ホームズパスティッシュ史における中国作品


平 山 雄 一



 だれでも子供時代に一度は手に取ったことがあるシャーロック・ホームズ物語が、欧米の文学作品としてもっとも「贋作」が多いといわれている。そのうちのいくつかは邦訳もされ、また日本人作家でも山田風太郎、柴田錬三郎、星新一をはじめ数多くが執筆していることからもその人気が伺われる。それだけシャーロック・ホームズのキャラクターが魅力的であり、またシャーロッキアンといわれるファンが数多くいるからであろう。
 では欧米で最初のホームズ物語の贋作がかかれたのはいつだろうか。しかしその前に「贋作」という言葉に二つ意味があることを確認しなくてはいけない。まず第一は「パロディ」といわれる作品であり、これはもじりやからかいを主にして原作を崩したおかしみを楽しむ一派である。たとえばロバート・L・フィッシュの「シュロック・ホームズの冒険」*1や、犬の世界のホームズを描いたスラップスティック・アニメーション「名探偵ホームズ」*2があげられよう。もう一派としては原作の味わいに忠実に、あたかも新しい作品が発見されたかのように書くのを「パスティッシュ」と呼んでいる。代表作としていつも挙げられるのは原作者ドイルの息子であるアドリアン・コナン・ドイルと著名な探偵小説作家のジョン・ディクスン・カーの共著「シャーロック・ホームズの功績」*3である。
 ではホームズ物語の贋作の始めはいつであろうか。最初の作品「緋色の研究」が発表された一八八七年には大した話題にもならなかったので、当然贋作の対象にもならなかった。人気が出始めたのは「ストランド・マガジン」に短編読切連載を始めた一八九一年からである。最初の贋作と言われているのはその数ヶ月後の同年十一月に匿名で「スピーカー」に発表された“My Evening with Sherlock Holmes”である。これはホームズが依頼人を観察していろいろなことを言い当てるおなじみの行動を茶化したものだった。またアメリカ最初の贋作もジョン・ケンドリック・バングスが一八九七年に発表した The Pursuit of the House-Boat という冗談小説であった。その後に出版された贋作も主人公の名前がシャムロック・ジョルネスとか、カーロック・ショームズとか、オイロック・コームズといったホームズの名前のもじりであって、笑いを主にしたパロディばかりであった。フランスのモーリス・ルブランはアルセーヌ・ルパンの敵役としてハーロック・ショームズを「遅かりしハーロック・ショームズ」(一九〇七年)と「アルセーヌ・ルパン対ハーロック・ショームズ」(一九〇八年)に登場させている。これらの作品は笑いを目的としたものではなく、ルパン作品としてはきちんと書かれたものではあろうが、ホームズ贋作という観点からみると名前が変更されているばかりでなく、あくまでもルパンの引き立て役としての愚鈍な探偵の役回りしか与えられていないので、パスティッシュとはいえないであろう。
 ではホームズ作品のパスティッシュの始まりはいつかというと、おそらく一九二〇年まで下らなくてはいけないだろう。この年シャーロッキアンの始祖ともいわれるヴィンセント・スタリットが「稀覯本『ハムレット』」を私家版で発表している*4。
 しかしこの作品が一般に出回るのにはアンソロジー「シャーロック・ホームズの災難」が出版される一九四四年まで待たなくてはいけなかった。またオーガスト・ダーレスは一九二九年から「ソラー・ポーンズ」シリーズを書き始めるが、これはもう新しいホームズ物語が発表されないので自分が代りに書こう、という意図で始められたもので、名前と時代設定が違うだけでホームズ物語を顴骨奪取したシリーズである。しかし肝心の探偵の名前が違っているので、厳密な意味ではパスティッシュとは分類されない。
 ただし「指名手配の男」という問題の作品がある*5。これはコナン・ドイルの遺品の中から原稿が見つかった作品で、一時は未発表のホームズ作品ではないかと騒がれ、一九四八年の「コスモポリタン・マガジン」に初めて発表された。しかしその後の研究の結果、一九一〇年にアーサー・ホイテッカーという建築家が執筆し、ドイルにホームズ作品のアイデアの一つとして十ギニーで買い上げてもらったものがそのままドイルの書類の中で眠っていたということが判明した。執筆年代からしてみればパスティッシュの一番早い作品ではあるが、ホイテッカー自身はパスティッシュとしてではなく、あわよくばドイルと共著で本物として発表してもらいたかったのであるから、意図としてはパスティッシュとはいえないだろう。

