あるがままの小説年表
――『清末民初小説年表』の構想

樽本照雄


 「あるがまま」という言葉を見て、不思議に感じられるかもしれない。今まで発表されている中国小説の年表は、出版された作品について「あるがまま」に作成されているのではないのか。

1 年表の方法
 そこにある文学史年表なり小説年表を利用するだけならば、特別に悩むことはない。編集の腕に感心するとか、間違い、採録されていない作品があるとかを指摘するだけでよい。自らの要求に応えてくれるかどうかが、重要なだけだ。
 だが、立場をかえて、年表を作成する側に立てば、解決しなければならない問題が、複数にわたってたち現われてくることにすぐさま気づくだろう。と同時に、「あるがまま」とは程遠い情況であることにも目がいくのだ。
 年表を作るとして、基礎となる資料は、なににすべきか、という問題に直面する。
 一般論を述べてもはじまらない。私がこれから説明しようとしている清末民初時期に焦点をしぼる。その前に、前提があることをいっておく。すなわち、作品あるいは雑誌などの原物を手にすることが困難な日本において作業を始めることだ。これを明確にしておかなければ、怠けているのではないか、という誤解を生むことになる。中国小説の目録とか、年表とかいった基礎資料は、外国において作成することは、きわめてむつかしい、と再度、指摘しておきたい。
 自分の経験をいうならば、過去において小説年表らしきものを作りかけたことがあった。当時の材料は、手近な文学史くらいしかないという状況だ。それくらい昔の話だ。
 さしあたり、清末(晩清)小説史、あるいは阿英編「晩清小説目」を材料にする。
 この場合の第一の注意点は、著者による作品選択がなされたうえでの記述であることだ。阿英の小説目録にしても、すべての清末小説作品を収録したものではない。遺漏がかなり存在することを知らなければならないだろう。ただし、採取もれが多くあることは、当時、私は気づいていなかった。阿英の目録を点検する別の材料を持たなかったからである。
 清末小説史はあるにしても、これに連続する民国初期小説史は、さらにむつかしくなる。魏紹昌編『鴛鴦蝴蝶派研究資料』(史料部分)*1において言及されている作品を採録する。だが、作品がいつ、どういう雑誌に発表されたか、あるいはどの出版社がいつ単行本で発行したのかの書誌が明確にされていない場合があって、これでは収録しようにもしようがない。
 文学史、小説史、資料集など、考えてみれば、どの場合も著者、編者による選択があるはずだ。どの作品を採取し、どれを採録しないかという問題である。選択するという行為には、必然的に著編者の偏りが出てこざるをえない。つまり、書かれた文学史を材料源とするならば、文学史の著者によるフルイ分けがすでになされているうえでの選択となる。年表の編者が、これらに基づいてさらに作品を選択すれば、二度のフルイにかけることを意味する。
 選択に選択を重ねた小説年表が、はたして事実を忠実に反映したものだということができるだろうか。それに気づかず試作した私の年表は、必然的結果として、それほど充実したものになるわけはなかったのだ。
 今、私が考えているのは、編者のフルイをかけない、素材そのまま、あるいは素材に近い状態で作品の情報を提出する年表だ。はたして、これは可能か。

2 編者の考えを押しつけない年表
 清末から民国初期にわたる時期に発表された小説を網羅しようとしたのが、『新編清末民初小説目録』*2である。
 該目録の編集方針は、網羅主義である。編者の目的意識というフルイを通過させない、素材のままを提供する。これこそが利用者にとって便利だと考えているからにほかならない。網羅するのだから、編者による勝手な選択基準をたててはならない。発表された作品は、創作、翻訳を問わず、短編も長編もすべてを採録の対象とする。雑誌初出から単行本まで、現代の重版も含んでいる。
 小説目録が作品名順による配列だとすると、小説年表は、それを発行順に並べたものとなる。

3 典拠資料
 目につく限りの資料を集めて『新編清末民初小説目録』が成立した。ならば、この情報を基礎にして発表年月日順に配列しなおせば『清末民初小説年表』ができる、と考えた。その意味で『清末民初小説年表』は、『新編清末民初小説目録』の姉妹編となる。

