『月月小説』ほかの重版
――小説雑誌の重版問題3


樽 本 照 雄


1 『月月小説』の場合
 『月月小説』の表紙は、そっけない。上方に“THE ALL-STORY MONTHLY.”と横書きに表示し、題字の「月月小説」を縦書きにしただけ。花もなければ模様もない。あっさりしたものだ。
 『月月小説』が重版されていることは、雑誌自身に明記されているからわかりやすい。
 初版第1号の目次には、「光緒三十二年九月望日発行」と表示がある。新暦になおすと、1906年11月1日だ。表紙裏(表二)は、楽群書局の出版案内で『中学校用無機化学』、『考察東瀛警察筆記』および『社会小説黒海鐘』の書名が掲げられる。
 一方の重版第1号は、表紙に「丙午臘月第三次印本」とわざわざ刷ってある。初版から約三ヵ月後にあたる。
 ただし、目次には、「光緒三十二年九月望日(第三次印本)」となっているから少しややこしい。初版と重版が同一の日付だからだ。表紙の「第三次印本」と合わせて見れば間違いようがないが。
 重版が初版と相違する点は、表紙裏(表二)が楽群書局の出版案内にとってかわって「広告/通信式」があることだ。
 宛名が左右にふたつ示してある。『月月小説』の購入希望者は、「英界棋盤街南首金隆里口 楽群書局 月月小説発行所」あて申し込むこと、投稿者は、「新馬路珊家園西首毓麟里内 衛字四百四二号 月月小説編訳部」あてに書留で送るように指示する。
 この「広告/通信式」は、もともと第2号に掲載されていた。重版するにあたって、第2号のものを第1号重版に移したのである。
 投稿者へ原稿の送り先を指示するだけで、何字につき何元の原稿料を支払うとまで明示する文面ではない。だが、あきらかに原稿募集を行なっていることが理解できるだろう。
 『月月小説』でも、他と同じように初版創刊号に掲載することは注意深く避けている。創刊号から原稿募集では、あまりにも体裁が悪いと編集者が考えたのではないか。これが私の推測だ。