 さて、中国でシャーロック・ホームズが初めて紹介されたのは一八九四年の「時務報」八月一日から九月二十一日にかけて連載された「英包探勘密約案」(原作The Naval Treaty)である*6。これ以後中国では次から次へとホームズ物語が翻訳出版され、江戸川乱歩も「中国は探偵小説では日本より遥かに遅れているというのが常識だが、少なくともホームズの翻訳では向こうの方が進んでいたことが分り、ちょっと意外に感じた」と述べるほどであった*7。もっともホームズ物語の初邦訳は同じく一八九四年の「日本人」一月三日号から二月十八日号にわたって四回連載された「乞食道楽」(原作The Man with the Twisted Lip)であるから、わずかな差で日本のほうが先に紹介はされている。しかしその後の一九〇〇年代から一九一〇年代にかけてのホームズ物語以外のドイル作品も含むの翻訳点数からみると、決して邦訳とは引けをとらず、むしろ未邦訳の作品までも積極的に紹介されているといってもいい。
 また一九一六年にはそれまで英国で出版された全四十四篇のホームズ物語をもって全集を発行しており、これが前述の乱歩を驚かしめたものである*8。一方日本ではホームズ全集といえるものは、一九三一年の改造社のドイル全集を待たなくてはいけなかった。
 さて、中村忠行によると「何と言っても、圧倒的な人気を誇るのは、ホームズの名であつた。…(中略)…端的に言つて、「福爾摩斯探案」の名を冠せさへすれば、何でも売れるといふ状態であつたらしい」*9。すなわち当時かなりの数のホームズ物語の贋作が中国で出版されたのである。樽本照雄の研究によると、およそ二十篇ほどの贋作が認められるという*10。それらのほとんどは一九〇〇年代から一九一〇年代にわたって発表されており、一番古いものは、

  歇洛克来遊上海第一案 冷血(陳景韓)戯作 『時報』1904.12.18

であると思われる。残念ながら本文にいまだ接することは出来ていないが、題名から類推するだけでも、ドイルの真正のホームズ物語でないことは容易に分る。その他何篇かは実見したが、そのほとんどは中国の公案小説の流れを引き継いで、ほとんど論理的推理の組み立てや犯人当てを楽しむと言った探偵小説特有の筋立てとは無縁であった。前書きで粗筋と犯人をばらしてあったり、犯人が今までの話とは関係なくいきなり登場して逮捕されたりしている。もっとも本物のホームズ物語の翻訳もその題名で内容がすべて暴露されたりしているので、これは中国特有のこととして仕方のないことかもしれない。
 また以上述べたのは題名からして明らかに贋作とわかる作品のことであるが、一見本物のホームズ物語のように見えても油断のならないこともある。

  「贋婿」 胡寄塵 『春声』5期 1916.6.1

はその題名からしてドイル作の“A Case of Identity”であることは万人の認めるところだろう。しかしその冒頭には「この話は大半は西洋の話に基づいているが、原文とは全く異なる節を加えた。」とある。それからしばらくは“A Case of Identity”の話が続くのだが、 メアリーが避暑にいったりして話がそれていき、殺人事件が起こってホームズはスコットランドに出張に行ってしまうのだ。結局のところこの殺人事件は本筋とはほとんど関係が無く解決し、話は元の“A Case of Identity”にもどり、こちらも解決して話は終っている。つまり元の“A Case of Identity”に全く関連の無い殺人事件のパスティッシュを真ん中に挿入してしまっているのだ。だから現在ドイルの作品と思われている物も、実際に現物を確認してみないことにはパスティッシュである可能性があるのだから恐ろしいことである。
 さらにもう一編挙げるとするならば、

  深浅印 (偵探小説) 上海・小説林総発行所 丙午5(1906)