4 構成、さらに作業内容
4-1 創作と翻訳
 作品を、まず、創作と翻訳に二分する。
 研究者によっては、翻訳とは別に「翻案(漢語:訳述)」を設けて、創作、翻案、翻訳に分類する人もいる。だが、年表作成者としての私は、翻案を独立項目に設定することには賛成しない。なぜなら、どれが翻案であるのか見分けるのは極めて困難であるからだ。
 私は、翻案について自分の考えを述べたことがある。「『清末民初小説目録』を編集している経験からいうと、創作−翻案−翻訳に三分することに意味があるとは思えない。私は、作品をまず創作と創作以外のものに分ける。つまり、翻訳、翻案は原作が別のところにあるという意味で創作以外のものとする。大きくふたつに分けるだけで十分ではなかろうか。原作に忠実な翻訳か、そうでないかはそれぞれの作品を吟味したうえで決定すればいいことだ」*3
 翻案には、翻訳に近いものと創作に近いものがあり、一言でいうことは不可能だ。作品を個別に吟味しなければならない、というのはそういう意味である。だいいち、当時の翻訳作品には、原作を明示していないものも存在している。だから、創作の顔をした、その実は翻訳という場合もある。研究がすすめば、そういう例が多く発見されるかもしれない。
 翻案作品、つまり、原作がある作品でも、見方が異なれば扱いが違っているのが現状らしい。その加筆部分にのみ注目して、それを創作作品とする意見には、私は、同意しない。
 翻案については、議論がある。だから、これを研究課題とすることはできる。しかし、目録、年表を作成する場合に有効な分類方法になるとは、私は考えていないことを言っておきたい。
 とりあえずは創作とそれ以外のもの――すなわち翻訳、のふたつに分類しておく。清末民初小説年表の試みであるから、今はそれで充分だろう。
 見開き左ページに創作を、右ページに翻訳を配置する。発行年を中心にしてそれぞれが対応するように並べていく。1作品が1行に納まるとは限らないが、創作と翻訳の数のおおよそが一目でわかる。空白が左右を移動して翻訳から創作へと主流が動いていることが判明するのである。
4-2 年月日順配列
 収録の年月は、1840-1919年に限定する。
 『新編清末民初小説目録』の収録対象年月は、公式には、1902-1918年を中心にしたと説明している。しかし、目録を実際に見れば、1902年以前あるいは1918年以後の作品もかなりの量を採取していることがわかるだろう。依拠した資料が、1902年以前の作品を収録していれば、これに引かれたことも理由のひとつだ。また、たとえば、商務印書館の「説部叢書」は、1924年発行の作品までを収録している。叢書全体を収録するのが利用に便利だと判断した。
 1902-1918年にこだわって限定するやり方もある。その方が、作業は楽になる。だが、視野をより広げておけば、それだけ利用価値が高くなる。そう考えての結果が、『清末民初小説年表』を作成する際に役立つことになる。
 創作と翻訳に分類分けした後は、それぞれを発表年月日順に配列しなおす。
 1901年までは、1年単位でまとめる。1902年から月別に細分化し、月のなかで日の判明している作品は早い順に配列する。月日が不明の作品は、その年の最後にまとめて表示する。
 単行本ならば、初版のみを採録し再版以降は対象外とする。雑誌初出の作品は、初出雑誌とともに掲げ、単行本になったものはその単行本初版も採集する。書名に『』をつけて単行本であることを明示した。連載作品は、雑誌の掲載号と連載年月日を記録する。
4-3 索引
 年表には、索引の作成が不可欠になる。なぜなら、本文は、発表年順に配列しているから、特定の作家、作品を検索しようとすれば索引の手助けが必要になるからだ。年表は、最初から順番に読んでいくものである、と読者に強制するのは、それほどよろしい趣味とはいえないだろう。著訳編者索引、書名索引ともに、発行年月日によって該当項目に到達できるようになっている。著訳編者索引には、別名なども検索できるように工夫をほどこしている。作品集ならば、収録された個別の作品名からも検索できる。手間をかけなければならない部分だといえよう。
4-4 作品番号と追加作品
 各作品には、記号と番号がつけてある。これは、『新編清末民初小説目録』の作品番号だ。番号をてがかりにして『新編清末民初小説目録』を検索すれば、より詳しい情報を入手できる可能性もあるだろう。
 『清末民初小説年表』を編集する過程で、各項目について再度点検を実施することになった。少なくない誤りを発見する。気づいた誤記は、できるかぎり正した。『新編清末民初小説目録』と『清末民初小説年表』の記述が異なっている場合は、目録の間違いを訂正したのが年表だと考えてもらってよい。
 『新編清末民初小説目録』出版以後、目にした作品あるいは小説目録がある。収録もれの作品もある。できるだけ追加するよう心掛ける。あらたに番号をふることはせず、記号「+」を冒頭につけてほかと区別した。

