「航海少年」原作探索


樽 本 照 雄


 私が「商務版「説部叢書」『航海少年』の原作の原作」と題して報告したのは、1982年のことだった*1。
 桜井鴎村訳の「航海少年」が、漢訳されて商務印書館発行の「説部叢書」に収録される。その鴎村訳がもとづいた英文原作についての探索である。(これまでのいきさつは知っている、必要ではない、結論だけが知りたいとおっしゃるなら、3にとんでください)

1 迷路へ、出口なし
 鴎村桜井彦一郎の翻訳には、日本の児童文学研究者がよく言及する『(勇少年冒険譚)初航海』(日本・文武堂1899.6.14初版未見/1906.6.25十五版)という作品がある。単行本の扉に「エム、リード原著、桜井鴎村補訳」と記されており、T・M・リード(Thomas Mayne Reid 1818-83)の著作だとわかる。
 桜井鴎村翻訳「世界冒険譚」シリーズのなかのいくつかが、漢訳されて「澳州歴険記」「二勇少年」「海外天」「航海少年」および「朽木舟」になっている。「初航海」の著者がリードなら、その他の作品もリードの原作だろう、という私の単純な思い込みから始まった。
 思い込みといっても、その根拠はあった。日本の児童文学研究雑誌に掲載された文章にそれらしく書いてある。また、別の書物にも同様の記述がある。
 例をあげよう。瀬田貞二、猪熊葉子、神宮輝夫『英米児童文学史』(研究社1971.8.30/1977.6.10三版)には、「鴎村は、すなわち英学者桜井彦一郎で、彼はメイン・リード(Captain Mayne Reid,1818-83)のRun Away to Seaを『初航海』として三二年に刊行し、メイン・リードの『決死ママ少年』など一二冊を「世界冒険譚」として送り出した」(21頁)とある。メイン・リードの名前を2度出して、奇妙な文章である。今、それはおいておこう。「メイン・リードの『決死ママ少年』」(決志少年が正しい)なのだから、メイン・リードの作品だとしか読むことができない。この記述からすれば、「世界冒険譚」シリーズは、すべてリードの作品になる。
 一方で、いかにも言及のありそうな題名を持つ二上洋一『少年小説の系譜』(幻影城1978.2.25。262頁)の1901年の項目には、「航海少年」は掲載されていない。勝手に期待した私の方が悪い。
 「航海少年」の原作はリードだ、との思い込みは、原物で確認するまえに私の確信となってしまった。
 胡従経『晩清児童文学鈎沈』(上海少年児童出版社1982.4。225頁)には、魯迅の幻の翻訳原稿「北極探検記」は、『航海少年』(商務印書館 光緒三十三<1907>年八月 説部叢書第八集第五編)ではないか、と書いてある。内容からしてそれはありえない、リードの“The young
voyageurs, or The boy hunters in the North”(1853)であろうか、と作品名を私は予測したのだ。
 しかし、これはまったくの当てはずれであることがすぐにわかった。
 研究書、ジョーン・スティール『キャプテン・メイン・リード』(Joan Steele“CAPTAIN MAYNE REID”TEAS229、1978)を書店から取り寄せてみると、「THE YOUNG VOYAGEURSはカナダを舞台とする」と説明してある。桜井訳「航海少年」の舞台は、前半は北氷洋だが、後半は熱帯アフリカのジャングルだ。どうも違う。
 ロンドンから取り寄せたリードの作品、前出“THE YOUNG VOYAGEURS”と“THE CASTAWAYS : A STORY OF ADVENTURE IN THE WILDS OF BORNEO”を見れば、ともに、大ハズレである*2。
 英文原作探索の試みは、こうして振り出しに戻った。
 わからないことは、専門家にたずねるのが一番はやい。中国児童文学研究者・河野孝之氏に問い合わせた。氏からは、鳥越信「大阪国際児童文学館蔵書解題(31)」(『大阪国際児童文学館を育てる会会報』第37号1994.7.26)の複写をもらった。文武堂「世界冒険譚」シリーズを紹介して次のように書いてある。「原作はいずれも英・米の少年冒険小説とされるが、『金掘少年』の作者がノア・ブルークスという人だと書かれている以外は、作者も原題も全くわかっていない。英語圏の研究者にぜひ突きとめてほしいと願っている」(16頁)
 日本の児童文学研究界においても、謎のひとつになっていたことを私は知ったのだ。
 桜井鴎村「遠征奇談」が収録される『少年翻訳小説』(三一書房1995.11.15 少年小説大系第26巻)が出版されるのを待っていた。桜井鴎村に関連して「航海少年」についても解説があるであろう。問題提起がすでになされている。研究者の多さを考えれば、原作が発見されていても不思議ではない。
 ところが、期待が大きい分だけこれには拍子抜けがした。佐藤宗子「解説」は、「航海少年」に言及しない。「年譜」の鴎村部分に「明治三十四年(一九〇一) 二十九歳/『英学新報』創刊。この年、「世界冒険譚」シリーズの『漂流少年』『殖民少年』『航海少年』『不撓少年』『朽木之ママ舟』『侠勇少年』を刊行」とあるだけ(520頁)。
 原作を探索しはじめて、この時すでに13年が経過していた。
 あらたな手掛かりが提出されたのは、中国人研究者によってである。迷路から脱出することができるかもしれない。期待はふくらんだのだ。