2 『小説林』の場合
 『小説林』も第1期を重版している。
 重版を説明する前に、表紙の変化を指摘しておきたい。
 創刊号から第5期までと第6期以降の意匠に変化がある。似ているから見逃す恐れもないではない。
 その図案は、右肩から複数の花と蔓状に枝が垂れ下がり左下に向う。子持ち罫による上の枠内に「小説林」、下の枠には「第一期」と赤色文字で記入されている。この基本構造は、全冊を通じて揺るがない。
 変化のひとつは、表紙全体を囲む罫だ。第5期までは、斜線をほどこした太い罫が右下と左上の二隅を稲妻文様風で飾る(表紙a)。それが第6期以降は、子持ち罫で三隅が草模様に変更される(表紙b)。
 もうひとつの変化は、題字「小説林」の書体だ。特に目立つのは、「説」の形で第4画が長く書かれている箇所だろう。全体的に見ると無骨な印象を受けるが、第6期からは、華奢な毛筆体に変わる。
 初版第1期の目次1頁冒頭には、「光緒三十三年正月」と印刷されている。3頁目は、「徴文広告」と「編輯者 小説林総編輯所」「印刷所 小説林活版部」を示し、総発行所上海棋盤街小説林宏文館有限合資会社の発行物であることを謳う。その裏ページは、「宏文館広告」だ。
 初版第1期の「徴文広告」は、優れた作品ならば何でも送られたし、という内容である。創刊号から原稿募集というのは体裁が悪い。これが私の考えなのだが、例外となる実物が出ているのだからしかたがない。
 違いといえば、第3期(丁未年三月)では、原稿募集の内容が具体的になる。すなわち「募集小説」と題名を変え、「甲等 毎千字五圓/乙等 毎千字三圓/丙等 毎千字二圓」と原稿料までも明らかにする。募集の内容が初版第1期の一般的から第3期の具体的に濃くなる変化を認めれば、「体裁が悪い」説もいくらかは適用できるか。
 第3期には、つづいてお知らせが3種類ある。「特別広告」で作品の無断掲載を告発し版権を主張し、「募集文苑雑著」を掲げて、古近体詩、遊戯文章などについて甲等十元から辛等半元までの原稿料を示す。さらに「募集写真片」で写真を募集する。その値段は、甲等十圓、乙等五圓、丙等三圓だ。
 重版の目次には、「光緒三十三年六月再版」と表記される。初版が正月だから半年後にも需要があった。
 重版第1期を出すに当たって、表紙は、第6期以降に使用する表紙bを流用している。もうひとつ、第3期に掲げた「募集小説」「特別広告」「募集文苑雑著」「募集写真片」を一組にして移動させた。
 『小説林』第2期について疑問がある。国会図書館所蔵本、実藤文庫所蔵本および上海書店影印本のいずれも目次3頁部分がない。「編輯者 小説林総編輯所」「印刷所 小説林活版部」を掲げる箇所だ。ゆえに第2期に「募集小説」以下の広告が掲載されているかどうかは、私は、確認していない。
 以上、見て来たのは、1902年から1907年にかけての雑誌の重版情況である。重版にしたがって出入りする原稿募集広告に注目すれば、これは、いわゆる清末四雑誌における原稿料の相場を探ることを意味するといってもいいだろう。
 『新小説』が公にする原稿料は、創作が毎千字で4元から2元まで、翻訳が2.5元から1.2元までの幅がある。料金の違いは、創作に比較して翻訳が低く見られている証拠だ。
 『繍像小説』は、一般公募で字数による原稿料は明示しない。『月月小説』も同様。
 『小説林』は、5元から2元まで。
 素人に対してだけ字数計算で、原稿料の相場も幅が広かったというわけでもない。職業作家であっても、安かったり高かったり、計算方式も、字数計算、原稿買い取り、印税方式とさまざまな形態があった*1。
 雑誌の重版からいくつかの事実の存在を推測することができよう。
 ひとつは、雑誌そのものに対する読者の需要が多かったこと。身の回りに感じる時代が動いている感覚を文章で確認したいという読者からの要求が、雑誌に掲載される小説に向ったと考えることができよう。すなわち、同時代を反映する作品への期待があったということだ。
 出版社からいえば、読者の需要があれば雑誌を創刊する価値があることを確認することになる。当たれば事業拡大のよい機会だ。当然のことながら、書き手の発掘が差し迫って必要となる。原稿募集という方法があることを知れば*2、実行しないわけがない。原稿料を公表することで、自然に原稿料の相場というものも成立する。
 原稿料の相場が立てば、それを背景にして職業作家が生まれる可能性が出てくる。李伯元と呉〓人らが経済特科の推薦を断わったのが、その象徴的事件だ、と私は考える*3。しかも、職業作家が出てくる環境は、それほど長い時間をかけて成立したわけではない。きわめて短期間であったと思う。1902年の日本横浜における『新小説』創刊から雪崩をうったように誕生した小説雑誌群が、そのことを証明している。


【注】
1)樽本照雄「清末民初作家の原稿料」『清末小説論集』法律文化社1992.2.20所収
2)さかのぼれば1895年の『万国公報』第77冊1895.6に小説募集広告が掲載されている。
参考文献:
陳業東「近代小説理論起点之我見」『明清小説研究』1994年第1期(総第31期)1994.3.1
王立興「一部首倡改革開放的小説――〓煕及其小説《醒世新編》論略」『明清小説研究』1994年第1期(総第31期)1994.3.1
武禧「一八九五−一八九六年小説略説――晩清小説雜談5」『清末小説から』第44号1997.1.1
劉樹森「傅蘭雅“求著時新小説”:起源与終結」『清末小説』第21号 1998.12.1
3)樽本照雄「李伯元、呉〓人と経済特科の意味」『清末小説探索』法律文化社1998.9.20