5 問題点
 網羅主義にもとづく小説年表を編集するのだ、問題がないほうがおかしい。
 典拠資料を『新編清末民初小説目録』に定めたことが、問題を発生させる原因ともなった。すなわち、該目録が拠った資料は、原物に限っていないからだ。目録などの二次資料も含んでいる。その二次資料の記載が誤っている、あるいは不十分であれば、年表は、間違いをそのままひきずることになる。
 発行年月日が記載されていない作品は、初期の段階で排除される運命にある。年表だからしかたがない。
 典拠資料が不明確だと、その扱いに苦慮する。たとえば、『中国近代文学大系』シリーズに収録してある「中国近代文芸報刊概覧」(二)*4には、作品名は掲げてあるが、掲載年月日までは記載されていない。これを無視することは簡単だが、網羅主義なのだから、掲載年月日には「?」をつけて処理する。
 何度、説明しても理解しない研究者がいるが、『繍像小説』は途中から出版年月日は記載されなくなっている。もし、半月刊が遵守されたならば、そんなことはありえないのだが、いついつだろうという予測をカッコ内に表示し、予想年の月日不明欄に押し込む。それ以外に適当な方法を考えつかない。もし、『繍像小説』所載の作品を、出版年月日が不明だからという理由で年表から排除してしまったら、年表そのものの意味がなくなるだろう。苦心の末と考えてもらいたい。
 作品集にも問題がある。創作と翻訳の両者が混在するものはどうするか。しかたがないから創作と翻訳の両方に掲げることにする。
 ここでも発生するのが、旧暦新暦の混用問題だ。清朝は旧暦を使用し、中華民国になって新暦に切り換えた。清末民初の名前の通り、ふたつの時代をまたいでいる。年表であるからには、暦表示が統一されていなければ配列と検索に不都合が生じると考えた。ゆえに新暦で統一することにする。年月日まで書かれている作品、雑誌ならば、換算は簡単だ。だが、作品、雑誌そのものに月までしか表示されていないものも少なくない。これには往生する。正確に新暦に換算できなくなる。その場合は、変則的に旧暦の表示を新暦としてあつかう。実際の発表時とズレてしまうが、こればかりはどうしようもない。
 いくら網羅主義をとなえようとも、基本資料が不備であっては空念仏にすぎない。問題はあるにしても雑誌は、まだまし。新聞になるとほとんど手付かずといってもいい。今後の問題だ。
 つくづく思う。この種の仕事は、中国人研究者が資料を手元においてやるべきものだ。日本にいて、間接的に資料を利用するだけで作成できる類の作業ではない。それを理解したうえで、あえて日本において『清末民初小説年表』を編集発行するのは、現在にいたるまで、私の必要とする小説年表が出版されていないという理由からだ。
 いくつかの解決しがたい問題は、たしかにある。だが、『清末民初小説年表』の全体は、過去に類を見ないほどの圧倒的大量の創作と翻訳が収録される結果となった。しかも翻訳には、判明している範囲内で原作まで明記している。B5判、約600頁という大部の年表となって出現するわけで、これは空前だと、私は自信をもって断言する。

【注】
1)魏紹昌編『鴛鴦蝴蝶派研究資料』(史料部分)上海文芸出版社1962.10初版未見/日本大安影印1966.10/香港・生活・読書・新知三聯書店香港分店影印1980.1/上巻史料部分 上海文芸出版社1984.7
2)樽本照雄編『新編清末民初小説目録』清末小説研究会1997.10.10
3)樽本照雄「清末民初の翻訳小説――付:日本語経由の欧米漢訳小説一覧」『大阪経大論集』第47巻第1号(通巻231号) 1996.5.15。41頁
4)魏紹昌主編『中国近代文学大系』第12集第30巻史料索引集2 上海書店1996.7