2 一筋の光明と暗転
 1996年1月、香港中文大学で開催された国際学会において、北京大学の劉樹森氏から『清末民初中訳外国文学報告』(私家版)をもらった。そのなかに「《航海少年》(1907)(英)Tom Bevan The “Polly's” Apprentice」と書いてある。長年探し求めていた解答を、突然、つきつけられたような気がした。これこそが、正解だったのだ。さすがに、中国では研究者の層が厚い。英語に堪能な劉樹森氏だからこそなしえた快挙であると感心した。
 帰国後、劉樹森氏に記述の根拠を問い合せた。日本においても資料的に追跡ができるかどうか、知りたかったからだ。
 その返答には、翻訳作品そのものの記述(私も見ることができる限りそうした)、『民国時期総書目』(当然、私も検索した)などによっていると書いてある。できる限りの努力をして原作が判明しないから、その根拠を問い合せたのだが、理解してもらえなかったらしい。再調査するとの返事があった(1996.2.6付来信)。結局、返事はない。
 劉樹森氏がよった資料が何であろうと、トム・ベヴァンという解答がだされているのだから、著作そのものを探すことの方が重要だ。
 知人にたずねると調べてくれて、カリフォルニア大学図書館(1件)、米国議会図書館(1件)、梅花女子大学(5件)にトム・ベヴァンの著作が収蔵されているという。ただし、「The“Polly's”Apprentice」は、その中には含まれていない*3。
 かすかな不安がよぎる。アメリカの図書館に所蔵されていないということは、消耗品として扱われた類いの作品らしい。では、劉樹森氏は、どこから資料を入手したのだろうか。北京大学図書館に所蔵でもされていてそれを見たのだろうか。わからなくなった。
 ベヴァンの該当作品は、日本国内には所蔵がないらしい。調査の結果、イギリスの図書館に所蔵されていることが判明した。勤務校の図書館を通じて複写を依頼する。
 1998年の夏休みを挟んだから、2,3ヵ月はかかったと記憶している。料金前払いで、送金に見あう部分しか複写できない、という返事だった。冒頭だけでもあれば、原作かどうか判明するので送ってもらう。
 届いた複写を期待をこめてながめた。冒頭部分を以下に示す。

“THE “POLLY'S” APPRENTICE”
EDWARD ARNOLD, LONDON(1900)
CHAPTER I. PETER.
It was a blazing hot day in July, about fifty years ago, and Bob
Jones, without coat or waistcoat,his breast bared to whatever faint breath of air might be blowing, sat upon the gate between two of his father's fields.(第1章 ピーター/およそ50年前、7月の燃えるような暑い日だった。ボブ・ジョーンズは、上着またはベストなしで、吹いているかもしれない空気のかすかなそよぎならば何でもというように彼の胸はむき出しのまま、父親のふたつの牧草地の中間にある出入口のうえにすわっていた)

 上のような英語原文が、桜井鴎村の手にかかると以下のようになるだろうか。

桜井彦一郎(鴎村)訳『航海少年』(世界冒険譚第8編)文武堂発兌、博文館発売1901.4.30
時は三月十六日のことであつた。
僕は倫敦の父の家を離れて、英領加奈太の東端の一島ニユーフアンドランドの小都会セント ジヨンの港に来て父の商業の代理店スクルー方で商法見習を始めてから既に満六ケ月となつた。此土地は非常な寒気で、雪は一丈も積り、港には三尺厚さの氷が張つて、船は之に閉されて屏息してゐるのが多い、

