『華生包探案』は誤訳である
――漢訳ホームズ物語「采〓」について

樽 本 照 雄



1 『華生包探案』という書名の謎
 『華生包探案』は、コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle)が創造したシャーロック・ホームズ物語の漢訳名としてあまりにも有名である。
 清末翻訳界に漢訳輸入されて以来、ドイル作品の多くは、中国人読者に大歓迎された。漢訳される早さ、種類の多さなど、その勢いは、当時の日本の読者をうわまわる部分もあったといってもいいくらいだ。
 中国で最初にホームズ物語を漢訳連載したのは、上海の『時務報』であった。該誌第6-9冊に「英包探勘盗密約案」と題して“The Naval Treaty 海軍条約文書事件”が掲載されたのがそれだ。1896年のことである。
 この時には、まだ「華生」という翻訳語は、なかった。「滑震」という訳語が当てられていた。
 漢訳ホームズ物語のひとつに、いわゆる警察学生訳『続訳華生包探案』(文明書局1902)がある。阿英の「晩清小説目」にその書名を見ることができる。(その書名が適切でないことは、別に論じた)
 この時あたりから『華生包探案』という書名が、中国翻訳界に浸透しはじめる。
 シリーズ名として「華生包探案」が使用され、6篇の漢訳作品が『繍像小説』第4-10期(癸卯閏五月十五日1903.7.9-八月十五日10.5)に連載された。
 のちに、それらは、商務印書館の手によって単行本にまとめられ、『補訳華生包探案』をへて『華生包探案』の題名で出版されている。目録などに収録された該版本の刊行年を見れば、1903年、1911.4/1920.11五版(小本小説40)、丙午4(1906)/1914.4再版(説部叢書1=4)、1907.1二版/1908.8五版/1914.4再版(説部叢書1=4)など多数の版本があることがわかる。1903年から1920年まで、まさに清朝末期から民国初期にかけて、くりかえし刊行されているほどに人気を博した漢訳作品であった。
 あまりにも有名な『華生包探案』だからか、その中身がドイルのホームズ物語であるのは周知のことだからか、書名が奇妙だと指摘する研究者は、いない。
 「包探」は探偵を意味する。現在では、「偵探」と表記することが多い。「案」は、事件だ。つまり、探偵事件になる。そこまでは、いい。奇妙だというのは、「華生」との組み合わせなのだ。
 「華生」は、本来、ワトスンを指す。すなわち、『華生包探案』は、『ワトスン探偵事件』という意味になってしまう。
 ホームズ物語の主人公は、いうまでもなくシャーロック・ホームズである。それを差し置いて、脇役のワトスンが書名に出てくるのは、奇妙以外のなにものでもない。
 いってしまえば、『華生包探案』と漢訳するのは、誤りなのだ。
 ワトスンが記録したホームズ探偵の事件簿というのであれば、やはり『華生筆記』とすべきだろう。誤訳をとりつくろうことはできない。
 正しくホームズ物語とする書籍があることを言っておけば、それだけで十分だ。
 (英)華生筆記、周桂笙等訳『福爾摩斯再生案』第1-13冊(上海・小説林社 1904.2-1906.10。未見)とか、(英)柯南道爾著、佚名訳『福爾摩斯偵探第一案』(小説林社 光緒丙午1906。未見)とか、(英)柯南道爾著、周痩鵑訳『福爾摩斯偵探案全集』第1-12冊(上海・中華書局1916.5/8再版/1936.3二十版。未見)などだ。
 その一方で、誤訳の『華生包探案』が生き残っていることに、私は注目する。
 『華生包探案』を発行したのが、大手出版社の商務印書館だったためか、誤訳であるにもかかわらず、社会には『華生包探案』という書名が浸透し定着してしまった。
 怪奇現象ではあるが、事実だからしかたがない。
 誤訳もここまで定着すると、不思議なことに、それに合わせる書籍が出現する。
 すなわち、「華生」を無理矢理ホームズのことにしてしまうのである。ホームズの漢訳として存在する「福爾摩斯」の方は、無視することになる一種の逆転現象だということができよう。

2 「采〓」のこと
 その逆転作品の実物は、(英)各南特伊爾原著 辟直訳「(長篇偵探小説)采〓」(『七襄』第2-4期 1914.11.17-12.7)という。原作は、“The Adventure of the Speckled Band まだらの紐”である。
 「まだらの紐」の中国最初の漢訳は、黄鼎、張在新訳、黄慶瀾参校「毒蛇案」(『啓蒙通俗報』第4-5期 [光緒28.6(1902)]-光緒28.7(1902)未完)だ。「毒蛇」という漢訳は、事件の内容をすこし漏らしている。ドイルが「まだらの紐」と命名したのは、題名から内容が類推できないように工夫をしているのだから、翻訳もそれなりに気を使わなければならない。いちばんいいのは、原題のままにすることだ。
 12年後に発表された二度目の漢訳は、その点、原題に近い「采〓(五色の紐)」と翻訳したのは、よろしい。
 九つの小見出しがつけられている。「朝のヴェールの女性(清晨之覆面女子)」という具合だ。もともとが短篇小説なのだが、漢訳では「長篇偵探小説」になってしまい、そのための翻訳者による工夫かと思う。
 問題は、冒頭の書き出しである。ここで、シャーロック・ホームズを華生とする。

