橋本循記念会
第9回「蘆北賞」受賞のことば


樽本照雄


 このたび名誉ある「蘆北賞」を受賞し、大変、光栄に感じております。
 受賞の対象となりました『新編清末民初小説目録』(清末小説研究会1997)および『清末民初小説年表』(同会1999)について簡単に紹介しておきましょう。
 新編目録は、清朝末期から民国初期にかけて発表された中国語の創作翻訳小説を網羅しようとした目録です。作品名の中国語音順に配列しました。のちの再版本、叢書収録作品も採録していますから、小説の履歴書ということができます。
 年表は、新編目録の姉妹編です。1840-1919年に時間を区切り、小説作品を、こちらも網羅的に、発表時間順に配列しております。見開きに創作小説と翻訳小説のふたつに分けて掲載しました。
 この2著ともに、大きな特徴は、作品を雑誌初出から記録していることです。単行本ももちろん採取しますが、重点は、雑誌初出に置いてあります。
 どうしてこれが大きな特徴になるかといえば、清末に突然出現した小説の繁栄は、上海における小説専門雑誌群の創刊に原因があるからです。小説雑誌の大量発行という事態は、中国文学史上、空前のできごとだということができます。小説雑誌を無視しては、清末民初小説は研究できるはずがありません。ところが、それまでの単行本を重視する伝統にとらわれて、目録を編集するにもどうしても単行本主義に陥る傾向があるのです。ですから、小説雑誌を徹底的に捜査した目録は、今まで出版されたことがありません。
 新編目録において清末民初小説を横軸に置き、年表により縦軸に配列したわけですから、この時期の小説を立体的に把握するための基礎作業が完成したということができます。
 清末民初小説研究のいわば基礎となる仕事です。なにも、日本のような、資料に不自由な環境に身を置いて基礎作業をやる必要はないではないか、中国で、当然、目的をおなじくする目録、年表がより精密な編纂方針のもとで出版発行されているはずだ、と考えるのが普通かと思います。
 ところが、この常識は、中国には通用しません。
 今から45年前に発行された阿英「晩清小説目」(『晩清戯曲小説目』上海文芸聯合出版社1954.8/増補版 上海・古典文学出版社1957.9)を権威ある目録として使用している研究者が大部分を占めるのが現状なのです。
 なぜ、それがわかるかといえば、たとえば新編目録の印刷部数は200部です。2千部の誤りではありません。年表は、もうすこし少なくわずかに150部です。私が中国の研究者に贈呈したのは、そのうちの10-30部ですから、中国の大多数の研究者は、これら新編目録、年表の実物をほとんど目にしていないのではないかと思われます。見ることのできない著作を利用することはできないでしょう。
 もうひとつの「なぜ」になりますが、発行元が一般の出版社ではなく清末小説研究会――すなわち個人出版である理由です。少部数の発行ですから、当然、必要経費をまかなうだけの売り上げは期待できません。赤字に決まっています。いくら研究にとって不可欠の工具書であろうとも、営利を目的としている一般出版社の手におえる刊行物ではありえないのです。これが、日本の学術出版の現状であります。
 中国の研究者であるA氏から手紙(1999年10月16日付)をもらいました。中国における近代文学研究の第一人者です。中国社会科学院文学研究所を本年5月に退職されました。
 「二十世紀中国文学研究概論」という叢書が計画されており、その中の1冊を構成する『二十世紀中国近代文学研究概論』執筆に時間を取られていたとあります。担当した近代文学研究だけで、初稿400字詰原稿用紙に換算すると1500枚を書いたといいますから、文字通り大冊です。西暦2000年を迎えるに当たっての回顧もののひとつでありましょう。
 A氏がいうには、『新編清末民初小説目録』は、学術価値が高いばかりでなく、中国近代小説研究の一大空白を埋めることができる、ゆえに『二十世紀中国近代文学研究概論』のなかでも紹介しておいた、とのことです。
 そればかりか、この手紙で私ははじめて知ったのですが、A氏は、中国で『新編清末民初小説目録』を出版すべく、独自に出版社3社に出版の打診をしたというのです。しかし、出版社3社ともに、その学術的価値は認めるものの、出版すれば必ず赤字になるから、と出版を引き受けようとはしませんでした。
 現在の中国は、改革開放政策で社会主義市場経済ですから、利益を期待できない出版物には手を出すわけがありません。学術出版が瀕死の情況にある理由です。中国の出版社3社の判断は、当然だということができましょう。
 中国では、日本で作成された清末民初小説の新編目録、年表を利用できないという現実がありそうです。中国の研究者に対しては、同情を禁じえません。しかし、私の力のおよぶところではないのです。
 必ずしも一般に広く知られているとはいえない新編目録、年表という研究の基礎作業に属する著作に対して、橋本循記念会関係者の方々が注目してくださったことに、あらためて感謝いたします。と同時に、身の引き締まる緊張を感じるのも事実です。
 今回の「蘆北賞」受賞を、今後の勉学の励みにしたいと考えます。
 ありがとうございました。

1999年11月11日、からすま京都ホテルにて