 漢訳も掲げておこう。

三月十六日。計僕別父母。去倫敦。客英属坎拿大東牛芬蘭島聖約翰港。某店学賈。已六閲月矣。是地気候厳寒。山雪盈丈。港冰数尺。蟄居斗室。蜷伏一隅。終日枯坐積貨間。偶視寒暖計。

 英語原文は、明らかに日本語翻訳とは異なる。これまたハズレである。“THE“POLLY'S”APPRENTICE”は、残念ながら「航海少年」の原作ではなかった。
 ぬか喜びである。のぞみは、アワと消えてしまった。しかし、ガッカリはしない。本当に長い時間、私を楽しませてくれるものだ、とかえってうれしかった。いつかは解決する時が来るだろう。

3 解決
 問題解決は、予期せぬ方角から唐突にやってきた。
 2000年2月、藤元直樹氏よりお手紙をいただいた。桜井鴎村翻訳作品の原作が列記されている(『未来趣味』第8号2000.5.3に掲載あり)。

1 金掘少年 THE BOY EMIGRANTS by Noah Brooks
2,4 遠征奇談 ROUND THE WORLD by W.H.Kingston
3 二勇少年 ORANGE AND GREEN by G.A.Henty
5 決志少年 THE BOY FROM THE WEST by Gilbert Patten
6 漂流少年 ADRIFT IN THE WILDS by Edward S.Ellis
7 殖民少年 HARRY TRAママVERTON?
8 航海少年 JACK MANLY by James Grant
9 不撓少年 TONY THE HERO by Horatio Alger,Jr.
10 朽木の舟 THE WANDERERS by W.H.Kingston
11 侠勇少年 THE BOY EXPLORERS by Harry Prentice
12 絶島奇譚 MASTERMAN READY by Captain Marryat

 「明治時代の雑誌(『英文新誌』1巻1号)にでていたのをメモしたもの」という。おおいなる手掛かりである。
 以上の中から漢訳されている作品を抜き出し、その原作について調査した結果を以下に報告する。

3-1 澳州歴険記 (冒険小説) 19節
(日)桜井彦一郎著 金石、〓嘉猷重訳 上海商務印書館 光緒32.4首版(1906) 説部叢書四=6
桜井彦一郎(鴎村)訳『殖民少年』(世界冒険譚第7編)文武堂、博文館1901.2.10(日付に訂正がある)

 「説部叢書四=6」は、第四集第6編を意味する。「説部叢書」は、最初は、各集10編で全十集100編で構成されていた。重版に際して作品を入れ替えるなど編成しなおし、全100編を初集と称する。つまり、「澳州歴険記」は「説部叢書」初集第37編に数えられることになるのだ。
 “Harry Traママverton”?と上の一覧表には疑問符がついている。雑誌掲載には書名しか書かれていないのだろう。私が調査したところ、英文原作は以下のとおりである。書名の一部は、Trevertonが正しい。
 “Harry Treverton”edited by Lady Broome, George Routledge & Sons, London 1889。311頁。Broomeとは、Lady Mary Anneだという。

3-2 二勇少年 (冒険小説) 18回
南野浣白子述訳 『新小説』1-7号 光緒28.10.15-29.7.15(1902.11.14-1906.9.6)
桜井彦一郎(鴎村)訳『二勇少年』(世界冒険譚第3編)文武堂発兌、博文館発売1900.10.8

 「二勇少年」は、のちに改題され『青年鏡(冒険小説)』18回として単行本になっている(南野浣白子訳述 上海・広智書局 光緒31.3.18<1905.4.22>)。発行の日付を見る限り、『新小説』連載途中に単行本が出版されたことになる。
 英文原作は、George Alfred Henty“Orange and Green: a tale of the Boyne and Limerick”Blackie & Son, London,1888。352頁。
 著者のヘンティ(1832-1902)は、少年向け冒険物語の作家として長く人気を誇った*4。

3-3 海外天 16回
(英)馬斯他孟立特著 東海覚我(徐念慈)訳 海虞図書館 光緒29(1903)
桜井彦一郎(鴎村)訳述『絶島奇譚』(世界冒険譚第12編)博文館1902.7.13(日付の訂正がある)