余為倫敦市之医生。生平酷愛文学。尤好探怪捜奇。爰伍華生偵探。従事於偵探事件。凡茲七年間。所歴事数。蓋已七十餘。閑暇之時。毎将所録陳跡。逐一披覧。為消遣計。其中案情不一其趣。有令人解頤者。有令人揮涙者。有令人毛髪森立作十日恐怖者。(私は、ロンドン市の医者である。つねづね文学を熱愛し、ことに怪奇なものを探索するのを好む。そこでホームズ探偵と組んで探偵事件に従事している。ここ七年間に経験した事件の数はおおよそ七十余になっており、暇なおり、記録した事跡を逐一読んで暇潰しとしている。その事件は一様ではなく、大笑いさせるもの、涙を揮わせるもの、毛髪は逆立ち十日も恐ろしく感じさせるものもある)

 ワトスンの自己紹介から始まるのは、英文原作とは異なる。「私(余)」で始まるのは、よろしいとしよう。しかし、ワトスンが文学を熱愛するというのは、いかがか。原文にそのような記述は、ない。
 ワトスンが小説を読もうとする場面は、出てくる(ボスコム谷の謎)。あるいは、クラーク・ラッセルの海洋小説に夢中になっている(五個のオレンジの種)。小説本をひろげて居眠りしている(背の曲がった男)。ワトスンを文学愛好者とするのは、それらからくる連想であろうか。そうとするならば、漢訳者は、ホームズ物語を相当に読んでいることになるだろう。
 漢訳では7年間だが、原文は、8年間で、なぜか1年の差が生じている。
 英文原作の冒頭を下に示す。

IN glancing over my notes of the sev-enty odd cases in which I have duringthe last eight years studied the meth-ods of my friend Sherlock Holmes, I find many tragic, some comic, a large number merely strange, but none
commonplace ;(この八年間に私がシャーロック・ホームズの探偵方法を研究してひかえてきた、七十件あまりの事件にかんするノートをながめてみると、悲劇も多いが、喜劇もいくらかあり、そしてまたたんに風変りなだけの事件もたくさんあるけれども、一つとして平凡なものはない)*1

 このあとに、ホームズが働いたのは、報酬のためではなかったことが説明される。

for, working as he did rather for the love of his art than for the acquirement of wealth, he refused to associate
himself with any investigation which did not tend towards the unusual, and even the fantastic.(それは、何といっても彼が、多額の報酬を目当に働いたのでなく、おのれの技術そのものに情念をいだいて仕事をしてきたからであり、異常で奇怪な経過をたどる事件でないと、相手にはしなかったからである)*2

 漢訳では、この部分を削除する。これでは、シャーロック・ホームズの手掛ける事件が異常である理由、また事件解決に見せる情熱の強さが読者に伝わってこない。
 細かく見ていけば、おかしい箇所は、いくつかある。

2-1 数字ほか
 ひとつは、数字の違いだ。数字などは翻訳の間違いようがない。だから、漢訳者は、意図的に改変したものだ。
 原作(→漢訳)の順に示そう。
 朝、ワトスンが起こされたのが7時15分(→5時15分)、依頼人の婦人が家を出たのが6時(→4時)、駅に着いたのが6時20分(→4時20分)など。冒頭部分の時間設定を2時間早めている。漢訳者の感覚からすると、7時15分は、早いうちには入らないためだろう。
 年収1,100ポンド(→1万圓)、750ポンド(→7,500元)など。これも金額が1桁大きくなる。
 毒が効くのが10秒(→10分)は、インド毒蛇の猛毒のはずなのだが、それにしても部屋から出て来て叫ぶのだから、10秒は早すぎると考えたのか。一方で、10分もかかってしまっては、猛毒にならないのではないかとも思う。

人名漢訳比較一覧
原文 「采〓」 「毒蛇案」
Conan Doyle 各南特伊爾 ×
Sherlock Holmes 華生 休洛克福而摩司
Watson 滑太 華生
Grimesby Roylott 土佗・麻里耶 牢愛勒此
Farintosh 哈那太 威霊〓虚
Helen Stoner 冷珂 海倫司禿能
Julia 希巌 ×
Honoria Westphail × 韋思歓而

