のある研究者が、旧暦を新暦に換算すると「一九〇六年十二月」になり、阿英は正しい、と反論してきた。どうやら、この人は、「一九〇六年十二月」がまるまるの新暦であると思ったらしい。だから、反論してきたのだ。
 違うのだ。奇妙なことに思われるだろうが、阿英が書いた「一九〇六年十二月」の「一九〇六年」は新暦だが、「十二月」は旧暦なのである。その中国人研究者は、これが旧暦新暦混用の一例であることを知らなかった。
 本来旧暦「十一月」とあるべき箇所を阿英は「十二月」と書き誤った。その間違いを私は指摘したのだった。だが、例の研究者は旧暦新暦混用があること自体を知らないのだから、問題そのものが理解できなかったのだろう。
 これで旧暦新暦混用の事実が、それほど知られていないとわかった。たしかに、今まで旧暦新暦問題――特に、研究者の記述方法について、論じられることはなかったように思う。
 いくつかの目録を紹介して問題の根が深いことを述べることにする。
 孫楷第『中国通俗小説書目』*2は、1930年代の早くから出版されている目録だ。清末小説を収録しているのも特色のひとつとして知られる。該書では出版年のみを記述する。たとえば、「宣統二年」のように旧暦で表わし、月日は省略するし、あえて新暦に換算することもない。
 阿英「晩清小説目」*3あたりから、旧暦と新暦の併記を見るようになる。こちらは基本的に年のみの表示である。例をあげると「光緒三十二年(一九〇六)」と示す。機械的に換算し、しかも月日を省略するので旧暦新暦のズレは、かえって露出しない。例外があって、これが「二十年目睹之怪現状」なのだ。「第一冊 一至十五回 一九〇六年二月刊」(66頁)などと年号を書かず、しかも「二月」は旧暦である。説明はない。これが、旧暦新暦混用のさきがけということができるかもしれない。
 旧暦新暦混用は、阿英以後は普通のことになる。

◎例1:現代文学期刊聯合調査小組編『中国現代文学期刊目録(初稿)』上海文芸出版社1961/アメリカ・ARL影印1968
【対象】雑誌、新聞【範囲】1902-1949年【説明】出版年月の記述方法について説明はない
 それぞれの文学雑誌について、上海図書館あるいは作協上海分会に所蔵されているものは、そう明記する。清末の代表的雑誌を例にとる。創刊号と終刊号の原文および目録の記述を対照してみよう。
			原文					目録
新小説 光緒二十八年十月十五日-刊年不記 1902.10-1905.12
繍像小説 癸卯五月初一日-刊年不記 1903.5-1906.4
新新小説 光緒三十年八月初一日-光緒三十三年四月初一日1904.8-1907.4
月月小説 光緒三十二年九月望日-戊申十二月 1906.9-1908.12
小説林 光緒三十三年正月-戊申九月 1907.1-1908.9
小説月報 宣統二年七月二十五日-(略) 1910.8-(略)


 本目録の記述は、原文の「光緒二十八年」を西暦1902年に置き換え、月は旧暦のままとする。日は、省略している。『小説月報』のみなぜだか「1910.8」に書いて他の記述と異なる。旧暦新暦混用の方法に従えば、「1910.7」と表示しなければならない箇所だ。誤植かと思うが、別に意図があるのか不明。
 本題とははずれるが、指摘せざるをえないさらに奇妙なのは、刊年が本来記されていないものにも発行年月を明記する。だから、当然、推定なのだろう。『繍像小説』は、第13期より発行年月日を印刷しなくなり、発行そのものが遅延している。編者の李伯元が死亡したのちも発行が継続された、というのが研究の結果である。しかし、この目録を見れば、あるはずのない終刊期日が「1906.4」と書かれているではないか。「推測」という説明はどこにもない。仮に推測するならば「丙午三月十五日」である。「1906.4」にはならない。どのみち、原文に存在しない発行年月を書く場合は、注記する必要がある。
 雑誌そのものは、作協上海分会に所蔵されているらしい。そこまで書かれているのだから、目録に見える終刊期日がまさか「推測」とは誰も思わないだろう。こうして『繍像小説』についての誤った記述が一人歩きする。

◎例2:上海図書館編『中国近代現代叢書目録』香港・商務印書館1980.2
【対象】叢書【範囲】1902-1949年【説明】出版年月の記述方法について説明はない
 清末小説に関係する叢書といえば、商務印書館発行の説部叢書と林訳小説叢書が有名だろう。
 説部叢書は、最初、第一集から第十集まで、各集10冊の構成で100冊が発行された。商務印書館が金港堂と合弁会社であった時代の貴重な翻訳叢書である。のち、商務印書館は金港堂との合弁を解消し、この叢書を再版する。最初の100冊を初集と改称するが、その際、もともと収録されていた日本の作品を別の翻訳に差し替えた。日本の金港堂と手を切って独立したのだから、叢書内の日本色をも一掃したかったのか。ただし、差し替えがあっただけで日本の作品をすべて排除したわけではない。
 該目録は、実物を見たうえで記録している。ゆえに記述は詳細だ。
 たとえば、第二集第五編に掲げられる作品について見てみよう。