 英文原作は、Captain (Frederick) Marryat“Masterman Ready; or, the Wreck
of the Pacific”George Bell & Sons, London,1878。334頁。
 漢訳は未見である。著者名を「馬斯他孟立特」としているが、これは書名の“Masterman Ready”を音訳したもののように思われる。
 国会図書館所蔵本奥付の発行日付は「七月五日」だが、訂正されて「七月十三日」になっている。「日付の訂正がある」というのは、このことを意味する。
 キャプテン・フレデリック・マリアット(1792-1848)は、冒険物語作家のひとり。
 日本の文献であまり見かけないマリアットであるが、孫毓修編纂『欧美小説叢談』(上海・商務印書館1916.12文芸叢刻甲集)には言及がある。
 「イギリス17世紀の小説家(英国十七世紀間之小説家)」の章において、ストーリー・テラーを紹介し、次のように書く。
 「デフォーの書にならって作られたものには、スイス人ヴィースJohann Rudolf WyssのスイスのロビンソンThe Swiss Family Robinsonがある。1813年よりドイツ語で刊行され、イギリス人がこれを翻訳した。マリアットCaptain Frederick Marryatの太平洋壊船Wreck of the Pacific,or Masterman Readyは、その構造がデフォーとも同じであって、また実はヴィースの書の続作でもあった。両書ともに今にいたるまで流行している」(19頁)
 孫毓修の文章は、表題の通りヨーロッパとアメリカの小説についておおよそを述べたものだ。英語ができた孫毓修は、英語圏における冒険小説の流行を説明するだけで、中国に翻訳された作品までを視野に入れているわけではない。「今にいたるまで流行している」というのは、欧米において、という意味である。だから、英文原作の“Masterman Ready”が、日本語訳「絶島奇譚」となり、さらに漢訳されて「海外天」になっていることを、孫毓修が知っていたかどうかはわからない。
 文中で触れているスイスのロビンソンを英訳したイギリス人というは、ウィリアム・ヘンリ・ジャイルズ・キングストンだ。桜井彦一郎(鴎村)訳述『朽木乃舟』の原作者でもある。

3-4 航海少年 (冒険小説) 19章
(日)桜井彦一郎原訳 商務印書館編訳所訳 上海商務印書館 丁未8(1907)/
1914.4再版 説部叢書1=75
桜井彦一郎(鴎村)訳『航海少年』(世界冒険譚第8編)文武堂発兌、博文館発売1901.4.30

 英文原作は、James Grant“Jack Manly : his adventures by sea and land”Routledge Warne, and Routledge, London,1861。436頁。
 書名になっている「ジャック・マンリー」が物語の主人公の名前だ。桜井鴎村訳の「序」にあたる文章に「僕はジヤツク マンリーと云ふものだ」ともある。
 ジェイムズ・グラント(1822-87)は、スコットランドの歴史小説家である*5。
 しつこいようだがくりかえす。TOM BEVAN“THE“POLLY'S”APPRENTICE”(1900)とするのは誤りだ。

3-5 朽木舟 (冒険小説)
(日)桜井彦一郎著 商務印書館編訳所 上海商務印書館 丁未7(1907)/1913.12三版 説部叢書1=80
桜井彦一郎(鴎村)訳述『朽木乃舟』(世界冒険譚第10編)文武堂1901.9.1

 英文原作は、William Henry Giles Kingston“The Wanderers; or, Adventures in the wilds of Trinidad and up the Orinoco”T.Nesson and Sons,Paternoster Row, London,1876。392頁。

 以上、「世界冒険譚」シリーズのうち漢訳作品を選択して説明した。
 ひとことつけくわえる。ここに示した英文原作の発行年は、必ずしも桜井鴎村が拠った原書のものとは限らない。私が英国図書館で確認をしたものにすぎないので注意されたい。
 長年かかえている疑問のひとつが、解決された。なんだか、あっけない。 B

【注】
1)『清末小説きまぐれ通信』第22号1982.11.1。先行文献には、つぎの2種類がある。
中村忠行「清末の文壇と明治の少年文学――資料を中心として」1、2 『山辺道』第9、10号 1962.12.25、1964.1.25
中島利郎「晩清の翻訳小説――華訳日文小説編年目録初稿」1、2 関西大学大学院文学研究科院生協議会『千里山文学論集』第15、16号 1976.4、10
2)「『航海少年』原作の訂正」『清末小説きまぐれ通信』第26号1983.3.1
3)樽本照雄「包天笑翻訳原本を探求する」『清末小説から』第45号 1997.4.1
4)ハンフリー・カーペンター、マリ・プリチャード著、神宮輝夫監訳『オックスフォード世界児童文学百科』原書房1999.2.10/1999.3.3第二刷。
5)齋藤勇など編『英米文学辞典』第3版 研究社出版株式会社1985.2.28。508頁