であろう。これについては樽本が「贋作漢訳ホームズ」*11で論じているので再び繰り返しはしないが、樽本はこの作品をこう評している。
 「しかし、非常にうまくできた贋作だ。双生児による誤認殺人、および同時に発生した窃盗事件との組み合わせがおもしろい。犯人推理の直接の決め手が足跡だけというのは、ややお手軽と言えなくもないが、この点については周到な伏線がめぐらせてある。なによりもホームズ物に見られる定石のいくつかをうまく使用している点を言わなくてはならない。
 ベーカー街の部屋にもどってきたワトスンの気分爽快な様子と帽子についた水滴を見たホームズが、ワトスンが早朝の散歩に出かけたのを言い当てるという、物語の枕としてのワトスン相手の推理。新聞記事で事件のあらましを説明してしまうやり方。警察による見当違いの捜査。美しく魅力ある女性の登場。綿密な現場検証によって推理される犯人像。ホームズの変装。活劇による幕切れ。ホームズ物の道具立てで特徴的なものはほとんど取り入れられている。贋作の作者は、よほど腕の立つ人物と見える」
 このように「深浅印」は当時の中国製ホームズ贋作としては例外中の例外といえるほど、論理構築と物語構成がずばぬけて優れていた。ホームズ物語が成功した当時英国では、それに追随した「ホームズのライヴァルたち」といわれる連作短編読切探偵小説が大流行した。たとえばオースチン・フリーマンの「ソーンダイク博士」シリーズとかオルツイ男爵夫人の「隅の老人」シリーズとかである。それらと比較しても「深浅印」は決して引けをとらない。しかしそれだけ優れているとなると、何か別の探偵が登場する欧米の小説の登場人物の名前を「ホームズ」に置き換えたのではないか、という疑問も当然浮上する。そこで私は日本、米国、英国の一線で活躍するシャーロッキアンに「深浅印」の粗筋を告げてこのような作品を知らないかどうか問い合わせてみたが、このような作品は読んだことがないとみな言っていた。
 また「深浅印」は「華生筆記」と冒頭に記されている。つまり「ワトスン著」ということである。これはそれまで例がなかったわけではないが、約七十年後の一九七四年にニコラス・メイヤーが書いてベストセラーになった「シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険」*12における「ワトスン博士の未発表手記」という形式の前触れにほかならない。そしてその後この形式をとったパスティッシュが大量に発表されたのは言うまでもない*13。
 すなわち「深浅印」は欧米でまだ考えもされなかった時期に中国で数多く書かれたホームズ・パスティッシュの一つであるばかりでなく、もしオリジナル作品であれば、その内容は未来の欧米のホームズ・パスティッシュを先取りするかのような充実を見せているということで、ホームズのパスティッシュ史でも非常に特異な重要性を持つ作品であるといえよう。

註;
(1)深町真理子訳、ハヤカワ・ミステリ文庫、昭和五十二年。
(2)「名探偵ホームズ大全集」徳間書店、一九八四年。(ヴィデオテープ、及びレーザーディスクにて発売された)
(3)大久保康雄訳、ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブック、昭和五十年。
(4)中川裕朗、乾信一郎訳、エラリー・クイーン編「シャーロック・ホームズの災難(上)」所収、ハヤカワ・ミステリ文庫、昭和五十九年。
(5)日暮雅通訳、各務三郎編「ホームズ贋作展覧会」講談社文庫、昭和五十五年。
(6)中村忠行「清末探偵小説史稿(一)」、「清末小説研究」第二号、p122,一九七八年。
(7)江戸川乱歩「福爾摩斯偵探全集」、「海外探偵小説作家と作品2」所収、p114、講談社、一九八九年。
(8)中村忠行、上掲書、p151。
(9)中村忠行、上掲書、p149。
(10)樽本照雄との私信による。
(11)樽本照雄「清末小説論集」法律文化社、一九九二年。
(12)田中融二訳、扶桑社ミステリー、一九八八年。
(13)ジューン・トムスン「シャーロック・ホームズの秘密ファイル」押田由起訳、創元推理文庫、一九九一年、など。