5.珊瑚美人 (政治小説) (日)三宅彦弥著 中国商務印書館編訳所訳 1905年4月初版 9月再版 134頁

 「134頁」とあるところからも、原物を見なければ書けないことがわかる。
 問題は、「1905年4月初版 9月再版」である。「1905年」部分を見れば、これは西暦だからあきらかに新暦だ。「1905年」が新暦ならば、同じアラビア数字の「4月」も新暦だと思うだろう。ところが、違う。原本には、「光緒三十一年四月初版/光緒三十一年九月再版」と明示されている。すなわち、「光緒三十一年」を新暦の「1905年」に置き換えただけで、「4月」は旧暦のままなのだ。

◎例3:全国図書聯合目録編輯組編輯『全国中文期刊聯合目録(1833-1949)』増訂本 書目文献出版社1981.8
【対象】雑誌【範囲】1833-1949年【説明】推算のものについては[]を使用する
 比較対照するために『新小説』『繍像小説』の2種類について見る。
			原文					目録
新小説 光緒二十八年十月十五日-刊年不記 1902.10-1905.12
繍像小説 癸卯五月初一日-刊年不記 1903.5-1906.3

 目録の記述は、ここでも明らかに新暦年と旧暦月の混用である。
 記号[]を使用すると説明しながら、実際には、カッコも使わず、記載されていない『新小説』『繍像小説』の終刊期日を掲載する。

◎例4:北京図書館編『民国時期総書目(1911-1949)』外国文学 北京・書目文献出版社1987.4
【対象】単行本【範囲】1911-1949年【説明】出版年月の記述方法について説明はない
 商務印書館の説部叢書は、初集100編と称し再編集しなおして出版されたことは前述した。その第1編は、黒岩涙香が重訳した外国ものである。はじめ説部叢書とは無関係に出版されていたものを、再版に際して叢書に取り入れた。

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天際落花(言情小説) 黒岩周六著 〓霊辰訳述 @上海 商務印書館 1908年5月初版,1914年4月再版 119頁 32開 (説部叢書 初集第1編)

 ここにも頁数を明示して原物を確認していることが理解できる。
 私の手元にある原物の再版本を見れば、出版年は、「戊申年五月初版、中華民国三年四月再版」と書いてある。戊申は1908年だ。そこまでは、いい。しかし、該書目の「5月」は、明らかに旧暦を示している。「1908年5月」も旧暦新暦混用だ。

◎例5:賈植芳、兪元桂主編『中国現代文学総書目』福州・福建教育出版社1993.12
【対象】単行本【範囲】1917-1949年、1882-1916年翻訳【説明】出版年月の記述方法について説明はない
 特別に収録された1916年以前の翻訳文学巻に、同じ例を見る。

珊瑚美人 小説。[日]三宅彦弥著,商務印書館編訳所訳。上海商務印書館1905年4月初版,9月再版。収入説部叢書第二集第5編。

 原本には、「光緒三十一年四月初版/光緒三十一年九月再版」と記載されていることを前に述べた。対照すれば、ここでも「1905年」が新暦で「4月」が旧暦であることが判明する。くりかえすが、典型的な旧暦新暦混用にほかならない。
 阿英の「晩清小説目」からはじまり、主要な目録が、いずれも説明ぬきで旧暦新暦混用を採用していることを見てきた。
 旧暦の年月日を換算するのは、それほど困難なことではない。工具書を見れば、簡単に変換することができる。やっかいなのは、年月のみの記載があって、日までの表示がない場合だ。日が印刷されていないと、正確に新暦に換算ができなくなる。
 日の記載がない場合、旧暦新暦混用は、やむをえない措置だったとはいえるかもしれない。その場合は、やはり説明が必要だろう。中国において、今まで特別な説明をしていなかったのは、この旧暦新暦混用が当然の記述方法だと考えられていたからだろうか。
 基本資料となるべき中国の目録類には、旧暦新暦混用のようないわば奇妙な記述があることを知って利用すべきだ。

【注】
1)樽本照雄「阿英「晩清小説目」の旧暦新暦問題」『大阪経大論集』第50巻第1号(通巻第249号)1999.5.15
2)孫楷第『中国通俗小説書目』北平・中国大辞典編纂処、国立北平図書館1933.3/北京・作家出版社1957.7北京第1版未見、1958.1北京第2次印刷/北京・人民文学出版社1982.12訂正重版
3)阿英「晩清小説目」『晩清戯曲小説目』上海文芸聯合出版社1954.8/増補版 上海・古典文学出版社1957.9