地名の漢訳比較一覧
Baker-street 麪包店街 盤克街
Surrey 薩雷 ×
Stoke Moran × 司托克毛倫
London 倫敦 倫敦
Leatherhead 〓滑沙 雷柔黒脱
Waterloo 華太洛 ×
England 英国 英国

 ファリントッシュ夫人事件は、ワトスンと一緒になる前(→ワトスン(漢訳:滑太)が協力した)。細かいことだが、ホームズとワトスンの生活史が、狂ってくる。

2-2 固有名詞
 本来は、ワトスンの訳語である「華生」をホームズに割り当ててしまう漢訳者だ。人名の訳しかたに独特のものがある。その比較として、前述、漢訳最初の「まだらの紐」である「毒蛇案」をあげよう。
 別に掲げた一覧表は、原文/「采〓」/「毒蛇案」の順である。「×」というのは、該当する漢訳がないことを示す。
 ドイル Conan Doyle を音訳して各南特伊爾とする。これを見れば、「采〓」という漢訳においては、正確な音訳をほどこしているといえよう。すなわち、北京音で音訳をしたと考えていい。方言音を考慮する必要は、ない。
 シャーロック・ホームズ Sherlock Holmes を華生とするのが、普通とは異なることにご注意いただきたい。
 華生をホームズにしたから、ワトスンには、滑太をあてた。別に滑震というのがあったから、それからの連想だとも考えられる。
 義父のロイロット Roylott を土佗麻里耶、双子の姉妹ヘレン Helen を冷珂、ジュリア Julia を希巌とするのは、いずれも首をかしげる。一方の「毒蛇案」が、普通に音訳しているだけに、その比較で奇妙さが増す。地名の翻訳も示しておく。こちらは、レザヘッド Leatherhead を〓滑沙と妙に訳するが、それ以外は、妥当だろう。

2-3 省略
 省略は、ほかにもある。
 ヘレンが、双子の姉が死亡したときの様子をホームズに説明する場面で、姉が「まだらの紐(バンド)」と叫んだことをいう。「まだらの紐」について思いつくものはないかとホームズに問われ、庭にいたジプシー(gypsies 原文のまま)の団体(バンド)か、頭にまいたハンカチのことか、と証言する。バンドという言葉で紐と団体をむすびつけた、ドイルによる誤誘導の手法である。この誤誘導部分を漢訳では、省略する。これでは、ジプシーが出てくる意味がない。ドイルは、せっかくジプシーを配置して、犯人がそのなかにいるのではないかと読者が考えるように工夫しているのに、無駄骨に終わらせてしまった。もし、漢訳者が探偵小説における誤誘導の手法を知らずに、筋に関係がないものとして省略してしまったのなら、探偵小説がどのようなものであるのか理解していないことになる。
 ヘレンの手首に残るアザから義父の力が強いことを示す部分を省略する。
 ホームズが語る医者の悪事についても省略。

2-4 加筆
 ホームズとワトスンが、事件解明のためヘレンの寝室で夜を明かす直前の場面に、漢訳者による加筆がある。「みかけだけの呼び鈴紐および通気孔、大金庫に犬用の鞭。最初は、奇妙でも異物でもなかったものが、夜中の口笛と美人の惨殺に、まさか、なんらかの関係があるのであろうか。ホームズのちいさなことまで明察するという実地調査を経ることにより、なんと磁石が引きあい、ニカワと漆がくっつくように、離れることができない反応を示すのである。その秘密は、最後に暴露される。ああ、奇異であることよ」
 地の文に書かれているから、ワトスンの言葉とも受け取ることができよう。だが、英文原作には存在しない。だから、これは、漢訳者の勝手な説明文にほかならない。怪異性を盛り上げるための加筆とわかるが、やはり、余分な加筆である。

 以上、漢訳を検討した。
 この漢訳全体が、冒頭に見るような、勝手な解釈と書き換えに満ちた翻訳かといえば、そうではない。
 箸にも棒にもかからない漢訳では、まったくない。それは、自信をもって断言する。
 人物名の漢訳に独特のクセがあるのは、事実だ。上のように、誤り、省略、加筆などを文章にすると分量が多そうに見える。だが、いくつかの省略と1ヵ所の加筆を除けば、基本的に英文原作に忠実な漢訳だということができる。
 優良可の段階に分けて評価するとすれば、良、というのが、私の結論である。
 漢訳「采〓」は、珍しい作品だ。『七襄』という雑誌そのものが、日本では容易に見ることができない。だから、漢訳「采〓」に触れる文章を見たことがない。紹介した理由である。

【注】
1)阿部知二訳「まだらの紐」『シャーロック・ホームズ全集』第1巻 河出書房新社1958.6.25/1959.5.20四版。110頁
2)阿部知二訳「まだらの紐」110頁